独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala 国内の旅 4) メヒコへ①再びシェラ、&スニル

  そこはたぶんサンペドロでもっとも安い安宿?だったのではないか?ま、宿と呼べるならばの話だ、オーナーであるアンドレアおばさん(おばあさん)はもしかしたらそんなに貸す気はなかったのかも知れない、なぜならそこは泊まれる条件みたいなもの?部屋を貸すための最低限の設備、調度といったものにまったく無頓着であったのだから~確かにベッドとトイレはついていた、しかし掃除をした形跡は感じられなかった、部屋は板壁一枚で節穴から向こうが見えた、シーツは換えてくれるのだろうか?ま、この程度の宿は他の国ではこれまで何回も経験していたが、Guatemalaに来てからでいえば、へぇーこんなところもあるの!?といった感じであった、だからそこの宿の宿泊客はたぶん部屋は5~6部屋くらいあったであろうが、そのとき一人であった、、、ここに来たいきさつ等についてはおいおい書いていくとして、そこに荷を預けるまでの何日かの書き漏らしたくないことを少々追加しておきたい‥

 まずオカアサンとのその後、サンフランシスコにいたときはつい目と鼻の先だったので通りで会ったりわたしの部屋に訪ねてくれたことが何回かあった、そんな時雑談や情報交換だけのときもあれば難しい話をすることもあった、たとえばオカアサンは日本の某宗教の信者だったので宗教嫌いでないわたし(特定の団体に属してはいない、宗教一般に興味があっただけ)とは話がかみ合って何時間も話すこともあった、そんな時にはわたしの欠点・短所を指摘してくれたりオカアサンの所属する教団の本をくれたり、ともかく心の熱い人であった、もちろん26日に発って、延長して戻ってくることは話していたがcasa Andreaのことは言ってなかった、彼女は3月半ばに一旦日本に帰る予定だと聞いていたが、3月の1日にサンペドロに戻ってから彼女に会うことはなかった~

 Carolina先生とはちっとも身にならない授業だったが、当初の5日間を4日延ばして24日まで来てくれたことは前にも述べた、ともかく彼女と話しているときは楽しかった、で、やはり名残惜しく彼女の家へ行ったときに見せてもらった絵を買うことにした、絵とお母さんが作られた織物とあわせて100Q払った、それが十分だったかどうかはわからない、たぶん渋いなぁと想われたことであろう、その彼女は授業の合間の会話でGuatemalaのマヤの聖典でもっとも有名な歴史書‘ポポルウフ’の話になり、彼女が持っていたTz'utujil語・スペイン語併記の年少者向けの要約本をわたしに記念としてくれるのだった、これは大変価値のあるものでその後アンティグアのスペイン語学校に通ったときに教材に使ったほど、わたしの大事なお土産のひとつになった、ま、そんなこともあってサンペドロに戻ったときもう一度彼女の授業を受けることになるのだが~

 その頃の出来事・記録としてもうひとつ、、ちょうどその頃が季節の変わり目だったのかGuatemalaに来てはじめて雨を経験した、それは床屋へ行った日の帰りだったが1時間ほど土砂降りが続いてネットやさんで雨宿りした記憶がある、降った雨水がサンペドロの石畳の坂を川のように流れていった、そんな天気がその後時々見られるようになってあの澄みきった青空が見られない日も多くなってきた、ま、その分少し暖かくなってきていたのかもしれない、なので26日に2回目のシェラに着いたとき前回ほどの厳しさは感じられなかった~

 その朝やはり早く目覚めてしまって6時半にはチェックアウトした、チェックアウトといっても部屋に鍵を置いて黙って出てきてしまっただけのことだが(要するに未払いがなく荷物がなく、鍵が置いてあればそれがチェックアウトを意味した)前回と同じ小さなバックひとつだったので身軽だった、パルケ脇に停まっていたバスがちょうどシェラ行きだった、何時発かと聞いたらすぐに出るとのこと、バスの時間はあってないようなもので事前に調べてはなかったからラッキーであった、たぶん1時間に1本くらい出ていたのではないか(朝の5時頃から12時くらいまで?)、だから7時発のバスだったのかもしれない?乗客は4,5人、サンパブロから山道にかかるまでの湖岸の道は朝日をまともに受けて、今までとは違ったLago Atitlanの別の美しさをみせていた、が早速徴収に来た車掌に35Qといわれて高いなと思ったが黙って払ってしまったのは失敗であった、ホテルサンフランシスコであったK君はシェラからのバスは30Qだったとたしか言っていたように記憶していたが、その後値上がりしたのだろうか?クレームを言うのが面倒だったからか何故かその時は素直に払ってしまったのだ、その日シェラのTハウスに着いたとき偶然そのK君がいた、その話をするとやはりボラれたようであった、、、バスは九十九折の山道をそれでも何とか越えた、その道をアンティグアから来たときはシャトルバス(ワゴン車)で通っていた、その時バスとすれ違ったのでその道をワゴン車より遥かにでかいあのチキンバスが通っていることを知ったのだけれど、にわかには信じ難い、そんな道だった、かれこれ1時間20分途中サンタクラララグーナ、サンタマリアビシタシオンの街(村?来るときはシャトルバスだったので寄っていない)に寄って8時20分国道1号線CA1の148に出た、そこからバスは飛ばせるだけ飛ばしナウアラ、わたしがトイレで降りたところ、クアトロカミノスを経由して10時にはシェラに着いた、ミネルバのバスターミナルでうろうろしいると突然わたしの名前を呼ばれた、振り返ると2ヶ月くらい前に一度アンティグアの学校であったことのある若い女の子A子さんだった、どこに行くの?サンペドロ、えー、今そこから来たところだよ‥そんな会話から始まって、今彼女はTさんの紹介でホームステイしながらここの学校に通っていること、これから1泊でサンペドロかサンマルコスへ行く予定であること(その日は土曜日で学校は休みだった)、毎日Tハウスには顔を出していることなどを話してくれた、わたしも今日はTハウスに泊まって明日ビザの延長のために一旦メヒコへ出ること、たぶん2,3日後に戻るからTハウスでまた会おうといって別れた、セントロへ行くミニバスは1Qから1,25Qに上がっていた(それはA子さんが教えてくれていた)、ということはサンペドロ~シェラも上がったのかもしれない??そんなことを思いながら、もうひとつの目的であった両替所へ、前に記したかもしれないが何故かここの両替所では、比較的簡単にしかも500ドルのトラベラーズチェックを両替できたのだ、だからそれも今回の大きな用件のひとつであった、が、そのときのレートは前回よりも1ドルにつき、0.02Qくらい悪くなっていた、そこからTハウスまでは5分もかからない、11時にはTハウスに着いた、そしたらそこにK君がいたのであった~

  シェラからメキシコ・タパチュラだったら無理すれば日帰りもできないことはない距離であったが、一応一泊の予定で次の日の朝メヒコに向かうことにしていた、なのでその日の午後は時間があったというか、最初からそのつもりで近郊の村に行ってみる予定でいた、前に来たときにTハウスに富永mapが貼ってあってシェラ近郊の情報が詳しく記されているのを知っていたから、それを参考にさせてもらう、シェラの近郊には見所や面白そうなところがたくさんあった、大きく分けると3パターン、①は先住民の村と市、その数十を越え毎日どこかで市が開かれていた(市は週一または二で、それぞれの場所で何曜日か決まっている)②Guatemalaは火山が多く、シェラ近郊にもボルカンサンタマリア(Volcan Santa Maria 3772m)があった、その登山には一泊二日が必要であった③火山が多いということで、この地には温泉場が何ヶ所もあった、けっこう地元民に人気があるようであった、で、その時半日の時間しかなかったので行けるところはおのずと限られしまったが、バスでいくつかは行けそうだった、そんなひとつにスニルというところがあった、、、

 スニルへはバスで30分くらいとのことだった、そのバス停はミネルバのバスターミナルとはちょうど反対の方向に歩いて15分くらいのところにあった、黄色いスクールバスが路上に停まっていて聞いてはじめてそれとわかった、ま、昼間の時間帯だったのですいていた、細い山道を南の方向にに走り出し、一山越えたところがアルモロンガという村だった、ここの市も結構大きくてちょうどその日にあたっていた、ちょっと寄ってみたくもあったがその時はスルーした(見送った)、しばらく山を下る感じで走っていくと両脇に温泉場らしい建物が現われた、そこがロスバーニョスLos Banosで地名がオンセンバを意味していた、ここはオンセンバとしては有名なところのようであったが日本のオンセンバを知るものとしては風情も興趣も何もそそられなかった(シェラの日本人は結構利用しているようだったが)、なのでそこから10分くらいのところの川沿いの村(街?)スニルにもそんなオンセンバがいくつかあったが結局どこにも入らなかった、どんなところか知るだけでも寄ってみるべきだったかもしれないが、何人かのグループだったらともかく一人ではちょっと気が進まなかったのだ、そのとき雨こそ降らなかったがどんよりと曇って少し寒いくらいだった、スニルの温泉街を抜けて川沿いの道を滝が見えるというところまで少し歩いてみた、よその家の畑を無断で突っ切ると断崖になっていて深く刻まれた渓谷が見渡せた、確かに滝も見えた、しかしそこにも何本も敷設されたオンセンパイプが空中を這っていて美しさを損ねている、しばらく来た道をスニルの街に戻る、先ほど見た川に立派な橋が架かっていて車の行き来が激しい、歩いてその橋を渡ると美しいはずの渓谷はゴミ捨て場?ゴミの山となっている、ここにも前に書いたアンティグアのボルカンアグアと同じ現象のゴミ問題があった、全体としては雰囲気があって山間ののどかな町なのだけれど部分的にみるとせっかくの美しさを台無しにしてしまっている、美意識の問題?もったいない気がするのであった~

  スニルはその日市の日でなかったので教会前のパルケに常設?の露店が少し出ているくらいであった、しかも今にも降りそうな空模様で人出もほとんどない、教会前でパンを売っていたオヤジにパンを買ったついでにマキシモンの教会の場所を聞いてみた、少し上がってところにあるという、何人かに聞いてやっとそこにたどり着けた、迷路みたいな路地を入ったところにある普通の家?そとからではまったくそれはわからない、まさに密教という感じ、拝観料5Qを少年に払って中に入る、無数のろうそくの向こうに彼(サンシモン像)は椅子に腰掛けていて何人かの女性がその世話?をしている、もちろん一般の参詣者なんていない、写真を一枚撮らせてもらった(写真を撮るのにまた何がしかのtipを必要とした、なおその写真はすでに掲載済み)、そこのおばさんたちとは話をしなかったが一人の気のいいオッサンと下手なスペイン語でだったが少し話をすることができた、もちろん話題は日本のこととかどうやって、何しにGuatemalaに来たのかというような一般的にことであったが、、、パルケ前で買ったパンをかじりながらまたバスでシェラに戻った、しかしサンシモンの近くに停まっていたバスはシェラ行きといったが来たときとは違う道を行った、どうやら別の道があったらしくこちらのほうが本道?大きな道であった、しかしよくわからないままセントロに行くにはここが近いといわれて降ろされた場所はいったいどこなのかまったく見当がつかなかった、しばらく途方にくれて地図とにらめっこ、ようやくつかんだその場所は近いどころかまだ街のはずれといったところであった、しかし方向はつかんだので歩き出す、とバス何台か停まっているところに出た、バスにはTotonicapanとう表示があったので、そこがトトニカパン行きのバスターミナルであることがわかった、それは後に役立つことになる、そこからさらに歩くこと20分くらい?やっとのことでTハウスに帰りつくことができたが、それはシェラの知らないところの街見物でもあった、その時Tハウスには前回の倍くらい(12,3人?)の日本人が宿泊していて皆若い人ばかり、そんな中で既知のK君がいてくれたことはわたしにとってはありがたいことであった、その時は焼肉だったかハンバーグだったか、やはり日本食を満喫させてもらった、そしてさらに明日の情報メキシコへの行き方、タパチュラの宿等を富永mapから仕入れ、Tさんも適切なアドバイスをしてくれるのであった~

(写真説明、上からシェラの街全景、南側の丘から、次スニルの滝?後方にスニルの街、3番目、スニルの街全景、一番下スニルの教会前)Img_2682jpg_blog Img_2684jpg_blog Img_2686jpg_blog Img_2687jpg_blog