独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala/San Pedro 8)カサ アンドレア Casa Andrea ①Lago一周 他

  サンペドロの前半がホテルサンフランシスコだったとすると後半がカサアンドレアということになる、当初1週間の予定が最終的には3月の1日から14日まで2週間滞在したことになる、それも前半と後半に分けられ最初の1週間は:結構気ままに過ごしてた、後半はまたカロリーナの授業を受けている、そんな日々をざっと振り返ってみる、、、

 そこはホテルサンフランシスコから歩いて5,6分のところであったが、雰囲気はガラッと変わった、残念ながら湖に近すぎて逆にLago Atitlanの眺望を楽しむというわけにはいかなかったが、まるでジャングルハウスといった感じで、木々と花々そしてたくさんの鳥たちに囲まれたとってもリラックスできる空間だった、毎朝うるさいくらいの小鳥のさえずりで目を覚まし日の出を拝み、2階のベランダに椅子と机を出して本を読んだりスパニッシュの勉強を少ししたり、時には昼から飲み始めて昼寝してという生活であった、何しろ朝と晩の食事の心配はなかったし、昼食は散歩がてら15分くらい歩いてパルケセントラルへ、行きつけとなったネットやさんでmailのチェックをしてメルカドで昼飯を買って帰るというのがだいたい毎日のパターンとなっていた、ま、いろんなところへ行ったりもしていたが‥??(経済的には酒代入れてもここでは100Q/1000円くらいで一日十分暮らせそうであった、グアテマラ全般でいうと酒代抜きで3食&ベッド100Qあれば十分可能だと思う)

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 サンペドロに戻った日、S君にmailを入れたのは前から聞いていた日本人K先生のサンフアンでの特別レクチャーを見学させてもらえないかという問い合わせであった、次の朝mailをチェックしたら、すでに昨日からそれははじまっていてその日もやっているからいつでもどうぞという返信が入っていた、で、早速その日の午後またサンフアンに行ってみることにした、サンフアンにあるお土産やさんの一画が工房のようになっていてそこで草木染の講習会は行なわれていた、現地の女性たちが十数名男性数名が見守る中K先生は達者なスペイン語を使ってそれでいて朴訥な感じで講義をされていた、わたしの友人S君他日本人スタッフ2人をいれると総勢20名近く?、わたしは完全に飛び入りだったので隅のほうで見学させてもらった、実際に染料の温度チェック(煮つめる作業?)などをしながらの実践は皆真剣そのもの、それでいてわきあいあいと、長年の先生と地元の人々のしっかりした絆を感じさせるものだった、このような伝統工芸のエコロジカル的な取り組みを支援・指導して地元経済の活性化を促す、これこそ真の国際交流・国際貢献だと思われた、やはり技術的援助のほうが地元民のためになると思う、K先生はまた素晴らしく魅力的な方であった、決しておごらず高ぶらず押し付けがましくなく、淡々とした枯れた味わいは人生の達人でなければ示せない境地だ、すごい人がいるもんた !、、、それはそのままわが身を振り返らせ自分のあまりの無力さをさいなみ落ち込むこととなった、、、

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 だいたい昼間っから酒を飲んで酔っ払っているのはそんなときが多かったのだが、そういう時は動き出すしかない、何かをやっていたほうが良いということは知っていた、計画を立ててみたた、まず次の週からまたカロリーナに来てもらおう、その前に一度湖Lago Atitlanを一周してみよう、というものだった、、

 スパニッシュスクールArco Irisは校長マヌエル一人の学校で他にスタッフはいない、生徒が来たら先生はまず自分、2人目は娘のカロリーナ、もしもう一人来たら彼の友人知人から探してくるのだろう、しかし3人目が座る椅子はなかった、、、??で、その学校の敷地がCasa Andreaにあったということは、たぶんこういうことだと思う、この土地は当然Sra.アンドレアのもので、たぶんでマヌエルとアンドレアの関係は義母・婿、つまりマヌエルはアンドレアの娘のダンナだったのだと思う、もしそうならばカロリーナにとってはアンドレアは祖母にあたる、詳しく聞くことはなかったがそういうことだろうと想像した、でアンドレアは当然ケータイ電話なんぞ持ってはいなかったが、マヌエルもカロリーナもちゃんとそれは所有していた、マヌエルはパルケセントラル近くに住んでいたので生徒がいなくても毎日一度は顔を出していた、わたしの希望(授業再開)はすぐに叶えられた、というか彼はすぐにやってきて前払いしてくれないかと言ってきた、生徒がいないと他に仕事がない彼は経済的に困窮していたのかもしれない、もしかしたら娘のカロリーナにもアルバイト代を払っていなかったかもしれない‥、ま、ということはわたしにとってはたいした額ではなかったが、それは少しは彼らのためになることだったのかもしれない、少なくともそう思うことによって(そんなことしかできない)わたしも少しは救われるのであった~

 それが何故その日になったかは今となっては定かでないが、サンフアンでjaicaの支援活動を見せてもらった3日後、3月5日にLago一周を試みた、まず各停のボートでツヌナTzununaへ(サンマルコスはすでに行っていたからはずした)、おそらくここは十いくつかある湖畔の村の中で最も観光開発がなされておらずとても純朴な村であった、だから旅行者はいない、桟橋の近くにはホテルも土産物屋(土産物などを扱ってるところは結局一軒もなかった)も人家もない、降りてしばらくいくと広いグランドがあってそこから道は少し登り気味になった、ホテルが一軒だけあったが客はいなかった、情報だけでもと思って一泊いくらか聞いてみた、50Qとのことだった、それこそ店も何もないところだったがかえってそれが魅力的だった、ホテルは他にあるのかと聞いたらもう一軒あると言っていた、そこから10分くらい登ったところに教会があって子供たちが遊んでいた、カメラを向けると逃げられてしまった、ここの民族衣装は黒のコルテ(スカート)赤のウィピル(ブラウス)が鮮やかでとても印象に残った、教会はかなり高い位置にあってそこからの眺めもよかった、しかし民家はそれほど多くなく住民も少ない小さい村のようであった、そこより少し大きな村が次に訪れたサンタクルスララグーナSanta Cruz la Lagunaであった、ツヌナと同じ民族衣装だったので隣村でもあるし繋がりが濃いと思われた、そこは船着場の近くに欧米人用の大きなホテルがあって、ダイビングスポットが近くの湖上にあるのか、そのホテルがアレンジするボートに乗り込むダイバーを多くみた、桟橋近くには他にもホテルが何軒かあり、ある意味典型的なツーリストゾーンだった、村人(ツヌナもここもカクチケル系先住民)は、そこから20分ほど登った山の中腹に住んでいた、きつい坂を登っていくと眺めの素晴らしいところに出る、さらに登ると村の中心になっている教会があった、教会の前はこの辺の村ではどこでもそうだったがパルケセントラルでなくなぜかバスケットコートになっていてその片側に役所があった、住居・商店の数はツヌナよりずっと多かった、バスケットコート脇にあった村の共同洗濯場で女性たちがおしゃべりしながら洗濯に忙しそうだった、とても人懐っこい人たちで写真を撮らせてくれと頼んでみたが断られた、しかたなく坂を下って桟橋に戻ることにした、その途中でわたしの後から民族衣装鮮やかな女性と子供たちが下ってきた、わたしは今度は無断でカメラを構えた、その瞬間足がもつれて見事に転倒していた、罰が当たったようである、そのときの怪我(すり傷だったが)はかなり大きく数少ないズボンは綻びてしまった、痛む足を引きずってやっとのことで桟橋にたどり着くのであった~

(上2枚 ; ツヌナ、下3枚 ; サンタクルスララグーナ)Img_2760jpg_blog Img_2763jpg_blog Img_2769jpg_blog Img_2770jpg_blog Img_2659jpg_blog_2

  そこからまたボートでパナへ、パナハチェルは3度目でたぶん次はないであろうと思っていたからここでしかできないことをいくつかかたづける、まずサンタンデールの大通りに出て前に来たときに見つけてあった、ここでしか目にしなかった土産をいくつか買う、次にサンダルを探す、日本から持ってきていたサンダルが駄目になってしまったのでサンペドロで探してみたが、日曜の市で見つけたことがあったが買い損ねていた、もし適当なものがあればとうろついていると靴やサンダルを扱っているお店がちゃんとあって、その適当なものがあった、それほど高くなかったので買ってしまった、25Q、中国製だった、さらに大通りを北上し、いつも休みだった(日、月定休)カフェ・クロスロードに寄ってみた、ここはS君がパナで一番おいしいコーヒー屋と教えてくれたところで、たぶんアメリカ人が経営者だった、さすがに欧米系旅行者(orもしかしたら住みついている人?)でいっぱいだったが、帰り際に日本人の旅行者も来ていたからやはり有名なところのようであった、もちろん一番安い普通のコーヒーを頼んだみたが、これぞコーヒー ! 流石に美味かった、といってもお金を出してコーヒーを飲んだのは、こことアンティグアのドニャルイサDoña Luisaだけで、前にも書いたがコーヒーで有名なグアテマラで、おいしいコーヒーを飲もうとしたらやはりそれなりの店に行かないと飲めない、そういう店のひとつであった、それでもここは8Q、ドニャルイサは6Qだったから安いといえば安い(高いところで10Qくらい、、)そこを出るといつものスーパーがもう近くにあって、酒類カップラーメンなどの食料の買出し、そこから歩いて10分くらいでエルソルに着く、今回は泊まらないがと断って二つお願い事をする、ひとつはもう一度富永mapを見せてもらうこと、もうひとつは本をもらってもらうことだった、富永mapではこの先サンアントニオパロポSan Antonio PalopoからアグアエスコンディーダAgua Escondidaに抜けられるかどうかの確認と前回チェックしたChuitinamit遺跡の再確認だったが、どちらもいまいちはっきりしなかった、本については前回泊まったときに旅行者宿泊者のための本棚があって自由に閲覧できたので、読み終わった本を置いていってもかまわないかと頼みにきたのだった、どちらも快く了解していただいて助かった、本は重いのでできればこの先持ち歩きたくなかったし、かといって捨てたくなかったのだ‥、サンアントニオパロポから先はもちろん道はあるのだが交通手段があるかどうかは行ってみなければわからなかった、エルソルの前でピックアップを待つ、やってきたのはタイミングよくサンアントニオパロポ行きだった、荷台には何人かすでに乗っていたが混みあってはいない、サンタカタリーナパロポまでは一度通った道、それより先は初めての道だった、いずれにしろ細く険しい山道だが景色は素晴らしい、意外だったのはサンアントニオパロポは途中のサンタカタリーナパロポからさらに同じくらいの距離を走るのに(つまり倍の距離にもかかわらず)料金が同じだったこと、30分くらい走って5Qだった、そこはサンタカタリーナパロポと同じブルー系の美しいウィピル・コルテを身にまとう100%カクチケルの村であった、たたここも山の中腹を切り開いたようなところで教会は建っていたがパルケを作るスペースはなく、教会前のちょっとした広場は車の駐車スペースになっていた、かなり高い位置にあって湖の眺めはよかった、教会の隣が市場というか大きな商店のようになっていて、やはりそこが村の中心であることにかわりはなかった、時々観光客がやってくるのか土産物屋と路上で土産を売っている女性が何人かいて、その美しい衣装とあわせて写真を撮りたかったが一様に拒否されてしまった、土産ものを物色しながらそこのおばさんに聞いてみた、この先に行きたいのだけれどピックアップは出ているのか?ここから先はない、歩いていけるか?歩いて行けないことはないがかなり遠い、とのことだった、エルソルに貼ってあった富永mapにも確かそのように描かれていたと思う、道は二つあった、そのまま湖岸に沿ってアグアエスコンディーダヘ出る道と湖を背にして裏山を直登してゴディネスGodinezに出る道があった、いずれも2~3時間かかりそうであった、さてどうしたもんか迷う、その時時間は13時ころであった、いずれにしろ歩いていったらその日のうちにサンペドロへは帰り着けないのは明らかであった、途中でどこかで宿を探さなければならなくなる、別にそれはそれでかまわなかったが歩き2~3時間はきついことはきつい、では今来た道をまた戻るか、もちろんそれも想定内であったが、それはできれば取りたくない選択肢であった、もしその時そのおばさんの一言がなかったらたぶん歩き出していたと思う、しかし、その道は後から知るのだがとてつもない道だった、おばさんの一言がいかにありがたかったか、こう言ってくれたのだ、今そこに停まっているトラックが荷を降ろし終わったらアグアエスコンディード経由でゴディネスに戻る、そのオヤジに頼んであげるというものであった、話は10Qでまとまった、タイミングがよかったのだ、そのおばさんにも礼をすべきだったかもしれないがお土産を買うことでその気持ちを表した、その車の持ち主はゴディネスで農業を営むご夫婦のようだった、たぶんとうもろこしかジャガイモだったと思うが農作物をこの市場に出荷するために運んできてたようだった、しばらく待ってその荷台に乗せてもらった、他にやはりゴディネスに帰る親娘とサンルーカスまで行くというオッサンがやはり客となった、ゴディネス直登の山道はもちろん車の通れる道でなかったから車の場合湖に沿った道しかなかったのだけれど、それはまともな道ではなかった、もちろんでこぼこの砂利道だがそれこそ延々ローギア以外の選択は無理な道といえばわかってもらえるであろうか?行き交った車は30分くらい走ってゼロ、もちろん歩いてる人もいなければ人家もない、ピックアップの運行がないのもうなずけた、しっかり捕まってないと振り落とされそうな道だったが相変わらず眺めはよかった、それに同乗の10歳くらいの少女が可愛くてその娘を見ているだけで癒されるのであった、1Qのお小遣いで写真を撮らせてもらった、かなり登ってゴディネスから来る舗装道路に出た、そこでわたしとオッサンは降り礼を言って10Q払った、そこに建っていた標識によるとサンアントニオパロポまで5kmとなっていた、ということは登りの山道だったから歩いたらやはり2時間くらいかかったかもしれなかった、しかしあまり歩きたくなるような道・歩けそうな道ではなかった~

(サンアントニオパロポ~アグアエンコンディーダ)Img_2773jpg_blog Img_2772jpg_blog Img_2775jpg_blog Img_2778jpg_blog

 Godinezからの道は幹線道路なので車は結構行き来していた、ピックアップが通っているはずだった、あまり話は通じなかったがそれでもそのオッサンと何か話しながらピックアップを待った、しばらく待ってやってきたピックアップはそれまで経験したことのないような混雑であった(1トン車の荷台に20人近く)、それでも皆立ち身だから何とか乗れた、ちょっと風の冷たいアグアエスコンディーダの田園地帯を行く、今までと風景が違う、湖は見えない、しばらく走ると下りにかかった、一箇所ミラドール(展望台)があってそこからの湖は眺めがよさそうであったがそのころは空模様が怪しくなっていてほとんど霞んでいた、20分ほどでサンルーカストリマンSan Lucas Tlimanの街に、ピックアップの乗客の衣装はサンタカタリーナ、サンアントニオとまた違って少しピンクや赤が混ざっていたが、サンルーカスも同じ衣装だった、ピックアップのドライバーにサンチャゴアティトランSantiago Atitlanへ行くピックアップ乗り場を教えてもらう、いつもだったらまずパルケセントラルへ向かうところだが、その時すこし疲れていたのかもしれない、たぶんどこも同じだからもういいや、という気分だった?、2ブロックか3ブロック歩いたところを左に曲がっていくとピックアップが何台か停まっていたが、どうも違うようであった、しばらく歩き回ってようやくそれらしい車が停まっていたので聞いてみる、サンチャゴまでいくら?7Q、とのことだった、他に客はおらずしばらく客待ちの様子、とその時狭い道にバスが入ってきた、聞いてみるとサンチャゴアティトゥランまで行くバスだった、5Qだといっている、しかもすぐに出そうだった、ピックアップのドライバーに詫びをいれてそのバスに飛び乗った、車掌にこのバスはどこから来たのか?と聞いてみたらマサテナンゴ(Masatenango Suchitepequez県の県都、Retalhuleuの近く)といっていた、ボルカントリマンの山すそを湖に沿って作られているその道はしかしほとんど樹林帯の中を走っていたので展望はあまりよくなかった、40分くらいでサンチャゴアティトゥランのパルケセントラル近く、前にバスを探したあたりに到着した、その時はトゥクトゥクを使うつもりだった、どうしてもサンシモンだけは今回クリアしておきたかったのだ、すぐにやってきたトゥクトゥクは10Qだと言った、冗談じゃない、2台目も同じことを言った、3台目のときこちらから5Qで行くと聞いているが、と先に言ったらOKだった、そこは前に来たとき何回通ったかわからない、つまりその辺ではないかと何回も通ったところだった、が、わからなくて当然と納得させられた、看板も何もない地元の人あるいは知っている人でなければ決して入っていけない細い路地を入ったところにあった、そこは桟橋の近くだったから知っていればもちろん歩いていけるところであった、それにしても何でこんなところに? 一応2Q払って中を見せてもらった帰り道に考えてみた、思いついたのは今港の近くに建設中の大きな教会のような建物がもしかしたらこのサンシモンの本山になるのではないか、なので今は仮住まいしている‥?でなければこれは完全に密教、あまり人に知られたくない宗教ということになる‥?、、真相はわからない‥

 歩いて下ったところが桟橋であった、ものの5分もかからない、16時発のサンチャゴアティトゥラン行きボートは出たばかりで、次が17時とのことであった、桟橋近くの屋台のホットドッグ5Qをほおばって、たくさん並んでいる土産物屋を冷やかして時間をつぶす、17時発のボートは30分でサンペドロらに着いた、確か前回乗ったときは25Qとられた記憶があったがそのときは15Qであった、こうして朝7時半から夕方17時半まで約12時間のアティトゥラン湖Lago Atitlan一周の旅は完結した、サンアントニオパロポ~アグアエスコンディードの間だけ乗り物(定期便)がないという難点があるのだけれど、それぞれ個性的な村々と素晴らしい景色が堪能できる、素敵なルートだと思われる、かかった交通費だけ以下に記しておく、サンペドロ→(サンフアン、サンマルコスは寄っていない、サンフアンへはピックアップで2Q、サンマルコスへはボートで10Q)ボート10Q、20~25分→ツヌナ→ボート10Q、10分→サンタクルスララグーナ→ボート15Q、15分→パナハチェル→(サンタカタリーナパロポには前回行ったので寄らなかったが、料金はピックアップで5Q、20分)ピックアップ5Q、30~35分→サンアントニオパロポ→(ピックアップなし)たまたまヒッチできたが10Q、30~35分→アグアエスコンディーダ→ピックアップ4Q、15~20分→サンルーカストリマン→バス5Q、35~40分→サンチャゴアティトゥラン→ボート15Q、30分→サンペドロ、交通費のトータルは74Q、何度も日本円換算しているとなんだかいやらしくなってくるが、ま、7~800円ということになる~

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