独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala/Antigua 1)ペンション田代

 来るとき55Qだったシャトルバスは何故か40Qで手に入った、前日日曜日の朝、シカゴのJohn氏を全員で送り出したあと、わたしもシャトルバスのticketを手に入れるため何軒かのトラベルエージェンシーを回ってみた、時間も価格もまちまちだったので歩いて5分くらいのところにあった朝8時発40Qに決めた、John氏も40Qであるよ、って言っていたから同じバスだったと思う、そして明くる3月14日の月曜、同じ時間にわたしもAndreaファミリーに別れを告げた、また必ず来る、できれば1ヵ月後くらいに寄れたら寄ると約束して‥、これで1月に一人3月から二人になったCasa Andreaの宿泊者はおそらく当分は誰もいなくなりそうだった、、、John氏もアンティグアで一泊して次の日の飛行機に乗ると言っていた、アンティグアからは飛行場へのシャトルバスがたくさん出ていたのでグアテ市よりもかえって利便性はあったのだ、彼は流石に何度もグアテマラに来ているだけあってアンティグアで一番安い宿はマクドナルドの向かいのポサダ****だと教えてくれるのだった、余談になるがそのマクドナルドについて、もしかしたら一度書いたかもしれないが、おそらくあの黄色いM印のでかい看板を掲げていない例として世界でも非常に珍しいのではないかと思われた、いやマクドナルドに限らずバーガーキングもそうだったから、たぶん世界遺産都市を意識しての規制だったのかもしれない? 通り過ぎてもまったくそれとわからない感じの店舗であった、しかし流石に中は広く客層も幅広く、もしかしたら現地の人たちにとってはマックに入れることがひとつのステイタスといった趣もなきにしろあらずで、それなりの存在価値を示していたようであったが、わたしにとっては貴重な公共トイレとして大変ありがたい存在であった(アンティグアに限らず有料トイレは結構あるのだが無料の公共トイレはほとんどない)、、、われわれが乗ったシャトルバスは(わたし以外は全て欧米人で計10名くらいであった)誰かの要望でそのマクドナルドの近くに停車し、その後どこを回ってくれるのかわからなかったのでわたしもそこで降りた、ペンション田代はそこからすぐだったからである、、、

 もちろんペンション田代の存在は知っていたし、ほとんどアンティグアへ寄った日本人はそこを宿泊先としていたから、逆に敬遠していたという面もあったが、おおむねその評判は悪くなかったし、何といってもサンペドロで会ったTecchi君の一言が大きかった、だから今回は最初からそこへ行ってみようと決めていたのだった、概して日本人宿を好む人好まぬ人があって、あまり積極派でないわたしのその理由は、あまり人付き合いがうまくない、よって人からも好かれる方でないわたしは、どうしても人間関係が億劫になる、何でまたわざわざ外国まで来ても日本の延長世界に浸らねばならないのか‥というものであったが、一方でまた、日本語で情報が得られるし、時には日本食にありつけたりする、という外国にあっての一時の安らぎの場になることも承知していた(だから沈没する人がでることにもなる)、何回かの経験で面白い人・すごい人たち(旅行者)に出くわす確率とあまり話もしたくないような人との比率はだいたい半々であった(言うまでもなく他人から見たわたしは後者である)、しかしほとんど100%に近く確かだったことはそのオーナーたちは面白い人であったり変わった人たちであった、、そして皆いい人であったのだ‥まさに田代さんもそんな一人であった~

 まだ40代半ば?一番上のお嬢さんがもう二十歳に近かったから40代後半か?しかし童顔でそのくせ体躯のでかいその容貌とそのわりにさわやかな語り口でほんとにけれんみのない人だった、旅行者の無理難題を極めて的確にアドバイスしてくれサポートしてくれていた、そこに長期滞在者がたくさんいるのが納得される場所であった、たまたまわたしが訪れたときバスなしだが個室が空いていて一泊60Q、一週間だと360Qとのことであった、ドミトリーが確か45Qだったのでそれに比べれば個室は安かった、とりあえず一泊でお願いした、簡単な自己紹介のあと、例の件を尋ねてみた、田代さんて千葉の人?間違っていなかった、千葉のどこ?***、わたしの住んでいる市の名前を言った、そこのどこ?***、わたしの乗り降りする駅の4つ東京よりの駅名をいった、なんだ、まったくの同郷人ではないか ! ! それ以降わたしのほうは勝手に彼に親しみを覚えてしまうのであった‥その話のあとに、出来たらアパートか貸家を借りたい、何かいい情報があったら教えてくださいと頼んだ、どのくらいの期間、そして予算は?と聞かれたので1ヶ月か2ヶ月、一月1500Q~2000Qくらいであれば‥、そんな話をしながら彼はわたしの部屋と3階のキッチンに案内してくれるのであった、そのキッチンが立派であった、もちろん個室も申し分なかった‥

 とりあえず荷を置いて市場に昼飯&食料の買出しに出かけたとき、バスターミナル(市場に隣接している)の屋台でおいしそうな食べ物屋を見つけた、それまで何度も通っていたがそこは気づいてなかった、その種の屋台はアンティグアでも他のどこでも目にしたことがなかった、しかしあまりにもうまそうだったので躊躇せずやっと空いた席に腰をかけた、そこはセビチェや魚貝スープの専門店のようであった、しかも昼時しかあけてない、当然市場の屋台だから安いだろうと思って地元の人たちが食している魚貝スープのようなものを頼んでみた、その商品名を知らないからソパデペスカド(sopa de pescado 魚のスープ)と言ってみたら通じたらしく希望したものがでてきた、一口すすってしびれてしまった、そのうまいこと、こんなうまいもんがあったんだ、このアンティグアでこんなものが食えるとは ! !しかしそれはそんなに安くはなかったのだ、地元の人が昼食に10Q以上出すことはまれだしここは市場の屋台だ、せいぜい15Qくらいだろうと思っていたのだが、それは思いのほか25Qもした、が、よく考えればそれは当然だったのだ、何しろその中身たるや魚はもちろん、でかい海老が5尾と貝類、それに蟹まで入っていたのだから ! で納得、是非また来ようと思ったがその後なかなか昼時にそこへ行く機会がなかった、しかし後でわかったことがある、ペンション田代のキッチンについてはいずれ詳しく書くことになろうと思うが、皆のたまり場になる3階のキッチンには例の富永mapが、それも一般的なグアテマラ中南米情報とは別にアンティグア周辺の情報もこれまた事細かに記されて貼ってあったのだ、それは後にわたしにとって貴重な情報源になるのだが、その一部にすでにわたしは訪れたことのあった太平洋岸の街プエルトサンホセやモンテリコの情報も当然記されてあった、そこにこの食べ物のことが書かれてあったのだ、その料理名もきちんと記されてあってそれを書きとめたはずだが今見当たらない、悔しいが失念してしまっている、が、そこにはその太平洋岸でそれを50Qくらいで食べられる、と写真入りで書かれていたのだ、明らかにそんなに安く食べられるのだから是非試してみたら、というニュアンスであった、そうだったのか、あれは有名な料理だったんだ、25Qは安すぎたのだとその時知るのであった、だからこそ地元の人でいっぱいだったわけだ、わたしが半年のGuatemala滞在中に食べたグアテマラ料理の中では最高のものだった‥

 その日の午後は以前アンティグアにいた時(1月頃?)に知り合ったグアテマラ人を訪ねた(彼のことを書いたかどうかも失念している、だいぶボケてきているようだからこの記録も早く書いてしまわないと‥??)、彼はアンテイグエノ(Antiguenoアンティグアの人)でかなり白人系の血が濃いラディノのようであったが、どうも仕事ははっきりしない、というかマヌエル氏と同じような立場?自分ひとりしかいないスペイン語学校を営むスペイン語教師といったところか?年も50代後半?マヌエルもそうであったが、それほど稼ぎがありそうでもなかったがどうやって食っているのかは不明であった、しかも立派な家に住んでいた、そこへ訪ねると彼は在宅していて、これまでの経緯を報告し、どこかアパートはないか?知り合いでアパートを持っている人はいないか?と聞いてみた、早速ケータイでいくつか当たってくれて、2,3ないことはなかったのだが条件や場所の問題でこれというものにあたらず、1週間後にまた来るからできればその間に探してくれないかと頼んだ、それによってはわたしが彼の生徒になる可能性があったので彼は承知してくれた、その帰り道、路上で広告ビラを配っている奴がいて、そのビラとは多くの場合旅行業者の各種ツアー・シャトルバスの案内であって、われわれはそのターゲットになっていた、もらうばかりでは能がないのでそいつに、どこか適当なアパートはないもんかと聞いてみたらいくつか知っているという、彼がついて来いというので彼に従った、条件を言って安そうなところに連れていってもらったがいずれも空きがなかったり条件があわなかった、それ以上彼に迷惑をかけたくなかったので、その場て礼を言って別れたが彼はわたしに何かを要求するでもなく、まったくの善意でやってくれたことにわたしは感動してしまった、同時にその日のうちにアパートを決めることを諦めていた、たぶん明日一日かけても無理そうだった、それなら先にTikaliに行ってしまうほうがいいかも知れない、、それなら明日発つか??そんな風に考えていた、市場でその日の夕食とスーパーでビールを買って戻る、その日ペンション田代の他の宿泊者と出会っていたかどうかは今となっては定かでない、ただ田代さんには明日Tikal方面に向かう、1週間後に戻るからできたら荷物を預かってくれないかと頼んだ、快く承諾してくれたので、次の朝バックパックを預けてまずグアテ市に向かった、、、