独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala 生活 その5)Fin de semana ⑤Volcan de Agua アグア火山登山

 その姿が富士山そっくりなアンティグアのシンボル・守護神Volcan de Agua アグア火山は、その高さもほとんど富士山(3776m?)と変わらなかった、が、その高さは3760m,3765m,3770mと諸説ありどれが正しいのかは不明であった、一応わたしはINGUATでもらった地図を参考にして3760mを採用することにする、で、はじめてその姿に接したときからずっと何か呼び寄せられているような気がしていたのであった、いつか登らねば‥!?

 Fin de semanaとは週末という意味だと記したが、たまたま今年の1月1日は土曜日で学校は休みであった、というのはGuatemalaでも新年1月1日は祝日だが、特に正月休みというものはなかったので、もしその日が土、日、でなかったならば、別項で正月登山とでもしなければならなかったかもしれない、だからたまたま同じ日にアグア火山の頂上を目指していた人たちには特に正月登山という意識はなかったはずだ‥??しかるにわたしは何時登るかを考えていた‥また、正月をどうするかも考えていた、候補は二つあってそのひとつがこのアグア火山登山、だからサンタマリアヘススに下見に行っていた、もうひとつはGuatemalaに着いて早々に行ったコパン遺跡の帰り、寄るつもりだったが次回に回したキリグア、それぞれに理由があった、アグア火山はたまたまここ数年1月1日は日本の山にいたので、グァテマラで正月登山もいいかなぁ?という想い、またキリグアは、実はそこに日本の方が経営されているに宿があるということを聞いていて日本食も食べられるとのことだったので、その魅力も大きかったのだ、つまりわたしにとっては1月1日はやはり正月だったのだ、ちょっと特別な意味をもたせたかった~

 少々の迷いはあったものの前日には山へ行く用意は整えていた、といっても特別なものは何も持ってきていなかった、一番気にかかっていたのは靴、海外旅行の際軽登山靴を履いていったこともあったが最近はトレッキングシューズ、ま、スニーカーのようなものだった、バッグ、適当なディバッグを持ってこなかったのを悔やんだ、もちろん寝袋も何もない、用意したものは、いつものように飲み物ペットボトル500mlが2本、昼飯用のパン2ヶ、予備のシャツと必要はないと思っていたが雨具、そんなもんだけだった、カメラをどうしようか迷ったが重いのでやめにした、必要なときはケータイのカメラを使う(ケータイは通話機能はなくカメラ・時計としてのみ使えた)、そして早めに床についたのだが‥、最近大晦日は(世界中)どこでも同じだと思うが、わたしのホームステイ先は中心部から少し離れていたものの付近では爆竹が鳴り渡り、夜半11時半頃から花火の打ち上げが始まった、打ち上げ花火は1時間以上続いただろうか?ホームステイの家族も付近の住民も新年を祝ってそうとうなドンチャン騒ぎとなっていた(クリスマスイブのときもそうだったが)、そんなことで眠るどころの騒ぎではなかったが、それでも予定通り朝6時にはホームステイ先を出た、バスターミナルまでは歩いて20分、6時半頃のバスを当てにした(バスの時間なんてあってないようなもの、始発時間も知らなかった)しかし、このときバス(ワゴン車)乗り場はわかっていた、やはり下見した甲斐はあったというものだ、ちょうどその方向から一台のワゴン車が走ってきた、呼び止めて聞いてみると確かにサンタマリアデヘスス行きだった、ラッキー !! 7時前にはサンタマリアヘススに着いていた、わたしの予定は以下であった、できれば7時頃には登り始めたい、登り5時間を予定、遅くとも13時には下山開始、夕方5時までにはサンタマリアデヘススに下ること、ホームステイ先には遅くとも18時ころには戻ること、何故ならこの日の登山のことは話していなかったから、話さなかった理由は心配をかけさせたくなかったこと、また止められたくなかったこと等にあった、で、とりあえず7時には登り始めることができた、、、その朝天気快晴、麓のサンタマリアデヘススから見たアグア火山は間近に大きく、しかしそれほど時間がかかるとは思えないほど簡単に登れそうに見えた、が‥

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 サンタマリアデヘススの標高は1800mくらい?とすると標高差2000mくらい?日本での登山経験でわたしは1時間で350~400mは登れるはずだった、だから5時間で何とかなる??しかしこの計算は少し甘かったかもしれない、実際の体力はそうとう落ちていて1時間に登れるのは300~350mまで下がっていたようだ、それでも最初の2~3時間は順調だった、どんどん高度を稼いだ、道は単調で険しさはない、ただ砂地なのが結構厄介だった、ゴミが多い、登山者は少ないものの何人かに会った、最初に会ったのは単独行のおっさん、マチェテ(山刀)を持っていたので山登りなのか仕事で山に入っているのかわからなかった、続いて少年たち5,6人のグループ、彼らは明らかに頂上を目指していた、が地元の少年たちだったのか、あるいはどこかからやって来たのかそれはわからなかった、最も驚いたのは3000m付近での車の音?しばらくするとオフロード用のバイクを操る4人組が次々にわたしを追い越して行った、そのうちの一人は英語を話し片言の日本語で挨拶していった、なんでも頂上まで行くとのことでグアテマラ人とのことだった(バイクが通れそうな道かと聞かれればノーとしか言えない、よほどの熟練者・テクニックの持ち主でないととうてい操れる道ではない)、そうやって次々にわたしは追い越され、しかし頂上までの道ははるかに遠かった、4時間くらい歩き続けてバテてきた、休憩の頻度が多くなる、ま、そのたびに下界の素晴らしい景色を楽しんだが、5時間歩いても頂上に着かなかった、見上げるとすぐそこなのだがあと1時間はかかりそうだった、少し前を少年たちが登っていた、多少わたしのことを気にしてくれていたが、その差がどんどん広がっていった、判断に迫られる、どうする?

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 わたしの体力は限界に来ていた、それでも3500m地点あたりまでは行っていたと思う、しかしそれ以上は無理だった、悔しかったがそれ以上進むと下る時間がさらにかかることになる、12時15分、頂上は諦め引き返すことにする、景色のいいところで昼食をとっているとバイクのトップランナーが戻ってきた、どうしたんだと聞かれ、give up諦めたことを話す、彼らは頂上制覇したとのことだった、そして難なく下っていった、わたしはそこでしばらく休んでから下りにかかった、登りは苦しいが下りもわたしには結構つらかった、なんか登山に自信がなくなってきた、やはり下りに3時間かかってしまう、ということはわたしの体力では登り6時間下り4時間を見なければならなかったようだ、あるいは寝袋を持って頂上ビバークが正解だったのかもしれない、下り道で何組もの登山者に出会ったが彼らはたぶん上で泊まるのだろう、16時15分登山口まで降りる、とりあえず無事下山、何事もなくホームステイ先に18時には帰りついた、しかし、そうやって多くの登山者が入っていたことが無事に戻れた要因だったのかもしれない、というのはそのあとホームステイ先や学校で単独登山の話をしたら一様に非難されてしまった、なんて無謀なことを ! ! と、実際もっと後の話だがやはり数名でこの山に登った日本人が強盗にあったという話も聞いた、つまりそういう話はざらにあって常識となっているようだった、だから頂上云々よりともかく無事に帰りついたことが何より幸運だったようだ、それはその日が1月1日だったからかもしれない、そういえば降り着いたサンタマリアヘススの街では新年を祝う催し物でそうとうな賑わいをみせていた、花火や楽団の演奏は下りながらも聞こえていたが、中央公園の舞台ではプロの楽団と歌手が招かれて滅多にないスタージショウを繰り広げていた、それに集う老若男女の装いが全て晴れ着であった、それでなくとも美しい女性のウィピルとコルテは先日来たときのものとは明らかに違っていた、この日が特別な日であり、皆華やいだ晴れやかな雰囲気に包まれているのがわたしにもわかった、やはり正月はめでたい日のようであった、、ホームステイ先に戻ると車海老のから揚げなどが用意されていて、いつもよりちょっと豪華であった、そのために買ってきたビールでささやかに正月を祝うのであった~

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