2012-01-01から1年間の記事一覧
わたしもそこへ行ってはじめてわかったことだけど、いや、それでもまだよくはわかっていないのだけど、ここがほんとに亡命チベット政権の拠点なのかということであった、、ダライラマの公邸とされているところもよくわからなかったし、おそらくその精神的よ…
7月1日、日曜日、その朝5時半にチェックアウトした(といっても誰もいなかったので勝手に出てしまった)わたしはそのまま昨日歩んだラムジュラー橋への道を歩いていた、、朝方のガンガ沿いの散歩は気持ちがよい、行き交う人(僧衣を着たホームレス?も含む)と挨…
リシケシュは前回書いたがハリドワールの北30km、やはりガンガ沿いということもあってここも聖地のひとつになっている、ここにもインド人ツーリストは多く訪れていたが、ハリドワールでほとんど見かけなかった外国人ツーリストがここにはたくさん滞在してい…
詳しくは知らないことだけれど、なんでもヒンズー教にはヴィシュヌVishnu派とシヴァShiva派というものがあるらしく、この古くからの聖地であるハリドワールもHaridwarという言い方はヴィシュヌ派の言い方であって、シヴァ派はHardwarハルドワールというんだ…
まさに国際空港とデリー中心部を結ぶこのエアーポートメトロは躍進目覚ましい新インドの象徴のように思えた、、まだ新しいとても近代的な車体、駅舎、高架軌道(都心近くから地下に潜る)、空港からニューデリー駅まで80Rs(始発駅はひとつ手前のDwarkaSector21…
帰国して3日がたった、、一昨日、昨日とずっと寝ていた、、次の日から仕事に行かなくていい立場がありがたかった(後に詳しく書くと思うが実は同日同時刻 — 7月17日21時ころ — 別のところから帰国したわたしの奥さんは次の日の朝早くから会社に出かけた)、、 …
不幸にして、というか不器用にしてといったほうが適切か?いずれにしろ旅にしか生きている実感?存在を確認する手段(場)を持たないわたしは、またぞろ旅に出ることにした、、といっても上記の理由でその計画はすでに3ヶ月も前から立てていた、、で、ticketを探…
ま、これはその人の性格によるところだけれど、昔は旅の収支はきっちりつけておくほうだった、、普段日本で生活しているときはもちろん金銭出納をつけたりなんかしていないし結構大雑把なのだけれど、多くの旅人がそうであるように旅に出ると、特にわれわれ…
さて、最終回、よくスポーツの世界では、勝ち負けは下駄を履くまでわからない、という言いまわしがいわれているようだが、旅の世界でならば、さしづめ日本の土を踏むまでわからない、といったところだろうか??、それはそうだ、飛行機は100%安全な乗り物では…
今回の旅も大詰めを迎えていた、、あとはメキシコシティに飛んで、そこからダラス経由での帰国となっていた、、で、だいたい予定も消化していたし、もう書くこともあまりないので一応今回ともう一回で終了させるつもりである、、だからこのあとの分は(いつも…
おそらく中米・南米の観光スポット情報及びその地図に関して、世界で富永マップに勝るものはないと確信するものの一人だが(中南米以外の地については知らない、またほとんどは都市マップなのだがそれは驚異的に詳しい)、それでもそれはタパチュラの街案内地…
その朝わたしは4時に目覚め、といってもそれほど深い眠りについていたわけではなく、いつものようにアラームよりは先に起きて身支度を整えていた、わたしの部屋の明かりに気づいたのか、そんな朝早くアンドレアがドアを叩く、わざわざそんな時間に起きてこな…
3月1日朝、迎えの車を待っていた、、アニー宅は街の北東部はずれにあったが、その住所を見ればタクシーの運転手もトゥクトゥクの運転手も、ほとんどのシャトルバスのドライバーも知らないはずはなかったのだけれど、このときのドライバーはたぶん地元の人で…
この旅も残り3週間になって、その過ごしかたはだいたい決めていた、、2週間ほどアンティグアに滞在し、最後はサンペドロからマサテナンゴ経由でタパチュラにでて、タパチュラからメキシコシティに飛んで帰国、タパチュラからのフライトが3月6日、そしてメキ…
およそ考えられる旅の手段として、最も過酷なものはたぶん徒歩によるものだろう、、おそらく旅の原点としてそれは昔から長い歴史を持ち、今でも巡礼のような形で世界各地に残されている、、わたしも四国88ヶ所を歩いて回るブランはずっと持ち続けているがい…
グアテマラシティでの用事というのはたいしたことではなかったけれど、いくつかあった、そのほとんどはINGUAT(ツーリストインフォメーション)で片付くものと思われた、案件としては地図をもらうこととモンハブランカの情報を得ることバス会社の一覧表をもら…
わたしみたいにPCの素人は、このココログの機能もやり方もまったく知らないので、またたまに読んでくださる方がいても、その数はごく少数ということは知っているから、あまり他人のことには気にかけず、ただ想うに任せて暇つぶしさせてもらっているのだけれ…
以前、このグアテマラ国内旅行の目的のひとつが、グアテマラ全県制覇にあることは書いた、、全県制覇とは、全部の県に足跡をとしるすことであったが、できればそれぞれの県都cabecera(カベセラは県庁所在地といったような意味)は訪れたいと思っていた、、そ…
たとえば今手元にあるベトナムの通貨に関する情報によると、日本円の2円が現地通貨で500ドンだという、10,000ドンで39円、何がいいたいかというと、同じ数字で価値が1:250、いやその格差がもっと大きいものもあるかもしれないが、人間の感覚はその換算がなか…
エルサルバドルはそれほど大きい国でなかったから(中米でもっとも面積が小さい)、行こうと思えばどこでも日帰りができそうであった、、が、特に行ってみたいところがあったわけではない、ここの国の第二の街サンタアナSanta Anaには行くつもりだったが、それ…
旅行者にとってホンデュラスという国は、少なくともわたしはそれほど関心をもっていなかった、、というのも見所としては海・島・海岸くらいしかなかったからだ(マヤの遺跡、世界遺産に登録されているコパンルイナスは去年いっていた)、、さらに首都テグシガ…
わたしの持っていたガイドブックの端のほうに、ちょっとした情報が載っていた、それはここリビングストンから隣国へ船で渡れる、一ヶ所はベリーズ、プンタ・ゴルタへ、もう一ヶ所はホンデュラス・オモア砦へ行けるとのことだった、、が、実際はベリーズへは…
予想はしていたことだけど、その出迎えの中にはツーリストをカモにする輩、それは地元の人たちからも好ましからざる人物なのだけれど、そういうのがめざとく寄ってくる、、わたしはそんなの百も承知だから逆に利用してやろうという魂胆で、その酔っ払いマリ…
ここではじめて明かすことだけれども、実はこの旅にはもうひとつの狙い(目的)があった、馬鹿馬鹿しいと笑われるのを承知で白状すると、わたしはこの旅でグアテマラの全県制覇を狙っていたのである、、どういうことかというとたとえば日本でも47都道府県があ…
去年コバンCobanに来たのは、ここから北のペテン/ティカルTikalへ行くためで、それは3月の中ごろであった、コバンはアルタ・ベラパスAlta Verapaz県の県都で、近くにケツァール保護区のビオトポデルケツァールBiotopo del Quetualや美しい川棚や洞窟があって…
チャフルへ行くワゴン車は信じられないことになった、、それでもわたしは前列のシートに座っていたからまだよかったほうなのだけれど、その前列シートでこれまで(二人分の座席に)三人掛けは経験していたが四人、つまり運転手を入れて五人は初めてのことだっ…
わたしがチキンバスでサンタクルスデルキチェに向かったのは1月30日だった、、といっても、それまで何度も経験していたことだが、アンティグアというところはそういう意味では不便なところで、たとえばグアテマラの西方向、パナ(Panajachel)とかシェラ(Quetz…
8ヶ月ぶりにアンティグアAntiguaへ戻ったわたしは、再び田代に投宿しそこに一週間滞在、その間スペイン語学校カノにも一週間(5日)通うことになった話は、現地レポートで1月29日に送ったとおりだからここでは繰り返さない、で、そのレポートの最後にこれから…
9ヶ月ぶりの再会だったから特に感激があったわけではない、、そのまま、自然にサンペドロの生活に入っていけた、、その間に起こったことを、といってもほとんど目新しいことは何もなかったのだが、どうでもいいようなことを少し書き留めておく、、 去年とダ…
ここでこんな地名をだしても誰も知らないと思うが、エルカルメンサム?El Carmen Xhamというところがあって、そこはグアテマラ側のグラシァスアディオスGracias a Diosという村に通じているはずであった、はずであったというのは結局行けなかったからで、実は…