独歩の独り世界・旅世界

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インドの旅 6)マクロードガンジ Macleod Ganj

 わたしもそこへ行ってはじめてわかったことだけど、いや、それでもまだよくはわかっていないのだけど、ここがほんとに亡命チベット政権の拠点なのかということであった、、ダライラマの公邸とされているところもよくわからなかったし、おそらくその精神的よりどころになるはずのチベット寺院Kalacha templeにしても、荘厳さも厳粛さもなく、その性格がはっきりせず拠点としての雰囲気がまったく感じられなかった、、そもそもそれまで疑わずにいたダラムサラという街の政治的意味合いの都市性はまったく感じられないのであった、果たしてこれはどういうことなのか?確かにチベット人はたくさんいたし、ほとんど素通りしてしまったダラムサラの街には、いわゆる公的機関があったのかもしれないが、むしろここは当初わたしが抱いていた政治的街というより、今はまさに観光地、特にインド人のための避暑地としての意味合いのほうが濃厚に感じられたのであった、、

 ほんの少しの会話だけだったが、いつの間にか好感を抱いてしまった若いウクライナカップルとマクロードガンジのタクシースタンドで別れ、わたしはホテルを探した、、まず最初に感じたことは涼しいこと、そして住民にチベット人が多いこと、インド人の観光客でにぎわっていた、ということであった、、タクシースタンドから100mくらいのところにこの小さな街の中心があって、そこで持っていたガイドブックの簡単な地図で位置と方向を確認、最近よくあることだが思っていた方向が180度反対(真逆?)で、ちょっと焦る、、そしてその修正がまたはかどらない、、ようやく方向修正ができたところで、いつもは頼りにしないのだが、そのときはそこに載っていたゲストハウスの近辺をあたってみようと歩き出した、、そこは4、5分歩いたところにあって、4軒くらいゲストハウスがかたまっていた、、一軒目は(そこはそのガイドブックに紹介されていたところだったが)受付の印象が最悪でパス、二軒目は受付が出てこなかった、、その隣の三軒目はこんなインド人いるのか、といった印象の、まるでイタリア人のような愛想のいい男が受付にいて、空いている部屋を案内してくれた、、部屋の前が広いベランダになっていて、そこからの眺めが抜群だった、、値段交渉をする、もっと安い部屋もあるといってそちらも見せてくれたが、展望が利かない分価値半減で、350Rsの最初の部屋に決める、そのあとはお定まりのコース、シャワーを浴びて洗濯して荷物の整理、そしてしばらく昼寝‥、そのときは比較的暖かく普通のシャワーで耐えられたが、次の日は温水を頼んだ、、昨日までの平地とそれだけ温度差がある、、インド人が大挙して押し寄せてくるわけである、、

111_640x480マクロードガンジの中心(スクェア)このバスは次の朝乗ったマナリ行きのバス(次の朝撮影したもの)

 098_640x480部屋の前のベランダから
 099_640x480_2山上の街?建設中の建物が見える

 マクロードガンジはダラムサラという街からさらに500mも登ったところにあって、標高1700mとのことであった、、尾根上というか山間をうまく利用してつくった街という感じで、17年前に訪れたダージリンと印象が似ていた、、ダージリンもイギリス人が造った避暑地として有名だが山上というか山間の街で、やはり亡命チベッタンが多く暮らしていた、そのときはちょっと知り合いだった一人のチベット人を訪ねる旅であった、、まぁ、よくこんなところに街をつくるもんだと感心するくらい、マクロードガンジも建設ラッシュの途上にあってまだまだ発展しそうな勢い、、それだけインド人も裕福になって暑さを避けた国内旅行が著しく急増していてホテルの供給が追いつかないのかもしれない、、今やマイカーでの旅が一般化しつつあるようで、そのための交通渋滞も問題化してきていた、、そんな実例にその後遭遇することになるのだが、それはたぶん次回になると思う‥、、??

 さて、昼寝のおかげですっかり元気になったわたしはもう夕暮れ近かった街に繰り出した、、といってもその日は端から端まで歩いても15分くらいの中心部だけで、予定としては次の日チベット寺院や少し郊外へ、天候や条件によってはもう一日ここに滞在してヒマラヤ(雪山)が見えるという場所までのトレッキングもいいかな、と考えていた、、その後ここからマナリManaliへ向かうことだけは決めていたが、いつにするかは決めていなかった、、

 街を歩いてて感じられたことはここは紛れもなく観光地だな、ということだった、どういうことかというとゲストハウスやホテルはもちろんのこと、その観光客相手のレストラン、みやげ物屋、両替所兼トラベルエージェンシーといった業種がやたら多く、インド人ばかりでなく欧米系ツーリストも非常に多く見かけたのであった、、ところが、観光地といってもあまり目玉の観光スポットがあるわけでないこともちょっと面白く感じられた、、ただ涼しくて風光明媚なところだけが魅力、といったところか、、あとはチベッタン文化‥??、その金持ちインド人や外国人ツーリスト向けの高そうなレストランに間違って入ってしまった、、ひとつにはリシケシュを後にした理由、そうビールを飲みたかったためであった、、そこはビールが飲めたのはいいがほかのメニュウはわたしの水準からすると高かったのだ、ビールだけというわけにいかず、何とか低料金のものを頼んでとり繕ったが、それで救われた、、実はそのとき気づいていなかったのだがわたしのルピーの持ち金が底をついていたのだ、ギリギリでそこの支払いを済ませ早速両替屋に、少々デリーより(というか実際少し率が落ちていたのかもしれなかったが)レートは悪かったが、50ドルほど替え、今度はその近くにあった庶民的なチベッタンレストランに入った、、そこは納得がいく値段のメニュウが並んでいた、、そこで面白いと思ったのはトーフ(もメニュウにあった)がすでに国際語になっているのはグアテマラで経験済みであったが、チベットのラーメンであるトゥクパがLamenと英語で書かれていたことだった、、どうやらラーメンも国際語として認知されてきているということか、なんかうれしくなってそれを頼んだ、が、前にもどこかで食べていたが、チベット料理のトゥクパはわれわれからすると麺がどうしようもなくまずい、どこで食べてもこれはというものにあたらず、わたしはそのうちトゥクパを頼むのをやめにして、タントゥクになった、これのほうがずっとうまい印象を持った、、で、そこのLamenトゥクパもいまひとつだったが50Rsだったので許すことにした、そのときはモモは頼まなかった、、< その後レイに行ってからもそうだったが、モモ一人前10ピース頼んだらもうほかのものが食えない、何を頼んでもボリュームがありすぎてチベッタン料理を頼むときは、1/2ハーフといって頼むことをその後学んだ、、> それでも他の客が食べているものはみんなうまそうだった、、値段も高くない、安くてうまい良心的な店のようだった、他の客はみんな常連さんのようだった、が、彼らはすべて外国人ツーリストであった、、

110_480x640雑多な店が並ぶ裏通り

 あくる日ツーリストインフォメーションに行って地図をもらいバスの情報を入手した、マナリ行きのガバメントバス、つまり公営バスは毎朝6時にスクェア(中心の広場)から出ていると教えてくれた、、その足で冒頭に述べたチベット寺院Kalacha Templeにいってみたのだが、確かに多くの参詣者がいるのだが、なんか学校のような建物もあり、生徒のような関係者のような人が大勢いて、どこが中心の本堂なのかもよくわからなかった、それでもご本尊らしい仏様に向かって五体投地で礼拝する姿も見受けられた、、そこをさらっと流すともう中心部で行くところがなくなった、、もらった地図にあったシヴァ寺院のあるというBhagsu村にいってみる、そこはウクライナカップルがそこに泊まるといっていたところだった、、崖を切り取った道を30分くらい、そこもインド人のマイカーがあふれていた、そこから先に滝があるという、ついでだからそこまでいってみたが、通俗すぎて話にならなかった、、少々うんざりしてなんか面白そうなところはないのかと少し山の中に入ってみた、が、そのBhagsu村を外れたあたりから雨が降り出した、、雨具は持っていたが面倒だったので民家の軒先で雨宿りをしたが、これがなかなかやまなかった、、ちょうどモンスーンの時期なので昨日からずっと晴れ間はなかった、近くにあったカフェに飛び込み雨宿り休憩、結局そんなんで時間がなくなりマクロガンジに戻ることにした、途中でトリウンドTriundというヒマラヤが見えるというところまでのトレッキング情報を聞こうと思って登山センターR.M.C Mountaineering Instituteによってみた、、トリウンドまで行くとヒマラヤが見えるって聞いたけど、こんな天気でも見えるの?行ってみないとなんとも言えない、という答え、今モンスーンだけどいつが一番いい時期なの?モンスーン明けの9月かな、、‥今朝インフォメーションでもらった地図を見てもずいぶんと遠そうだった、、それでも日帰りできるといわれたが、いかにも天気が心もとなかった、、ヒマラヤ(雪山)はラダックに行く途中で見えるだろう、、往復7~8時間も歩く自信も気力も失せてきた、、そんならもうここにいてもしようがない、明日発とうか‥??

101_640x480もしかしたら、これが本尊? 102_640x480五体投地礼をする人たち
106_640x480Bhagsu村から滝に行く道(帰り道、ヤギがいなかったら面白くもなんともない道)
108_640x480前方の山を巻いて、さらに数キロ行ったところがTriund?

 その日の夕飯はビールを買ってモモをテイクアウトした、、<ちなみにネパールでもそうだったが、チベット文化圏はどこでもケーキやパイといった女性に人気の甘いものがよく売られていて人気があった、その日はケーキとフルーツで昼食としていた>、モモを出すところではビールが飲めないからで、しかしそこのモモは10ピース50Rsで安くてうまかった、、知らずによったその店‘モモカフェ’は持っていたガイドブックにちょこっと触れらていたのを後で知った、、そういえばそこには日本語で書かれたメニュウがあったっけ‥??