独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

グアテマラ国内の旅 6)リビングストンLivingstonに一週間

 予想はしていたことだけど、その出迎えの中にはツーリストをカモにする輩、それは地元の人たちからも好ましからざる人物なのだけれど、そういうのがめざとく寄ってくる、、わたしはそんなの百も承知だから逆に利用してやろうという魂胆で、その酔っ払いマリオの誘いに耳を傾けた、彼は安い宿に案内するといっていた、もちろんわたしは初めての地、右も左もわからなかったから彼の薦めに応じてついていく、わたしはわたしの条件をはっきりいわない、、もちろん会話はスペイン語だ、こういうとき便利なのはわからない振りをすることができることだった、、船着場から坂を上がるとメインストリートだった、レストランやホテル、土産物屋などの商店が並んでいる、この時点では、まだ一泊か二泊の予定だった、、旅行者に名の知れたホテル、リオドゥルセに案内してくれた、ここは木造のホテルだったが年代を感じさせる高級感があった、しかも最高の立地、その割には経済的なホテルで、オーナーがいうには今空いてるのはバストイレのない部屋しかなくて60Qとのこと、少し迷う、悪くはないが少し高い、マリオはもっと安いところもあるといった、、で、メインストリートをはずれ裏道の暗い道を行く、ここならバストイレつきで50以下のはずと連れて行ってくれたのは、さもありなんという安宿だった、、客の気配もない、入り口の部屋がオーナーの居室兼オフィス?で、出てきたのは四十代のおばさんだった、、いろいろ交渉して35Qなら、ということでOKをだした、それほどメインストリートから離れていなかったからだ、当然そのオーナーからチップをもらうのだろうと思っていたが、どうもその気配なく、かわいそうだから多少のチップを彼に渡したが、これだけ?とちょっと不服そうだった、、その後また表通りに出てレストランなんかを案内してくれるのだが、わたしとしては早くどこかに行ってほしかった、ここは外国人旅行者の多いところでメインストリートには洒落たレストランがいくつもあった、、しかしわたしには縁がなさそう、酔っ払いマリオもそれを悟ったか、ここも有名なレストランだったが、ホテルリオドゥルセの隣のハッピーフィシュのあたりで彼は一人桟橋のほうへ向かって坂を降りて行った、、で、夕食をどうするか、それほど空腹でなかったので部屋で飲む酒を買おうと思って何でも売っている商店に入ってロンとコーラとバナナを買う、とカップラーメンが目に入った、それも買う、そして宿に戻ってセニョーラSra.ソニアに湯があったらほしいと頼んでみたが、そんなものはない買ったところでもらえといわれてしまった、後で知ったことだがどうもそこにはカマド(,熱源・ガス台)がなかったようだ、仕方なくその店に引き返しどこで湯が手に入るか聞いてみた、二軒先のレストランとは呼べない食べ物屋を紹介してくれそこで湯をもらう、しかしそこでもカップラーメンの湯をもらうのにお金はとられなかったが30分くらいの時間がかかった、、電気は来ていてテレビはどこでもついていたし車も走っていた、しかし熱源(薪かプロパン)と水の供給については十分整っていないようであった、、(陸の孤島という条件もあったが、そういったインフラについてはサンペドロも同じで、グアテマラ全体にいえることだったかもしれない)

104_480x640 103_640x480最初にマリオが連れて行ってくれたのは桟橋近くのワニが飼われている水槽だった、右;最初の夜のライブ

 さて、この安宿には二泊したのだが、あまり快適とはいえなかったので、早めにここは去ろうかと考えていたその夜、事態は急変した、逆にいうともしそこに泊まっていなかったらたぶん二日でリビングストンを去っていたかもしれなかった、、突然のようにそれは起こった、何もすることがなく部屋で酒を飲んでいたとき聞こえてきたのであった、、太鼓(ボンゴ?)の音が‥後で知ったことだがそれをタンボールtamborといった、、確かにどこかで叩いている音だ、その辺の事情は現地レポートで書いているので詳しくは繰り返さないが、あまり海好きでないわたしがここリビングストンに来てみようと思った最大の動機がそれ、ガリフナの音楽だった、、それも音楽にはずぶの素人のわたしが、、もちろんその音源を捜しに外にでた、それはすぐに見つかった、先ほど買い物をしたお店の少し先だったのだ、そこはレストランで夜ライブをやっている店らしく、表のテーブルにはすでに客がいた、そのテーブルがひとつ空いていたのでそのまま席を占め、彼らの音楽に耳を傾けた、演奏者は三人、二人が太鼓を叩いてもう一人がほかの楽器でリズムを取っていた、もちろん歌が入る、それはアフリカ系のリズムだった、、ビールを飲みながら聞きほれる、あっという間に時が流れた、、わたしのここへ来た目的がひとつ叶ったのだった、、で、次の夜もそこに行って彼らの音楽を聴いた、帰り際思いきってもうひとつの動機を話してみた、タンボールを教えてくれないかと、、まだ二十代の一人がいとも簡単にOKしてくれ、明日の昼12時に来てくれ、そこで条件を話し合おう、ということになった、、

133_640x480真ん中の男がレストランのオーナー?エディ、右の男がブランドン先生

 結局次の日から5回レッスンを受けることになった、、夕方の16時から18時まで1日2時間、一回につき70Q払うということで話はまとまった、その前にわたしはホテルを移っていた、前日(つまり2日目)に街を歩き回り浜辺に行き、だいたい街の様子をつかむと同時に適当なホテルも探していた、同じ35Qでもちろんバス・トイレつき、部屋は広くて環境抜群のところを見つけていたのだった、、ただそこは船着場からリオドゥルセ川に沿ってすこし上流にいく道沿いにあって、そのライブをやっているレストランからは遠かった、、だからもしそのホテルを最初に見つけていたとしたら逆にガリフナの音楽には出会っておらずタンポールのレッスンは受けられなかったことになる、ということは偶然とはいえマリオに感謝すぺきことだったのかもしれない、、そしてその日の夕方から毎日そのレストランに通うことになった、、そうなると今度は日中それまでの時間が暇になった、小さな街だから2日目にはもう行くところがなくなっていた、、少し高かったが桟橋近くのインターネットができるレストランで朝食をとりホテルに戻って洗濯して、午後はその界隈をぶらついたり昼寝したり‥、、

111_640x480 海辺の風景114_640x480
118_640x480魚定食30Q、ビール10Q
120_640x480リオドゥルセ河口付近

 新たに移ったホテルはインディヘナの若夫婦が仕切っていた、だんなの名をやはりマリオといった、彼らとはよく話をした、そこが彼らのホテルなら、すごいなと思って聞いてみると彼らは雇われ管理人で、オーナーはラディノでグアテ市のお医者さんだといっていた、、しかし大雑把にいってわたしがその街を歩き回ってわかったことはこのリオドゥルセに沿った道沿い、それはかなり奥まで続いていたが、そのエリアはインディヘナが多く住み、坂を上った丘の上にガリフナ系の住人が多かったように感じられた、ここの住民は3/4がガリフナ系、15%がインディへナ・ケクチ系、残りがラディノであるとマリオはいっていた、、それがきちんと住みわけられていたかどうかは知らないが、坂の上にあったそのレストランのオーナーはもちろんガリフナであったし(ガリフナ文化の紹介に熱心であった)、バンドのメンバーも典型的なガリフナの若者、そのレストランの前の道端に腰掛けてレッスンを受けていたとき、その通りの通行人はほとんどがガリフナ系であった、それも驚いたことにわたしの先生となった26才の若者Brandonクンはすべての住人と知り合い?通る人通る人皆、彼に、または彼が声をかけるか挨拶して通り過ぎるのであった、、

 そんなんで覚えは悪かったが5日間路上レッスンは行われた、最後の2日間はわれわれを見てドイツの若い女の子もそのレッスンに加わった、最初は熱心に教えてくれたプランドン君も若い娘がきてからはどうしてもそちらに中心(注意・関心)が移ってしまった、ま、それは仕方のないことだったけれど‥??

132_640x480

  そのホテルの管理人マリオが安い飯屋を教えてくれ、そこには毎日のように通った、、そのレストランCarribeñaは桟橋近くにあって、そこの親父とも顔なじみになった、いつ行っても客はおらず、河口・桟橋の見える席はわたしの席となった、そこであるときは焼き魚を、あるときはガリフナ料理のタパダ(Tapada、ココナツミルクのスープに魚介が入っている)を、またあるときはカップヌードルを持参してお湯だけもらったりした、しかしそこで河口に舫ってる船に居座る?水鳥を、ビールを飲みながらひねもす眺めているのは極上の暇つぶしであった、、ということで一週間のリビングストンはなかなか魅惑的な日々であった、最後の夜(わたしにとって)最後のライブを見学した後でこの店のオーナーエディと交渉していた、安く手に入るならタンポール一個土産に持って帰りたいのだが‥?、彼は軽くて材質も確かなものをひとつ見つけてきてくれたが値段が折り合わなかった、、彼の言い値は300、こちらは200、これからまだ旅が続くのでもち歩かなければならないのが難点であった、、迷いに迷った末、250Qでそれを土産にした、、しかし苦労して持って帰ったものの未だに叩いたことがない、、

126_640x480_2002_640x480129_480x640_2138_640x480上、干物は重要な産業、上右;焼き魚定食、下;ココナツミルクのタバータ、あまり口に合わなかった、、