独歩の独り世界・旅世界

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グアテマラへ 5) グアテマラ入国

 ここでこんな地名をだしても誰も知らないと思うが、エルカルメンサム?El Carmen Xhamというところがあって、そこはグアテマラ側のグラシァスアディオスGracias a Diosという村に通じているはずであった、はずであったというのは結局行けなかったからで、実はサンクリに来たもうひとつの目的が、一般的にはまったく知られていないそのルートからグアテマラに入れるかどうかを探ることにあった、しかしその国境は開かれていないとサンクリ初日に訪れたtouristインフォメーションで言われてそれは諦めたのだけれど、あとから思うに、その担当者がその場所を知らなかったか、いい加減にあしらわれたかのどちらかの可能性がでてきた、というのもその後グアテマラのINGUAT(touristインフォメーション)に行ったときに念のためもう一度聞いてみたら、少なくともグアテマラ側は開かれているとの答えだったからである、片方が開いていて片方が閉じているなんてことは考えられない、ということでまたひとつのペンディング事項が残った、そのルートはぜひ一度通ってみたい国境であった、そんなつもりだったのでサンペドロのアミガにはたぶん1月の15日ころ着くだろうとmailで伝えてあった、その日は1月の13日で少し予定が早まったということだった、、

 まだみんなが寝ているころ、だから誰にも挨拶せずに表に出て迎えを待った、、7時過ぎたころわたしがそのワゴン車の最初の客となった、それからサンクリの市内をぐるぐる回ってピックアップを続け、最終的に14人がそろったところで別のワゴン車へ乗換えとなった、特に大きい車になったわけでなく、単に集客と国境までの搬送が別だっただけと思われたがかなり面倒に感じた、通常ワゴン車は運転手を除いて定員は14人、乗り換えた車も同じ人数しか乗れなかった、それでもだいたい定刻の8時はサンクリを発った、わたし以外はすべて欧米人だった、、途中大きな街は一ヶ所しかなく、1時間半走ってそのコミタンComitanという街を通り過ぎたところで朝食?の休憩となった、だいたいこういうところは貧乏旅行者向きのところでなく、わたしとわずかな人たちは何も頼まずにほかの人たちの食事が終わるのをただ待つしかなかった、、そこからさらに1時間半走って国境のイミグレーションのある街シウダークアウテモックCiudad Cuauhtemocという街に着いた、、手続きは簡単だったが、全員の出国手続きを待って再びその車で少し距離のあった実際のゲートまで行く、そこで荷物を受け取り今度はグアテ側のイミグレーション、ここも特に問題なく通過、そして今度はグアテ側で待っていたワゴン車に荷物を積み替えて乗り込んだ、、ここまでメンバーは一緒、国境越えは通常1時間弱ですむところ1時間半もかかっていたのはたぶんメキシコの業者とグアテの業者間の問題でもあったのであろうと推測していたが、あるいは昼食タイムだったのかもしれない、ほとんどのものはどうなっているかわからないまま車の中で待たされることになった、、ま、シャトルバスに問題があるとすれば、あるいは注意しておかなければならない点があるとすればこの国境通過の時点だけである、つまりシャトルバスでも両国間を同じ車で行くわけでないということ、必ず乗換えが必要となる、、(ただし国際バスの場合はこの限りでない)

001_640x480Comitanの街 003_640x480遠くに見える山並みがグアテマラ006_640x480メキシコ側イミグレーションのあったCiudad Cuauhtemocからのバスの時刻表

  さて、グアテに入って道路は少し悪くなったが今時グアテも幹線道路はすべて舗装路だから、極端に悪くなったわけでない、、それよりもわたしとしてはホームグラウンド(地元に)に戻ってきたというような安堵感を覚えて少し眠ってしまった、、2時間くらい走ると見覚えのある道を走っているのに気づく、そのころになると同乗者間の会話が弾んできて、だんだんどこの国の人かがわかってきた、われわれから見て最初はどこの国の人かの判別は難しいけれど、話を聞いているとアメリカのおばさんだったり、フィンランドカップル、スウェーデンの女の子二人組、イタリアン、メキシカンが同乗していたことがわかってきた、まさに国際バスだった、ただ、このバスにはシェラへ行く人は乗っておらずクアトロカミノスはそのまま通過、しばらく走って148(シエントクアレンタイオーチョ)に停まった、ここはわたしの目的地であるサンペドロ、サンマルコスへ行く人の乗り換え地、そこで何人か降りたが、このシャトルはサンペドロ・サンマルコス行きでなかったから、そこへ行く人たちはそこを通るチキンバスを待って自前で行かなければならない、、だからわたしは降りなかった、今日はパナ(Panajachel)まで行って明日ボートで渡るつもりでいた、そこからやっと座席に余裕ができ楽になったが、30分も走らないうちにパナとの分岐にさしかかった、そこでアンティグアへ行く人たちと別れる、てっきりわれわれパナ組みが別の車に乗り換えるのかと思っていたら逆でアンティグア組が別の車をあてがわれた、どうやらこの車はパナへ行く車だったようで残った5人を乗せて夕暮れ迫る道をLago Atitlanを目指して下っていった、パナ着はすっかり日も暮れて18時20分だった、、ということは途中待たされたりしたがサンクリから10時間?アンティグアの場合はもう少しかかって12時間というところか‥??(われわれの場合サンクリ~メキシコ国境、途中休憩入れて3時間半、グアテ~パナハッチェル4時間半かかったことになる)

 さて、(ここからはアンティグア/田代から送ったレポートと重複する部分があるかもしれないが)その夜は前にお世話になった日本人宿El Solには行かなかった、そのとき手持ちのケツァルが乏しく(国境でもっと両替しておくべきだったかもしれない)、食事もままならない状態だったので、シャトルバスを降りた近くでもっと安い宿を探した、それも明日両替したら払うという口約束だけで、、で、次の日無事両替して早速ボートでサンペドロに渡ったのだけれど、ひとつだけ両替のことを記しておきたい、前にメキシコの両替事情に少しばかり触れたがそれと同じようなことである、、

 グァテマラにも銀行はいくつかあったがそのうちで世話になったところは次の二行であった、一行はBAM ; Banco Agromercantilといって一番レートがよかった、もう一行がBanruralというところだった、、他はほとんどわたしの持っていたT/Cの両替ができなかったか、もしくはレートがかなり悪くてほとんど利用しなかった、、でBAMとBamluralの特徴を記しておくと、BAMのほうがレートがよかったがどこの街にもあるわけではなかった、Banruralはどこの街にもあったように記憶している、さらに問題は一回の両替限度額がBAMが200ないし300ドルまでで、わたしが苦労した500ドルT/CはBanruralでないと両替できなかった(唯一例外はシェラで、ここは両替所があってそこでは500ドルT/Cを受け付けてくれた)で、その朝早速BAMに出かけたのだけれど開店は9時からとのことで、そこに並んで待つのが嫌でぶらついていたらイグレシアカトリカIglesia Catolicaの脇にBanruralがあってそこは8時半から開いていた、念のために聞いてみると500ドルT/Cも替えてくれるとのことだった、ぜんぜん並んでいなかったからそこで両替してしまった、たぶん1ドルにつき0.03Q率が悪かったが、ま、そういう流れだった、、トータル15Qのマイナス?一食分である、、結局その朝は朝飯を食わずにボートに乗ることになった、、

009_640x4809ヶ月ぶりのパナハッチェルボート乗り場の朝、対岸がサンペドロ

 サンペドロには10日ほど滞在した、もちろん宿はいまや常宿になった感のあるCasa Andrea去年お世話になったところであった、そこは客なんかほとんど来ないところだったので、いきなりいっても問題なかったが、わたしのアミガamigaの祖母のところだったのでわたしがまた来ることは知らされていた、、が、そのときは去年わたしが滞在していた部屋は埋まっていた、でも、なんらこだわりがあったわけでないから隣の部屋で十分だったし一日20Qは変らなかった、、そして今回は昼夕食をアミガの親父マヌエル宅に同居する長女一家が提供してくれることになった(もちろん有料で)、、そして月曜からは一週間(実際は5日間)の予定でアミガこと、わたしのスペイン語の先生、カロリーナの授業をまた受けることになった、、