独歩の独り世界・旅世界

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もう一度サンペドロSan Pedro へ & Chuitinamit

 3月1日朝、迎えの車を待っていた、、アニー宅は街の北東部はずれにあったが、その住所を見ればタクシーの運転手もトゥクトゥクの運転手も、ほとんどのシャトルバスのドライバーも知らないはずはなかったのだけれど、このときのドライバーはたぶん地元の人ではなかったようだ、シャトルバスはファミリアであろうがホテルであろうがピックアップが原則なのだけれど、その朝わたしはここの場所がわからないから、メインの通り(calle principal)まで出ていてくれとサンペドロへ行くシャトルバスのticketを買った事務所の女の子から電話をもらう羽目になった、、いやな予感はしていた、、というのも前日、どういうわけか昨年は50~55Qくらいで行けたはずのシャトルバスがどこも70Qくらいしていたので(たぶん前に書いたと思うがサンペドロからアンティグアに来るのに去年は40Qで来られたのに今年は50Qだった)、わたしは市内にゴマンとあるtravel agency(代理店、航空券を扱うような旅行会社は数件しかないが)一軒一軒たずねてようやく60Qのところを見つけたのであった、、で、心配だったのでアニー宅のタルヘタ(tarjeta、住所の入った名詞みたいなもの)をわたして住所と電話番号を控えさせていた、、なのにこの始末、、何が厄介だといってドライバーは場所がわからなかったかもしれないが、わたしは電話の相手がなんと言っているのかがわからなかったのだから‥、、

 それでも想像を働かせれば、そういうことだろうとは推測できたのだけれど相手は当のドライバーでなく、そのドライバーから連絡を受けた事務所の子、こちらが場所を確認しようにも、相手のいっているcalle principalがどこかわからない、、聞き取れない以前に話にならなかったのだ、、ともかく事情を察してわたしは表にでた、生憎そのときアニーは留守で挨拶もできぬままアニー宅を去ることになった、、何でもcarro rojo 赤い車だといっていたから赤いワゴン車がうろうろしていないか、しばらく通りに出て待ってみた、、もしかしたらcalle principalでなくcalle primero<一番通り?>といったんではないか?それなら少しいったところが1a calleだ、そこまでいってみよう、、頭の中は錯綜して疑心暗鬼のまま目を凝らすが、それらしき車は見当たらなかった、、ともかく通りはそこしかなかったのだからその辺をうろうろしていると、一台の赤いワゴン車が後ろから通り過ぎた、、慌てて呼び止める、確かめるとその車だった、、散々わたしは文句を言ったが結局このドライバーはサンペドロのドライバーでこの地にあまり詳しくないようだった、、謝りもせず、わたしのためにほかの客のピックアップの時間が遅れてしまって逆に苛だっているようだった、、こういうときの車は要注意なのだが、ま、それでも何とか148からサンペドロまでのかなり危険な山道を無事に下って昼ころにはサンペドロ、パナドック近くに着いた、、その道はわたしにとっては何度も通った馴染みの道だったが、そのほかの乗客には、これがまたいつもそうなのだが欧米人ばかりだったが、そのハードなこと、また峠を越えたあたりのラゴの素晴らしさ、その下りの恐さといったものを初めて経験しているようであった、、で、そのとき気ついたのだけれど、その欧米人12人のうちなんと9人が女性だったのだ、、前からそれは感じていたことだけど、もしかしたらグアテマラという国はむしろ女性に人気の高い国なのかも知れなかった‥??

 車の屋根から荷物を降ろす間、いつものようにたくさんのガイドに囲まれ、ホテルは決まってるか、安いところへ案内するとしつこく付きまとわれたが、このときもCasa Andreaに決めていたから、彼らを振り切って直行、カロリーナにはmailを入れておいたのでわたしが行くことは知らされていた、、わたしがまたサンペドロに戻った理由は以下であった、、①いずれタパチュラに出なければならなかったのだが、マサテナンゴへ行くバスがここから出ていることを前回知ったので、ここを最終地にした、ということで②もう一度戻ってくることを約束していた、③去年ここで一緒だった米国人John氏が来ていることを知っていた、④たぶんまた来るつもりなので少し荷を置いていくことを考えていた、、いずれにしろわたしにとってこの地はグアテマラの拠点みたいなもので知人が何人かいたからでもあった、、

 早速アンドレア、ルチアーノ、そしてJohn氏に迎えられ、アンドレアが作ってくれた昼食をJohn氏とともにしながら旧交を温めたのだけれど、かたやシカゴに住む米国人John氏は博学の上、わたしより10歳も年が上なのに元気でスペイン語ペラペラ、ここにはTzutuhil語の習得のため、あるいは避寒をかねて毎年来ているくらいだから、わたしみたいな貧乏人の小僧と話しが合うわけがない、というか、こちらは英語もスペイン語もままならないのだから実際は話になんかなっていない、というのが正直なところ、それでもいつも彼は暖かく声をかけてくれるのであった、、不思議なのはおそらくそこそこの金持のはずなのに何でこんな安宿を常宿にするようになったのか?考えられるのはマヌエル(わたしのスペイン語の先生カロリーナの親父)というTzutuhilのリーダーのような存在が大きかったのではないかと思われた‥、、さて、そうやって古巣に落ちつくとすぐにパルケセントラルに出てカロリーナのところに挨拶に‥、たまたまそこで義兄のアルトゥーロとその子マヌエリートにも会い、いずれにしろ今回はそれほど長居できないこと、そして食事はアンドレアのところで取るつもりだと伝えた、、今回は予定を一日早めて3月の4日に発つことにしていたから正味3日間しかなかったのだ、もっともそこでしなければならないことがあったわけではなかったので、一ヶ所だけ、だから一日あれば十分だったのだけれど‥、で、次の日はちょっと思いたってサンペドロの某スペイン語学校を訪問し少し話を聞いたり、改めて水没してるサンチャゴドックの写真をとったり、Mayumi&Naoのコロッケバーガー屋にいって話したり、カクチケルの土産物屋の友人のところで土産をまけさせたりしていたら一日潰れた、そして翌3月3日の土曜日、今回のグアテマラ最後の史跡めぐりに出かけた、、

069_640x480サンチァゴドックの水没状況 068_640x480サンチャゴドックとはサンチャゴアティトランに行く船の船着場のこと

 そういう意味ではこれもリベンジ-雪辱戦(前回書いたのが一つ目でこれが二つ目、そしてこのあともう一回雪辱戦が演じられることになる)であった、、昨年この地に滞在したとき、ここのガイドであるマヌエルの弟フアンにボルカンサンペドロの山麓にあるといわれているマヤの遺跡、チュイティナミットChuitinamitに連れてってくれと頼んだことがあった、、しかしガイドのフアンはその場所も、いやその存在すら知らなかったのだった(そのときの記事あり)、その後わたしはどうやらそれが確実にあることを知って今回もう一度フアンを呼んで連れて行ってくれと頼んでみた、、ごく簡単な資料をわたしは持っていたのである、、そしたら彼はその場でサンチャゴアティトラン(Santiago Atitlan 、以下サンチャゴと略します)の彼の知り合いのガイドに連絡をとってそれを確かめ、そのサンチャゴのガイドをわたしに紹介してくれた、、わたしはどうせ金を払うのならフアンあんたに連れてってもらいたいのだといってみたけれど、彼は正直にその場所を知らないからとサンチャゴのガイドと話すよう電話を代わるのであった、、サンチャゴのガイドがいうには確かにボルカンサンペドロの山麓にあるのだが、そこに行くにはサンチャゴから手漕ぎボートで行くしかない、自分はその場所をよく知っているから案内するといっている、、さてどうするか?で、都合とガイド料金について聞く、、それで日にちは3月3日でOKとなったのだが、料金は150Qといってきた、、少し高い、というのは、もしフアンだったら100Qくらいで何とかならないかと思っていたのだ、そしたら逆にフアンから(ま、同業者の立場からか)そこへはボートでしかいけない、その料金も含んでいるのだから150Qくらい払ってやってくれといわれてしまった、、料金の相場を知っていたわけでないから、そういわれれば高いのか安いのかの判断は難しいところだった、ま、気持ちの問題ということで、それでOKをだした、、

 当日9時にサンチャゴアティトランの船着場で待ち合わせていたので、7時半ころサンペドロのサンチャゴドックに行ったらちょうど出航する船があった、、それはいつも乗っていた大きな定期船でなく15人乗りくらいの小型のボートだった、よくわからないのだが前にサンチャゴでもそうだったが、たぶん関係者なのだろう、サンチャゴにいくのかと聞いてくるから、そうだ、いくら?と聞くと25Qといってきた、、いつも乗っている大型船は25Qとられたこともあったが、だいたい15QでOKだったので、それは高いといってそいつには払わず船に乗り込む、それでわかったのだけれど、この小型ボートは大型船よりぜんぜん早くて今までたいていサンペドロ~サンチャゴ間は1時間くらいかかっていたところを、このボートは30分で着いてしまった、、だからちょうどサンチャゴに着いたとき、たぶん7時に出たと思われる大型船とほぼ同時の到着となった、、そういうことか、ならばいわゆるこちらは快速艇だから料金もその分高いのかもしれない、とそのとき納得したのだけれど、知らぬ振りして船頭助手の若いのに15Qしか渡さなかった、、そしたらなんと何もいわれなかったのだ、、いったいどうなってんだ‥??、、実はこのミステリーは帰りも起こった、、

 だから9時待ち合わせなのに8時に着いてしまった、、暇つぶしにここでも水没の模様を写真に取ったりして時間潰しをしていた、と、そのとき気がついたことがあった、去年なかった観光案内板のようなものが新しく設置されているではないか、当然そこにはサンチャゴの見所案内が地図とともに描かれていたのだが、よく見るとそこにChuitinamitの表示があるではないか ! なーんだ、そういうことだったのか ! ?、だからわたしが見つけたフリーペーパーSol de Atitlanに紹介されていたわけだったのか ! ?、つまり去年の時点ではよそ者や旅行者にはほとんど知られていなかったこのマヤの遺跡が、新たな観光スポットとして日の目を浴びるようになったということ‥??、ならばもしそれを知っていたら、ここでボートさえ手配できればガイドなしでも行けたかもしれないということ‥?? 、そしたらもっと安くいけた可能性もあったということ‥??、、ま、結果論だけど、、

039_640x480サンチャゴの水没状況040_640x480ボルカンサンペドロと大型船、写真でその大型船の後ろあたりに位置する小高い丘がChuitinamitのあるところ、、

  そうやって桟橋付近でうろうろしていると周りのエンジン付のボートとは違う手漕ぎ?のボートでやってきた若者が目に入った、、なんか微笑ましくてあんなボートで行くのならそれはそれで面白そうだ、と思いながらそっちをずっと見ていたら、そいつもわたしに気づき時計を見ながらわたしのほうに近づいてきた、確かにまだ9時まで30分ほどあったが、そいつがガイドのミゲルだったのだ、、なんか、もうすぐに打ち解けてしまって、自己紹介もそこそこにボートに乗り込み、彼は魯を使って対岸に向かって漕ぎ出した、まったくのんびりした舟遊びといった感じ、天気よし景色よし、4,50分の渡し舟?であった、、グアテに住む金持ちの別荘だというボルカンサンペドロの山裾の湖岸にたたずむ豪邸脇の小さな浜にボートを乗り上げ、踏み跡程度の道を登って行く、別荘にもその辺いったいにも人の気配がまったくない、、15~20分くらい登った辺り、対岸のサンチャゴの街やその後ろのボルカントリマン、ボルカンアティトラン、そしてすぐ真下のラゴアティトラン、そんな絶景ポイントにその小さな遺跡はあった、、小さなピラミッドや石の彫像、石柱、ポイントは2,3ヶ所しかなかったが、まさに人知れぬ古代遺跡の跡だった、、さらに少し上まで登ってその全容をつかむ、、規模こそ大きくはなかったがここに古代マヤの部族が住んでいたのは確実のようだった、専門家でないので詳しくはわからないし、また専門家による発掘調査などもなされた様子はなかったが、果たしてマヤ史の中でどのような位置づけになるのか興味深いところである‥、、

044_640x480左 ; ボルカントリマン、ボルカンアティトゥランを望む、右&下 ; 遺跡の彫像 046_640x480
047_480x640049_640x480
055_640x480小規模ながら神殿跡058_640x480ガイド・ミゲル氏と手漕ぎボート

 しばらく山の中をうろついてまたボートでサンチャゴに戻る、その間トータルで約3時間、ミゲルはまだ若いが優秀なガイドであった、知識も豊富、ガイドとしてのプロ意識を持ち、人柄のよい好青年、たいへん気持ちのよい男だった、ま、その分チップをはずむべきところだが、150Qはガイド料としては結構な額と思われたので、それ以上は払わなかった、、またの再会を約束してサンチャゴの船着場で別れた、、そのあとサンチャゴの街をうろうろしていたらセビチェ屋を見つける、そこはセビチェしか置いてないのでビールとパンを買いにいって、セビチェをつまみにビールで喉を潤し簡単な昼飯にした、、そしていい気持ちでメインストリートの土産屋を冷やかしながら(少し酔っていた?)船着場に戻った、、

セビチェ(10Q)063_640x480 064_640x480サンチャゴアティトラン、パルケセントラル近く

 そう、帰りの船は例の大型船(ランチャ)だった、、ここでも最初は15Qといわれたが、それを無視して船に乗り込み出航を待つ、このときどうやらこの航路(ここだけでなくアテイトラン一帯)は二重価格制なのではないかと遅ればせながら気づいていた、とすれば今までランチャでは15Q払っていたが、ほんとは10Qくらいかもしれないと思ったのだ、、ランチャの場合途中で集金に来る、値段を聞かずに10Q渡した、、何とそれで通るではないか、とするとこれまで払っていた15Qはなんだったのだ ! !(25Qとられたこともあった)早い話それは外国人料金だったのだ、外国人はたとえ通常の1,5倍払わされたとしても、ま、それは仕方のないことだと思う、そのくらいなら‥、しかしである、現地の人は自分たちの料金は知っている、が、われわれにとっては、これはチキンバスも同じことなのだがその料金体系も知らなければ外国人料金表もないのである、で、行きに現地の人と同額で済んだと思った15Qは実際は地元民価格10Q、帰りのランチャも地元民価格と思った10Qは実は7Qくらいのようだった、知らずに最初に払った25Qとはずいぶんと差があったのである‥??、、

 以下わかりやすく書き直しておきます、これはサンペドロ~サンチャゴアトティラン間のわたしが知りえた(経験した?)ボート料金です(2012年3月)、、

ランチャ(大型船) ; 地元民7Q, われわれ10Q, 知らないと15~25Q、、??

快速艇(小型ボート) ; 地元民10Q, われわれ15Q, 知らないと25Q~‥といった感じです、、