独歩の独り世界・旅世界

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アンティグア Antigua にて

 この旅も残り3週間になって、その過ごしかたはだいたい決めていた、、2週間ほどアンティグアに滞在し、最後はサンペドロからマサテナンゴ経由でタパチュラにでて、タパチュラからメキシコシティに飛んで帰国、タパチュラからのフライトが3月6日、そしてメキシコシティからのフライトは3月8日に決定していた、、

 グアテマラ国内の旅から2月16日にアンティグアに戻って1週間ほど田代に滞在した、、その間田代には毎日新しく来た人、でかけていく人で結構入れ替わりはあったが、わたしがいた1週間の間ずっとともに過ごし、世話になった方々は以下の人たちであった、、前にも登場している自転車おじさん、Naokoさん、Manamiさん、Spani‑simoのTakuroさん、毎回夕食を作ってくれたShoheyくん、他に茶髪の大学生Masatakaくん、田代に長いKotomiさん、かっこいいカップル(ご夫婦)のMasaさん&Etukoさん、ちょうど同じころに来てちょうど同い年くらいの世界を回る美女二人Aikoさん、Shinoさん、わたしと同じころに来た元先生だったというKazさん、一番新しいYoshiさん、だいたいこんなところがこの時同宿していた比較的長期の滞在者だった、、3階のキッチンで毎日顔を合わせ、毎日誰かとおしゃべりしたりしていた、2,3人のときもあれば、もっと大勢のときもあり、ある晩は有志でバーベキューパーティをやろうということになったが、上記メンバーは全員参加、それに田代さんのご子息たちや新しくきた人も加わって総勢20人近くに盛り上がった、、なにしろShoheyくんやMasaさんといったプロの料理人が腕を振るってくれたのだから酒がうまくないわけがなかった、、思うにここは、その手の宿によくいる主なる者が仕切っているということがなく、ほんとにみんなフレンドリーなやつばかりだった、、ちなみにそのときの主(最長期滞在者、決して仕切ってはいなかった)はSpani-simoを立ち上げたTakuroさんだったから、半年くらいであったろうか‥??

023_640x480バーベキューパーティの夜、盛り上がる美女軍団と自転車おじさん

 さて、そういった長期で滞在していた人たちは、あるいはそれが目的で来ていたから、その多くはスペイン語学校に通っていた、、これは前にも書いたかもしれないが、田代滞在者のほとんどはSpanish school Cano(Spani-simoはそこで運営)に通っている人が多く、そのときは行ってなかったが、一年前&一月前はわたしもそこに通っていた、、面白いのは、ま、たいていは口コミだからそういう結果になるのだと思うが、アンティグアだけで50以上(個人教授なんかも含めればもっとか?)あるといわれているスペイン語学校のうち、日本人の場合ほとんどはこのCanoか、もう一校アタバルAtabal以外の学校へ行っている人はほとんどいなかった、、そのアタバルという学校は経営者が片桐さんという日本人で、その学校の歴史も古く実績もあったので、日本人の間では有名かつ大変人気があった、、ただ田代からは少し遠かったのでアタバルへ通う人はホームステイの人が多かったようだ、、実は昨年からその評判を聞いていたのでアンティグア最後の一週間はアタバルに行ってみようと考えていたのだ、、そしてできたら去年の雪辱の意味で(去年のブログを参照してください)もう一度アニー宅にホームスティしたいと思っていたのだった(つまりアニー宅とアタバルをセットで考えていた、アニー宅はアタバルのホームステイ先の一つ)、、どちらが先でもその可能性はあったと思う、、いきなりアニーのところへ出かけていっても空いてれば貸してくれるのはわかっていたし、あるいは、まずアタバルに行ってホームスティ先はアニーのところでお願いしますという頼み方でもよかったのだ、、で、まず先にアタバルを訪ねてみたのであった、、

 日本人の間では名の知れた人であったので一度はお会いしたいと思っていたのだが、思っていた通り片桐さんは温厚実直な紳士であった、年は50代後半?アタバル校の開校が1978年とのことなので、そのくらいのお年ではないかと想像した、穏やかな語り口で、わたしの希望を受け入れてくれアニー宅にも連絡を入れておいてくれるということで話はすぐにまとまった、2月23日木曜からの一週間(授業は5回)ということで午後2時間でお願いした、アニー宅に移ったのはだから23日の午前中だった、、話は伝わっていたしわたしのことを覚えていてくれてアニーは歓迎してくれた、息子のウーゴもお手伝いのマルタも健在でやはりわたしのことを覚えていてくれた、、何よりだったのはそのときの宿泊者が日本人の、それも去年と違って同年輩のおじさんが一人だけだったことだ、、すぐに東京出身のK氏とは親しくなって毎晩酒を飲み交わす仲となった、、彼もやはり定年組みで3週間くらいの旅だといっていた、、やはりアタバルに通っていて、そこで紹介されてまだアニー宅には3日目?だとか、学校も1週間の予定で今度の月曜には発つような話であった、、アニー宅の食事は相変わらずよかった、、ともかくアニー宅に再来できて、もちろんアニーは知らない話だけれど、わたしの去年の無念は晴れたのであった、、

 その日の午後からアタバル通いが始まった、アニー宅からだと10~15分くらい?先生はだいぶ年配のおばさんだったが、経験豊富?主に会話のトレーニングとなった、午後の授業を受けている日本人は4,5人だったか?次の月曜からは田代にいたYoshiさんが加わった、、何日も経ずしてわかったことだけどアタバルの良さはこんなところにあるのかと思い至ることがあった、まず片桐さんの温和な性格(人格者)、そしてセニョーラ(奥さん)がこれまたできた人で学校の雰囲気がとてもよかった、、また、片桐さんが日本人なので日本語で応対してくれることは何より言葉に不自由している人には有り難かった、、日本語の本・辞書・参考書がたくさんあって利用できたし、わからないことは日本語で聞くことができた、、生徒は全員日本人なので先生方も日本人に慣れていた、、週の終わりには片桐さん自身によるスペイン語文法の補習が受けられた、、また日曜夕方は片桐さんと奥様の手になる日本食の提供があった、、&インターネット・PCが自由に使えた等々、、にもかかわらず授業料がそれほど高いわけでなかったから多くの日本人が通う理由が納得できたのであった、、はじめて片桐さんに会っていろんな話を聞かせてもらったとき、自分が今ではアンティグアに住む日本人の中で最古参になってしまったとおっしゃっていたが、アンティグア在住日本人の重鎮といった存在であった、、

 アタバル校にはスペイン語関係の辞書や参考書、学習書だけでなく、普通の日本の書籍・雑誌・漫画等が大量にライブラリーされていた、、こちらでは日本語の本は貴重なので当然持ち出し禁止なのはわかる、しかしその蔵書は半端でなかった、特に漫画が多かったのは意外であった、が、これはアタバルに限ったことでなかった、、田代もその蔵書、特に漫画の在庫は相当なものであったが、どうやら今時日本の若者が集まる場所では漫画本の有無が最重要アイテムのようであった、、現に田代では一階のリビングでひがな漫画を読みふける若者をどのくらい目撃していたことか、われわれ年寄りからするとなぜにこの地に及んで漫画なんかに没頭する暇があるのかと、まことに不思議・不可解に思えてくるのだけれど、ま、それが世代差というものなのだろう、、で、それはそれでいいのだが、実はわたしがアタバルに通うことによって得た最大の収穫が、なんとそこにあった一冊の日本の書籍(新書)だったのである、、まったく偶然に見つけたその本は奇跡のであいに近かった、、持ち出し禁止のところを片桐さんに特別にお願いして、金曜の補習のあとその本を借りた、そして次の日、土曜の休日は一日どこへも出かけずにその本を読みきる、、その本と出合って、その後の予定が少し変ることになったのである‥、、(その本については次の次あたりでお話しすることになると思います、、)

030_640x480アタバル関係の写真はありません、上下2枚の写真はアニー宅から徒歩10分のところ、Cerro de la Cruz十字架の丘といわれる眺めのいいところのある朝の風景、正面ボルカンアグアVolcan de Aguaとアンティグアの街並み035_640x480