独歩の独り世界・旅世界

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2012 グァテテマラの旅 最終回、悪夢のダラス‥

  さて、最終回、よくスポーツの世界では、勝ち負けは下駄を履くまでわからない、という言いまわしがいわれているようだが、旅の世界でならば、さしづめ日本の土を踏むまでわからない、といったところだろうか??、それはそうだ、飛行機は100%安全な乗り物ではないし、なにごとも最後まで何が起こるかはわからない、旅行保険も到着日、家に着くまでの保証となっている、これが人生という旅路になれば、それこそ死ぬまで(棺に入るまで)わからない~、ということになろう、そう、すべてにおいて先のことはわからないのだ、、そういうことが、予期せぬことが起こったのである、、別に事故が起こったわけでない、たまたまわたしにだけ降りかかってきた災難であった、、

 わたしの乗ったアメリカン航空は定刻に飛び立ち、まだ真っ暗なシティの夜景(朝の6時だったが)がこれほどまでにきれいなものかとわたしを驚かせた、、そのあと下界はほとんど見えなくなったがまもなく日は登り、雲の上を行く、順調に飛んで3時間でダラスに、、、

写りは悪いが飛行機からの夜景と月2012_0308_061331p1040361_640x4802012_0308_061540p1040363_640x480
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 わたしはアメリカという国は、ま、あまり好きな国ではない、、若いころ半年くらい住んだことがあったが、また中南米の人たちはアメリカで仕事をすることを望んでいるようだが、仕事があって住む上では確かにほかの国より快適な生活ができるかもしれない、、が、少なくとも旅する上ではやはり物価等を考えるとあまり魅力を感じられない、、だから乗り継ぎで仕方なくアメリカに立ち寄ることはあっても、そこは目的地ではなかった、、今回もダラスは(つまりアメリカは)単なるトランジットのために寄ったに過ぎない、たった数時間‥、、しかし、トランジット・乗り継ぎだけでもこの国の入国審査は厳しい、前回のヒューストンやサンフランシスコでの入国審査、セキュリティチェック等の行列は尋常でなかった、、ところが今回12月に日本から飛んできたとき、ここダラスのそれは拍子抜けするくらいすいていて実にスムースにことが運んで驚いていた、そして2ヶ月前にわたしより先に帰国した奥さんは帰りもまったく問題なくスムースだったとわたしに伝えていた、、そのときも入国審査にそれほどの列ができていたわけではなかった、、ほとんど楽勝ムードだったのである、、

 未だにわからないのは、何が、どうして、つまりなぜ引っかかったのかということだ、、当然今はすべてコンピューターチェックである、どこにどのくらいのデータが入っているのかはわからないが、そのチェックに時間がかかったとしてもほとんどの人は(わたしの見ている限りでは99%)入国審査はパスしていく、、入国審査の場合荷物チェックではないからあくまで書類上、つまりデータ上のチェックということになる、、そしてなぜだかわからないが今回わたしはその1%に入ってしまったようであった、、というのはまったく唐突に、何の説明もなく別室に連れて行かれたのであった、、そこでしばらく待たされる、、どういうことなのか?どうしたというのか?まったくわからないまま不安が募ってくる‥、、が、実はそれはわたしにとっては初めての経験ではなかったのである、、思い出すだけで腹立たしくなってくるのだが、それは12年前のことだった、それも同じくメキシコから米国に入国するときのことだった、、だからそれが原因かと憶測してみたくもなるのだけれど実はそのときもキューバの帰りだったのだ、、アメリカとキューバは未だ敵対関係にあることは周知のことだけれど、そのためにキューバキューバを訪れる旅行者のために入国カードを別に用意させて、決してパスポートへの押印をしない配慮をしている、そのことは旅行会社にも知れわたっていて、今回もticketを購入した旅行社から米国入国の際はキューバに入国した痕跡を示すものが一切ないように気をつけるよう注意を受けていたほどだった、、だからその点はわたしも承知していて(前回のときも)少なくとも手回り品にそれとわかるものは持ってなかったし、パスポートも見た目にそれとわかるような痕跡はあるはずがなかった、、だから不思議なのだ、ま、それが原因かどうかもわからないのだけれど、とにかくわたしは12年前もティファナから陸路でサンディエゴへ向かうとき、忘れもしない黒人の女性イミグレ官にに待ったをかけられたのであった、、彼女は何を疑ったのか、メキシコから米国へ向かう衆人が列をなしている目の前で見せしめのようにわたしの荷物を徹底的に洗いだした、つまりバックパックの荷をすべて晒されたというわけだった、、話には聞いたことがあった、、米国でのことではなかったが、入国審査の際、別室で荷物はおろかパンツまで脱がされたとか、丸裸にされたという話は結構陸路の旅をするものの間ではささやかれていた、、もちろんそれでつかまった者もいたであろう、、ドラッグ・麻薬・密輸は国境につきものであったから、、だからそのときは陸路でしかもバックパックを背負った身なりから疑われたことも考えられた、、もちろん何もでなかった、、その担当官は見込みが外れていかにも口惜しそうであったが、詫びひとつ言わずにわたしの前から去っていった、、もちろん彼らはそれが仕事で、身ぐるみ剥がす権利を持っている、説明義務はない、、しかしである、、それを行使される側にたってみてほしい、それがどれほどの恐怖心をともなうものか、まさに権力の傘のもと、こちらの諸権利は一切無視されての横暴である、、なんら抵抗も異議も許されない、有無を言わさぬ力の恐怖‥、、(もちろん、そうでなければ犯罪行為の取り締まりはできないというのもわからないではないが)、、そういう意味では今回も同じであった、、しばらく待たされたあとさらに別室にいくよう指示があり、そこにいくと成田までの預かりだったはずのわたしのバックパックが置かれてあった、、担当官がいて中の荷を一つ一つ開示するよう求められた、、いわれるままそれに従うよりなかった、、なぜ疑われているかわからなかったが一つだけ見られたらまずいな、というものはあった、、キューバの葉巻である、、パスポートに記載はないが、いいわけが難しくなる、、ただ没収だけなら何でもない話だ、、が、たまたまそれには気づかず彼らが疑ったもの、求めていた物が何だったのかわからないが、そういったものが一切出なかったので、約1時間の拘束は解けることになった、、無事解放されたのである‥、、乗り継ぎ時間は3時間あったから時間的にはまったく影響はなかったが、その精神的ショック(屈辱感や怒り)は日本に戻ってもしばらく消えることがなかった、、

 くり返しになるがなぜ疑われたのか?だ、つまり今回は陸路でなく身なりや持ち物での判断の結果ではない、あくまでパスポートだけのチェックである、、その謎は依然不明のままだが、もしかしてパスポートにスタンプの押印がなくとも今では解析ができてしまうということか?それとも単純にここ数年間に三十数ヶ国へ行ってることは、それこそパスポートからわかるのだから、その中に怪しい国でもあったのか?まさかそんなことはないと思うが、どこかからわたしの個人情報がアメリカ当局に伝わっていたりするの(たとえそうだとしても怪しいところは何もないのだが)?いずれにしろアメリカという国がわたしにとってますます遠い国になったことだけは確かなことであった、、

 わたしの心模様を示すようにその日のフライトは悪天候の中を飛んでいた、、成田についたときも雨だった、、日本の税関チェックの時に日本の税関吏に、その話をしてみた、どういうとき、どういう人を怪しむの?まともにそんなことに答えてくれないのはわかっていたが建前的にこんなことをいっていた、、特にそんなのはない、ほとんどは黙認してても時々は抜き打ち的にチェックはしている(徹底的に調べることもあるということ)と‥、、ということはタマタマだったということ(つまり直感的)?、いや、そんなことはないダラスの女性審査官は表面穏やかだったが決して抜き打ち的にやったわけではない、そう、だから逆に怖いのである、いったい彼女が捉えたわたしとはなんだったのか、そこが知りたい‥、、

ということで今回の旅は終わりよければすべてよし、とはならなかったのであった、、

fin