独歩の独り世界・旅世界

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グアテマラ国内の旅 3)チャフルChajul、ウスパンタンUspantan、コバンCoban

 チャフルへ行くワゴン車は信じられないことになった、、それでもわたしは前列のシートに座っていたからまだよかったほうなのだけれど、その前列シートでこれまで(二人分の座席に)三人掛けは経験していたが四人、つまり運転手を入れて五人は初めてのことだった、が、まだましだったというのは振り返る余地もなかったのだけれど、後方はおそらく座席数12人のところに30人以上が確実に詰め込まれていた、つまりわれわれのいう定員というものはここでは何の目安にもならなくて、道沿いに客がいたら何が何でも乗せなくてはならないという不文律でもあるかのようであった、、で、車というものは、たぶん日本車だったと思うがそれほど頑丈に作られているものなのだ、その日が特別の日であったことはチャフルに着いてわかった、、そうとは知らずにとりあえずチャフルまでは行ってみようと思っていたのだが、その途中行く先々でどんどん人が乗ってくる、普通われわれは朝の時間帯小さな村から大きな街へ通勤に向かうという理解しかできなかったので、いったいどういうことか腑に落ちなかった、が着いてみてわかったことはその日が週に二回ある市の日だったのだ(ここの市は火曜と金曜とのことでその日は火曜日だった)、チャフルのパルケ前の市はもうすでに大変な賑わいをみせていた、、そこはネバフから小一時間、それこそ山奥からさらに山奥に入った風光明媚なところであった、、

2012_0131_090519p1030786_640x480ワゴン車から降りた人々 2012_0131_095722p1030799_640x480チャフルの教会
2012_0131_090943p1030790_640x480教会前の広場2012_0131_092329p1030792_640x480広場からの眺め(下も)
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  どこの市もそれほど大きな違いはないのだけれど、ここはひとつだけ面白い市の風景を目撃した、それはパルケ前の通りを赤いコルテの衣装の女性が一列にずっと並んでて盥ほどのプラスティックの容器に入れたとうもろこしの粒?を陳列して商いをしているようだった、まるで品評会をしているような感じ、それが伝統的な商いのやり方だったのであろう、、が、どうやってその商談がまとまるのかまでは確かめなかった、、その様子をずっと眺めている一人の外国人がいた、そう、昨日同じバスに乗っていた若い男だった、昨日ここに泊まったのか?と聞いてみた、そうだといった、ホテルはあるの?いつまでここにいるの?とさらに聞くと、安宿があってしばらく滞在するようなことを言っていた、、彼はきっとこの市を知っていて、昨日ここまで来ていたようだった、、そのあと少し村をぶらついたらホテルは2軒あった、、値段を聞くとネバフとそんなに変らなかった、、それよりもこんな山奥でもホテルがあったことに驚いた、うん、何にもないところだけど却ってそれがいいのかもしれないとも思った、何も知らない人にとっては桃源郷に見えたかもしれない、教会前の広場からの眺めもよかった、、しかしこの教会前の広場こそ、二十数年前のある日(1979年暮れ)あのリゴベルタ・メンチュウの弟を含めた7名のゲリラが見せしめのために集められた村中の人々が見守る中、壮絶な拷問の果てにガソリンをかけられ焼き殺された場所だったのである、、

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  その教会から裏の道を探ってみた、ここは地図上ではどん詰まりの村だった、つまりこの先は道が描かれてなかった、、この先にはもう村はないのか??それを知りたくてさらに奥に向かう道はないのか探ってみたのだ、、と一本の舗装されていないが車一台通れそうな道がさらに山の奥まで続いていた、、住民から怪しまれながらもその道をしばらく行く、直に民家が途絶え行く先に野犬?がたむろしていた、、ヤバイ、、もう犬と争いたくなかった(去年犬にかまれたことがあった)、、で諦めて引き返したのだけれど道は確実に続いている、民家のあるところまで戻って聞いてみた、この先に村はないのかと、まだ先に村はある、乗り合いのトラックがこの先の村まで行っているとのことだった、、うーんまだまだこの奥まで道が続いていて人も住んでいるようだった、、地図上ではキチェ県のこのイシルトライアングルの先は広大な空白部分を残していたが、かつてのゲリラが縦横に活動し潜伏した舞台はいまやだんだん開拓されてきているようであった、、機会があったら訪ねてみる価値はありそうだった、、

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 そうやって一時間くらいぶらついたら見るところはなくなってしまった、、民族調査でもしない限り、あるいはそれこそさらに奥を目指して進まない限り留まっていてもしょうがないからネバフに戻ることにした、たぶん市は午前中がピークで昼下がりまで続いているのであろう、、帰りのワゴン車はすいていた、途中コツァルへの分岐があってそこに行くまで少し迷っていた、せっかくここまで来たのだからトライアングルのもう一角もみておきたい、しかしそこまで行くとネバフにもう一泊が必要になるだろう、、今日チャフルの市だったから行っても何もないかもしれない、、チャフルまで来られたからもういいか‥??そんなことでコツァルは諦めてそのままネバフに戻った、、帰りは40分くらいで着いてしまった、早速ホテルに戻って預けておいた荷物を背負って昨日降りたったバスターミナルに行ってみた、キチェ行きのバス、あるいはウスパンタンまで行くバスがあるかもしれないと期待して、、ところがその時間帯キチェ方面も、ましてウスパンタンに行くバスはもともとないと聞かされ、ワゴン車ならこの時間は教会の後ろから出ていることを教えてくれた、、が、その場所を探すのに少し苦労する、、しばらくうろついて、やっとキチェ行きのワゴン車を見つけたのでウスパンタンに行きたいのだけれど途中の分岐で降ろしてくれるよう頼んでみた、そしたらそのワゴン車のドライバーはここからウスパンタンへ直接行くワゴン車があるはずだからそれで行ったほうがいいとその場所を親切に教えてくれたのだった、、が、またその場所がよくわからなかった(要するにその前もそうだったのだが、ちゃんと聞き取れていない)、いわれたあたりを荷物を背負って探したが、たぶんそれもその時間帯はなかったのだと思う、結局見つけられず、先ほどのキチェ行きのワゴン車に戻った、、改めてウスパンタンへの分岐で降ろしてくれるよう頼んで車が出るのを待った、、キチェまで行くワゴン車は1時間に1本くらいで出ているようだった(わたしが乗ってきたチキンバスが日に何本くらい出ているのかは確かめなかった)、、また、朝早ければもしかしたらウスパンタンへ行くワゴン車もあったのかもしれない、、この辺は近郊へ車は結構あったのだが、行き先によって出る場所が違っていて、それがわれわれにはよくわからなかったのだった、、

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 12時ころ出た乗り合いのワゴン車はすぐに満席になりそれでも途中客がいればどんどん乗せて、その分岐点エントロケでわたしを含めて5人くらいが降りてようやく残った人たちがゆっくり座れる状態になった、、そこで降りた5人のうち3人はすぐにサカプラス方面から登ってきたワゴン車に吸収された、、それは数キロ先にある村クネンCunenまで行く車だった、、わたしともう一人はウスパンタンまで行く車をさらに15分くらい待つことになった、、そのワゴン車もいっぱいであったがその先のクネンでほとんどが降り、そこからの乗客は少なくなった、、それでもあまり整備されていない田舎道をクネンから先は起伏がほとんどなかったが1時間弱走ってウスパンタンに着いた、、

2012_0131_125240p1030818_640x480 エントロケの分岐2012_0131_125003p1030814_640x480分岐点からサカプラス方面の眺め

 リゴベルタ・メンチュウの故郷ウスパンタンも山深いところであった、、チキンバスこそ通ってないが、今ではワゴン車という足がある、かつてはすべて歩いて移動した30年以上前の様子が‘私の名はリゴベルタメンチュウ’には出てくる、当時は1~2日もかけて歩いたキチェやネバフ、チャフルまでも今ではワゴン車が行き来している、それでもキチェまでは3時間の道のりだ、ウスパンタンの教会前のパルケセントラルがワゴン車の発着所になっていた、まずパルケセントラルを中心にぶらついてみた、そこでどうするかは決めていなかった、、場合によっては一泊、もし乗り継いでコバンまで出られそうだったらそれも一案と考えていた、ただしこの街の情報も地図も何も持ってなかったからホテル探しもままならなかった、わたしが持っていたINGUATでもらった全国地図にはここにツーリストインフォメーションがあるような表記があったがそれも見つけられなかった(たぶんなかったと思う)、結局パルケセントラル界隈でホテルを見つけることはできなかった、そもそもここのパルケセントラルには暇そうな人がぜんぜんいなかった、、今までどこのパルケも仕事がなくてぶらぶらしている人をよく見かけていたが、ここは人気がなくて賑わいも活気も感じられなかった、、それに少し寒くなってきて空模様も怪しくなってきた(だから人気がなかったのかもしれないが)、、教会前にはコバン行きのワゴン車が待機していて客待ちをしていた、聞くと3時半に出るとのこと、客はまだ乗っていなかった、それまで1時間くらい時間があったので少し遠くまで行ってみたが、何もないところだということがわかったので、もうコバンまで行ってしまうことにした、戻ってしばらくパルケ界隈の屋台でパンだのポテトだのを腹に入れて出発を待つ、、定刻に満席になっていなかったが車は出発した、、たぶんそれがウスパンタン発の最終(ミニ)バスだったようだ、、しばらくは未整備ながら舗装された道を行ったがほとんどは山道だった、1時間くらい走って大きな河を渡る、サカプラスで渡った河の下流であった、、それからしばらく行くととうとう未舗装の道になった、それは相当厳しい山道で、おまけに雨が降り出す、5時ころから暗くなりだし途中ほとんど村もなく山の中を走り続けて6時ころ大きな街サンクリストバルベラパスSan Cristobal Verapazに出た、そこからはまた舗装道になってサンタクルスベラパスSanta Cruz Verapazを通ってコバンには6時40分ころ着、3時間10分、たぶんウスパンタンからキチェへ出るより遠かったと思われた、、

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 それでも7時ころになるかと予想していたよりは少し早かった、コバンは前に一日滞在したことがあったのでその場所がどこかもわかっていた、パルケセントラルまでは15分~20分くらいの距離がありそうだった、、折から雨が降っていた、前回泊まったホテルまで歩けば歩けそうだったが近くにホテルがないかとバスを降りたところの前のレストランで聞いてみた、と親切な客が雨の中でてきてくれ、少しいったところにホテルはあると教えてくれたが100Q以上するだろうといっていたので諦めた、この旅ではじめて傘を使うことになった、、メインストリートをまっすぐ行けばよかったので迷わずに前回のホテルまでいけた、そこは一泊40Qくらいでバストイレつき、前回は35Qのバス・トイレなしで、その部屋も空いていたけれど100Qに比べれば40Qは安いもんだった、、荷物をおいて雨の中食事に出かける、適当な飯屋を探してみたが、去年もそうだったが気に入った店がなかった(ここでいう適当な飯屋とはビールが飲める店ということで、酒類を置いてないがよさそうな店は結構ある)、、で、去年もそうしたようにカルネアサド(牛の焼肉、前日のよりボリュームがあって少し高かったが)をテイクアウトしてビールを買い込んでホテルでの夕食となった、、そういえば去年もここから先で雨に降られたのを思い出しながら‥、、