独歩の独り世界・旅世界

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インドの旅 4)リシケシュ Rishikesh

 リシケシュは前回書いたがハリドワールの北30km、やはりガンガ沿いということもあってここも聖地のひとつになっている、ここにもインド人ツーリストは多く訪れていたが、ハリドワールでほとんど見かけなかった外国人ツーリストがここにはたくさん滞在しているようだった、、そのリシケシュにその朝、昨夜疲れ切って戻り、食欲もなくそのまま寝込んだおかげてまたまた早く目が覚め、なので朝6時にはチェックアウトし、そのまま鉄道駅に向かい6時50分発の一日一便しかないというリシケシュ行きの列車の切符を手に入れることができ、発車までの時間駅前の食べ物屋でチャイとサモサの朝食をとって、向かったのだった、、

054_640x480朝のハリドワール駅前


 定時6時40分に着いたその列車は(最近のインドの国鉄は遅れないという印象が強くなる)デリー発の夜行列車だったのか、ほとんどは3-tierの寝台でもうすでに乗客はまばらになっており、ほとんど自由席状態であった、、鉄道にした理由はたぶん前日の記憶の名残りとバスよりも半額に近い料金からだったと思う(バス30Rs、鉄道17Rs)、そして定時6時50分に出発した汽車はハリドワール駅付近の線路沿いに密集しているスラムを抜けて、ほんの少し登った感じで定刻8時にリシケシュに着いた、その間駅がひとつありそこがRaiwara Jc(ライワラ ジャンクション?)といってRishikeshとDehradunとのジャンクション(分岐)になっており、その列車はDehradun方面からの列車や特急列車等の通過待ちをしていた、わたしはそのことがわかり(そこにジャンクションがあったこと)納得していた、つまり昨日の列車はなぜリシケシュに行かないのか疑問に思っていたからだった、そうしてリシケシュに着いたわたしはサイクルリキシャマンの呼びかけを断って近くにあるはずだったバススタンドを探す、、それはデリーに帰る手段として列車が無理、ハリドワールからのバスもはっきりしなかったからであった、、が、持っていたガイドブックにあった地図のところにはそのバススタンドはなかった、、仕方なく飲み物を買うついでに聞いてみるとかなり遠くで説明しにくそうであった、、つまりその地図にあったバススタンドは今やどこかに移転したらしいことだけは明らかになったのだ、、ならばリキシャを使う手はあったか‥??

057_640x480途中駅(Raiwara Jc.)ののどかな感じ

058_640x480ここの人たちはやってくる列車をこのように迎える
059_640x480リシケシュ駅

 いまさら駅に戻る気はしなかったから、そのまま歩いていける距離にあったリシケシュのガートに向かう、、まさかガートが移転していることはあるまい‥比較的、朝の時間だったから30分くらい歩いたけれどそれほど疲れはしなかった、、ガートも比較的すいていた、、ガンガの流れは速く水も少し澄んでいるようだった、、写真を撮って街中に戻る、ガイドブックの説明によるとこのリシケシュというところはおおよそ3つのエリアに分かれているらしく、今わたしがいる駅やガートのある市街地、そして数キロ上流にあるラムジュラーRam Jhula橋近辺のエリア(ヨガアシュラムやみやげ物やゲストハウスあり)、そしてさらに上流にかかるラクシュマンジューラーLakshman Jhula橋近辺が、やはり土産物屋やアシュラム、ゲストハウスが立ち並ぶ観光客が集まるエリアだと紹介されていた、、わたしは前日までの疲れが残っていたのでここで少しゆっくりしたい、それでも7月1日の夜行の切符を持っていたので、せいぜい2泊しかできない、といったジレンマをかかえ、どこに宿を取るかで迷っていた、、街中に戻ると幹線道路の標識にbus stand 1kmと表示が出ているのを見つける、、1kmはもうその時点では遠く感じつつあったが、せっかく見つけたのだから歩きだした、たぶんヒンドゥ語ができれば5~10Rsで乗り合いのトゥクトゥクが利用できたと思うがそれも叶わなかった、、大汗かいてバススタンドに到着、そこでデリー行きバスの情報を求めるもなかなか簡単にはそれは得ることができなかった、、まずローカルバスのオフィスはあったが、デリー行きバスのオフィスが見つけられなかった、、やっと見つけたそこはボルボのデラックスA/Cバスのオフィスだったが、何日か先のブッキングはやっていなかった、当日何時に来いといわれただけ、、そんなことでわかったのはどうやらここからはローカルバスのデリー行きは出てないらしいということであった、それはハリドワールから出ているとの答えが一番確かそうであった、、それがわかっただけでも収穫であった、それなら話は簡単、7月1日の早朝いったんハリドワールに出てそこからデリー行きに乗ればいい、それならここに2泊できる、あとはラムジュラーかラクシュマンジュラーに行って宿を探すだけとなった、、たまたまそのバススタンドに乗り合いのトゥクトゥクがとまっていたので聞くと10Rsでラムジューラーまで行ってくれるという、それまで単独で声をかけてきたやつらは100Rsだとか150Rsだとかいってきていた、まったく油断も隙もあったもんではない、、つまり、わたし一人が乗るならそれだけだせということなのだろうが、こちらはそんなのを望んでいない、、が、なかなか乗り合いをつかまえるのは言葉の問題があって容易ではなかったのだ、、だからそこで捕まえられたのは幸運でもあった、、乗せてもらってラムジュラーまで行ってもらったが同乗者は誰も降りない、ならわたしももっと先まで乗せてくれと頼んで結局ラクシュマンジューラーまで行ってもらった、ま、プラス5Rs請求されたが異存はなく15Rs払った、、

061_640x480リシケシュ市街地にあるTriveni Ghat 079_640x480Rakshman Jhula橋
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橋を渡ったあたり、Shri Trayanbakshhwar寺院

 それ以上は進入禁止になっているラクシュマンジュラーのオートリキシャスタンドで降ろされて、そこから橋までが結構長かった、、なかなか橋も河も見えなかった、、土産物屋が続く小道を下に下に降りていく、戻りたくない道だった、、ようやく橋のたもとについたときはすっかり疲れてしまっていた、、その間にゲストハウスらしきものもあったが余り気乗りはしなかった、、少し休んでからインド人観光客でごった返すラクシュマンジューラー橋を渡ってみる、、背後には山が迫っておりなかなか風光明媚なところだった、、渡ったところにはShri Trayanbakshwar Mandirというヒンズー寺院があって、その界隈は向こう側にも増して商店、みやげ物屋、レストランが立て込んでいるエリアで相当な賑わいであった、、そこを無神経なジープが警笛を鳴らして行き来している、インドのどこにでもある光景だがちょっとうるさいところでもあった、、そこを右に折れてガンガ沿いに少し戻る形でラムジュラー方向に行くとゲストハウスが出てきた、、適当なところがないかと目星をつけながら店が途切れるまでいってみようと、まるで昔のヒッピータウンのような感じの通りを左右キョロキョロしながらいくと、右手ちょっと入ったところに一軒のホテルらしい建物あり、一階がカフェになっていた、そのカフェはガンガに面していてカフェのオープンテラスの向こうはガートになっていた、、立地がいい、ホテルも比較的新しい感じだ、そのカフェの人にホテルを探しているというと、経営は別だ上にいって聞いてくれといわれてしまった、、早速2階に行くも誰もいない、その2階からの眺めも悪くなかった、、そのうちわたしに気づいた若い従業員(オーナーではないと思う)と交渉になる、一番端の河の見える部屋は空いていた、その部屋は2方向窓があって大変明るい部屋であった、風通しもよさそう、、手前の部屋も空いていたが、端の部屋に比べて価値は半減だ、で、値段を聞く、A/Cつきではなかったがもちろん扇風機・バストイレつきで、端の部屋が250Rs、手前の部屋が200Rs、その価格差だったら誰だって250Rsを選ぶと思う、、思っていたより安かったので即決した、、この部屋は今回の旅行中泊まった中で、価格や立地その他をあわせて1,2に値する部屋だったと思う、、その後リシケシュ中を歩き回ったが、こんな条件を持ったホテルを見つけることができなかった、そしてわたしは2日間(1日半)結構のんびり過ごすことができたのであった、、が、ひとつだけなんとも言い難い欠陥(タブー)をみつけることになる、、最初そのホテルは一階のカフェと同じKnaanという名前かと思っていた、で、金を払って落ち着いて、部屋にあったホテル案内を見たとき、そのホテルの名がHotel OMだということを知ったのであった、、

080_640x480気持ちのよい部屋とベランダからの眺め066_640x480 082_480x640真下のガート、遠方にLakshman Jhula橋085_640x480_2


 ま、そんなことより、先にいったホテルの下がガートになっていた、その利便性を強調したい、つまり昨日はその用意がなく、ハリドワールでは水に浸かること、即ち沐浴・水浴びができなかったのだけれど、その日の午後の暑くてたまらないとき、短パンひとつ、上は裸で下に降り、そのままガンガに飛び込むその気持ちよさ、これは他のどんなことにも比することができない快感であった、、ここも流れが速く金槌であるわたしにはそれは危険な行為でもあったのだが、もちろん鎖につかまっての話である‥、、で、そこは私設ガートでもなかったから、多くの沐浴者の訪れるところでもあった、そして隣がメデイテイションセンターで、夕方になるとそこの若者たちがなにやら儀式めいたことを音楽や松明の演出を伴ってセロモニー的に繰り広げたりしている、、そんな光景を滔々と絶えぬガンガの流れとともに日がな一日眺めて時を過ごすというもうひとつの楽しみも、そこでは満たされたのであった、、

 ところでわたしにはアシュラムもヨガ教室もメディテイションセンターもどこがどう違うのかまったく区別がつかないのだけれど、実のところこの種の施設がここリシケシュには数多くあって、なにやらヨガに関してはここが世界の本場であるらしいことをはじめて知るのであった、そしてそのヨガ教室に通うらしい日本人女性や、先に述べた隣のメディテイションセンターの夕方の儀式には明らかに日本人と思しき若者がその中にいた(ここでは外国人ツーリストだけでなく日本の若者を多く見た)、、違いがわからないだけでなく、いわゆるサフラン色の僧衣を着た修行僧?なるものにも数多く出会うのだけれども、その彼らが所属しているのがアシュラムなのかヒンズー寺院なのかも定かでなかった、、一度その中でも大きい部類に属するアシュラムに入ったときには確かにその僧衣を着た人たちで満ちていたのだけれど、いまひとつ彼らの立場がわからず、食と住があてがわれているのかどうかが疑問に残った、というのも昔のサドゥはいざ知らず、今の僧衣を着た修行者というのはことごとく僧衣を着た物乞いに見えたからである、、次の日朝早く歩いてラムジュラーのほうへ出かけた、、途中のアシュラム近くでは多く托鉢に向かう僧衣を着た修行者を目にする、、話は少し脱線して、言い方に御幣があるかも知れないがインドはホームレスの本場である、何万人のホームレスがいることか?で、日本のホームレスと決定的に違うことはまず彼らに凍死する心配がないことである、、だから彼らの寝床は無限にあるのだ、問題は食だけということになる、、で、ここの修行僧たちもたぶん寝床は与えられていないように見えた、、気ままなところ・全ての大地を自分の寝床としているようである、だからたぶん与えられているのは僧衣だけであろう、、食は托鉢・寄付・施しとなろうか?実人生終えて遊行の旅にでたはいいが、僧衣を与えられて僧衣を着た物乞いになるしかなかったということだったとしたら、昔あこがれたインド的システムはなんだったのかと悲しくなってくる‥、、少なくともリタイアして遊行の旅をしているつもりになっているわたしにはなおさらだ、、だからわたしにとってここでの最大の疑問は果たしてアシュラムは老人救済センターになりえているのか?機能しているのか?ということだった、、そのあとラムジュラーの橋まで歩きさらにその近辺を歩き回り、一本道をはずして裏道に入ったとき、そこはなんと僧衣を着た物乞いたちが列をなしている小道だったのである、、果たしてここは聖地といえるのか?本物のサドゥはどこにいるのか??

071_640x480Ram Jhula橋付近のガート070_640x480その付近のアシュラムのひとつ
074_640x480僧衣をまとった物乞いの列
073_640x480その道をひとり一個ずつのマンゴーを喜捨していく青年


 その答えは実際どこかのアシュラムに入って聞くべきだったかもしれない、、しかし表層的ながら、そのいずれにもウサン臭さを感じてどこにもコミットしなかった、、それでもひとつだけ確かさを確認できたのはガンガの水は冷たくて気持ちよかったということだけ、それだけでわたしには価値があったというものだ(それは確かにインドの救済たりえているように思えた)、、素敵な部屋で洗濯もできたし昼寝もできた、、何もしたくなくなるどうしようもない暑さのときに何もせずにいる至福の時間があった、、そして気が向けばガンガに飛び込んだ、、近くのレストランでチベッタン料理も食った、、しかし、ここのわたしには耐えられないあることが、早2日にしてここを去ることに何の躊躇いももたらさなかった(もちろん日程的にそうするつもりであったのだが)、、それはなにやら聖地ということでアルコール類が一切飲めないことであった、、