独歩の独り世界・旅世界

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インドの旅 5)リシケシュ~ハリドワール~デリー~パタンコット~マクロードガンジ

 7月1日、日曜日、その朝5時半にチェックアウトした(といっても誰もいなかったので勝手に出てしまった)わたしはそのまま昨日歩んだラムジュラー橋への道を歩いていた、、朝方のガンガ沿いの散歩は気持ちがよい、行き交う人(僧衣を着たホームレス?も含む)と挨拶を交わしたり鳥たちのさえずりを聞いたり、目で追ったりしながら‥、、もちろん荷を担いでいるのだけれど今回は総重量が10kgに満たない軽装だったから、移動もこの時間は楽であった、、20分くらいでラムジュラー橋のたもとに、、ラクシュマンジュラー橋の近くの宿だったにもかかわらず、そこのオートリキシャスタンドに行くより距離は長くても登りがない分楽だったと思う、、しかしここでひとつの作戦を展開、そこのオートリキシャスタンドを素知らぬ顔で通り過ぎ、幹道にでてラクシュマンジュラーのほうから来るトゥクトゥクを待つことにした、、つまりそこ(ラムジュラー)のオートリキシャスタンドで乗るとまた例によって100とか150Rsとかいってくるのが目に見えていたからで(朝早かったので相客なんかいない)、それなら上から下ってくるオートリキシャ(トゥクトゥク)をつかまえたほうが賢明だろうと思ってのことだった、で、人の乗っているトゥクトゥクを待つことにした、、そのうち一台が停まってくれた、、ところが人が乗っていない、これは高いこといわれるなと思っていたら下の市街地まで10Rsでいってくれるという、、じゃバススタンドまで頼む、ということで乗り込む、もちろんそのあとに相客を乗せるのは承知のうえだ、、そしてすぐに2、3人の客を捕まえ、首尾よく市街地まで下れたのだけれど、この辺が言葉の障害か、彼は後から乗った客の行き先を優先したのか、わたしの要望が伝わっていなかったのかわからないがバススタンドへの道を曲がらずに進んだ、そこで改めてバススタンドに行ってくれというと、その先の辻で止めてそこに停まっていた別のトゥクトゥクのドライバーと話して、そちらに乗り換えろといってきた、、それに従うよりなくそこで降り彼に10Rs払った、、乗り換えたトゥクトゥクはもちろん別の客も拾ってちゃんとバススタンドに連れて行ってくれたのだけれど、ここでやはり金を払うべきかどうか迷う、、迷った末に彼に5Rs渡す、、何も言わなかったが、もっとよこせとも言われなかったのでたぶんOKしてくれたのだろうと思っている、、ちょっと微妙なところであった、、しかし、ま、15Rsなら許せる範囲だけれど、100Rsとか150Rsとか(日本円なら150円くらいのものだが)は不当に思われたので断固として抵抗したい気持ちは持ち続けた、、で、バススタンドではハリドワール行きはすぐにつかまえることができたけれども、どうもインドのバススタンドでの呼び込みがグァテマラに比べると、いまひとつはっきりしなかったり、あまり活発でないことに不満を覚えた(このあとハリドワールでも)、グアテマラだったら車掌だけでなく、チップをもらえるからそれ目当ての客引きもいて、わたしが姿を現すだけで積極的に勧誘にきた、、そういったことがここではまったくなく右往左往することが多かった、、ちなみにそのときバスの値段も比較してみた、、ここでのローカルバスのバス代は、わたしの経験で1時間走ってだいたい30Rs(45~50円?)、グアテマラのチキンバスで1時間の距離を走るとだいたい10Q<ケツァル>前後だったから90円くらい?つまりインドのバス代のほうが半分くらい安いことがわかった、、ついでにほかの価格も比べてみるといちがいには言えずともほとんどの物価がインドのほうがグアテマラより安そうだった、、グアテマラで旅行者として一日の生活が最低1500円(150Q)くらい必要なところ、ここでは1000円(6~700Rs)くらいで可能なのであった、、

   さて、そのリシケシュのバススタンドではほかの情報もあさってみた、、前回記した本物のサドゥはどこに行ったのか、という問いにたいして自らある程度答えを持っていたのだ、、余裕があれば行ってみたかったのだが、このリシケシュからはさらに山(ヒマラヤ)に向かって道は続いていた、その行き着く先に4ヶ所の聖地があることは知っていた、、西から順に①ヤムノットリーYamunotri,3323m②ガンゴットリーGangotori, 3140m 400Rs③ケダルナートKedarnath,3583m 250Rs④バドリナートBadrinath ,3110m 320Rsである、、いずれも3000mを越すヒマラヤ山中にある聖地だと聞いていた、、バスが出ているが(Rs表示はその料金)1~2日かかるハードなルートであることが容易に想像できた、、もし今回ラダックを目指してなければそのうちの一ヶ所は行けたと思うが、限られた日数の中でチベット(ラダックはチベット文化圏)を選択したためヒンズーの聖地は諦めざるを得なかったのだった、、

  そういう意味では俗化した聖地を後にしたわたしは鉄道で来た道をバスでハリドワールまで戻り(30Rs)、ハリドワールのバススタンドで何人もの人に尋ねながらデリー行きのバスを探した、、それでもここからは1時間に1本くらいデリー行きのバスが出ていたようで、ハリドワールに8時について(そういえばバスがリシケシュを出たのが6時50分で到着が8時だったから、奇しくも往路の鉄道とまったく同時刻同時間だった、、)8時15分にはそのデリー行きのバスは発車した、、運賃は147Rs、ということはハリドワール~デリー間のバスは6~7時間と聞いていたがもう少し早く着くことが予測された、、確かに鉄道とバスでは趣がぜんぜん違うのであるが、A/Cつきのデラックスバスではなかったが、それほどきついとも思われなかった、、風景は単調で面白みにかけるのは鉄道もバスも乾いたインド平原をいくからで、その点市街を通るバスのほうが幾分変化はあるのだけれど、スリランカやインド各地を回ったことのある身にとって、それほど興趣を覚えるものでもなかった、、それでもしばらくは田舎道を走っていたのだけれど2時間位して道は片側2車線に変わりバスはスピードを上げた、それから30分位して食事休憩の時間になった、、もちろんそこでの水分の補給と腹ごしらえは怠らなかった、、そこで食べたオムレツパン(その場で卵をといて作ってくれる)はいっぺんで気に入ってしまい、その後ももう一度別の場所で食べることになった、、そんな感じで予想通り(ガイドブック表示より1~2時間早く)13時半にはデリーについてしまった、、が、ついたところが問題であった、、てっきり前回下見したカシミールゲイトのISBTバスターミナルにつくのだと思っていたら、まるで違うところ、しかしそこは地下鉄が通っていたから、街中に出るには不便ではなかったのだけれど、、

091_640x480デリー行きのローカルバス 089_640x480このあと絶妙なさばきでオムレツサンドができあがる
 096_640x480終点の地下鉄Ananda Vihar ISBT駅のひとつ手前、地下鉄Kaushambi駅、バスから写す

 それでわかったのだけれどそこは、地下鉄ブルーラインのAnanda Vihar ISBTという駅で、巨大なバスターミナルと直結していた、、つまり以前カシミールゲイトにあったバスターミナルは新設されたここにその大半の機能を移していたということだったようだ、それで納得、インドの変化は著しく、そして早くなっているということのひとつの例証のように思われた、、その地下鉄駅ではその巨大なバスターミナルが控えていたせいで大混雑しており切符一枚買うのに長蛇の列、一苦労させられるのであった、それでも地下鉄のシステムとおおよその路線は頭に入っていたから、間違うことなくRajiv Chowkでイェローラインに乗り換え15時にはデリー駅についていた、、できれば荷物を預けて2~3時間は街をぶらついて時間潰しをしようかと思っていたけれど、まず適当なロッカーとか荷物預かり所なんてものがないことを悟り、そしてこの時間帯街をさまようことがいかに無謀なことかも、その地下鉄駅から地上に出たときに悟った、、唯一の行動原則は動かないこと、これしかなかった、、デリー駅の駅舎内の床に座り込んでじっとしていること、これが正解なりのだけれどすでにそんなスペースはどこにもなかった(あたりかまわず座り込んでいる夥しい群集のため)、、で、しばらくは荷物を背負って適当な場所探し、そしてたまたま空いた壊れかけたベンチをすぐに確保し、そこに腰を下ろしてそのまま3時間くらい動かなかった、、暇があったら読もうと持ってきた文庫本はそこで読みきった、、18時になっても暑さは一向に衰える兆しさえなかった、、しかし少し飽きてきたし電光掲示板でJammu Mailのプラットフォームが表示されたので、少し変化を求めて駅舎の中に入ってみることにした、、フォームに出ると思いもかけなかった看板が目に飛び込んできた、、えっ、こんなのがここにある ! !日本でもめったに利用しないマックであった、、インドでマック ! ? いつもなら躊躇うところ、このときばかりはそれが救世主のように思えたのだ、なぜならそこはインドではマックは比較的上層の人しか利用しないので、まずすいていること、そしてエアコンがきいているからであった、、ま、早めの夕食と思えばちょうどいい按配でもあった、、普通ならSサイズのドリンクで十分なのに、10Rs追加でドリンク大に、ポテトも増量といわれてそれをお願いする、結局95Rsのセットメニュウを頼んでいた、それで腹も満たされたし1時間は時間潰しができたと思う、もっと早く知っていればずっとそこに居つづけたかもしれなかった、、

 そのあとはフォームのベンチで列車の入線を待った、、そこでも水分補給は欠かせなかった、、思ったより早く7時半ころ列車は到着、早速乗り込む、前回と違ってA/C車でなく扇風機が回っているだけである、、前の席は大家族のファミリーでその後ろの席と合わせて10人くらい、子供から年寄りまで一家総出という感じであった、、あまり話さなかったが何でもジャムJammuのどこかにお参りに行くとか、、インド人の宗教心(信仰心)にはいつも感心させられるが、ま、昔の日本と同じく参詣の旅がひとつのレジャーでもあるのだろう、、わたしの並び、つまり寝台にすると上・中段に指定される二人は欧米系の若いカップルであった、、その言葉からは国が判別できなかったが北欧系か?発車してまもなく、疲れていたのでろくに挨拶も話もしないまま寝台にしてもらって9時ころには体を横たえることができた、、列車が動き出すと風が入って気持ちがよかった、、なので体を横たえても動いているときはわずかに寝入るのだけれど、どこかの駅で停まると暑くて目覚めるといった繰り返しだった、、ほとんど熟睡はできないまま朝を向かえ、昨夜8時ころ(正確には何時だったか覚えてない、8時半ころだったかもしれない)デリーを発ったJammu Mailは朝の7時ころパタンコットPathankotに到着した、、そこからマクロードガンジMcleod Ganjに行くバスが出ているはずであった、、マクロードガンジは外国人旅行者には比較的知れているところだったので、同じようなツーリストがいるかと思ったが、そこで降りたいわゆる外国人はわたしと隣のカップルだけだった、そのとき初めて彼らもマクロガンジにいくのだということを知ったのだった、、

 パタンコットのバスターミナルは駅から歩いて10分くらいのところにあった、、にもかかわらずそれを知らない外国人を当てにしてサイクルリキシャマンが駅では何人も声をかけてきた、、全て断りながら場所を聞いてきてみると、断って正解だったことがわかる、、そこでバスの時間を確かめると8時半にダラムサラへ行くバスがあるらしいことがわかった、1時間くらいの待ち時間はちょうどよい、水や食料を調達してバスターミナルのベンチでくつろいでいると、先のカップルがやってきて男の子のほうがこんな話を持ちかけてきた、、ここからタクシーだと1000Rsくらいでマクロードガンジまでいける、300Rsだしてくれれば一緒に行けるが‥??というものだった、、別にわたしは急いでいたわけでなかったし、バスも1時間弱で来るらしい、バス代もせいぜい(正確には知らなかったが)100Rsくらいのものではないか‥??、、その話に乗る理由は何もなかった、、しかし、昨日からほとんど何も話してこなかったので、却ってここでも冷たくしてしまうことになんとなく気が引けたのだ、、あまり気乗りはしなかったが、もし彼らがそれを望んでいるのであれば、そのくらいなら彼らのためにOKしてやってもいいかと思ったのだ、、その10分後には3人は一台のタクシーに乗ってマクロードガンジに向かっていた、、その間やはり寝不足だったのでわたしはほとんど居眠りしてしまったが、それでも少し情報の交換をした、どこから来たの?その答えがわたしにはわからなかった、ユーケーレイン‥、、えっ?それってどこ?何度か聞いてやっと理解できた、、Ukrainaのことだったのだ、、彼らは自国のことをユーケーレインといった、それではあなた方は何語で話していたの?ロシア語‥、そうだったのか、よくわからなかったがロシア語だったのか、、わたしは彼らに言った、、あなた方はわたしが出逢ったはじめてのウクライナ人だ、と‥、、