独歩の独り世界・旅世界

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帰国の途 3)再びメキシコシティ

 今回の旅も大詰めを迎えていた、、あとはメキシコシティに飛んで、そこからダラス経由での帰国となっていた、、で、だいたい予定も消化していたし、もう書くこともあまりないので一応今回ともう一回で終了させるつもりである、、だからこのあとの分は(いつもだけれど)あまり面白いくないことを予めお断りしておきます、、

 さて、今回の航空券はメキシコ国内からはどこからでも乗れたので、つまりメヒコ(メキシコシティスペイン語読み、以下メヒコと記す)まで飛ぶ国内線がタダだったので、グアテマラに最も近かったタパチュラからの乗り継ぎとしたことは前に述べたかもしれないが、当初(ticket購入時)メヒコに何泊するかで迷っていた、、というのもダラス経由のアメリカン航空のメヒコ発が朝の6時ころ、ということはその2時間前だと朝4時のチェックイン、ホテルに泊まっても朝3時のチェックアウトなら空港泊(待機)も考えのひとつにあったからだ、しかしタパチュラ発が前日の13時半、メヒコ着が15時ころだったから約12時間も空港待機はちょっとしんどい、というかもったいない気もしていた、、それならメヒコに二泊したほうが有効に時間が使えるのではないか‥??、ということで、その時点では空港泊の可能性も残しつつホテル未定のままticketだけはタパチュラ発を3月6日、メヒコ発を3月8日に決めていたのであった、、

 その朝は前日と違って十分に眠れていた、快適なベッドと上等なファンがついていたので窓を密封できたから蚊に悩まされることはなかった、、前日に引き続いてホテルをでた角の屋台でコーヒーとパンの朝食(10ペソ、65円くらい?)をとって、その足で浜田家に挨拶に立ち寄ってみたがお留守のようだった、、荷支度をして日中は40℃にもなるというタパチュラの街中にいるよりは空港のほうが涼しいかと思って早めに空港へ行くことにして、もう一度浜田家を訪ねてみた、、幸い浜田さんが在宅しておりお礼と別れの挨拶ができた、、たまたまお母様のカロリーナさんとお嬢さんもいらっしゃって、そのとき前回記した昔の新聞の切抜きを見せていただいたり、浜田さんのお年が49才でエンジニアをされていること、タパチュラには日系人クラブがあって日本語ならびに合気道、折り紙といった文化活動が行われていること、お嬢さんは日本語で広美さんという名前であることなどをうかがった、お母様は遠慮されたのでお嬢さんと浜田さんの写真だけ撮らせてもらった、、、空港までは前日と同じルートをたどり、実際コレクティボの下車地点から歩いて5分で着いてしまった、、だからタパチュラセントラルから空港までは10ペソ(65円)で行けたことになる、、その空港たるやまったく閑散としていてほとんど人影がなかった、、ひとつにはまだ早すぎたこと、もうひとつは何しろここの空港を発着する便がアエロメヒコのわたしが乗る便13:35 lev と同じアエロメヒコ、メヒコ行きが夕方にもう一便17:45 lev あるだけだったからでもあろう(つまり一日2便しか発着がない)、、だから乗客より空港関係者や警備の人のほうが多くて、チェックインやセキュリティチェックはすこぶる簡単、短時間で終わり、その分長時間待たなければならなくなった、、その間の暇つぶしになったであろうPCを預けた荷の中に入れてしまったこと、食料と水を持参していなかったことを悔やんでいた、、

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2012_0306_104756p1040334_640x480浜田さん父娘とタパチュラ空港2枚


 ほとんど定刻にアエロメヒコは飛び、メキシコの太平洋沿岸の飛行を楽しんだ、メヒコ着もほとんど定刻、国内線だから手続きも何もなく荷物を受け取って、さてどうするか‥?、まず考えていたのは空港近くに比較的安いホテルがあるはずだった、安いといっても、今までのように1000円以下というわけにはいかない、一応調べておいたのが500ペソくらいだったから3000円以上だ、最後の1~2泊だから仕方ないかと諦めていた、空港に近いということを優先的に考えてのことだった、、荷物さえおければ地下鉄を使ってどこにでも行ける、何なら一泊だけにして二泊目は夜半から空港内待機という手も使えそうだった、、そこは空港からに大通りを歩道橋で渡ったあたりにあるはずだった(今まで利用したことはなかった)‥、、が、どうもなんか様子が違う、いつもの、というか何度か利用したわたしの知っている空港ではない、案内表示にしたがって動くのだが地下鉄の表示がない、しばらくうろうろしてそこがいつもの空港ではないことに確定的に気づくまでだいぶ時間がかかってしまった、、まったく予期していないことだった、、メキシコ国際空港に国内便専用の第2ターミナルができていたことをまったく知らなかったのだ、しかも第1ターミナルへの行きかたがよくわからない‥、今わたしがどこにいてこれからどこに行けばよいのかということがわからなくなっていた、、つまりその第2ターミナルがいったいどのへんに位置しているのかがまったくわからなかったのである、、ま、普通の乗客ならそういう場合タクシー利用に躊躇しないだろうから、たいしたことではないかもしれないが、ハナからメヒコの場合は空港から地下鉄が3ペソ20円で利用できると知っていて、今までずっとそうしてきて今回もそのつもりでいた身にとっては、これは一大事だったのである、、なんとしてもタクシーは使いたくない、さりとて地下鉄も無理そう、いったいワレは今メヒコのどこにいるんだ‥ ! ?、、人の動きを見ていた、国内便の利用者すべてがそんな金持ちばかりではない、、タクシーを使わないメキシコ人もいるだろう‥??、ひとつの流れをつかむ、歩いて外に向かう人たちがいた、それについて行こう、、そうやって彷徨うこと1時間?ようやく飛行場の外に出、一般の路上にいた、が、それでもそこがどこかまだわからない、、そこにはそこから出てくる客を待っているタクシーが待機していた(許可制の空港タクシーでなく一般のタクシー)、、声がかかる、これ幸いにこの辺にホテルがないか聞いてみる、車に乗るよういわれたが、歩いていくからといってホテルの場所を再度聞いたら、10分くらいは歩くがこっちの方向へ行くようにと教えてくれた、ついでに近くに地下鉄の駅はないかと聞いてみた、、それも同じ方向に10分くらい行けばある、つまり地下鉄駅もホテルも同じあたりにあるらしいことがわかった、、メヒコの午後は結構暑い、それに荷物もあった、それでも悔しいから歩いた、10分以上歩いたような気がする、ようやく地下鉄の駅にたどり着いた、その場所は知っていた、、そこはわたしの頭の中にあった地下鉄の空港駅から二つ目、交通の要衝で、いくつもの地下鉄の乗換駅であり多くのバスの発着ターミナルとなっているパンティトランPantitlanというところであった、、

 ここなら交通の便がいいし安宿もあるだろうと思って探してみるが、それがなかなか見つからなかった、それに大きなバスのターミナルになっていて通りの向こうに行きたくても行けないのだ、何回地下鉄やバスの連絡通路になっている横断橋に上っていったり来たりしたか、疲れてしまって諦めた、なら地下鉄に乗ってソカロあたりまで行ってしまったほうが却って早くないか‥??、3ペソで行けるのだ、もっと早く気づいてそうすればよかったのだ、ソカロには前に泊まろうと思って空いてなくて断られたメキシコシティホテルMexico city hostelやそのとき紹介されていったカテドラルHostel Cathedral(カテドラルから見て一本後ろの通りには同名のカテドラルCatedralというホテルがあって、そこは中級ホテルだから少し高い)なんかがある、そこなら安いのは確実だった、、前回泊まれなかったメキシコシティホテルはドミがあいていた、一泊分180ペソ(1200円くらい?、どちらのホステルもドミなら13~15ドル)払ってそこに荷を降ろしたときすでに夕方5時半近くになっていた、、まったくなにやってんだ ! ?、最後にきてのとんだハプニングだった、、しかしそれですべての問題が解決したわけではなかった、、残りのペソが少なくなっていた、、明日になれば前に替えたことのあるBancomerが近くにあるので何とかなるのだけれど今日の夕飯が食えるかどうかギリギリだったのだ、、そのホテルの2,3軒隣に中華バイキングの店があった、、65ペソ(400円くらい)は安い、久しぶりの中華だ、何としても食いたい、その分はまだ残っていた、しかしビールは別料金だ、ビールのない中華バイキングなんて‥ ! ?、余裕があるときならなんら躊躇う理由はなかったのだが、使える金を持っていないということは少々卑屈にもなる、恥ずかしながら、その店に入ってまずビールの値段を聞く、25ペソ、飲める、しかしそうすると9ペソ(60円)しか残らない‥、それでも久々の中華バイキングとビールは他の何物にも換え難かった、もう入らないほど食いすぎてしまった、、

Mexico city hostelのフロントロビー2012_0307_123059p1040336_640x480

 そのホテルはソカロから1ブロックで立地としては申し分なく、また24時間ドアマンがいたし、インターネットが使えおまけに朝食付きだった、、世界のバックパッカーが老若男女問わず集っていたが日本人には会わなかった、、前回来たときはいっぱいですぐ近くのカテドラルを紹介したくれたのだけれど、似たような感じだったがどちらかというとわたしの好みからしたら次回もこちらに泊まりたい、ただし個室は極めて少なく(カテドラルも)あいている可能性はない、、そこにもう一泊する含みを持たせて、朝食の後(ここの朝食はバター・ジャム&パン・トースト、卵料理、コーヒーがついた上等のものだった、特にコーヒーがうまかった)BancomerでT/C50ドルを両替して、まず向かった先は昨日予定していた空港近くのあるホテルだった、、あるいはそこへ移ったほうが賢明か?、つまりそこからなら夜半でも歩いて空港にアプローチできるのだから‥??、その日一日は特に予定していたことがあるわけでなかったし、空港まで3ペソで行けるのだ、それに昨日の雪辱も果たしたかったのだった、、まず地下鉄の空港駅で降り、いつもの空港ロビーに立ち第2ターミナルの案内を探す、第2ターミナルへ行く連絡電車のマークがあった、、それに導かれていってみた、と、立ち入り禁止になっている、何のことはないまだ完成されておらず建築中なのであった、で、インフォメーションで聞いてみるとてなんでもシャトルバスがあるような説明だったが、それがどこから出ているのか無料なのかよく聞きとれなかった、、そういうことか、ま、明日はここからだからもうその心配はいらない、その件はそう納得して次に空港近くにあるというホテルを探してみた、歩道橋をわたったところにそれは確かにあった、、情報だけでも、と思って聞いてみるとシングル590ペソ、しかしその日の空きはないということだった、、かえってそれは迷わずにすんだということだった、、その時点でメキシコシティホテルに連泊することを決めた、一応朝ホテルのフロントで空港までのタクシー料金を聞いていた、130ペソとのことだった、2ヶ月前奥さんを送ったときのホテルからのタクシー代が170ペソだったからそれよりは安かった、、しかしもし流しのタクシーをつかまえればそれはだいたい100ペソくらいのものである(空港からシティへは許可車しか乗り入れてなくticket制で70ペソくらいか?)、が、深夜というか早朝?夜中の3時だと、つかまえるのも難しいし安全上の保証もないので、どこのホテルも独自の送迎車を抱えていた、130ペソはリーズナブルな価格だったと思う、それを使ったとしても、もう一泊分プラス180ペソだから310ペソ、それなら約半額ということではないか‥??、ということで空港ホテルの件もその時点で決着したのであった、、

 また地下鉄で、今度は別の路線(linea B)に乗り換えてホテルより北のほうの駅Lagunillaというところで降りてみた、、市場のような屋台がごちゃごちゃしている通りをぶらつきながらホテルに戻ってもう一泊分の支払いを済ませ、さてあと半日どうするかということになった、、ガイドブック等を持っていたわけでなく、特にいってみたいところもなかったが、一ヶ所だけまだ訪れたことがなく、しかも適当な暇つぶしができそうなところが残っていた、、で、また地下鉄に乗る、今度は2号線(linea 2)で乗り換えなし、前にクエルナバカに行くとき利用した南バスターミナルのあるTasquenaのひとつ手前、General Anayaというところで下車、そこから西方向に向かって歩き出す、、そこはコヨアカンCoyoacanといって、トロツキー博物館Museo Casa de Leon Trotskyやフリーダ・カーロ博物館Museo Frida Kahloがあるエリアだった、、他にも元チュルブスコ修道院だった国立介入(?、または干渉?)博物館 Museo Nacionl de las Intervenciones Ex Convento de Churubusco (intervencionは介入とか干渉といった意味だが、ここはアメリカの1847年における内政干渉に対するメキシコ軍の軍事要塞であったところからその名がついているのだと思われる)、国立音楽学校 Esucuela Nacional de Musica、市庁舎 Casa Municipal、サンフアン・バウティスタ教会 Ex Convento de San Juan Bautista、国立人民文化博物館 Museo Nacional de Culturas Populares、サンタ・カタリナ礼拝堂 Capilla de Santa Catarina、イダルゴ公園 Jardin Hidalgo、センテナリオ公園 Jardin del Centenario、コンチタ広場 Plaza de la Conchita、フリーダ・カーロ公園 Parque Frida Kahloといった公園やプラザ、博物館や学校、教会・元修道院などの名所・旧跡が多く残る、一種独特な雰囲気の漂う落ち着いた街並みが続いており、とっても感じのよいところであった、、トロツキー博物館はあまり興味がなかったので入場料を払ってまで入ってみる気はなかったが、さすがにフリーダ・カーロのほうは75ペソとちょっと高かったが見逃すわけにはいかなかった、、

上2枚、トロツキー博物館とMuseo Nacional de las Intervenciones2012_0307_133900p1040338_480x640 2012_0307_131520p1040337_640x480

Museo Frida Kahlo 以下3枚、ここの写真撮影は館内有料、館外無料であったから主に青の館をとる、、
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右 ; Museo Frida Kahlo 外(通り)から2012_0307_143324p1040347_640x480
2012_0307_144516p1040348_640x480左 ; Casa Municipal市庁舎、Jardin Hidalgoイダルゴ公園に面して建つ、下 ; Santa Catarina礼拝堂と前の公園
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 フリーダ・カーロ美術館は内外の観光客で大変な混みようであった、、そこに3,40分?、あとは一帯を流し歩いただけだったがそれでも3時間くらいぶらついていたか?、これでも短いほうかもしれない、というのはフリーダ・カーロ以外はほとんど建物の中まで入らなかったからだが、この地区と隣のサンアンヘルSan Angel地区(ここもmuseo博物館や美術館が多くあるところで、路上での絵画の展示販売などがあってArtな場所)を合わせるとほぼ一日コースのようだった、、そういえば奥さんと乗ってここまでは来なかったがメキシコシティ観光のTuribus ticketでこの両地区は回れるはずだった、、素敵なレストランも公園の周りにはたくさんあったが、貧乏老人の独り身には似合わないと思っていたので、いつものように通りのタコス屋で立ち喰いタコス、そしてまた地下鉄に乗って帰ったのである、、が、その地下鉄3号線Viveros駅で乗車の際にとんだドジをやってしまった、、入ってきた電車に階段を急ぎ足で下り飛び乗ろうとした際、警察官か駅員かに制止された、が、それを振り切って乗ってしまったのだ、そのときなぜ止められたのかがよくわからなかったのだが、次の駅を過ぎたあたりでようやく気づく、少し遅すぎたようだ、、わたしが飛び乗った車両が女性専用車両だったのである、、もちろん日本でのそれは知っていたがメキシコにもそういうのがあるのを知らなかったのだ、もしかしたらその路線だけだったのかもしれなかった、というのは他で遭遇したことがなかったのだ、またラッシュの時間帯でもなく電車内はガラガラであったのだから、ちょっと腑に落ちなかった、、が、さすがに恥ずかしくなって次の駅で降りた、、そうして地下鉄でイダルゴHidalgoまで出、残された案件は土産だけとなった、、といっても普通の土産はもう買っていく相手もなく、わたしの買っていく安物なんか誰も喜んではくれないのを知っていたから、そんなことで苦労することはなかったのだが、一人だけ、わたしの出迎えに一緒に来ることがわかっている3歳の孫には、なんか持っていかないわけにはいかない、それも決してメキシコ的である必要がなく、それでいて日本ではあまりお目にかかれないような子供向けのものを‥、、これがなかなか難問であった、、イダルゴからソカロにかけて歩きながら探したがそんなもの見つかるわけがない、、ソカロの一画でインディヘナが土産ものを路上販売しているのは前から知っていた、、そこで何かないかと物色していると、いろんなグッズがある中で安物のマラカスのようなものを見つけた、こんなものしかないかもしれない‥??、それに決めてすべてのことはカタがついたように思えた、、で、最後は豪華な夕食を‥、と思ってはみたがここでも適当なところが見つからなかった、というか先に述べたように独り身にレストランは似合わないという想いが強く(もうひとつはこれも前に言ったことだが、酒・ビールが飲めないところが多くて)、どうしてもそういうところは気が進まなかった、、となるとやはりタコス屋だ、あの釣り下がった肉の塊を切り刻んでタコスの具としてくれる、そして野菜いっぱい、サルサいっぱい、これがテイクアウトでも叶うのだ、それがまた驚くほど安い‥、そして7-11でビールを買い込めば安くておいしい夕食となる、しかもこのときは夜は使われていない朝食用の食堂テーブルが空いていた、、わたしにはそれで十分であった、、ひとつだけほしかったものがあった、、それはもう少し時間が早ければ見つけられたと思うが、探したのだけれどそのときは遅かったようだ、タパチュラでもグアテでもそこら中の路上で売っていたビールの大ジョッキくらいの大きさのプラスチックの器に入ったあのフルーツの盛り合わせ(10ペソ)であった、それがあれば完璧だったと思う、、しかしそれでもわたしは満足していた‥、、

2012_0307_163535p1040351_640x480左 ; Hidalgoから1ブロック、Palacio de bellas Artes 国立美術院宮殿 下 ; 再びソカロとカテドラル、カテドラルの右手あたりにいつもインディヘナの物売りたちがいた、、
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 朝の3時にアラームがなる前に起き、他の人の迷惑にならないよう荷物をいったんすべて表に出し、廊下のソファで着替えやら身支度を整え、3時半前に一階のフロントに行ってタクシーを呼んでもらった、、4時には空港に着いてまだ人気の少ないカウンターでチェックイン、余った時間をマックのテーブルでコーヒーを飲みながら過ごし、すべて順調だった、そして無事機上の人となった‥、というところで、このレポートを終わらせるつもりだった、が、不幸にしてというか、もう一回だけ書いておきたいことが起こってしまった、、それを記してこの旅物語を終わらせることにしたい、、