独歩の独り世界・旅世界

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グアテマラ国内の旅 13) 自転車おじさんとラゴ(Lago de Atitlan)へ

 およそ考えられる旅の手段として、最も過酷なものはたぶん徒歩によるものだろう、、おそらく旅の原点としてそれは昔から長い歴史を持ち、今でも巡礼のような形で世界各地に残されている、、わたしも四国88ヶ所を歩いて回るブランはずっと持ち続けているがいまだ実現に至っていない、、聞くところによるとそれが今では一番贅沢な方法だとか?、つまり徒歩巡礼するためには、誰にも容易に考えが及ぶように基本的な4つの条件がそろっていないと叶わないからだ、、①まず体力・脚力であり、②そのための時間、③もちろん野宿しながらという方法もあるがやはり莫大な費用が必要であろう、④わたしはこれが最も重要だと思うが、やり遂げようという意思、あるいは、何回か挫折しても(一度に回らなくても何回かに分けてもいいらしい‥?)いつかは達成しようという柔軟な心、つまり精神力、そのどれもが欠くことのできないもののように思えるのだ、その条件を満たせる人は確かに幸せな人かもしれない、、わたしなんか年とともに可能性が遠ざかっていくようで、残された時間が迫っている、、

 さて、次に過酷な手段が最もシンプルな文明の利器・自転車によるものだとずっと思っていた、、徒歩で世界を回っている人の話は聞いたことがなかったが、自転車による世界一周は何回か聞いていた、想像しただけでもそれはあまりにも過酷で自分には無理、やってみようとさえ思ったことのない世界であった、、それをやった人、やろうとしている人、やっている人を心底すごいと思っていた、、で、これまでに実際にはそういう人に出会ってはいなかったが、わたしが田代に戻った翌日、たまたま田代に現れたのであった、、

 が、その話の前にその中間(徒歩と自転車の間という意味)があったことを記しておきたい、それは今から10年近く前の話であった(手元にあるその本の発効日は2004年4月になっている)、、一冊の本を手にして唸っていた、そんなことが可能なのか!?そんな人がいるのか!?そんな旅の形態があるのか!?でも、実際その本はその人の旅の記録であった、、本の題名を‘走り旅’(山と渓谷社)といい著者は中山嘉太郎氏であった、、彼は中国西安からトルコのイスタンブールまで、なんと走り続けたのである ! !、、その本の表紙にはシルクロード9400kmとサブタイトルがついているが、彼はそのほかにも世界中を走って旅をしていた、にわかには信じられないことであったしそのとき受けた衝撃は大きかった、、その後の氏の活躍は知らないが、その日以来中山氏はわたしのひそかに尊敬する人になった、、

 その次に旅の世界で驚嘆と敬意を表さざるを得なかった人が、今回田代であったM氏である、自称‘畑おじちゃん(ブログ名?)’とかいってまったく飾らないその人柄も大変好感の持てる方であったが、何よりわたしを驚かせたのは、ひとつにはわたしと同い年であったこと、そして彼はなんとアラスカからここグアテマラ/アンティグアまで8ヶ月間かけて自転車でやってきたことであった、、もうそれを聞いただけでわたしは尻尾を丸めてしまった、、田代にいた誰からも親しまれ崇められたと思うが、決しておごらない愛敬のこもった人柄にみんな魅せられてしまった、、そんな彼と一日Lago de Atitlan(アティトゥラン湖)に行く機会に恵まれた、、

 アラスカからグアテマラまで約12,000キロといっていた、、それを8ヶ月で踏破したということは一月1,500キロ? その間はそれこそ山あり谷あり砂漠ありの世界だ、、基本野宿または民家に屋根を借りるといったスタイル、だから当然幕営用具一式、食料・水、自転車の工具・予備の一式、雨&防寒具等一切を積み込んだ自転車を、普通の人ではその重さやバランスの難しさで容易に操ることさえできないそうだ、また、彼はわたしと同じリタイア組で昔からサイクリニストであったわけでなく、定年を機に準備を始めたこと、もちろんこのあと南米へ、それからはそのときしだいでアフリカから世界一周に、、尽きることのない闘志と情熱を持っているようだった(それを表に出す人ではなかった、どこにそんなパワーが隠されているのか不思議なくらいだった)、飄々とした感じで決して気張らずに‥、いやはや、エライおっさんに出会ってしまった、、と、そのときは思っていた、、しかし悠揚迫らぬ生き方の彼は、しばらく休養も兼ねてこの地に滞在するという、で、この地の観光はバスかなんかで行くつもりだというので、それなら一度ラゴ(Lago 湖)までいってみませんかと誘ってみた、、たまたまその日予定がなかったのか気楽に応じてくれ、おっさん二人はチマル行きのバスに乗り込んだ、、

 そのときのわたしのプランは以下のようなものだった、、それまでにこの世界一美しい湖という謳われるLago de Atitlanは、その湖畔の村であるサンペドロSan Pedroに長期で滞在していたこともあって、周辺の村も含めて一通りは回っていたのだけれど、一ヶ所だけ未知のところがあった、、それはサンアントニオパロポという湖岸の村の山の上に位置するゴディネスGodinezという村で、なんでもLagoを見おろすミラドールmiradorつまり展望台があるとのことであった、、で、そこへの行き方として、そこもまだ訪れたことのない地であったが、チマルからバスでパツンPatzunにでて、そこからバスかミニバスが出ているかもしれないという、あまり当てにならない、かすかな情報を頼りに行ってみようというものであった、だから、その不確かな情報だが、たぶん日帰りできると思う、と断ってのラゴ行きとなったが、もちろん彼はそれまでにLago de Atitlanは訪れてはいなかったので承知してくれた、、チキンバスに乗るのも初めてだったので、その乗り方やチマルでの乗換えの場所その方法なんかを、もし今後改めてパナやシェラやチチに行くこともあるかと思って、一応の説明をしながらの道中となった、、

002_640x480Patzunの教会と市模様 005_640x480どこにもある公共の洗濯場

 チマルで待っていたときに最初に来たバスがパツン行きだった、、ラッキー、パツンまで5Q、それでも4,50分かかったか?、、折からパツンは市の日(火曜市)だった、、バスの着いたパルケセントラルは、たぶんこの辺はカクチケルだったと思うがインデヘナの物売りで埋め尽くされていた、、何人かに聞いたがゴディネス行きのバスはなさそうだった、、そんなはずはない、、そこで、わたしにとってはこの辺の市はどれももう同じようなものだったから、少し歩いて探してみるので、しばらくこの辺をぶらついててくださいとお願いして、周辺部の偵察にでる、、それほど大きな街でないから、だいたいのカンでしばらく行った辻に停まっているピックアップトラックを見つける、Godinesに行く?と聞いてみると確かにそうだという、客が乗っていなかったのですぐ出る気配はなかったが、一応もう一人連れてくるから待っててくれと頼んでパルケセントラルに引き返した、、そのピックアップは結局4,5人しか集まらなかったが11時半にパツンを後にする、いったん下って瀬を渡り、再び登って、まったく車の往来のない山道をトラックの荷台で風を切りながら、しかし素朴な山間の景色を楽しみながらの40分だった、、そのトラックはゴディネス折り返しなのだが、多少チップを払って展望台まで行ってもらった、、確かにそこは眺めのいいところであったが、もちろんそこに佇んでいたのはわれわれだけであった、、昼過ぎに着いて、その辺及びそこのすぐ下にあった小さな村パカマンPacamanへ行ってみたり、1時間くらいうろうろしていた、、その村の学校でちょうどカーニバル?の祭りかなんかで騒いでいる子供たちを見ながら、おじさんは楽しそうであった、、再び坂を上って展望台に戻ったとき、運命の出会い的偶然が待っていた、、一人のサイクリストがそこを通りかかった、、外国人であったが一見自転車旅であることがわかる、当然展望台での一休み、声をかける、ドイツの青年だった(といっても38歳だといっていた)、、お互いに旅人同士で情報交換が始まる、そのときおじさんは自転車でなかったが、英語はお手の物でどこから来たのかという話になって、自分も自転車旅をしていることを話す、それを聞いたドイツ人びっくりしてそれからはかなり突っ込んだ話しになっていった、、彼が驚いたのも当然だった、なぜならその自転車旅の出発地も、出発時期も経路もほとんどおじさんと同じだったからである、、ましてやおじさんのほうが何日か早くこの地に着いていたことになる、それも30歳も年上の日本のおっさんのほうがである ! !、、しかし、こんな出会いはお互い感無量だったと思われる、その労苦を分かちあえ解かりあえる特に過酷な旅の仲間同士である、、しばしその場で談笑しあっていた、、

011_640x480ミラドール展望台からのLago de Atitlan、左下に見えるのがサンアントニオパロポSan Antonio Palopoの村 015_640x480Pacaman村の学校とおじさん
018_640x480ドイツ人サイクリストとおじさん

 それまでに出会ったことのなかったサイクリストにこのとき一度に二人の本物に出会ってしまったことになる、想いははせても到底わたしの力では辿りつけない世界の人たち、それは羨ましくもあった、、今日はこれからパナPanajachelまで行くという彼を送り、われわれは歩いて街まで戻る、、ちょっとした食べ物屋で腹を満たし、再びパツンに行くトラックを待つ、が、これがなかなか来ない、ワゴン車が来る、がパツンへは行かないという、バスも来た、行き先はキチェになっている、これも見送った後でやっと気づいたのであった、、1ヶ月ほど前にマサテナンゴへ行った帰り、コカレスで帰りのバスを待っているときに何台か見送ったバスがキチェ行きだった、そうそれがサンルーカストリマンSan Lucas Tolimanの手前の分岐で右折してアグアエスコンディートAgua Escodidoを通って、ここゴディネスの街を通り抜け、その先で左折して国道1号にでてキチェに向かう、そのバスだったのである、、気づくのが遅すぎた、ならばさっき通ったワゴン車はラストランパスLas Trampasといっていたが、そのラストランパスというところが国道1号との分岐点ではないか?結局1時間くらい待って次に来たキチェ行きのバスに乗り込んだ、、ラストランパスは確かに国道1号との分岐で、そこにはグアテ行きのバスが待っていた、そのバスでチマルへ、そこで乗り換えて夕方アンティグアに5時半ころ、何とかアンティグアに戻れた、、もっと早く気づけばおじさんに迷惑をかけることもなかったのだが、いやな顔ひとつせずにわたしについてきてくれた、、

019_640x480Godinesのメインストリート

 果たしてこのone day tripはどうだったのか?、そしてその後どこでどうしているのか?、今頃はどの辺にいるのか?、彼のアドレスも聞いていたが、その後連絡はとっていない‥、、