独歩の独り世界・旅世界

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インドの旅 3)ハリドワールHaridwar

詳しくは知らないことだけれど、なんでもヒンズー教にはヴィシュヌVishnu派とシヴァShiva派というものがあるらしく、この古くからの聖地であるハリドワールもHaridwarという言い方はヴィシュヌ派の言い方であって、シヴァ派はHardwarハルドワールというんだそうな、、別にヴィシュヌ派でないが、わたしは最初に耳に残ったハリドワールを使わせてもらう‥、、

 さて、そのハリドワール、ここはとりあえず聖なる河ガンガ(ガンジス河)が、その源をヒマラヤに発し山間を流れ下って平地に出るあたり、ちょうどそのあたりに位置しそこを門(dwar)と称し、古くからヒンズー教徒の聖地とされてきたところだ、、その上流30kmのところには、これも詳しくは知らないがかつてビートルズが修行したとかで有名になったリシケシュという街がある、、日本ではあまりなじみのないこのハリドワールという聖地は、しかしインド人ヒンズー教徒にとっては、あの有名なヴァラナスィよりも、却って訪れる人が多いくらいのところで、それは実際行ってみて納得させられるのであった、、

 New Delhi駅6時50分発のShatabdi Expressは11時20分ころハリドワール着ということだけはticketをみてわかっていた、、逆にいうとそこはデリーの北にあって特急で4時間半のところということしか情報としては持っていなかった、、いずれにしろ午前中に着くらしいということはありがたかった、、その朝は、前の晩のビールがきいたか、あるいはよっぽど疲れていたかで、音のうるさいファンは消して寝たものの暑くて寝苦しいということもなくよく眠れて5時には起きていた、、駅には6時半に着けば楽勝だったのだけれど、ホテルにじっとしていてもしょうがないので5時半には1Fの受付フロアに雑魚寝している従業員をたたき起こして入り口を開けてもらった、、まだ人通りの少ない、したがって屋台もまだ出ていない昨日通った道を歩いて、発車の1時間前には駅に着いてしまった、、電光掲示板はその列車の発車が16番線からということを示していた、昨日体験したのと違ってホームへの入場は特に切符を見せることなく果たせてしまった、、16番線はその昨日すったもんだやったNew Delhi駅の裏口に最も近いホームであった、、まだその列車に乗る乗客もまばらであった、、そのうちに徐々に集まってきた乗客を見て気づいたことがあった、、そう、その列車の乗る人たちはいかにも上層・上流?の人たちであることが、そのいでたちで明らかであった、、それは乗車後わたしの周りの人たちの会話が、その後に経験したヒンドゥ語主体でなく、そのときは英語であったことからも察することができた、、わたしにしてみれば4時間半乗って400円のこの列車に上流も何もないという感じであったが、そこには歴然と階層差が現れているようにも思われたのであった、、しかしわたしを驚かせたのは、そればかりでなかった、、わたしは発車前に何か飲み物をと思って売店に買いにいったのだか、次から次に来るインド人の勢いに押されて何も買えずに諦め座席に戻っていた、そしたら発車してまもなく、一車両に一人か二人いるらしい給仕?あるいはボーイとでもいった方が適切か?そのものが全員に1リットルのミネラルウォーターのペットボトルを配りだした(そういえばその前に新聞も配っていたがわたしは断っていた)、そしてまたしばらくすると今度はティーバッグとお湯と菓子が配られた、またしばらくすると朝食が出た、そしてもう一回お茶のサービスがあったのだ、、いったいどうなっているんだこの特急は‥??、まさに上流階級の乗り物かもしれないと、そのとき思わずにいられなかった、、全車両エアコンつき座席指定朝食付の特急列車にシニア料金270Rs/400円で乗ってしまった、、いいのだろうか‥??

026_640x480New Delhi駅のホームで

028_640x480_3朝食を食べてなかったので、朝食サービスはありがたかった

030_640x480特急列車の車内の様子

 あまり快適だったのでもっと乗っていたいくらいだったが、定刻にハリドワールに着いた、わたしはそこが終点で全員そこで降りるのかと思っていたら誰も降りない、で、周りの人にここがハリドワール?と聞いたら、そうだという、わたし一人あわてて下車することになったのだが降り際にその人たちにどこまで行くのか聞いてみた、彼らは若者・中年の十数人のグループで仕事仲間のグループ旅行のようであったが、彼らはこの先の終点Dehradunというところへ行くとのことであった、、そういえばこの特急はDehradun Expressとも称されていた、、そこに何があるのかまでは聞けなかったが、その先にムスリーMussoorieといった避暑地があるので、たぶんこの人たちも避暑地に向かう上流階層の人たちだったのかもしれなかった、、が、あわてて降り立ったそこは、避暑地でもなんでもなく、デリーと変わらぬ炎熱の地であった、、

 列車を降りてまずしたことは、ちょっと信じられないような列車の旅だったので、帰りも同じ汽車に乗れないか聞いてみることだった、が、あいにく6月30日もしくは7月1日はそこのコンピューター上では空席はないようだった(あるいは昨日ticketをとったときに復路も聞いてみればもしかしたら取れたかもしれなかった??)、、ここの地図は持っていたガイドブックに簡単なものが乗っていたので、駅近にあるはずのバススタンドに行ってみた、汽車が無理とすれば帰りはバスしかない、、確かにバススタンドというかターミナルはあったが、そこには英語表記はまったくなくデリーに戻るバス情報は得られなかった、、次にホテルを探す、インドなかでも有数のガート(Ghat、沐浴場)付近にはインド人向けのホテルがたくさんあるようであったが、わたしは次の日にリシケシュに行く予定であったから、汽車にしろバスにしろ駅近のほうが都合がよかった、、駅前に安宿は何軒かあったがいずれもひどい代物であった、、つまり扇風機つきバストイレつきがせいぜいで450Rsといってきた、、何軒か当たったがだいたいそんな相場で、そのうちの一軒に荷を置く、シャワーを浴びてとりあえずガートに向かった、、

032_640x48050Rs/75円の定食 033_640x480みやげ物屋
036_640x480ガンガの水を汲んでいる人(遠くの丘の上あたりにMansa Devi Templeがある)
038_640x480バニアン?の木陰で寝ている人

  ガートまでは2km30分くらいの道のり?裏道の細い路地を行く、適当な飯屋を見つけて昼食、ターリー(Thali、定食)が50Rsで安くてうまい、、ガートが見えてくる、、ここはヴァラナスィと違ってガートが両岸に見える、というより中州があってその間を流れるGanga Canelの両岸にガートが作られているのだ、そして本流はさらに向こうを流れているようだった、、橋を渡って中洲のほうにいってみる、、まだそこはガートは作られていたがそれほどの混雑はなく、気ままに過ごすサドゥのような浮浪者のような人たちが、あるものは寝ていたりただ座っていたり、確かにバニヤンの木陰は心地よい風が通ってそれなりに気持ちのよい場所であった、、さらに歩を進めるとまた橋があったので街のほうへ渡りなおすとそこがモティバザールMoti Bazaarといって商店街なのだが、巡礼者用にガンガの水を持ち帰るための商品(真鍮製のつぼやプラスチックの容器)を扱っている店がやたらに多い、が、もうそのころには店を冷やかしたりする余裕はなくなっていた、、川向こうから見えていた丘の上にあるマンサデビ寺院Mansa Devi Mandirへいってみようかやめようか迷いながらも、そこへ登るリフトの麓駅までたどり着いた、しかし1時間待ちの表示、いや、若いころのわたしなら、いや、疲れてさえなければ、暑くなければ、見た目30分?どうあっても1時間もかかるわけのない高さ・距離なのでリフトを利用することすら考えなかったと思う、、しかしそのときは歩いて登るなんてことは考えられない状態になっていた、、が、1時間待つことなどももちろん考えもしなかった、そして歩き始めていた、ワンピッチで半分くらいのところまできた、すでにそこからでも下界の眺めがよくなっていた、、しばし休憩、そしてもうワンピッチ、この場合のワンピッチはせいぜい15~20分くらいだったと思う、、さらにもうワンピッチで丘の頂にある寺に着けそうだったが、その寺にあまり魅力を感じなかったので(いや単に限界を感じていただけかもしれない)、十分に下界が見下ろせたそこでもう諦めてしまった、、すでに脱水症状(いわゆる日本でよくいわれる熱中症?)に近かったのではないかと思われた、もちろんこれでもかこれでもかと水分の補給はしていた、、ようやくのことで下に降りてどこか休める場所を探していた、、一軒の茶店の前の手作りのベンチが空いていた、、そこで飲んだ一杯6Rsの火傷しそうなチャイのうまかったこと、たった一杯のチャイで数十分そこに座らせてもらっていた、、そこからハリキパイリHari-ki-pairiと呼ばれる、ハリドワールガートのメインスタンドなるところまではほんの十数分だった、、そこではすでに大勢の人が沐浴していた、、いやこれはわたしから見ると沐浴ではなかった、それはただの水浴びでしかない、、いわゆる神聖さはそんなに感じられない、、それでもみんながみんな喜悦して(うれしそうに、楽しそうに)水浴びしているのは、それは地表が暑すぎるからにすぎない、しかしガンガの水は信じられないくらい冷たかった、、沐浴が水浴びがどんなに気持ちがよいかが容易に察せられた、、間違いなく生き返る行為である、、それを沐浴と呼ぼうが水浴びと呼ぼうが、神聖視しようが単なる遊びとしようが、まさに必要迫らざる(止むに止まれぬ)行為なのであった、、それにしてもすごい人だ、、どうやらそれは今日が特別なのではなく毎日同じ光景が繰り広げられているようであった、、しかしわたしの元気はとうに尽きていた、、もちろん水浴びの用意はしていなかったから日陰でじっとその光景を眺めて休んでいるしかすべはなかった、、1ヶ所に1時間くらいずつ3ヶ所くらい場所を移動した、、そうやって夕闇を待った、暮れはじめるとどうなるのだろう??、、そのためにだけわたしはそこを離れずにいた、、暮れなずんできた7時ころからそのガートの中心と思われるあたりから、たぶんヒンズーの司祭数十名によると思われる祈祷が始まった、、その祈りは数十分間拡声器で流され続けた、、そしてガンガには灯明ののった小さな木の葉の皿が灯篭流しのようにいくつも流れていった、それがひとつのクライマックスのようであったが、それが終わっても昼間より一段と増えた沐浴客は帰る様子がなかった(入れ替わり立ち代りなのだが一向に減っている気配がなかった)、、もう十分だった、ガートで5時間くらい、そのほとんどは疲れきって座り込んでいたわたしはやっと腰を上げて、残る気力を振り絞ってやっとのことでホテルに戻った、、

039_640x480_2Mansa Devi Templeへの道の中腹から2枚042_640x480044_640x480流れが速いので沐浴は鎖につかまって046_640x480Hari-ki-Pairiのほとんど定点から3枚051_640x480052_640x480