独歩の独り世界・旅世界

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グアテマラ国内の旅 5)サラマ、エルランチョ、プエルトバリオス、そしてリビングストンへ

 ここではじめて明かすことだけれども、実はこの旅にはもうひとつの狙い(目的)があった、馬鹿馬鹿しいと笑われるのを承知で白状すると、わたしはこの旅でグアテマラの全県制覇を狙っていたのである、、どういうことかというとたとえば日本でも47都道府県があって、そのすべてに足跡を記した人はそう多くないと思われる(それはわたしも未達)、がグアテマラの場合、面積的にはそれほど広くなかったし、その数は22県だけだったからそれはそれほど難しいことではなかった、、しかしグァテの人にとっては経済的・その他の理由でそんなことを目指す人・達成した人はほとんど見当たらなかった、、また日本人は経済的には可能であったとしてもそんなことに意義を見出す人はこれまた皆無であったと思われた(実際のところどうであったかは知らない)、他の人にとってはつまらない・くだらないことであったかもしれないが、そのときわたしは達成間近なところまでいっていた、、具体的にいうと全県制覇、厳密にいうと全県の県都cabeceraに足跡を記すことを目指していたのだけれど、その時点で未だ訪れていない県はたった3ヶ所、Jalapa,Jutiapa,Santa Rosaの南東部3県だけだった、もちろんその3県もこの後訪れるつもりでいたが、そういうわけで、その日モンハブランカに出会えるか否かにかかわらず、バハベラペスBaja Verapaz県の県都サラマSalamaへはどうしても行かなければならなかったのだ、そこは観光地でなかったからほとんど旅行者の訪れることのないところであった、、

 その朝起きると、まだ6時半だというのにすでに十分に仲良しになったアンドレアがもう学校へ行く支度を整えて迎えの車を待っていた、学校はプルラにあるという、でも早過ぎない?と聞いてみると、スクールバスのワゴン車は遠い家から順にピックアップしていくからこの時間から待っていなければいならないとのことであった、で、まもなく来たスクールワゴン車?に乗って登校する彼女を送って別れを告げた、そういう毎日送り迎えのある学校のシステムに感心しながら‥、、

 早起きついでに朝食の前に昨日出会った公園前の駐車場にいってみた、7時開門なので当然ゲートは閉まっていたが、たぶん同じケツァールだと思う、すでに昨日と同じ木々をいったりきたりしていた、中には入れなかったがフェンスの外からその様子を眺め写真に収めた、が、やはりまだ暗かったのでその写真には色がでていなかった、、7時になっても門は開かなかったので(ということはそのときその場にはわたし以外誰もいなかったことになる、そしてまだ雨が降っていた)写真撮影は諦めて宿に戻った、、朝方はかなり冷え込んだが毛布をたくさんもらっていたのでよく眠れたし朝食にはパンケーキのリクエストをし美味しくいただいた、、幸いケツァールの写真も撮れ大変満足したこと、すっかりここが気に入ってしまったことを伝え、たった一日だったができたらまた来るつもりだと礼をいってご夫妻に別れを告げた、、

 コバン(Alta Verapaz県の県都)~サラマ(Baja Verapaz県の県都)間のミニバス(ワゴン車、ほかにコレクティボという言い方もあるが、どれが一般的かわからない、みんな通用するようにも思う)はしきりに行き来していたので、ほとんど待つことなしにサラマ行きが来た、、料金は10Qでビオトポからは約1時間の距離だった、30分くらいは山の中を行きグアテ・エルランチョ方面との分岐を右折して山を下りはじめ10時半にはサラマに着いた、周囲を山に囲まれた日本の松本を思わせるような盆地だった、、サラマのミニバスのターミナルのようなところに降ろされ、方角を聞いて少し離れていたパルケセントラルに向かう、ここは一泊するつもりだった、というのはこのあとのルートとしてグアテマラカリブ海側、去年行ってないプエルトバリオスとリビングストンを予定していたので、そこに行くのにちょうどよい距離がここサラマあたりと見計らってのことだった、、パルケセントラルまで5~10分のところを歩いていて途中にホテルがあったので聞いてみると80Qとのことだった、ま、小奇麗さからいってそんなものかもしれなかったが、念のためもっと安いホテルはないかと聞いてみると、教会の前の道を1ブロック行ったところに安宿があると教えてくれるのであった、、早速教会前のパルケセントラルを突っ切って教えられたホテルを探す、そこはホテルでなくhospedajeといって、ま、安宿といった意味?ランクとしてホテル以下を意味していて当然安く、また施設・設備も値段相応、トイレ・バスはついておらずベッドがあるだけ、地元の人にとってのビジネスホテルのようなものであった、、だからまず外国人は泊まっていない、しかしわたしはそんなホテルばかり泊まってきていたから、一泊だけならそれで十分であった、30Q払って部屋を確保し荷物をおいて早速街に繰りだした、、で、ここでのモンハブランカ探索模様については前に書いたので繰り返さないが、結局ここでもその出会いはなかったのだった(2/20記)、、そうなると逆に時間が余ってしまった、街をぶらついてて目に入った山の中腹にSALAMAという文字が書かれている丘に登ってみることにした、、ところどころで例によって犬どもに睨みをきかされて、恐る恐る100mくらい登ったか?まだ先があったがなかなか見晴らしがよかったのでそこに座り込んだ、先に書いたようにまさに典型的な盆地、暑くもなく寒くもなく人々も落ち着いた感じ、親切で物価も安いとなると、ここも住んでもよい場所のひとつに思えてきた、、実際そのあと下に降りて市場で食事した時のおばさんたちのあたりのやわらかさとかその値段の安さ(昼飯が5Qで食えた、今までで最安値)に驚かされるのであった、、少し残念だったのはおそらくここも先住民ケクチかポコムチの地であったと思うが、あまり伝統的な衣装を身に着けている人がいなかったこと、あるいはインディヘナの少ない地であったのだろうか‥?さらに時間が余っていたので銀行で両替をした、先日コバンでできなかったのでここにもBAMとBanrural両方あったが、Banruralで500ドルT/Cを替えてくれるか聞いてみた、そのときケツァルはまだ1週間旅するくらい残りがあったのだけれど、この先大きな街がなかったりするので早めにと考えていた、Banruralはレイトが悪かったり時間がかかったりしたが、後にここでの両替に助けられる状況が出現することになる、、ほんとに旅は先行き何が起こるかわからない、両替は早くしておくに越したことはない、という教訓となった、、ということで存外Salamaはいいところだったという印象が残った、、

086_640x480Iglesia el Calvario 087_640x480教会からの眺め
088_640x480Cerro de Salama
092_640x480Minerva090_640x480Salamaの丘からの眺め

 翌朝まずバスでエルランチョEl Ranchoに出る必要があった、、てっきり昨日着いたミニバスターミナルからバスが出ていると思ってそこまで歩いていくと、この時間はエルランチョへはミニバスはない、グアテ行きのチキンバスがパルケのところから出ているから、それで行くようにと教えてくれ少し戻る羽目になった、、幸い動き出したバスがグアテ行きで何とか間にあう、昨日の曲がった分岐までバスは登って、そこを右折、後は山道を少しくだり気味に行く、この道は前に通ったことがあってなかなか快適な&景色のよい道であったが土砂崩れ・がけ崩れの跡があちこちにあったり、天気も雨だったり霧だったりで運転する人にとっては楽な道ではなさそうであった、、エルランチョまで20Qといわれたがミニバスなら15Qのはずだと交渉して15Qに負けさせる、まったくここ(グアテ)のバスの値段はわからない、しかし1時間10分くらいの距離だったから20Qは明らかに不当と思われた、ダメもとで文句はいうべし、である、、

 エルランチョは国道CA9号線 — グアテマラの国道の中でもグアテ市とカリブ海の港プエルトバリオスPuerto Barrios(とTical/Flores)を結ぶ最も重要な道のひとつ — 上にあって、コバン方面への分岐点となっている、いわば交通の要衝、街道村といったところ、だからどんな急行バスも必ず止まるところであった、、何度かこの街道は通っていたのでここも何回か通過していたのだけれど降りるのは初めてであった、面白いのは街ではなかったからバスターミナルがあるわけでなく、ま、バスストップがあたりに屋台・露店がたくさん出ていていつも賑わっていた、、だからその時もグアテ行きのバスを降りてプエルトバリオス行きのバスが停まるあたりまで歩いていき、その辺の屋台のテーブルに腰を落ち着けコーヒーだけ頼んでバスを待った、、どんなに待ったとしても1時間以上待つことは考えられなかった、プエルトバリオス行きは最低1時間に一本、それも数社が運行していると思っていたからだ、が、いくら待ってもプエルトバリオス行きのバスはそこに停まらなかった、この路線はみんなプルマン型のバスである、一番多く来たのはチキムラ方面行きのRutas Orientales社のバス、あとはペテン方面へ行くFuentes del Norte社のバス、どういうわけかこの路線の覇者Transportes Liteguaのバスが一台も来ない、まさにプエルトバリオスはリテグアのホームグラウンドだったのに、、気がつくのが遅すぎた、、いや、まさかそんなことがあるはずないと思っていたので誰にも聞かなかったのだが、リテグアはここにオフィスを構えていたのだった、、1時間待ってもバスは来なかったので、おかしいと思ってはじめてその付近をうろついてみた、そしたらなんと少し離れたところの反対側に、つまり上り車線にリテグアのオフィスがあるではないか、プエルトバリオス方面の下りのバスもすべてそちら側、つまり反対車線のオフィスの前から発着していたのであった、、ある意味さすがリテグアであった、すべて電算管理だったのですぐに次のバスを予約した、、8時すぎにはここエルランチョについていたのに、結局次のバスは10時とのことであった、、知らないことによる損失は1~1,5時間にもなった、、しかも10時発予定のバスは20分ほど遅れて到着、でプエルトバリオスに着いたのは14時半であった、、(ちなみにこのトイレつきデラックスバスの料金は43Qだった)

2012_0216_073617p1040192_640x480Litegua グアテのターミナルで

 リビングストンへ渡る船着場はプエルトバリオスのリテグアのオフィスから3ブロックほど戻って右折して3ブロックほど行ったところにあった、そこまで歩いて15分くらい?、道は広く大きな街であることはバスの中からも窺われた、ここは重要な貿易港だったから街に入る手前、国道の両側はコンテナや大型トレーラーの基地がつづいていた、、だから人々の感じも今までのグアテマラと少し趣を異にしていた、それはリビングストンに行くボートの船着場ではよけい顕著であった、、褐色の肌のガリフナ系も結構いたし、どことなくそこにたむろしている連中はみんな擦れた感じであった、、まずニグロ系がやってきてリビングストンへは乗り合いボートがある、一人50Qだといってくる、たしか35Qのはずだが、というと17時発の定期船なら20Qだと教えてくれた、、それほど急いでいたわけではないので2時間待つことにした、そのうち一隻の大きな船が入ってきた、それまでその辺に舫っていた乗り合いボートはアトティラン湖のボートより貧弱なもので、あれで雨の中外洋を行くのはなんとも気が進まなかったが、それの5倍くらい大きな見るからに頑強そうな船だった、、聞くとそれが定期船とのことで、どんなに安心したことか、2時間待ちも苦にならなかった、、その間波止場近くの食べ物屋でビールを飲みながら時間をつぶす、天気がよければもっと気持ちのよいところのように思えた、、この定期船はでかくてがっしりしている分、物資の輸送船でもあった、、雨の中桟橋では荷の積み込みに、当然人海作戦だから荷役が忙しく働いていた、その間客も乗船して出航を待った、物資の量は半端でなかった、それが陸の孤島へ渡ることを実感させた、客は2~30人乗っていた、定時に出港した船はあいにくの天気で結構揺れたが、もう真っ暗のリビングストンの船着場に18時半着、1時間半の船旅だった、出迎えも多くほんとにどこかの島についたような感じであった、、

093_640x480097_640x480095_640x480098_480x640100_640x480写真上から、リビングストンの船着場、遠望はサントトマス港Puerto Santo Tomas Castilla、その下左;リビングストンからやってきた定期船、右;積み込まれた物資、その下;船室の乗客