独歩の独り世界・旅世界

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2019の旅 ハラバコア Jarabacoa 

  たぶん知っている人は知っているだろうが、あまり知られていないドミニカ移民の破綻についてここで少し触れておこうと思う。といってわたしはそういった問題の専門家でもないし、すでに60年前の話である。わたしもずいぶん昔に聞いていたのだが、その顛末はどうなったかについてドミニカに行くことになった際に一応調べてみたのだ。事の始まりは1956年から1959年にかけて日本政府が募集したドミニカ共和国開拓移民募集にあった。当時はまだ戦後の復興の時期にあたり、そこでうたわれた“カリブの楽園”で“無償の土地譲渡”といった文言に魅せられて3年間で合計249世帯1300人余りが移住したのであるが、実際現地に赴いた彼らを待っていたのは、耕作不能地をあてがわれ、開拓はおろか日々の生活も成り立たない場所・状況に放り出された過酷な現実であった。約束が違うという訴えに対しても何ら耳を貸さなかった日本の現地政府機関の対応、窮状を見て見ぬふりしてその場を繕い続け、何ら支援も対策も怠った日本政府の無策・無責任問題のことである(よって政府主導の移民でなく棄民といわれた)。彼らの苦悩と悲惨をいつか何かで知ったのだけれど、その後どうなったのかは知らずにいた。彼らは1961年から約束不履行を訴え続けてきたが何ら進展は見られず40年の時が流れ、2000年に集団で国を相手に訴訟に踏み切り、そのあとようやく15年くらい前に(2004年)当時の小泉首相の英断をもって一応和解に至っていたことを遅ればせながら今回知ったのである(迂闊にも知らずにいたのだ)。しかし、そこに至るまでの日本政府の対応たるや、募集自体が詐欺も同然、それがとんでもない実態と知らされてもその対応のお粗末さというか無責任極まるお役所仕事というか、いずれにしろひどすぎる移住行政には全く呆れてしまうばかりだ。騙され、死地を彷徨うご苦労を背負った方々に深く同情するのである。それでも、その後ほとんどの方々は引き揚げたり、また他の南米等の移住先に転地されたようだが、一部の方はそのままドミニカに残られたとも聞いた。そして彼らおよびその子弟・子孫たちは今やドミニカ共和国の様々な分野で活躍されているとのことであった。わたしは実際彼らに会うことは叶わないと知りつつ、せめて残られた日本人の方々の拠点の一つになっている街を訪ね、そこに造られているいう日本庭園をこの眼で見てみたいと思ったのだ。その街の名をハラバコアといった。が、どうやってそこへ行けばいいかはわからなかった。そこはgoogleで見た限りではサンチャゴから近そうだった、もしかしたらサンチャゴに行けばそこへ行くバスがあるかもしれないと思ったのが、わたしがサンチャゴにいったもう一つの理由だった。では、もう一つの理由は何だったのかというと、それは単純にサントドミンゴ(歴史地区の)見物が思ってたより簡単に終えられたので、時間的な余裕ができ他の街にも行ってみたいと思ったのだが、やはりこの国の第二の都市であり、コロンブスが最初にたどり着いた時に住民聞いた話のなかに内陸の情報があってそこがシバオという地名であった、そのシバオというのが現在のサンチャゴあたりのことで、いや現実にいまでもその地名は使われていたのである。で、先のハラバコアと結びついてサンチャゴにいくしかないと決めたのだ。だから当初は行けたら行ってみようとは思っていたが、前回書いているように実際に決めたのはサントドミンゴに来てからのことだった。前日airbのホストYvesの車で彼の家に着いてから、買い物に出た際に、まずEspinalの営業所に出向いてハラバコア行きのバスはあるか聞いてみたが、Espinalはそこの路線は走ってないとのことだった。もう一つのバス会社Caribe ToursのターミナルもYvesの家から近かったので、そこで聞いてみるとサントドミンゴ行きのバスでベガ Conceptión de la Vegaというところまで行ってそこで乗り換えていけると教えてくれたのだった(何時のバスで行くとうまく乗り継げるのかまでは聞かなかった、後から知ったことだが、ハラバコアへ行くバスはCaribe Toursしかなく、しかもそれはサントドミンゴ間を日に4往復しているだけであった。それを先に知っていればこの計画はもう少し変わったのだが、それは追々わかってくる)。

Caribe Tours のターミナル

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 で、サンチャゴ二日目の朝、想いもかけず朝出かける前にリビングのテーブルの上に朝食の用意があった。何も言われてなかったし、Yves氏も在宅しているのかどうかわからず、わたしが食べていいのかわからないまま、もちろんいただいてしまった(パンとオムレツと牛乳が置いてあったのだ)。わたしはそこに2泊の予定でいたから、そのまま鍵をかけて出かけた。Caribe Toursのサントドミンゴ行きのバスは1時間に一本くらいあって次のバスは8:40(8:30発が遅れてたのかも?)とのことだった。10分待ちくらいでバスは来てベガまで100ペソ、9:30にベガのターミナル?というか営業所に着いた。そこまでは順調だったが、そのときはまだハラバコア行きのバスは日に4本しかなくてサントドミンゴから来るバスだということを知らないから、結構本数はあるのかと思っていて、営業所の人に次のハラバコア行きは何時と聞いたら11:30とのこと、2時間待ちであった。2時間は待てない、他に何か方法はないかと聞くと、街までいけば乗り合いがあるような話しだった(うまく聞き取れてないのだが)。街はどっちでどうやって行くかのか?とりあえず方向はわかったので歩き出す、営業所の人の話がよく理解できてなかったから、しばらく歩いて通りすがりの人にハラバコアはこっちでいいのか聞いてみると、親切な人で間違いはないが、といってやってきたバイクを止めて何か話してくれ、これに乗れと言ってくれたのだ。わたしは勘違いしてもしかしたらそのバイクのおじさんがハラバコアまで連れてってくれるのか思って値段を聞くと50ペソとのこと。ハラバコアまで連れてってくれるとしたら安すぎるとは思ったが、なりいきでそれに乗る、10分くらいで街中の乗り合いのシャトルのターミナルに連れてってくれた。今から思えばこれもわたしの早とちりであったのだが、ハラバコアまで連れてってくれるものと思い込んでいたから街中まで50ペソは高すぎると文句を言う、結構大揉めとなったのだが、このバトルもわたしに勝ち目はなかった、なんとなればこの交渉はわたしが直接したわけでなく、また状況及びこの辺りの地理について全くわたしは理解しておらず、かなり勝手な思い込みで文句を言っているにすぎなかったからだ。その間に人数が集まり次第出発していたシャトル(10人乗りくらいの乗り合いワゴン車)を一台逃し、ようやくなだめられて次のシャトルでハラバコアに向かう、ま、恥ずかしながら知らなかったとはいえ、やはり庶民の足はあったのだ。で、そのシャトルは山に向かって登って行ったからハラバコアまでは40分くらいかかって100ペソだった。しかしありがたかったのは、そのドライバーに日本庭園があると聞いてるがそこへ行きたいのだと話すと、ま、それがこういうシャトルいいところで、そこまで連れてってくれて(たぶん誰でも街中の希望の地点までは届けてくれたのかもしれない)バスだったらターミナルから場所を聞きながら歩いて探したことを思うと、ほんとに助かったのだ。おかげで街の様子は車中からつかんでいたので、しばらくその公園にたたずんで写真を撮らせてもらってから、街の中心までは歩いて戻れたのだった。そしてまずCaribe Toursの場所を聞いて、そこまでいって次のバスの時間を確かめる、その時初めてこの路線は日に4往復しかないのを知り、次のバスは13:30で、それはちょうどいい時間だということも知ったのだった。が、先に言ったように、もしもっと早く知っていたなら、そのバスでサントドミンゴまで帰れることもできたということで、つまりサンチャゴに2泊する必要はなかったということだった。サンチャゴ~ベガ間の往復代とその時間が無駄になったということだ。情報不足あるいは情報収集に関してはドミニカはだいぶ失敗していて、そのためにスケジュールがいまいちきちっと(ぴったりと)決まらなかったのを少し悔いた。Caribe Toursのオフィスに着いたのがちょうど12時ころだったから、1時間くらい小さな街ハラバコアをぶらついて昼食をとる時間があった。13時ころから待機してて乗客はけっこう多いことを知ったが、ベガで降りた乗客は少なかった。Caribe Toursのバスもベガまでは100ペソで、時間もシャトルと変わらなかったが、わたしはその間ずっと眠ってしまっていた。ベガでの乗り継ぎはうまくいって10分待ちでサンチャゴ行のバスがきて15:30にサンチャゴ着。ハラバコアでも少し雨に降られたが、サンチャゴでもスコールのような雨に見舞われる、雨宿りしつつ、買い物しつつ(ビール、パン、つまみ、要は夕食用)Yves宅に戻った。

街の一角にあったハラバコアの日本庭園

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ハラバコアの街

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f:id:dopponotabiroku:20190803184419j:plainParque Central ↑と市庁舎?↓(雨上がりに写す)

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ハラバコアのCaribe Toursオフィス

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サンチャゴに着いて雨上がりに少し歩く

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Yves氏宅(車の置いてある真ん中の家)と前の通り(Calle D、次の日写す)

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 Yves氏宅の周りは普通の住宅街でお店もなく、面白そうなところもなく、シャワーを浴びてからは外出もせず、酒を飲みながら日本のairbとの連絡やマイアミのホストへの連絡等々、そんなんでその日は早めに就寝、おかげで次の朝は3時半には目を覚ましてしまう。それでもなんだかんだやってて7時半にYves氏が起きてきたのでお礼を言って辞去した。まずは近くのCaribe Toursに行ってサントドミンゴのバスの時間を聞くと、その時は出たばかりだったようで次は8:30とのことだった。1時間近くも待ちたくなかったのでEspinalへ行ってみると8:00発のバス乗れたのだった。ticketを買うときにセニョリータに、確か来るときに新市街にも何ヶ所か停まったいたが、どこか地下鉄の駅に直結しているバス停はないかと聞いてみた。言ってることが通じたようで、ヌメロヌエベnumero9(No.9というバス停)で降りるよう教えてくれた。そこまでは約2時間半、10時半にnumero 9というアナウンスがあってかなりの乗客がそこで降りた、わたしも後先わからずそこで降りてみたのだった。ま、時間が早かったこともあるが、そのときわたしはその近くにサントドミンゴの植物園があるのではないかと賭けてみたのだ。というのは、そこで降りるまではその地下鉄駅はなんていう駅なのかは知らなかったのだが、もしその地下鉄駅がMaría Montez駅ならば、スペイン広場でもらった地図には、その近くに植物園があったからだ(そうでなかったとしてもその地下鉄駅から、Maria Montezまでいけばよかったのだから)。わたしがその植物園に行ってみようと思ったのも、やはりそこに広大な日本庭園が設えてあるという情報を持っていたからであった。で、早速地下鉄の出入り口を探してそこが思ってた通りMaría Montez駅だったことを知り、正解だったことに気をよくしたが、ではそこからどうやって植物園まで行くかが次の問題となった。その地図によるとそのMaría Montez 駅からだとそこまでは3kmくらいあったが、二つ先の駅Francisco Gregorio Billini駅からだと少し近くて2kmくらいだった。ならばサントドミンゴの地下鉄試乗を兼ねてそこまでいって、そこからなら歩けるだろうと思って窓口にticketの買い方を聞きにいく、そのときに植物園に行きたいのでFrancisco Gregorio~駅のticketをくれといったら、その窓口の女性が、それならアリバ(arriba 上の意)からシャトル(乗り合いワゴン)が出ているからそれでいけると教えてくれたのだ。それがあるならそれに越したことないと再び地上に出たが、そんなおんぼろワゴン車はやたらと走っててどれに乗ればよいかがわからない、来たワゴン車に片っ端から聞いてみるしかないかと最初の車にJardín Botánico?と聞いてみると一発命中で乗るように言われる。誠にラッキーで労せずして15分25ペソで植物園の入り口に着いていた。が、今度はそこの入場料の高さにしり込みする、250ペソは高すぎない?と思ったがここまで来て帰るのも癪だからと思って払った。そこは広大なエリアで、そのころは気温も上がっていて日本庭園まで30分くらい歩くことになる。そしてそこに建てられている四阿でしばしの休憩となったが、ま、よくぞこれだけのものを拵えたものだと感心するほど立派な庭園であった。が、ま、その日は平日だったこともあって植物園全体にほとんど来場者はなく、日本庭園もわたし一人での鑑賞だったのである。

国道1号線は片側二車線で、よく流れている

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numero 9のバス停

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左の円形の建物が地下鉄の入口

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ワゴン車(シャトル?)の往来はひっきりなし、地下鉄駅に入ってみる、、

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Jardín Botánico 植物園

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この四阿でしばらく休む

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 写真を撮ったりして、その日本庭園しか訪れなかったにもかかわらず一時間以上そこで費やしてしまう、そして通りに出て今度は地下鉄駅に行くシャトルを待つ。やってきた車のドライバーに、地下鉄駅と聞くと乗れといわれ、来た時よりも早く駅に着いた(10分20ペソだった)。ま、どこでもよかったのだけれどそこがFrancisco Gregorio Billini駅だった。先にこの駅からなら歩けるかも?と数時間前に思っていたところに降り立ったわけだった。さて、そこからどうするかは全くあてはなかった、というか何も予定はしてなかった。この際だから新市街をもう少し歩いてみようかと思ったのだが、もらった地図は旧市街については詳しかったが新市街の情報は全く載ってなかったのだ。だからあてずっぼになった、後から降りる駅を一つ間違えたか?と後悔することになったが、その時は4つ先のJuan Ulises Garcia Saletaという駅まで行ってそこで降りてしまったのだ(その時の地下鉄代は35ペソだった。結局次の駅まではいかなかったのでその辺のことはわからなかったが、次の駅辺りが新市街の中心だったのではないかと思われた)。そこから地上に出て歩き始める、12時半ころだったと思う。その駅の近くがスポーツ公園のようなところで、スタジアムやスポーツ施設の整っている広大なエリアを左に見てその脇道を南下、次の大通りを左方向に行くと、大きな交差点に出る。その辺りも中心のようにも思われたので、その歩道橋から写真を撮ったりして、少し休みつつさらに歩く。いや、暑くて疲れてきてその辺からはバスでも乗り合いワゴンでもいいから旧市街まで行く乗りものに乗りたかったが、そちらへ行くワゴン車はひっきりなしに来るのだけれど、たぶんだから?声をかけて聞いてみる気にならなかったのだ。で、次に、これは新市街の見どころとして地図にも載っていたPlaza de Cultura 文化広場まで来た。そこは国立劇場、人類学博物館、近代美術館、自然科学博物館等々、ドミニカのカルチャーの中心的場所だったが、そこも疲れすぎていて中まで入ってみる気を起こさなかった。それでもさらに歩き続ける、数ブロック先にドミニカ共和国大統領府Palacio Nacionalがあるはずだったからだ。そこまで2時間くらい歩き続けていた、やはり暑さが疲れを助長して体力気力とも限界に近かった。大統領府を過ぎたあたりで突然街の様子が変わったことに驚く、それまでの整然と整った高級住宅街だった街並みが、急に庶民的というかごみの散らかる低所得者層住宅街に極端に変わったのだ。ちょうどその辺りが新市街と旧市街の境目あたりだったようだ、が、それにしてもそれが大統領府から大して離れてないところだったから余計驚きだったのである。そしてわたしは少しホッとするのである、わたしが親しみを感じている街はこちらだったからである、しばらく行くと露店が出てきた。疲れと空腹もあって了解を得る前に路上の椅子に腰かけていた。そして昼食を注文し水を頼んだが、水はなかった。そこの娘、まだ4,5歳くらいの女の子が近くのお店で買ってきてくれ少しお駄賃をあげる。そこの食事のうまかったこと、ドミニカに来て一番の(安くてうまい)食事となった。その場所はすでにLidiaの家に近かったのだ。そこで少し休ませてもらってから数ブロックいくと見覚えのある通りにでた、プラプラ歩いていくとなんと買い物中のLidiaに出会ったのだ。彼女がカギを持っているので、わたしは彼女の買い物に付き合う、そしてドミニカコーヒーのおいしい店を教えてもらう、そうやってサントドミンゴ旧市街の彼女の家に戻ったのは夕方の15時半ころであった‥、、

 地下鉄 Francisco Gregorio Billini駅

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地上に出て街ブラ

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スポーツ公園入口?

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地下鉄1号線 ProfesorJuan Bosch 駅入り口、この辺もサントドミンゴの中心の一つかと思われ、歩道橋になっていたのでそこから何枚か写す

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 ↓ 歩道橋から北方面

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↓ 歩道橋から西方面(右にスポーツ公園)

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歩道橋から東、つまり旧市街方面;2枚、ここから乗り合いワゴン車で帰りたかったのだが、うまく捕まえられず、、

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歩道橋から南へ、Barcelo Hotel

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国立劇場

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museo nacional de historia natural 自然科学博物館;4枚

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この辺りにMAM museo de arte moderno近代美術館があるのだけれどこの建物かどうか不明

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Palacio Nacional 大統領府 ;2枚

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大統領府から少し歩くと庶民の街になりstreet foodを見つける、このlunch boxは50ペソ(110円、豆ごはんとバスタとお肉と野菜)、コストも味も最高だった ! !

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