独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

2019の旅 最終回 サントドミンゴ~マイアミ~帰国 

 今年の2月からの中南米5週間の旅を何回かに分けて記してきましたが、また、最初からこの旅録はいろいろな障害に見舞われて、一時は書き続ける気力も失せてしまったことなどいろいろありましたが、ようやく最終回までこぎつけました。ま、いつもながら中身は大したことないのだけれど、ともかくここまでお付き合いしてくれた方にはほんとに感謝です。いつも申してますように、ほとんどだれも読んでくれていないことはわかっていても、それでもどなたかが読んでくれてるかもしれないと信じることで励まされてきたわけですから、一応のけじめはつけなければと思っています。ただ、今回で終わりになりますが、最終回はほとんどネタも尽きていて(というかもうほとんど忘れてしまっていて)写真も飛行機からの写真が多くなったりしてカッコがつかなくなりました、ま、そういう意味では一応無事戻りました、という報告だけになりそうですが、ごめんなさい、あしからずです‥、、

 

 サンチャゴから戻った日(3月12日)、Lidia宅についてシャワーを浴びて荷の片づけをして少し休んでから再び街へ、というか少し彼女の家の周りを散策した。その日キューバからの女性が二人宿泊しているとのことだったがその時は会わなかった。先ほど教えてもらったコーヒー屋にいって持ち帰り用のパックを二つ作ってもらって、その辺りの商店街をぶらぶらしてお土産になりそうなものを探したが、何も見つけられなかった。ま、ドミニカのお土産としてはコーヒーが一番よさそうだった。Lidiaの家からそれほど離れていないところに古い教会やら城壁の跡が残っているのを知ったのもその時だった。その教会はいまだに現役でミサも行われているようだったが、古い城壁は今の住人とは直接的な繋がりがあるわけではないから、それらが歴史的遺産として受け継がれているといった風には見えなかった。が、明らかに彼女の家も含めてそのあたりは旧市街の城壁内にあったということだった。1時間くらいぶらついてLa Sirenaで例によってビールだとか夜食のつまみを仕入れて戻ると、何やら珍しく宴が開かれていた。Lidiaの親戚の人と聞いたが、年配の男性と若い女性、そしてキューバ人の若い女性(この二人はその日のゲスト)が居間で談笑していて男性はお酒も入っていた模様、Lidiaの手作りの料理が並べられていた。わたしも仲間に入るよう誘われたが、さすがにスペイン語の会話にはついていけないので、挨拶してほんの短時間だけ顔を出して、ちゃっかり料理だけご相伴に与った(チチャロン - 豚肉 - 、ユカイモの天ぷらのようなもの)。

 

すぐ近くにあったSan Miguel教会;3枚

f:id:dopponotabiroku:20190804091808j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804091820j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804091907j:plain

Lidia宅(上の写真の路地の右側)の前の路地を来るとこの城壁跡がある

f:id:dopponotabiroku:20190804091920j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804091939j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804091950j:plain

 

 3月13日のフライトはサント・ドミンゴ発13:42だったので、少し余裕をもって11時には空港に着いておこうと思って、逆算して10時半にまたJonathan君に迎えに来てくれるようLidiaにお願いしてあった。それまで少し時間があり、7時に朝のコーヒーをいただいてから(毎朝いただいていたドミニカコーヒーは案外おいしかった)、また少し街に出て、まだ歩いてない方向へ行ってみた。それは最初に旧市街を歩いた時に目にしていたたぶん歴史的にも重要だったと思われるRio Ozama オサマ川で、そこにかかるPuente Matías Ramón Mell 三人の英雄の一人メリャの名前が付けられているラモン・マティアス・メリャ橋だった。そこまでいくには信号のない大通りを渡らなければならなかったりして結構危険がいっぱいであったが、橋の途中辺りまで行って写真を撮って引き返した。一時間くらいして戻るとドミニカの典型的な朝食を作ってくれていて最後の朝餉をいただく、それは基本はバナナ(platano verde熟れてないバナナ?)でそれをすりつぶして玉ねぎのみじん切りとチーズ混ぜて捏ねて焼いたもの?、それに目玉焼きとサラミがついていて、ボリュームがありすぎて全部は食べきれなかった。そうこうするうちにお別れの時が来た。時間通りやってきたJonathanに写真を撮ってもらってLidiaに別れを告げる、お互いに抱擁で涙ぐんでしまった。大して立派な家ではなかったが、まさに温かさがあった、思い出の地となったのであった。

 

街の乗り合いワゴン車はいろんなタイプあり、しかし我々はなかなか乗れない

f:id:dopponotabiroku:20190804092157j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804092212j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804092729j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804092756j:plain

これはまた別の会社の大型バス?

f:id:dopponotabiroku:20190804092229j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804092244j:plain

Mella橋に向かう(歩道がなく厳しい道)

f:id:dopponotabiroku:20190804092300j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804092314j:plain

橋から河口及び橋下の下街

f:id:dopponotabiroku:20190804092340j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804092635j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804092647j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804092700j:plain

街の様子f:id:dopponotabiroku:20190804092743j:plain

ここはLa Sirenaのバイクタクシー溜まりf:id:dopponotabiroku:20190804092812j:plain

Lidiaが作ってくれたドミニカ風朝食(わたしにはフルーツが何より)

f:id:dopponotabiroku:20190804093347j:plain

Lidia宅には絵が多く飾ってあった

f:id:dopponotabiroku:20190804093359j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804093424j:plain

お別れの記念写真

f:id:dopponotabiroku:20190804093828j:plain

 

 やはり11時には空港について、その分として確保していた車代1300ペソとtipとしてちょうど1ドル分の小銭51ペソがあったので全部彼に渡してチェックイン、そこまでは何も問題がなかったのだが、そこのセキュリティは最近経験したことのない厳しさにびっくりしてしまった。もしかしたら特に狙われたのかもしれないが、荷物検査の機械は何も問題なかったはずだが、そのあと三人(若い軍人)がかりで荷物を全部調べられる、そしてどういうわけか次のものが没収になったのだった。粉石鹸と固形の石鹸、蚊取りスプレー、一番高価なものとしてはちょっとデザインが気に入っていた折り畳みの傘、あと雑多なものが少し(もう覚えていない)、ともかく説明なく有無を言わせない態度での没収には少々ショックを覚え、それまでのドミニカの好印象はいっぺんで(もちろん彼らに対して)憎悪に変わった。ま、いずれにしろ大した損害ではなかったのだが、この辺に国情が表れているということか?13:40定刻離陸、マイアミには少し早く16時には着いていた(2時間20分、時差なし)。

 

ほとんどどうでもいい(個人的な)写真である

サントドミンゴを飛び立つ

f:id:dopponotabiroku:20190804224406j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804224516j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804224529j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804224543j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804224600j:plain

サントドミンゴ上空

f:id:dopponotabiroku:20190804224610j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804225156j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804225223j:plain

 ↓この写真はまさしく旧市街である。オサマ川河口がはっきりわかる

f:id:dopponotabiroku:20190804225236j:plain

新市街

f:id:dopponotabiroku:20190804225300j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804225314j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804225343j:plain

内陸上空へ向かう

f:id:dopponotabiroku:20190804225357j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804225510j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804225525j:plain

イスパニョーラ島北岸が見えてくる

f:id:dopponotabiroku:20190804225548j:plain

北岸の街

f:id:dopponotabiroku:20190804225629j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804225644j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804225655j:plain

以下はバハマ諸島?

f:id:dopponotabiroku:20190804225913j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804230002j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804230013j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804230027j:plain

 

 マイアミは乗り継ぎしたことは何度かあったが、今回の乗り継ぎは15時間あったので(次の便は次の朝7時)、空港近くのairbの宿に、ここはそれこそ帰りの便が決まってすぐに予約を入れておいた。マイアミの入国審査はすべて機械化されていたのでかなりスムーズで、17時には空港と鉄道・バスの総合ターミナルを結ぶシャトル(モノレール)でターミナルに降り立つ。そこから歩きだしたのはわたしくらいしかいなかったが、おそらく空港から最も近い家がわたしが予約したairbのJessicaの家だったと思う。車社会のアメリカでそこまで歩いて10分もかからなかったからだ。出迎えてくれたのは弟のArthur君で、ともかく親切な20代?の若い男性だった。ご存じのようにマイアミは今やほとんどキューバ人社会となっており、もちろんアメリカの市民権は持っているのだろうがキューバ系であることは明らか、だからこそその親切はよく理解できたのだ(キューバ人の親切心が半端でないことはキューバで経験済みだったから)。若干のスペイン語を交えて自己紹介やら、いろいろ情報をもらう。とてもよくしてくれたのだが問題は近くにお店も食べ物屋もなかったことであった。その辺については、バスもあるが一本道をしばらく行くと7th streetがあって、その周辺にレストラン、スーパー、もろもろの商店があって、そこまでいかないと何も手に入らないとのことであった。実際そのあとシャワーを浴びてからすぐに買い物に出かけたが、そこまで20~30分かかったのであった。空港に行くより買い物に行く方が遠いという皮肉な場所であった。そうやって例によってスーパーでビールを、そしてWendy'sのバーガーがその日の夕食になった。戻ってからは部屋に籠ってしまったので彼らと話すこともなく、またJessicaとも顔を会わさなかった。次の日はArthur君に教わった手順で5時にはもちろん挨拶もせず空港に向かう。結局一度も顔を会わさなかったからか、あるには何か粗相をしたのか、とても親切にしてくれたJessica(本人には会ってなかったが)からだけ、わたしのゲストとしてのレビューが届かなかったのだった(わたしは全員に送ったし、Jessica以外はみんな満点をくれていた)。それが最後の心残りとなった。そのあとのダラスの乗り継ぎも順調、ただ前にも言っているが、ダラスから14時間はさすがに長いのである、それでも最初は外の景色を楽しめた。1時間くらいからもう視界は一面銀世界となり、3月中旬はほとんどが凍てついた世界であることを改めて知ることになった。人の住んでいる気配が全くなかったのである。たぶん飛行ルートはカナダ~アラスカ~カムチャッカの上空を飛んでいたのであろうから、それは着陸直前まで続いていたのだ。最後は映画を見たりしていたが、隣の若者と話すことはなかった。最後の30分くらいで何かのきっかけで話しかけるとホンデュラスの若者は日本語が達者で日本で働いていると話してくれた。もっと早く話してみればよかったと後悔したが、年が離れすぎていたから彼からは声をかけにくかったのかもしれない? ま、そんなんで、その飛行は夜を迎えることなく日付は変わって成田に着いた時は3月15日の15時になっていた。

<了>

空港から10分のairbの宿

f:id:dopponotabiroku:20190804095452j:plain

7th streetまで12ブロック30分、いかにもアメリカらしい道

f:id:dopponotabiroku:20190804095510j:plain

以下はどうでもいい(全く個人的な)写真です

朝マイアミ空港から飛び立つ

f:id:dopponotabiroku:20190804095751j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804095803j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804095829j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804095846j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804095935j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804100712j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804100724j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804100736j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804100749j:plain

この辺はダラスに近い?

f:id:dopponotabiroku:20190804101001j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804101012j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804101027j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804101040j:plain

ダラスを飛び立つ

f:id:dopponotabiroku:20190804101105j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804101116j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804101207j:plain

この円形が何なのか今でも不明

f:id:dopponotabiroku:20190804101448j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804101513j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804101525j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804101802j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804101818j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804101831j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804102621j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804102633j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804102727j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804102752j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804102804j:plain

この辺はもう日本上空か?

f:id:dopponotabiroku:20190804102817j:plain

f:id:dopponotabiroku:20190804102829j:plain