独歩の独り世界・旅世界

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2019の旅 アレキパ Arequipa

 もしかしたらわたしがアレキパ行きを決めた直接のきっかけはイキトスにあったかもしれなかった。イキトスで日帰りのAmazon Tourに出かけたとき、リマから来たという家族連れのお父さんとボートの中でちょっと話してて、ま、月並みな会話の中で、この後どこへ行くのかと聞かれ、まだはっきり決めていたわけではなかったので、NascaかArequipaを考えていると言ったら、Arequipaに行ったら是非Cañon del Colca (Colca Valley コルカ渓谷)に行ったらいいと勧めてくれたのだ。正直言ってそこがどんなところか知らなかったので、何があるの?と聞いてしまった。伝統的な村や渓谷も美しいが何といってもそこの見ものはコンドルの飛翔がみられるところ、ということだった。あの懐かしき名曲‘コンドルは飛んでいく’がすぐに蘇ったが、実際そんな場所があるのかと初めて知って興味を覚えた。たぶん行ってみると、その時答えたのだけれど、その言葉通りになったのである。そこへ行くのはアレキパについて二日目になるのだけれど、まずはNascaからArequipaまで道中をちょっと記しておこうと思う、、

 

 これも5年前の記事の中で書いたかもしれないが、ペルーの長距離バスはほとんど2階建てでデラックスなバスが多い。この時も2Fの前から二列目の席だったので、車窓を楽しむには絶好の場所、ただ出発が夜の22時だったから、まずは早く眠りにつくことが先決だった。幸いに比較的早く寝入って短時間だったが熟睡して、目覚めたときはそろそろ夜が明けるころだった。辺りが明るくなってくるとともに外の世界がはっきりしてきて、その席からの眺めが抜群なのに気づき、早速カメラを取り出す、寝ぼけまなこでやたらシャッターを押していた。やはり何といっても(バスはちょうど東に向かっていたから)目の前に広がる日の出の一刻一刻がとても素晴らしかった(写真はダメだったが)。だいたい高原地帯を走っていたがそのうちに冠雪の山が遠くに見えだしだんだん近づいてきた、後で知ることになるChachani 6075m Misti 5825mで、この二峰はアレキパからも間近で、アレキパに滞在中ずっとその雄姿に見惚れていた。そういう意味ではちょうどいい具合(タイミング)の夜明けだったようだ。バスは8時ころにアレキパのバスターミナルに着いた。

 

日の出の写真(うまく撮れてない)と道と街の写真と山の写真

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f:id:dopponotabiroku:20190720105516j:plain↑どこかの街の朝の風景

冠雪の山が見えだす、、

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↓の写真は宿の屋上からとったものであるf:id:dopponotabiroku:20190720110158j:plain

 

 ペルーはリマのような大都市では、各バス会社がそれぞれターミナルを構えていたが、地方に行くとその街のターミナルがあって(ほとんどはそうだと思うが例外も多いと思う)アレキパも各バス会社が一か所に集まる、だからかなり大きくて立派なターミナルだった。ここは旅の途中で予定が変更になって寄ることにしたので宿の予約もしておらず、街の様子も調べてなかった。そういう場合の常としてまずはインフォメーションを探す、それはすぐに見つかったが、そこが正式な?インフォメーションだったか私的なものだったか、後から疑問に思ったが、その時はそんなことを詮索する余裕はなかった。というのもそこにいたおじさんに、とても親切だったので、まず地図をもらって次に安宿はないかと聞いたら、中心部から近くて値段も手ごろ、しかも朝食付きで70ソルのところがあるがどうかと聞かれる。これまでペルーで泊まった宿はairbや日本人宿というちょっと特殊なところだったが50~55ソル(ま1500円~2000円といったところ)くらいだったことが頭にあった。70ソルだと500円くらい高くなってしまうので、一応もっと安いところはないのか、あるいは65ソルまでならないのかと聞いてみたが、なかなか難しそうだったことと、その宿の写真から先の山々が屋上から見えることが分かったのでそこに決めてしまった。で、どうやってバスターミナルから、そこまで行くのかさらに聞くとタクシーで10ソルとのこと、他で宿探しをするのも面倒と思ってそのおやじさんのおすすめホテルに決めてしまった。おやじさんはわたしをタクシー乗り場まで送ってくれて、ドライバーに行き先を告げてくれた。結果的にそのホテルはコーヒーやマテ茶が飲み放題、雇われのセニョリータたちも親切で悪くなかったのだけれど、何のことないそのホテルはターミナルで親切にしてくれたおやじさんのホテルだったのである(なので、あのインフォメーションは私的なものだったのかと後から思ったのだ。いや別にそうだったとしても何も問題はなかったのだが)、、

 

 そのアレキパの宿 - Dreams Innといったか? - に8:30にチェックインしてシャワー、片付け、パンとコーヒーと残りのパスタで朝食をとり、セニョリータに洗濯を依頼してようやく落ちつく、なるほど確かにアレキパというところは標高が2335mとのことだったが、そのため空気は澄んで暑すぎず(朝晩は寒いくらい)とてもさわやか、さらに雪を冠った山々が背景になっていて、まだ街に出ていなかったがとても気持ちの良いところだと早くも実感していた。少し仮眠してお昼前に街に出た。いわゆるcentro de historico 世界遺産に登録されている歴史地区はちょっと坂を登ったところから始まっていた。白い街という代名詞で称されるこの街は確かに(白い火山岩を石材としている)白壁の通りが街の中心Plaza de Armasまで行く間にも多く見られ、街全体に教会が多かったり、世界遺産登録後に建物の規模等を規制したが故か、歴史の香りと白く明るい雰囲気を否応なく醸しだしていた。さわやかな気候なれどやはり日差しはきつく、高度もあるからか歩く程に汗がにじみでてきた。Plaza de Armasまで10分、バスターミナルで簡単な地図をもらっていたがここのインフォーメーションで観光省発行の地図をもらって再び歩きだす、何ともこの街歩きは楽しいものであった。地図を頼りに主に教会巡りのような形になったが、何よりこの街を気に入ったのは(リマのところで少し触れたが)この街が歩いて回るのに適正な規模だったからである。こじんまりと、いわゆる見どころは固まっており、すべて歩ける距離にあったのだ。そうやって主なところだけ一回りして2時間くらい、疲れたのでホテルに戻ることにして、途中にあった地元の人たちで込み合っていたレストランがあったのでそこに入って昼食を頼む。それがまたこれまでペルーで食事した中では最も安いランチ(7ソル)だったのだが、地元の人はよく知っていて絶品だったのである。もうそれだけでわたしのお気に入りの街にはいる条件はすべてそろったようなもんだった。

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Plaza de Armasとその周辺と昼食に入った食堂とそのランチ

宿に戻ってペルーにシエスタの習慣があるかは知らないが、少し仮眠をとってからセニョリータ(雇われのお嬢さん)にセニョール(親父さん、ホテルのオーナー)は戻っているか聞くと、今いるとのことで早速会いに行く。フロントでもう一泊して明日Canon del Colcaのツアーにへ行くが少し負けろと交渉してみたのだ。気のいいオヤジで宿代は60ソル、ツアー代は155ソルとのことだった。宿代を10ソル負けてくれたのですぐに払おうと思ったがソルの持ち合わせがなく、50ドル+50ソルで払う、つまり1ドル3.3ソル計算(これも相場よりいいレートだった)で50ドルは165ソルになったから、ぴったりとなったのだ。ただこのツアーに多少問題があった。何となれば朝3時発とのこと、いやはや起きられるかどうかが心配になったのだ。ま、それでも、ま、話のわかるオヤジだったから気を良くして、礼をいって再び街に出た。そう、両替もしなければならなかったし、もう少し街を歩いてみたかったし、アレキパの鉄道駅に行ってみたかったからだった。わたしはアレキパ~プノ Puno を結ぶ鉄道があるのは知っていたから(もっとも50年前の話、今はだいぶ変わっていたのだがそれを知らずに)その情報を知りたくて是非駅に行ってみたいと思っていた。場所は少し遠かったが(Plaza de Armasとは逆方向)地図を見て歩けそうだったので歩いた(市バスはやたらと走っていて安いのはわかっていたが、やはり乗れなかった)。が、駅らしいところに着いたが入り口がなかった、というか閉まっていたのだ。しばらくその界隈をうろうろしていたが、人の気配はまったくなし、ま、早い話そこは使われてない気配が濃厚だった。場所が違うのか、あるいは鉄道は廃止になっているのか、半信半疑でPlaza de Armasまで歩く、この時は流石に2km以上あったと思われるからバスか乗りあいワゴン車に乗りたかったのだけれどやはり歩いた。まだPlaza de Armasのインフォメーションが開いていたので鉄道のことを聞いてみると、(はっきり聞き取れてないのだが)なんでも今は週一便で週末といったのか日曜といったかはっきりしないが、ともかく観光列車として今でも走っていることが確かめられた(不可解だが詳しい情報は持つてなかった)。そういうことか、マチュピチュ~クスコ~プノも今や観光列車しか走ってないようなことを聞いていたから、そういうことだろうなと納得はした。そこからは両替をして、まだ通ってない裏道を歩いて、その途中で見つけた屋台で串焼きとポテトを、行きつけになった近くのお店ではビールとパンを仕入れて、その日の夕食とした。いずれにしろつまらない世界遺産が多いこの頃、なかなかいい街に巡りあえたこと、そしてペルー後半は少し流れがよくなっているような感触をつかんでいた。

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鉄道駅

夕方からの街ブラ

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