独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

レテシア ~ イキトス Iquitos (ペルー/アマゾン)

  あまり期待はしてなかったことだが、今回はコロンビア人が皆とても親切なのにちょっと驚いていた。それこそ50年前のコロンビアは、あまりいい思い出がなくむしろ怖い印象すらあったのだが、近年経済の成長に伴って人心が落ちついてきて穏やかになっているような感じがした。ボゴタの空港でもタクシーのドライバーも食堂やカフェの従業員も皆優しかった。airbのホスト、ボゴタのAndresも、そしてその日の宿のAlejandroはちょっといかつい感じだったが、これがまた超親切だったのである。ゲスト用に(コロンビアもコーヒーの産地だけあってとてもおいしい)コーヒーのサービスがあった。それを飲みながら情報を聞き、わたしの質問に答えてくれた。前回そこに貼ってあった地図の写真を載せたが、わたしは地図を持ってなかったからそれは大変助かった。セントロまでも歩いていけそうだった。もっとも知りたかった情報は、ペルーのイキトスまで行くボートのスケジュールであった。彼に聞くと船会社は二つあること、ひとつはゴルフィニョGolfino Lineでレテシア発火・木・土で朝の3時発で120milまたはus$40で高速船とのこと、もう一つはFerry Amazonasとのことで水・金・日発160soles(solはペルーの通貨でus$1=3.15soles,1sol=35円?)とのことだったから約50ドル?、こちらは大型船で朝の2時発(というか夜中)とのことだった。そしてそれぞれの事務所(ticket販売所)の場所を地図上で教えてくれた。その日は2月の26日火曜日で、ボートは毎日出ていることは聞いていたから(Alejandroにmailで確認してあった)28日のボートに乗るつもりでいた。ただ船会社が二つあることや、いずれも朝の2時とか3時に出ることまでは知らなかったのだ。いずれにしろ、わたしは先の情報(Alejandroからのmail)で、実は2月28日イキトス着の予定ですでにイキトスのairbnbの宿に予約を入れてあったのだ。だからその時点でGolfinoがわたしの乗るべき船であることは決定したようなものだった。明日ticketを購入に行くということで、つまり他のレテシア観光のお誘いもしたかったであろうが、すべてその余裕はないということを彼は了解してくれたようで、わたしは礼をいって自室に引き上げ荷の片づけを始めた。ちょうどそのころ、ちょっと信じられないようなスコールが始まった。

Golfinoの案内も貼ってあったImg_0701

 昨日ボゴタで降られた時間帯に近かったように思う、しかし、その迫力というか、その屋根にあたる音量のすさまじさが明らかにそのスケールの違い物語っていた。こんな時間にはどこへも出かけるべきてはない、わたしは少したまっていた洗濯をしながらそのスコールが止むのを待った。待つこと1時間半、4:45にLeteciaの街ブラにでかけた。雨はぴたりと止んでいたが、あちこちに水溜りができていた。すぐに10分くらいでParque Central中央公園に出た。カテドラルがあってそこがこの街の中心のようだったが、感じとしてそれほど大きな街でないことはすぐにわかり、十分に歩いて回れそうなこともわかった。やはり最初にいってみたかったところは港だった。当てずっぼでもう少し歩いていると右に折れる道が少し下り気味に続いており、商店が軒を連ねていたので、その道に間違いなさそうだった。やはりその界隈は結構な往来があって、その先に船着き場があった。が、桟橋はあったが、どれがどこへ行く船なのか、あるいはticket売り場みたいなものは何もなく、そこの場所で間違いないのかはその時はわからなかった。どこに行くのか?とか、ボートに乗らないか?といった声もかからない、で、仕方なくSanta Rosa(ペルー)に行く船はどれかと聞いてみたが、いずれもはっきりしたことはわからなかったのだ。つまり、どれでもといった言い方、あるいは俺の船に乗れといった返事で、ようやくわかったことは、要するにその辺りにいた船(ボート)はお客次第でどこにでも行く、ま、水上タクシー(プライベートボート)の溜まり場ということのようだった。いずれにしろその時は、その時間から対岸に渡るつもりではなかったから、街の中心に引き返して、また街ブラを始めた。いろんな店がひしめき合い小さいながらも活気のある街であることがわかってくる、通りには屋台が出ていて、取り立ての魚をフライにしている屋台に食欲をそそられて、その日の夕飯はそのペスカドフリトに決め、帰りに寄るつもりで街ブラを続け、1時間くらい歩いてからその屋台に引き返した。が、よくあることだがその屋台はすでに店仕舞いしていたのであった。こういう時は無性にそれが食べたくなって、同じものを扱っている屋台はないかとさらに探し回ったが、時間が遅くなるほど屋台の数は減っていったのだ。数あるレストランでは食べられたかもしれないが、基本的には屋台派なので結局その日の夕食はパンとビールとArepa、Arepaというのは前日にボゴタの宿の近くで見つけたポテト料理で、それがここにもあって屋台でArepaと書かれた看板を見てその名前を知ったのだけれど、つまり前日と同じメニューになってしまったということだった。この日の夕食もビール二缶入れて10mil(400円くらい)だったが、流石に満ちたりてはいなかった、が、ビール2缶呑んだので寝つきはよかった。

レテシアのParque Central中央公園とカテドラルImg_0704

公園脇に屋台が出ていたImg_0705

桟橋脇のイミグレをこの時見つけてあった Img_0706

その脇に将来の青写真計画出ていてここに橋を架ける予定か? Img_0708

レテシアの桟橋付近、水上生活者も多くみられた、、 Img_0710 Img_0711 Img_0709

セントロに戻って、香ばしき屋台の風景Img_0712

 あくる日は昨日のパンと自由に飲めるコーヒーで朝食とし、8時半にボートのticketを買いに出かけた。といってもGolfinoのオフィスはブラジル側にあって(街名をTabatingaといった)、そこへは別にパスポートチェックもなく自由に行き来できることはすでに前日に聞いていたが、ただ、そこまでは結構距離があった。歩いたら1時間?乗り合いのタクシーがありそうだったが、どこから乗れるのかまでは聞いてなかった、となるとバイクタクシーが最も安そうな交通手段に思えた。ところがわたしがAlejandroの家を出るとき、たぶん息子だと思うが、ちょうどバイクでどこかへ出かけるところだった。そこでこれ幸いとばかりに、ブラジル側のGolfinoのオフィスに行くところだけれど、そこへいく乗り物に乗れるところまで乗せてってくれと頼んでみた。もちろん彼にそこまで乗せてってくれと頼んだわけでなかったし、彼は何かの用事?あるいは仕事で出かけるところだったと思うので、まさか彼がそこまで乗せてってくれるなんてこれっぽちも期待してなかった、が、彼はわたしを乗せてそのオフィスまで運んでくれたのだ。せめて車代をと渡そうとしたが決して受け取ってくれなかった。何なんだ、この善意は!甘えちゃっていいのだろうか?しかしわたしには言葉で感謝の意を伝えることしかできなかったのだった。感謝の気持ち一杯でオフィスに入っていく、そこに客はおらず窓口にヨーロピアン風の顔つきのおっさんが一人いた。こういう時の会話は決まっているから、ともかく明日のIquitosへ行くボートのticketを買いに来たというと、パスポートを見せてドル払いでokとのことだったので40ドル払ってそれで終わりだった。ちなみに支払いはコロンビアペソ(120000)、ペルーソル(120)、ブラジルレアル(150)が可能だったが、わたしがその時知りえたレートではペルーsolが最も率がよかったかもしれない、いずれにしろ日本円で4200~4500円くらいということになる。出発の時間と場所を何度も確認した。ticketにはam3:00と記されてあったが、2時には船着き場についててほしいとのこと、とすると1時にはチェックアウトする必要がありそうだった。が、むしろ問題はその場所の方であった。ペルー側のSanta Rosaからと聞いてはいたが、そこまでどうやって行けばいいのか、その時間にそこへいってくれるボートはあるのか?それをしつこく聞いてみた。彼は、この道を下っていくとTabatingaの船着き場がある。そこからボートでいける、その時間でも大丈夫だ、との答えであった。半信半疑ながら信じるしかなかった、で、そこを後にしてTabatingaの桟橋にいってみた。むしろ昨日歩いたLeteciaの街より大きくて賑わっているような感じ、より大きな船も停泊していた。もしかしたらあれがマナウスまで行く大型船なのだろうか?そんなことを想像しながら写真をけっこう撮った。そしてTabatingaの街ブラをしながら、レテシアに戻るmain street(ブラジル側Avenida da Amizade コロンビア側Carerra 6)まで歩く、そのときやはり相当暑いところであることが実感させられた。少し休みながら、レテシアに行きそうな乗り物をチェック、バイクタクシーはけっこう走ってくるがなかなか停まってくれなかった。ようやく一台が止まってくれてレテシァまで行ってくれるか聞いてみると、ちょうどその時前方を走っていた小型ワゴン車(コンボ、乗り合いワゴン車)を指してあれが行くと教えてくれたのだった。その辺りまで行って次に来るコンボを待ってレテシアに戻った。中央公園の近くで降ろしてもらう、3milだった。暑さにやられてへとへとだったので屋台のレモネードをもらう、それは2mil、公園で少し休んでから、そこからレテシア側桟橋は近かったので前日に行ったときに記憶していた桟橋の脇にあったイミグレ(浮きオフィス、川に浮いている事務所)にいってみた。今日の夜(28日朝の3時とは、その日の夜中ということだったのだ)のボートでペルーのイキトスまで行くのだが?というとすぐにスタンプを押してくれ、ペルーのイミグレはサンタロサにあるのかと聞いてみた。すると、なんとその若きオフィサーの隣に座っていた若きセニョリータが、ペルーのイミグラシオンはここです、というではないか、窓口としては隣だったのだが、本当にびっくりしてしまった。と同時に一辺で両国のイミグレを簡単に済ますことができたことを喜んだ。その日やるべきこと、手続きはすべて終了したのだった。時間は11時ころだったかと思う、それではちょっとサンタロサの下見にいってみようと隣の船着き場でボートを探した。適当なボートにサンタロサまで行ってくれる?いくら?と聞いてみると5milとのこと、最初はボートも乗りあいで人が集まらないとでないのでは、と勝手に思ってしまったのだが、ここのボートはお客と交渉して折り合えばいつでも出してくれるようだった。ペルーのスタンプも押してもらっているから、そこがどんなところでも問題ないと思っていた。実際のところSanta Rosaがどんなところか、全くわかってなかったというか、何も情報をもらってなかったので結構大きな街ではないかと想像していた。少なくとも高速船が発着する場所なら、もっと大きな港があるのではないかと思っていたのだった。

TabatingaのGolfinoのオフィス;2枚Img_0714Img_0715

道を下っていくと市場があって、その先に船着き場(港)があった、市場付近;2枚Img_0716Img_0717

Tabatingaの港付近;10枚
Img_0718

Img_0719Img_0720Img_0721Img_0722Img_0723Img_0724Img_0725Img_0726Img_0728

レテシア~タバティンガを結ぶmain street;4枚Img_0729Img_0731Img_0732

Img_0734

この辺がコロンビアとブラジルの国境あたりと思われたところ、知らずに通り過ぎてしまうImg_0735_1

コロンビアとペルーのイミグレが両方ここにあるとは思ってなかった(川に浮いている浮きオフィス)Img_0739

レテシアの桟橋からSanta Rosaに向かう;4枚Img_0740 Img_0741 Img_0742 Img_0744 こんな浮家がとこどころに漂っているのだけれど、実はその夜Iquitos行の高速船の乗り場はこんなようなところだったのだ

 

 今回の旅での変調は、どうやらこのあたりが分岐点となったようだった。コロンビアからペルーに入ったあたりで調子がくるってきたのだ。レテシアがあったのはアマゾン川の本流沿いであったが、その大アマゾン川では河口から2500km以上遡った地点でも対岸が確認できないようなところもあって、少なくともレテシアの対岸はその中洲であるSanta Rosa島であった(本当の対岸は見えていない)。で、ここがSanta Rosaの船着き場だといって降ろされたところは、なんというかみすぼらしいというか、街とはいえない村の外れのようなところで、もちろん数艘のボートが舫ってあったが、規模も何もレテシアやタバティンガとは比べ物にならないほど、実際小さな村でしかなかったのだった。車も通れそうにない細い道(実際その島に車があったかどうか?あったとしても使いようがなかったと思う、道もないのだから、もちろんバイクはあった)が一本、南北?に走っているだけで、その両脇に、少ないながら食べ物屋や安宿風の建物もあったが、せいぜい人口数百人の村でしかないように見えた。それでも一応少し歩いてみて、もうこの先いっても何もなさそうだというところで引き返して往復で30分くらい、いったいここのどこからわたしが乗る予定にしている高速船が出るのかはその時想像がつかなかったのだ。それでもレストラン(というか食堂)は2~3軒目にしていたし、ちょうど昼飯時だったので、せっかくここまで来たのだからどこかで食事をしてから戻ろうという気になっていた。メニュウ表示している店があったので、ま、どこでも同じではないかと思って一軒に入る、昨日食べ損ねたペスカドフリト(魚フライ定食、中南米どこでも魚はフライでしか食べられない)のメニュウが書かれていた店だった。客は一組か二組、おばちゃんが出てきてペスカドフリトを頼んだ。しばらくしてでてきた魚のデカさ、そしてその味、付け合わせも含めてうれしくなるうまさに久しぶりに満腹満足感に浸れたのであった。Santa Rosaは小さな村だったが、いい思い出とともに去れそうだった。が、この後状況が一転したのだった。そこはすでにペルーだったのだ。もちろんこの辺一帯は、コロンビア人、ペルー人、ブラジル人が、ま、住まいだけはそれぞれの土地にに住んでいたであろうが、交流・交易はまったく自由で往来も自由、ということは少なくとも通貨はボートのticketがそうだったように3ヶ国の通貨が通用していた。だから、あえてわたしの失敗をいうとすれば、その時わたしはペルーの通貨に両替しておかなかったこと、コロンビアペソとペルーソルとの換金レートを知らなかったことということができる。つまり、そこの支払いはどちらででもできたのだけれど、コロンビアペソでいくらか聞くと8milとのことだった。その時あいにく8milちょうどを持ってなくて20mil札しかなかったのである。もちろんお釣りは払ってくれたが、それが12mil(480円?)のところ戻してくれたのが10soles(350円?)だった。いや、今からや思えば僅か100円ほどのことに何であんなに目くじらを立ててしまったのか我ながら恥ずかしいのだけれど、その時は猛烈に怒ってしまったのだった。一つには先ほど言ったようにレートが全く分かったなかったので、少し誤魔化されたのではと思ってしまったのだ。で、いったんそこを出て、船着き場に両替屋がいたのを覚えていたので、そこで初めてドルをソルに両替して(その時換算率を知る)もう一度その食堂に戻って、ソルで払うから先に渡した20mil札を返すよう要求した、が、相手もへそを曲げてしまって頑としてそれを拒んだのだった。埒あかずわたしはその場を去ってレテシアに戻った。その時の船頭も渡し代は5milといったが、食堂でもらった釣りの10sol札しかなかったのでソルだといくらかと聞くと7ソルといわれる。またまたペソより高く感じたので、釣りはペソでくれといったら持ち合わせがないとか何とか言いだした。ちょっとその時気が立っていたので(というかsolの感覚がわかってなくて)どこかで両替してくるようにいって強引にペソで釣りをもらった。どうもこの辺り、わたしのボケた頭は相当混乱していたのだ。と同時に、そんな些細なことながらペルーの印象が悪くなり始めたのだった。いったんホテルに戻ってしばらく昼寝、いつ頃から降り出したのか、すさまじいスコールの雨音を夢うつつで聞いていた。

Santa Rosaの村が見えてくるImg_0745 Img_0746 Santa Rosaの船着き場

Santa Rosaの村;3枚Img_0747

Img_0748

村のmain street ここはバイクとTuktukくらいしか乗り物はなしImg_0749

桟橋近くで見つけた食堂、味(特にソパsoupは抜群だったのだけれど);4枚Img_0754 Img_0755 Img_0751 Img_0753

帰りのボートから、対岸はTabatingaだと思う;2枚 Img_0756 Img_0757

レテシアの港から続く、プロムナードと湿地帯に住む人たちの家屋;2枚Img_0758

Img_0759

 

 しかし、むしろスコールの後は暑さが和らぎ爽やかになる、夕方起きだして日本との連絡やイキトスの宿に確認mailを入れたりして出発の準備をしているところにAlejandroが顔ををだしてくれたので、今朝ほど息子さんにバイクでGolfinoのオフィスに連れてってもらったお礼を述べ、その後の報告をした。そして、結局明日の朝3時なので、1時には出るつもりであること、ボートはTabatingaから出ると聞いているがどうやってそこまでいったらいいのか聞いてみた。そしたらレテシアの桟橋からも出ているから歩いていけばいいと教えてくれた。但しボート代は夜だから20milくらい払ってあげた方がよいとアドバイスしてくれた。その日は昼食をしっかりとっていたので夕食は近くのスーパーでちょっとしたつまみとビールを買ってきて済ませ、0時に目覚ましをかけて横になったが、昼寝もしていたからほとんど眠れはしなかった。もう起きてしまったから、いてもしょうがなかったので0時半に出発、ところがここでとんでもないことに遭遇した、外に出られなかったのである。中南米の外扉はたいてい外から開閉するには鍵が必要だったが、中から出るときは内鍵を手動で引くか、あるいは外せば簡単に開閉できた、が、この時その内鍵がはずれなかったのである。そんなことってあるのか、といろいろやってみたが、どうにもならなかった。相当高い塀を乗り越えることも考えたが、無理そうだった。迷惑かも知れないが起こすしかなかったのである、呼び鈴を押したり、怒鳴ったりして誰かが起きてくれるのを祈った。が、これが手強かった、なかなか起きてくれなかったのだ。わたしが夜中に出かけるのを知っていながらこの仕打ちはどういうことかと恨みもした。ようやく起きてくれたのは息子の方だった。彼には迷惑をかけっぱなしとなってしまったので、文句を言いたかったが、彼には言えなかった。すぐに鍵を探してきて開けてくれ、何度も礼をいって漸く桟橋に向かうことができた。人通りの全くない相当物騒な道を、それでも街灯は点いていたので桟橋まで15分を急ぎ足で歩いた。で、誰かいるか探す、こんな時間にボートを探すのは高速船に乗る客以外にはいなかったと思う。Golfino?と聞いてきたやつがいたから、そうだといってそいつを見て驚いた、昼間Santa Rosaから戻ってくるときの船頭だった。ちょっとまずいなぁと思いながら値段の交渉、わたしは持っていた小銭全部(15milくらい)でどうかと持ち掛けたがokしてくれず20milといってきた、それは相手のいうことを聞くしかなかった。目印の何もない暗闇を船頭は懐中電灯ひとつで漕ぎだした。沖合に灯りの灯っているところがあってどうやらそこが高速船の乗船場のようだった。ボートが15分位で接岸したところは、まさに浮家、浮桟橋であったのだ(つまり、そこはSanta Rosaと陸続きではなかったのだ)。すでに20人くらい、そこで乗船を待っている人たちがいた。わたしは船頭に20milで払って、残ってたペソの小銭もtipとして渡した。それは暗がりでの出来事で、わたしはよく確かめずにやってしまったことだったが、なんとわたしが20mil札と思って渡したものはその日の昼にSanta Rosaで両替したときの紙幣50sol札だったことを知ったのはイキトスに着いてからだった、その日の昼の損失3milは一気に10倍30milに膨れ上がってしまったのだ、そして、この後もペルー受難は受難は続くのだった。

初めて目にする高速船と浮き桟橋、すでに乗船待ちの人たちが何人もいた;4枚Img_0761 Img_0762 Img_0764 Img_0769

 

 次々と夜のアマゾン川を横切ってその浮き桟橋に乗客が到着していた。乗船開始は2時ころで乗客が早めに揃ったからか、2時半には高速船は出航した。もちろん暗黒の水上を行くので何も見えないのだが、よくもまあ、こんなスピードで、いやまったくこんな乗り物があったこと自体、しかもこのアマゾン川を高速で走り抜けること自体が信じられない出来事のように思われた。ま、高速バスに乗っているような感じでリクライニングシートに身体を埋めて転寝するしかなかったのだが、その時たまたま、というかしらずに決めてしまった座席が失敗だったことに気づくのに数時間を要した。最初に停泊したのは5時ころで、そこはアマゾン川右岸ということになるが、進行方向でいうと左側(Letecia→Iquitosはアマゾン川遡行なのだから)、つまりわたしの位置からすると左岸だった。そして接岸するほとんどの村は、みなわたしの座席とは反対側の進行方向左岸にあったのだ。なのでけっこう接岸して降りる乗客、そして新しい乗客を迎えるのだけれど、左側の座席だったら撮れたであろう写真、知ることができたであろう村の名前、街の様子の写真が、全く撮れなかったのだった。これもペルー受難の一つといえたかもしれない(高速船は飛行機またはバスの座席のようになもので座席の移動はままならず、その姿を見ることはなかったのだけれど、もしかしたらもう一社の大型船の方が、甲板・デッキのある船だったのならアマゾン川を楽しむ意味ではよかったのかもしれない、と後から思った)。せっかくアマゾンまできて、アマゾンらしいいい写真が撮れなかったのは、ま、不運というかペルーとの相性が良くなかったことを物語っていた。そうしてレテシア~イキトス間500km?の船旅は13時間かかって、15:45Iquitosの港に接岸したのだった。

何処ということを説明できないし、風景自体そのうち単調になってくるのだけれど、ま、何枚かを載せておきます、、

Img_0780 Img_0781

単調な風景 Img_0783 Img_0786 大きな街で物売りが殺到Img_0791 朝食にパンが出たImg_0792 Img_0793 Img_0794 Img_0795 Img_0796 これは昼食Img_0798 形態は飛行機に似ている?Img_0802 Img_0803 Img_0804 Img_0805 Img_0806 Img_0807 Img_0808 Img_0809 Img_0810Img_0812 Img_0813 Img_0814 Img_0815 Img_0816 Img_0817 Img_0818 Img_0819

この辺からはイキトスのエリアだと思う;5枚 Img_0822 Img_0825 Img_0826 Img_0827 Img_0828

イキトスの港に接岸;3枚Img_0830

Img_0831 Img_0832