独歩の独り世界・旅世界

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サンペドロ San Pedro(la Laguna) ~ パナ Panajachel ~ アンティグア Antigua

 サンペドロは今更なのだけれど、わたしがグアテマラにきた(戻った)時はAntiguaとSan Pedroは必ず寄ることにしていたので、ま、必訪の地、もちろん風光明媚で、かつ物価が安かったりするのでわたしにとってのリゾート地?いや、ここは何度も書いているが、来るたびに俗化が甚だしく、だんだん魅力が薄れてきていて、そのたびに嘆いているのだけれどもう何十年来グアテマラの一大観光地になってきたところである。グアテマラの三大must visit placesといえばAntigua,Tikal,そしてここLago Atitlanでほとんど異存はないと思う。ただわたしの場合は、AntiguaもSan Pedroも懇意にしている人がいたから、ま、グアテマラに戻ったときは必ず挨拶に訪れているということであった。大変世話になっているその人たちとはAntiguaは、グアテマラにきた時の拠点となっているP.Tashiroの田代さんでSan PedroはManuel familyであった。たぶん何度もわたしのブログに登場して紹介させてもらっているので改めて詳しくは述べないが、そういう意味では今回のタイトルとなった‘サンペドロ San Pedro(la Laguna) ~ パナ Panajachel ~ アンティグア Antigua’はわたしにとって定番のルートということになるかもしれない(よって今回の記事は大部分が私的なものなので、読み飛ばされた方がいいかも?)??

 シェラを10時半に発ったバスは(35Qで値上がりしてなかった)Quatro Caminos 11:15 148(シエンクワレンタィオチョという場所の名前、グアテマラシティの基点から148kmの地点という意味、それが場所の名前になっている)12:00 そこからPA1号線(またはCA1号線、PAはPan American Highway、CAはCentral American Highwayの意)から支道にそれて、ローカルな道になるのだけれど、初めて来たとき(10年位前)はまだダートだったのが、来るたびに工事をやっていて、とうとう今年は全線完全舗装が終了していたのだった。それでも悪路ではなくなったが難路には変わりなく(乗り心地は快適になったが)、わずか20kmくらいの道のりを1時間半かかって1:30にサンペドロに着いた。サンペドロの宿は決めてなかった。が、行くとしたらやはり知っている人のところになってしまう、、ここ何年かはアルフレッド爺さんの宿Peneleuにしていて、今回もそこを訪ねた。そこにいくとかなり強引にAlfredの知りあいだがジイさんいるかと聞いて(いなくても)宿代を負けさせていた。今回爺さんはいたが、すでに経営は孫に譲っているとのこと、孫が出てきてそれでも一泊50Qのところを40Qに負けてくれた。俗化の激しい欧米人経営のレストランやカフェ、ホテル、その他いろんな店の並ぶ湖岸エリアからは少し離れているが、Lagoの眺望素晴らしく、50Qでも湖岸エリアの半額なのだから、わたしの常宿となっていた。ここも10年来の付き合いで、地元の人だから信頼できてずいぶん他人にも勧めてきた。すぐに礼をいってその孫に二泊分を払った。落ち着いてシャワー浴びてから早速出かける。といっていくところもやらなければならないこともあったわけではない、街の変化を楽しみながらの散歩、散策であった。それでも最初に顔をだしたのはParque Central近くのマヌエル宅、マヌエルは留守だったが、次女のAnitaがいて19時に戻ってくるからそのころ夕飯を食べに来たら?とお誘いを受けた。もちろん喜んで、と応諾しまた街ブラ、夕食の招待があったので、お土産にいつものケーキ屋さんにいってをパステルを注文し、夕方6時半ころ取りに来るからとお願いした。そしてパナドッグ(桟橋)への道を降りていく。左側にあったはずの真由美さんの日本レストランKamuiがなくなっていた。パナドッグの手前を右折してバハ(湖岸沿い)の通りを行く、、もっとも俗化の激しいエリアである。いわゆるTourist Zone、観光客用のホテル、レストラン、カフェ、ナイトスポット、土産物屋が建ち並ぶエリアで特に欧米人のツーリストが多い、それでもサンペドロの場合完全に棲み分けされているので、まだ先住者への影響は少ないかもしれない(しかし年々その領域が拡大していっているのは気になる)。このエリアに住むトゥトゥヒルTuztuhil(純粋マヤの一部族、Lago Atitlanはカクチケル、キチェ,トゥトゥヒルが棲み分けている)は観光客相手に商売している人たちだけである。この一角のお店も来るたびに様変わりしてて次々に新しいお店が出現している、ま、それだけ経済が成長しているともいえるのだが、昔のサンペドロの良さはどんどん失われていっているのだ。随所に見られた昔の空き地はほとんど見られなくなってしまっていた。その通りにあったCavaさんの焼き鳥屋も見当たらなかった。えっ、どうしたんだろう?ほんとにたった2年ですさまじい変わり様だったのである。その通りの突き当りの湖岸に新しいカフェができていた、へぇー、以前ここは空き地だったのに!? しかしよく見るとその隣に焼き鳥Cavaの幟が出ているではないか ! えっここに移ったのかぁ、と独り言を言いながら写真を撮っていたら、なんとCavaさん本人が隣のカフェからわたしを呼んでいいたのだった。あら、まあ、こんなところにいたの ! そうか、その日はちょうど焼き鳥Cavaの休業日だったのだ、お邪魔してもいいか聞いて、それから1時間ほどビールを飲みながら、この2年の変化とCavaさんの今を語ってくれたのであった。

Playaの通りの突き当り、以前この左側のお店のあるところは空き地だったのだ Img_0505

そこを新たに借りて焼き鳥Cavaをオープン?たまたまその日はお休みだった;2枚Img_0503 Img_0504

隣りがカフェ、奥に座っているのがカバさんかも?知らずに写す;2枚 Img_0502

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その日は焼き鳥Cavaはお休みの日であったから焼き鳥をいただくことはできなかったが、悠々自適な優雅な生活を楽しんでいるという話をゆっくりと聞くことができた(いつもは仕事中でなかなかこんな時間は持てなかったのだ、もっともカバさんともわたしが最初にきた時以来の知りあいである)。そのあと宿に戻って少し昼寝、6時半ころにまた街に出てケーキをもってManuel宅に赴く、日本人は時間厳守なのである、Manuelは戻っていたが、家族はそろっておらず全員が集まるのに1時間くらいかかって8時から夕食、大家族の夕食は総勢10人、わたしを入れて11人で長女のAndreaとAtulの間に子供が一人できて家族が増えていたのだ。まさに昔ながらの伝統的な生活をサンペドロのほとんどのTzutujilは営んでいるのである。おいしい夕食をいただいて、食後に持参したパステルのデザートとなったが、いつもはそれも頂いて帰るのだがこの時は辞退して、夕食の礼をいって帰ろうとしたら、三女のCarolina(もともとのこの家族と知り合ったきっかけが彼女で、わたしのスペイン語の先生)から明日の昼も食べに来いといわれる。図々しくも、有難くお受けして、では明日の昼にまた来るからといって宿に戻った。次の日の午前中は、まず前日Cavaさんとビールを飲んだカフェでコーヒーをいただいてから、Playa(ツーリストエリアを地元の人はPlaya;浜辺と呼んでいる)を散策、少し買い物して、前回も利用したことのある地元のコーヒー屋(ここはサンペドロ産の豆を売っているところでコーヒーは飲めない)で土産用のコーヒーを夕方取りに来るからと注文を出して、いったん宿に戻る。昼頃、また几帳面に12時過ぎにいってみたが、まだ誰も帰っておらず昨日の全員がそろったのは1時で、それからとてもおいしい昼食をいただく。その時のソパ(soup)は魚介をふんだんに使ったレストランではなかなか食せないような地元の味、超美味であった。それで決心はついたのだ、ここまでしてもらってわたしにはお返しできるもの・ことが何もなかった(そもそもManuel家からしたらわたしをもてなす理由は何もなかったのだ、それなのに来るたびにわたしは世話になっていたのだ)、次にいつ来られるかわからないし、次の朝にはSan Pedroを発つ予定でいたから、その日の夕食は日本食レストランに招待すると宣言してManuel家を後にしたのだった。その帰りに前日カバさんから聞いていた真由美さんの新しくなったレストランKamuiに顔をだした。そして現地の家族10人ほどを招待したから、よろしくといって、メニュウ等の打ち合わせをしてから銀行によって(さすがに持っている資金では足りなさそうだったので)宿に戻る。

夕食の招待を受ける;2枚 Manuel家の家族、左からCarolinaの長女Caidi,Carolina,Manuelの奥さん,次女Anita,Manuel,長女Andrea,Carolinaの旦那Diego,2枚目の左がAndreaの長男ManuelitoImg_0517_1 Img_0513

翌日、前日にカバさんと出会ったカフェで朝の一杯をいただくImg_0519_1 Img_0520

そのあとPlaya(広くはこの辺一帯のエリアを指すが、狭い意味ではこの湖岸のこと)を散策、わたしの好きな場所で厩のあるところ、初めてそのオーナーと少し話をすることができたImg_0523

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そこからサンチャゴドック(写真のVolcan San Pedroサンペドロ火山の裏側にあるサンチャゴアティトゥランSantiago Atitlan という街へ行くボートが出る桟橋のこと)へ散歩、このあたりの写真は前にも掲載しているが、最初にきた頃は水没している家はなかった、、;3枚Img_0525Img_0526Img_0527

サンチャゴドックから延びる急坂を登るとPeneleuの看板があってそこの細い道を入るImg_0528

昼前に再び出かけて少し街の写真を撮るImg_0529

街の中心Parque Centralに建つIglesia Catolicoカトリック教会Img_0531

よく利用するケーキ屋さん(前日パステルを買ったところ、この時は閉まっていた)Img_0532

4階建てのManuel家の屋上からSan Pedroの街(こんな写真も以前に載せているが);2枚Img_0534Img_0535

この日も昼食をいただく、このソパが抜群;2枚Img_0536Img_0541

 

 一応7時からと打ち合わせてたので、6時半ころ出かけて、コーヒー屋で土産用のコーヒーを受け取ってKamuiに出向いた。わたしはいつも約束通りの時間にManuel宅に伺っていたが、それはもしかしたらこちらの習慣からしたら迷惑だったかもしれないと、いつも疑念を抱いていた。だからこの夜も彼らは時間通りに来るわけないと決めつけていたところがあった。が、豈図らんや、流石にみんな一緒にではなかったが、ほとんど時間通りに集まったのである。初めて食べる日本食が楽しみだったのかも知れなかった。そして太巻きを中心とした料理を、ま、わたしからするとこれは日本食としてはあまりいいメニュウではなかったかもしれないと後で後悔したのだが、箸を使ったり手づかみだったりしながら、けっこうよく食べてくれた。が、果たして彼らにとってその味は?満足度は?わたしはいまいち自信が持てなかったのである。それでも彼らは一人一人がわたしのところにきてお礼言って、挨拶をして帰っていったのである。わたしはメニュウの選択を誤ったかもしれない(彼らに合いそうなメニュウもあまりなかったのだが)、もう少し知恵を使うべきだったと少し反省した。もしかしたら二回戦が必要かもしれなかった(日本食の名誉のために)、またの機会もあるだろう、ただ、それがいつになるかはもうわからなくなっていた。それでもまったく可能性がないわけでもないだろう、そんなことを思いつつ以前のような後ろめたさを感ぜずに次の日San Pedroをあとにした、、

サンペドロ唯一の日本食レストランKamuiで、食べ方に難儀している様子(ここではこれ一枚しか撮っていない)Img_0544

 

 今回は、あまり面白い話ではないと思うので、この後は簡単に切り上げたいと思う。パナドックから向かった先はパナハッチェルだった。このボートも25Qで以前と変わってなかった。が、乗船客は今では外国人ツーリストの方が多いくらい、そう、昔からそうだったがこの地は特に欧米人ツーリストに人気ある場所だったのである(前にも紹介したことがあるがパナのCrossroads Cafeなんかにいくとこのあたりに住みついている欧米人の溜まり場となっている)。以前はパナのボート乗り場からEl Solまで歩いたのだけれどもうその元気はなかった。船着き場にはTuktukは待機してなかったから少し歩いているうちにやってきたTuktukをつかまえて5Qを確認してEl Solまでいってもらった。村岡さんは元気そうだったが、驚いたのがドミが60Q→40Qに値下げになっていたことだった。どうやらすでにパナもホテルが供給過剰気味のようで、どこも値下げしないとお客さんが来ないとのことであった。我々にとってはありがたい話、というか、こんなきれいなドミが40Qなんて、まさに驚きの話だったのだ。それにしてもその日のドミはわたしとフランス人カップル二組だけだったから、まことに快適に過ごすことができたのだけれど少し寂しさもあったのだ。いったん落ち着いてから買いだしに出かける、昼食になりそうなものと明日の朝食になりそうなもの、あとはビールとワインをDespensa Familiarで仕入れてきて、パンとパパフリトとビールで遅い昼食、そして昼寝。それまでの疲れをだいぶとることができたのと、ここのWiFi事情が極めて良かったので、未解決の案件をその日の午後すべて片付けることができたのだった。もちろん夕食は村岡さんのお父さんがやってる弁当屋さんから、少し贅沢に酢豚弁当と餃子を届けてもらって、村岡さんにもワインをすすめて、話を聞きながらのわたしにとってはかなり上等な夕食となった。次の日チェックアウトしたのは8:45で、通りすがりのTuktukをつかまえてバス乗り場まで乗せてってもらったが、あいにくこの日はあとの乗り継ぎがあまりよくなくて、パナ発が9:10 ソロラ発が9:35 ロスエンクエントロスが10:15でチマル発が11:45でアンティグアには12:25着だった。それぞれ3Q+5Q+15Q+5Qだったから料金的にはどの区間も以前のまま合計28Qで時間は3時間ちょっと、ま、順調な方だったかもしれない、P.Tashiroには12時半にチェックインできた。

パナドック;2枚Img_0546_1 Img_0547_1 パナ行のボート

買いだしの途中で、パナのカテドラルImg_0548_1

 いついってもきれいな宿 El Sol ;5枚

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Img_0553_1 Img_0550_1 このドミ40Qは安い

パパフリトとビールで昼食  Img_0549_1

村岡さんのお父さんのやっている弁当屋から夕食を届けてもらう、酢豚弁当と餃子で60Q この時奥に村岡さんがいるのを知らずに写すImg_0551_1

出発前に村岡さんと並んで撮ってもらう Img_0556

 田代さんにはSan Pedroから21日に到着する旨伝えてあった。が、P.Tashitroの場合それは予約が成立していることを意味してはいなかった。それはわかっていたから、着いたときにどこが空いているかで部屋は決まるのだ。たまたまわたしの希望した個室トイレなしがその日空いており、その日から3泊お世話になった。いずれにしろ今回はグアテマラは一週間くらいで駆け抜ける予定でいて、その日まで順調にきていた(つまりこの期間を調整機関として設定してあり、2/20~2/23日にAntiguaに到着すればよかったのだ)。なのでそれから3日間は特に何をするでもなくブラブラ、グタグタしていたのだった。やらなければならないことは一つ、それは洗濯で到着した日に済ませた。やろうと思っていたことも一つ、それは市場の肉屋マリブリのご主人ヨシさんと酒を飲むこと、あとは日本との連絡及びこれから行く南米のairbのホストに連絡をとることだけくらいしかなかった。だからほとんど街ブラ兼買いだしで一日一回外に出るくらいしか動いていない、以前グアテマラで引き籠るという記事を書いたことがあるが、それは大いにあり得ることなのである。二日目の昼食にマリブリのカツ丼を頼んだときに、ご主人の消息を訪ねたところ明日は来ているとのことだったから、セニョーラにまた明日来るからと言づけておいた(余談だが、その日の朝食のカツ丼は食べきれず半分夜食べる)。今回もP.Tashiroは相変わらずほとんど満員状態だったから、3Fのキチンも若い人&時に年配の女性もいたりして賑わっていた。しかし流石に70越えのジイさんはでていくべきではないだろうと極力キッチンの使用は控えた、が、だからといって外食はしない人だから、そうすると屋台とか市場ででき合いのものを仕入れてきて部屋食となる。しかしそれもいつものことだから、そしてアンティグアの場合は市場に行けばほとんどなんでもあるから決して不自由はしないのである。ボデゴナBodegona(Tashiroから1ブロック、4~5分のところにあるスーパー)で酒を仕入れて飲んだくれていることが多かった。だが、たまにはKabukiで酒でも飲みながら話そうかと勝手に決めて翌日市場に出向いてみると、ヨシさんは身体を壊して酒はdoctor stop、コーヒーならいいというので、その日の夕方マックで待ち合わせということになった。彼とは何年も前から市場でお会いして挨拶を交わしていたが、ゆっくり話すのは初めてだったのだ。年齢は近そうだったので話も合うだろうと思っていたが、実際年齢はわたしの方が5つほど年上で、彼の様々なグアテマラでの苦労話や内輪話は大変面白いものがあった。もっと早くこんな機会を持っていたらと少々残念に思えた、それと身体がベストコンディションではなさそうなのが少々心配になった。また戻ったら顔をだしますといって、1時間半くらいでマックのお茶会は終わった。戻って田代さんに明日の空港までのシャトルをお願いし、その代金と宿泊代を清算してもらった。珍しくFBに載せるから写真を撮ろうといってくれたのでカメラに収まり、初めて田代さんのFBに載ったようだ(わたしはそれを見てないのだが)。あくる日(2月24日)ではまた、とお礼をいって9時のシャトルで空港に向かった。

暇にまかせてAntiguaの街を街ブラ、すべて以前に載せている写真ばかりである。パルケセントラルとカテドラル;3枚Img_0561_1 Img_0578_1 Img_0579_1

時計塔;2枚Img_0562_1

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カルメン教会脇の週末市;3枚Img_0572_1 Img_0571 Img_0570_1

エルマーナペドロ教会とサンタクララ修道院前の公園;2枚Img_0575_1 Img_0577_1

市場で出来合いのもの(4種類くらい)を仕入れてパンとビールの食事Img_0582_1

これはわたしのカメラで撮ったものだが、こんな感じで田代さんのカメラで撮ったものがFBに載ったはず?? Img_0557_1

Antiguaは今回あまり天気が良くなくてVolcan Aguaもずっと雲に隠れていたが、出発の日少し晴れて姿を現すImg_0585_1