独歩の独り世界・旅世界

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イキトス ~ リマ Lima

  半世紀前のアマゾン流域は(それはべらぼうなく広い領域なので、一様ではなかったとしても)よく知られているように未だ文明に接触したことのない部族は確かに住んでいたし、ほとんどは未開の地であった。それでも水運・水路を利用した交通・交易は発達しており、現地の人たちは知り尽くされた水路網を利用して日常生活は営まれていた。アマゾン本流はその大動脈であった。その後の50年は乱開発で森林は減り続け、生態系に異常をもたらし、水路上の村は街に、街は都市にと発展していった。今やいわゆる未開民族と呼ばれた人々は姿を消し、絶滅してしまった弱小集団もあったかもしれないが、原始的な生活を営んでいたほとんどの人たちは文明化し近代人になってしまった。ジャングルは切り開かれアマゾン横断道路に代表される陸路が、どんどん奥まで延びていっている。アマゾン流域はまったく様変わりしてしまったといっても、わたしのような風来坊がいったところで説得力がないのはわかっているが、それでもかすかに残っていた記憶から、そんな想い(ノスタルジア?)も生じてくるのだ。ただ、100年以上前から都市であったイキトスでも(この街は19世紀末のゴムブームで発展した街なので一世紀以上の歴史あり)、そこから延びる道路網は年々拡張の一途をたどっているが、それでも他の街(隣の街Nautaというところまでは道が通じていた)・都市、そして首都のリマとは未だ陸路では繋がっていないのだ。アマゾン流域の大都市の一つイキトスへは、今でも空路でリマから飛ぶか川伝いにボートでアクセスするか方法はなかったのである。正直いうと、その超有名なペルーアマゾンの大都市をわたしはそれまで訪れてはいなかった。今回のいくつかあった旅の目的一つがこの地を訪れることにあった。更にイキトスから前回訪れていた次の上流都市プカルパPucallpaまで、そこから先も運よくボートがあればさらに上流の村アタラヤあたりまで、行けたら行こうというのが今回のmainの目標だったのである。

 そこでレテシアからの高速船を降りて、イキトスに上陸したわたしが最初にしたことがプカルパへのボート探しであった。宿へ行く前に、岸壁で待ち受けていた何台ものTuktukドライバーと交渉して、足元を見てかなり吹っ掛けてきた中からやっと善良そうなやつを見つけて、そいつの三輪車の後部シートに落ち着いたときに初めてそれを口にして、まずプカルパ行の船を出している会社に行ってもらった。その辺りはイキトスの、ま、川沿い全体が港ではあったのだが、特に港湾施設が集中しているところであったから、その会社はすぐ近くにあった。が、出航予定を知らせる看板に書かれていた日付けが、ちょうど今日、つまり着いたその日であったことに非常に落胆させられた。次は4日後?そんなに待つ余裕はなかった、とてもショックだったが、それは諦めざるを得なかった。で、すでにairbで予約を入れてあった宿にいってもらった。

 そう、今回の旅で、ここイキトスまではほとんどスケジュール化ができていた。ま、飛行機の遅れなんかはあったが、そのくらいのことには対応できる日程を組んでいたし、多少のことは何とでもなるという自信はあったから、飛行機も宿も予約してきて、その通り消化してきていた。が、それはこのイキトスまででこの先一週間は空白にしてあった。さらにその先は帰り便となってボゴタ3/8→サント・ドミンゴ3/13→マイアミ3/14→成田3/15は決めてあった(予約済みであった)。なので3/1~3/7の一週間だけが状況次第ということにしてあったのだ。先ほども言ったように可能であれば、さらにアマゾン川を船で遡っていくというのが第一候補としてあったのだけれど、それについては来てみなければわからなかったのだ。まず第一希望の可能性がなくなって、さてどうしたもんかとイキトスの宿Hospedaje Neyditaで途方に暮れていた。ここの宿はイキトスの中心Plaza de Armasから10ブロック(20分)ほど離れたところにあって(Plaza Sargento Loresという公園に面していた)比較的静かな環境にある安宿といった感じ、airbの宿でもいわゆる民泊でなく、こうしたゲストハウスのような宿の予約もできたのだけれど、実際はゲストハウス値段の方がもっと安かったことを後で知ることになる。そこの宿のホストはLouisといったが、女性か男性か年齢も定かでなく、ただ名字がShinodaと書かれていたから、日系かもしれないと思って会って話すのを楽しみにしていた。が、実際出迎えてくれたのはとても親切な初老のおばさんだった。もちろんその方がLouisではなかったのだけれど、後で聞いたところによるとなんでも彼のおばさんとのことであった(Louisくんはまだ若い男性でリマ在住、リマで仕事をしているとか、電話で話して知る、言葉は英語)。彼女の名前は、ずっとセニョーラ(ま、おばさんといった意味)と呼んでいたので聞き漏らしてしまったが、当初一泊の予定が何日か未定のまま延泊をせざるを得なくなったことを最初にいったら、すぐにLouisくんにtelしてくれて彼から、その場合は一泊46soles(1600円)だけどいいか、といわれる。それはairbの予約1800円より若干安かったのだ。たぶんairbの場合一室二人用としての値段設定をしていたからだと思われるが、確かに初日は二人部屋で二日目からは一人部屋に移ることになった。全部で10室くらいあって、キッチンも備わっていたし毎朝おいしいコーヒーのサービスもあって、全体的に清潔できれいな宿だったから宿泊者も多く、人気の安宿のようだった。セニョーラは英語も話したが、わたしのスペイン語も理解してくれて、けっこう話が通じたのがうれしかった。荷のかたずけをして、いろんな情報をもらってから、早速街の中心Plaza de Armasまで歩いて出かけた。

順序が逆になってしまったが、まずIquitosの中心Plaza de Armasとカテドラル;2枚

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Hospedaje Neydita;2枚、毎朝おいしいコーヒーをいただいてたキッチンと建物内部 

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 この街は数年前にいったプカルパに似ていた。アマゾン川に面した都会という共通の立地条件だったから当然とはいえ、人も車も多く、市民の足はTuktukとおんぼろバスで、明らかにコロンビアに比べるとみすぼらしさを感じたが、活気はありそうだった。中央公園付近をうろうろして写真を撮っていると早速声がかかったのだ。何でもAmazonツアーにいかないか、というものであった。こういったツアーはAmazon流域の街では非常にポピュラーで、多くのエージェンシーが企画して観光客を集めているようだった。それはレテシアでもあったのだ。どうやらその多くは特に外国人向けということではなく、同国人(国内旅行者)を対象としているようだった。こういう呼び込みは調子のよい奴が多いので最初は相手にしていなかった、というかその手のツアーでいくようなところは、はるか大昔だが我々自身でいっていたので、わたしにはそれほど興味はなかったのだが、けっこうしつこかった。それでまずそいつに両替所はないかと問題をはぐらかして聞いてみた。彼はもっともレートがよいというところに連れてってくれた。確かにそこは前回よりレートがよかったのでとりあえず100ドルほど両替して、では、話だけでも聞いてあげると彼のオフィスに付いていってしまった。ま、それが間違いのもとだったかもしれないが、それよりもどうもペルーは為すことがちぐはぐになっていたようだ。わたしはその時この後の予定は決めてなかったが、一日はここでのんびりするのもいいかなと、一日ツアーの参加を承諾してしまい(そのツアーは日帰りはもちろん、一泊コースから一週間コースくらいまであって、それぞれ面白そうな企画ではあったし、けっこう長期ツアーに参加する外国人は多いとのことだった)、日帰りツアーの代金100soles(3500円くらい?)を払ってしまったのだ。それが失敗だったことに気づくのに30分もかからなかった。何となれば帰り際にイキトスの観光案内所はどこか聞いたら、広場の反対側にあってまだ開いてるようなことをいわれそこへいってみたのだ。セニョリータ<お嬢さん>が一人いて地図をもらい、一応プカルパへ行く船の情報を聞いてみた。そしたら詳細の書かれた一枚のコピーをくれ、見てみるとなんとそこには出航は月・水・金と書かれていたではないか?!その日は2/28で木曜日、つまり次の日の出航予定の船があったということだった。そう、プカルパへ行く船は一社ではなかったのだ。ガーン ! いや、もしこれが明日のAmazonツアーを予約してなかったら、その前に知っていたら、逆に大喜びしたと思う。いやーどうしよう、その夜一晩悩むことになった、、

街中を走るバスとTuktuk;3枚

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確かこの通りにインフォメーションがあったはず

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  次の朝とるべき行動は決めていた。前夜に買っておいたパンとおいしいコーヒーで朝食とし、部屋を移るので荷を整理しバックパックひとつ預かってもらって7時半には宿をでる。Plaza de Armasには8時前についてしまって、少し時間調整をして8時にはAmazonツアーのエージェンシーに顔をだした。まだ誰も出勤しておらず待たせてもらったが、責任者がくるまで20分くらい待つ。その女性の責任者に事情を話して(昨日の呼び込みの男は結局姿を見せなかった)ツアーのキャンセルを申し出、100solesの返却を求めた。わたしの感覚ではそれは普通に了承されると思っていたのだが、そのあと30分くらいわたしの持てる語学力(英語)・論理力を全開にして、説得を試みたが頑として拒否されてしまったのだ(負け惜しみをいわせてもらえばそれは語学力の問題ではなかったように思う、単に慣習の違い、ということのようだった)。悔しいが諦めるしかなかった、が、どうなるかはわからなかったが、とりあえず今日の参加は不可能になったので次の日に延期ということは認められたのだった。で、そのツアーは捨てるつもりで、昨日もらったコピーをもって船会社に向かった、というか、Tuktukをつかまえて、ここへ行きたいがとそのコピーを見せて、その場所まで連れてってもらった。オフィスがあるのかと思っていたら、そんなものはなく、ガードマンのような人に聞いたら、埠頭で荷の積み下ろしをしている大型貨物船を指して中に人がいるから直接交渉するようにと教えてくれた。その船会社はHenryといったが、そのマークの船が数隻並んでいていずれも作業中であった。どの人が船の責任者なのかはまるっきりわからず、それでも作業しているところへ足を踏み入れても何も言われなかったから、どんどん入っていってとうとう甲板に登っていってそれらしき人を探す。甲板には船客と思われる人たちがすでに十数人いてそれぞれ思い思いに過ごしていた。中には外国人の若者(バックパッカー)の顔も数人見受けられた。彼らに聞いたほうが早いかと思い、この船のticketはどこで購入するのかと聞いてみたら、それは下でといったのか、わたしにはその答えは意味不明だった。それでも下に降りてみると、いろんな人に指示を出している責任者のような人がいたので聞いてみた。まず、‘この船でプカルパまで行きたいのだが?’と聞いてみると100solesとの答え(たまたまツアー代金と一緒だった)、‘まだ受け付けてくれるのか?’ ‘アマカ(hamacaハンモック)を持っていれば問題はない’、‘キャビンもあると聞いているが?’ ‘この船にキャビンはない、甲板しかないからそこにアマカを吊るしかない’ 、ここで困ってしまった。アマゾン川を登り下りする貨物船の寝場所の基本はアマカであることは知っていた。が、その時点でわたしはアマカを持っておらず(買うこともできたが)それでなくても少ない荷で旅していたのと、ちょうどその時結構涼しい日が続いていたのである。寝袋もなく十分な防寒着も替え着も持ってなくて、アマカを買ってまでして(そのほか食事つきだったが、コップや皿、フォーク・ナイフ類も何も持ってなかった)4泊5日の船旅に耐えられるであろうか?しばし黙考して、今回はやめておいた方がいいかも、と断念したのであった。そこには伏線としてAmazonツアーの一件があったのと、Iquitos~Pucallpa間のプカルパ側一日分の行程はすでに航行していたことがあげられると思う。そんなわけで、その時点で次の日のAmazonツアーが生き返ったのであった。同時に、その後の予定として次の日3/2がAmazonツアー、3/3にはリマに飛ぶことを、よってIquitos延泊は二泊になることが決まったのだった。その船会社からTuktukを使っていったん宿に戻ってセニョーラにそのことを告げ、二泊分の宿代と頼んでおいた洗濯の代金を払って、荷物と洗濯ものを受け取って新しい部屋に移った。

Plaza de Armasに面したツアーエージェンシー(真ん中の黄色い建物)

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Tuktukに連れてってもらった船会社Henryと構内;4枚

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同じ会社の停泊中の船 

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その日出航予定の船に乗り込む;4枚   

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出航待ちの船客が思い思いに過ごしていたが、結局アマカを持っておらず断念する

 

 午後再びセントロに出た、この時はIquitos~Limaの航空券情報の取得、安ければ買ってしまうつもりで出かけた。Plaza de Armas周辺にはticketを扱うエージェンシーはゴマンとあって、いずれもその代金を表示していた。何件かその情報を漁っているうちに俄かに空模様がおかしくなってきたので、近くのレストランに避難してそこで雨宿り兼昼食、これは正解だった。雨が止むのを待って先ほど回った店の中で最も安そうだったところで買うことにする、が、いずれの店でも感じたことだが(例のAmazonツアーのエージェンシーも)どこも女性だったが、どうも愛想がよくない印象を持った。多少高くとも美人で愛想がよかったりすればそこで買ってしまうということもあり得るのに全滅、ならば安いところを選択したくなるというものだ。たしかIquitos~Limaは280~300solesだったと思う。3/3日曜朝8:40発のPeruvian Airはドル払いだと90ドルでいいというのでドルで払った。そして宿に戻り今度はネットでLimaの宿探しを始めたのであった。ところがこちらも全滅、いわゆるホテル検索サイトでもairbnbでも価格とロケーションでこれはというところを見つけられなかったのである。数年前Limaに滞在したときは確か日本で予約を入れていったと思う(つまり予約時に手元にガイドブック等の資料があった)、で、前回の時はそもそもあまり好きではないから利用しなかったのだが、Limaには日本人宿があったのを思い出してそこを調べてみた。連絡先がわかったので3/3に泊まれるか問い合わせてみた(泊まれます、という返事を次の日もらう)。その日の夕食も近くのtienda<普通の商店>でビールとパン、別の店でポテトとソーセージやらを仕入れて部屋食、缶ビールは一缶3.5solだったから100円くらい、たいてい二缶くらい飲むとよく眠れたのであった。

 

この時Plaza de Armas 周辺とAmazon川に面したMaleconTrapaca通りを歩く

Plaza de Armas全景

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Ex Hotel Palace(Casa Malecon Palace)ゴムブーム時代の繁栄の象徴する建物

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この一帯はMalecon、川沿いのプロムナード?

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雲行きが怪しくなってきて、レストランを探して避難、その時のランチ9ソル

 

 次の日はAmazonツアーの日だった、朝方の豪雨でこんな雨でも決行するのかと心配になるほどだったが、出かけるころにはやんでいた。9時集合だったが早めに着いてしまって、昨日の女性と顔を合わせて少しばつの悪い想いで全員が集まるのを待たなければならなかった。さて、そのツアーだが、結論を先にいってしまえば、ま、悪くはなかった?100ソルの価値があったかと問われれば、ま、それもそこそこといったところか?いや、あえて言えばわたしは年寄りなので、ほとんどの見ものも体験も、どうでもよかったのでそういう感想になったが、参加者の多数はペルー人で彼らはおおむね満足気の様子だった。で、このツアーについては文章でうまく表現できるとも思えないので、一応写真だけで勘弁してもらって終了解散は17時半ころであったことと、そのあとに起こった出来事を報告して了解していただきたく思っている。いや、またバカをやってしまったのである、、その朝、ツアー参加のために集合場所(Plaza de Armasに面したオフィス)に向かうときに手前の角で両替屋から声がかかったのである。‘いいレートで両替するよ’ ‘いくら?’ ‘100ドルで325ソル’ ‘悪くない、では夕方くるから’ といってその場を後にした。そのままそこへは戻らなければよかったのだったが ‧‧‧、、欲深のわたしはよくそういう手口に引っかかるのである。騙されやすいというか、そのトリックに気づかないのである、要するに手の込んだ詐欺だったのだ。被害額は100ソル、キャンセルできなかった100ソルのツアーを取り返したと思った矢先にまたすぐ100ソル失うことになった。これまで続いたペルーとの相性の悪さ・受難?はこの時頂点に達したといっていい。その時そこには数人の仲間たち - いずれも中年のおっさんたち - がいた。ま、彼らにとってはカモがネギをしょってやってきたわけだが、手口はこんなだった。いくら両替したいのかと聞かれたから、100ドルと答える、一人がわたしに325ソル渡した、この時この男はわざと10ソル札を一枚少なく渡してきたようだ。そこでわたしが数える、10ソル足らないではないか?、わたしは文句を言う(文句をいわずに315で逆にokしたら、あるいはあったものとみなしていたら何も起こらなかったのだが)、その男はそんなはずはないと、自分が手に取って数え始める、一枚ずつ数えて確かに足らなかったといって、10ソル札一枚足してわたしに戻したのだ。わたしは最初から疑ってはいなかったからそれをもらってそのままその場を去ったが、その時すでにその束から10枚分の10ソル札が抜かれていたのだった。見事というしかなかった、気づいたのは宿に帰ってからだった。そう、だからやられたと思ったが、うまくしてやられた、とも思ったのだ。またわたしの負けだった、、ペルーの旅は甘くはなかったのである(前回は一度もそんな経験をしていなかったのに、今回は立て続けだった、だから逆にペルーは最近少しヤバいのではと思い始めたのだった)。

 

Amazon Tourまずオフィスに集合して、ボート乗り場までバスで行くのだけれど、北端にある桟橋まで5分くらい歩く、その途中ちょうどカーニバルの時期だったからか、お祭りの準備中の中を行く、、

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ボートに乗り換えて出発 

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 ↑ 支流をまたぐ架橋工事中 

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最初に接岸したところは自然公園(水生動物公園といったところか?)ピラニア、パイチェ、ワニなどの生育する現場 

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ラニアの食性実験?

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蓮池

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Amazonの主役ワニに餌やり

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  パイチェにエサやり   

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コンゴウインコの檻 

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次にいったところは、サルと鳥と大蛇の小動物園?だいたい家族連れかカップル向きに設えられたところだから、わたしにはほとんど興味をひかなかった。写真のみ、、(船着き場、ま、カップル向きりのツアーである)

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二か所の見学を終えてAmazon Camp(昼食と滞在型の人の宿)へ

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昼食後は今や観光化してしまっているがネイティブの村へ

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民族衣装と踊りで歓待してくれる(もちろんshowなのだが、お土産一つしか買わない渋い観光客<わたし>をやってしまう)


帰路につく、17時ころイキトスに戻る

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 我ながら情けなくなってくるのは、100ソルを巻き上げられたことも知らずにそのあとTuktukベレン市場(いわゆる下町?)にいってもらって、その界隈を散策していて安くてうまい食べ物を見つけて得をした気分になっているこの能天気さ、その反動は宿に帰ってから青ざめることによってもたらされることになった。もうイキトスは退散したほうがよさそうだった。次の朝6時には起きて、その時間には最後のおいしいコーヒーが飲めて、セニョーラに十分礼をいい、そのセニョーラがTuktukを探してきてくれ空港まで10ソルよね、と念を押して見送ってくれ、9時にはLimaに向かって飛んでいたのであった。

 あくる日イキトスの空港 2枚

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