独歩の独り世界・旅世界

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スリランカ 2)36年振り、そして36年にして初めて‥

 やはり、われわれの組織名を公表するわけにはいかないと思うが(推測はつくと思うが)これは個人行動ではなかった、そこが組織力の強み、この遠征(企画・プロジェクト)は実にそのときから36年たった今日まで優秀な後輩たちによって引き継がれてきた、その間スリランカは内戦状態に入って、われわれが出かけられる時期は限られてしまったが、それでも都合7回の遠征隊が組織され継続的にその地の調査は続けられてきた、そしてようやく暫定的だが内戦の終結をみた今年(諸事情で派遣母体の組織名は変わったが)2003年の第7次隊を最後に途絶えていたプロジェクトは6年ぶりに第8次隊(NPO派遣第1次隊)として企画されたのだった

 インド亜大陸の涙と称されることもある小さな島国スリランカは赤道のちょっと上に位置するので一年中暑い熱帯の地である、そこのジャングルでの調査活動はまずなんと言っても体力が勝負となる、36年前に一度その地を踏んでいるとはいえその時26歳今62歳、もうすでに現役として活動するには限界を超えていた、だから裏方の役割しか担えないことを承知で、むしろ連れて行ってもらう立場でわたしは今年の隊に参加させてもらった、これまでに何度か隊長を努めた経験豊かなわたしの後輩が今回も隊長としての任に当たり、そのもとにこれもまたスリランカ滞在経験の長い女性が二人、さらに初参加の現役学生が3人メンバーとして集まり合計7名の隊員はそれぞればらばらに日本を飛び立ち今年の8月6日コロンボに集結した、そしてスリランカの関係者6名とともに8月8日調査地域の村に入りBCを設けジャングル生活は始まった

 恥ずかしながら実は36年前のことはほとんど憶えていないのだが(そのときの仲間はみんな鮮明に当時のことを昨日のことのように憶えており、わたしの記憶力の悪さは異常-つまり脳に欠陥があるのではないかと自らを疑っている)しかし現地入りする道中見覚えのある風景に幾たびか遭遇懐かしさを覚える、村はその後大きく変貌しておりバスの通る大きな道ができており電気が引かれほとんどの家庭にテレビがあった(冷蔵庫のある家はほとんどなかった、車を所有している家もほとんどなかったがバイクは普及していた)詳しく村の様子を描いていくときりがないというかわたしの手に余る、つまりスリランカ全体の話から進めないとこの村の生活水準も語れないと思うのだが、スリランカ自体がまだまだ開発途上国でインフラ整備の面でも相当遅れており(わたしがスリランカへわたる際に行きと帰りに乗継したタイのバンコクなどと比べても相当の遅れをとっている、逆にバンコクは近年ずいぶんと発展しているのに今回驚いたのだが)最貧国ではないにしても、まぁ貧しいほうかなぁ??しかしこれはわたしの論法でいけばまだまだ豊かな精神性が保たれている国、という言い方ができ、その論証・事例は後述~

 まぁ、そのスリランカの中でもど田舎のジャングル地域といえば押して知るべしだが、それでも道が通って電気が来ているのだからそろそろ近代化の波にさらわれる段階までは来ている、という言い方はできると思う、そんな純朴な村人の歓迎を受け、われわれは一軒の空き家を借り受けそこをベースにした、タタキに現地調達の茣蓙を敷き、これも現地調達の蚊帳を梁からつって寝床は完成、食料はすべて現地調達、料理人も村人を雇う、よってその日から約2週間村人の作るカレーを堪能した(実際的には全員スリランカ滞在中全食カレーで過ごしたのだけれど誰一人不平をいうものはなかった)そんなこんなでわれわれの現地滞在費は村人の人件費も含めて一人当たり一日1000円くらいのものではなかったろうか‥?そんなBCから隊員一人を残しジャングルに詳しい村人を案内人として雇い8月10日から調査活動は始まった、そのBCの留守番がわたしの役目だった‥

(写真は市場の風景とわれわれが2週間近く過ごした家、われわれをサポートしてくれた村人たちとの別れの風景 ‐ 他の写真は隊員が写っていたのでこれを載用)

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