独歩の独り世界・旅世界

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スリランカ 1) 36年振り、そして36年にして初めて‥

 36年前、わたしはまだ大学生だった、その頃一年先輩O氏のすばらしい企画に魅せられて仲間7人とともにスリランカへ渡った、まさに渡るという表現がぴったりだった、もちろんインドのボンベイ(当時)までは飛行機で飛んだ、そこから何日かかったのだろう、まずマドラスまでの長距離列車に乗った、マドラスからマドゥライ(Madurai)へ、マドゥライからラメシュワラム(Rameswaram)までは汽車で行き、ラメシュワラムでフェリーに乗ってスリランカのタライマナール(Thalaimannar)へ渡ったはずだ、はずだというのは当時のことはまるっきり覚えていないからだ、そうしてそこからコロンボまではまた汽車に乗って‥コロンボに着くまで少なくとも10日くらいかかったのではなかったか?

そんな古きよき時代の旅をまったく覚えていない自分が情けなくなって、今年再び(36年振りに)スリランカを訪れた(もしかしたら当時はまだセイロンという国名だったのだろうか)36年前の企画というのは、スリランカには野生動物が多く棲むジャングルがあって、野生の象やワニなどの危険な動物も多くそのため人跡未踏の地として残されている、がその地は1000年位前までは水田耕作が行われ人々が暮らしており、仏教を中心とした高度な文化的生活が営まれていた、その地がなぜジャングル化していったかは諸説があってはっきりしないのだが、そこには多くの仏教遺跡が手付かずで眠っている、それを探すことによってその地が昔人々が暮らしていた地であり、それがどうして廃れていったかの原因を探ってみよう、というものであった(現地のスリランカではそうした考古学的調査はまだなされたことがなかった、実は現在も)

 われわれは歴史家でも考古学者でも民族学者でもなくただのロマンチスト、探検という言葉に取り付かれた若者であった、山やさんたちが未踏峰の山を探して初登頂を狙うようにわれわれもまたすでにほとんど埋め尽くされた地球上の空白地を探していた、そのO氏の:慧眼は当りだった、まさにその時代、最後の探検的フィールドは残されていたのだった

 われわれ7名は現地の部落に約3ヶ月間、BCを設置し村人を案内人兼ハンター(動物の危険から身を守るため)として雇いジャングルを彷徨い遺跡を探した、当時野営道具一式3か月分の装備・食料は日本から船便で送って長期滞在に備えていた、そして多くの仏教遺跡を発見したのであった

 それらの学術的価値は日本では話題にならなかったが、当時のスリランカの新聞で取り上げられた、もちろん日本語の報告書も作った、個人的にはわたしの卒論のテーマになり休学1年、留年1年つごう6年在籍した大学を何とか卒業することができた、遠征が1973年卒業が1974年だった、そしてそれは1973年のことだったか1974年のことだったか、一通の手紙がスリランカからわたしのところへ届いた