独歩の独り世界・旅世界

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アメリカ・メキシコ・キューバの旅 26) バラデロ(Varadero)

 サンタクララを17時に発ったバスは、すぐに漆黒の闇に包まれ明かりというものがまったくない荒野をすれ違う車もなくどこへどちらの方向に向かっているのか定かでないような状態で走り続けていた、もちろん途中街らしきものもない、石油発掘現場の炎か工場の灯か、なにか時々それらしきものが目に入ったのを記憶している(記憶違いかもしれないが)大きな町の灯を目にしたときそこはバラデロであった、ここは海のきれいなキューバのリゾート地である、が、それよりもそれから何週間後に帰国して知ったことだが、その時ちょうどエリアン君問題が発生しており、その場にいたわれ知らずしてそこは世界中の注目を集めていた場所だったのだ(もう10年前のことで覚えていないと思うが、エリアン君問題とはキューバから小型船でアメリカに密入国しようとしたキューバ人10数人と一人の男の子(エリアン君)はアメリカ上陸前に船が沈没して大人2人とエリアン君だけ救助された、その後そのグループに同行していなかったエリアン君の父親およびキューバ政府がエリアン君の引渡しを求めていたもの、その後どうなったか不明)その場所が正確にはバラデロではなかったかもしれないが、いずれにしろメキシコ湾に面したアメリカの対岸マイアミに近いところである、そのバラデロ、リゾートといってもそこは社会主義の国、お客さんはほとんど外国人がmainで、アメリカやメキシコのリゾートとは違ってバスの到着した8時半は真夜中かと思うくらい静まりかえっていた、いや、本当に商店は閉まっており人通りもほとんどない状態で、さて夜の街どうやって紹介された民宿(といっても普通の民家)を捜すか、このときばかりは流石に焦った、何しろ手がかりは何もない、住所が書かれた紙切れ一枚、人に聞き勘を頼りにさ迷い歩く、どうやら民宿が人知れずにボランティアで営んでいるらしいからあまりおおっぴらにも聞くことができない、それでも30分くらい訪ね歩いてMaria Perezの家を見つけることができた、着くとやはり連絡を受けていたのかすぐにわたしを部屋に通してくれた、海風の入る気持ちのよい部屋だった、マリアおばさんも人のよさそうな上流の人という印象だった、がやはり周りの人に気づかれなかったかどうか気にしていたようだった

 翌日ハバナ行きのバスは8時と16時と18時の3本で、16時のバスを予約しそれまでバラデロの街と海岸にて暇つぶし、いやまったくリゾートとは名ばかりで大きなホテルがいくつかあったが観光客は見当たらない、日本で言うと閑散とした冬場のリゾートといった感じ、しかし海はきれい、ごみの類一切なしの白い砂浜がまた延々と続いている、暇をもてあまししばし浜辺で寛ぐもなんとも刺激がなさすぎる、小さな街を歩き洗濯屋を探し馬車に乗って食べもの屋を探す、このリゾートが賑わう日ってあるのだろうかと心配になる、カンクンに負けない海があるのに(もちろん経済が自由化し観光客が大挙押し寄せる日がポストカストロの時代になれば来るだろう、しかしそれは人心を荒廃させ海を汚す結果もあわせて持ち合わせている、コインの裏と表だ)

  16時発のバスは3時間でハバナに到着、ハバナに近づくに連れて街が人が工場が石油発掘現場が現れてきた、車も多くなった、今夜のホテルはハバナを出る日に予約しておいた、街中なのでどこに行くにも便利だった、がホテルにチェックインしたのが8時ごろだったので夕飯を食べに出るくらいしか余裕はなかった、そこで前に行った中華街にまた行った、というのも手ごろな(安くてうまそうな)飯屋を捜すのがやはり情報誌がないので難儀だったからだ、そういう場合相場の知れたところなら安心して食える、そしてそこで久しぶりにセルベサ(ビール)を飲みモヒートを飲んだ、ささやかな贅沢、ハバナの夜はトロピカルナイトいい気分になって彷徨い歩きたくなるも、行く先を知らない懐具合も豊かでない、安酒買ってホテルで一人ちびりとやって眠りにつく‥