独歩の独り世界・旅世界

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わたしの旅暦 1)

 前に(このブログの最初のほうで)書いた記憶があるのだが、今度のスリランカ・タイ・カンボジアの旅を記す前に今までの旅をもう一度振返っておこうと思う、というのは今までに数多く長旅をしてきたのだけれど、もうあらためて詳しく書き連ねることが難しく思われてきたからだ、だから概略的な記述で整理だけでもしておこうかと思ってのこと‥

 順番は新しいものから古いものへ、1999年のアメリカ・メキシコ・キューバの旅の前は1995年のインド2週間の旅となる、以下1992年1989年1978年1973年1970年に大きな旅をしたはずだが、いまや確かでないので資料を探しながらの確認作業となる、ということで国内旅行、短期の海外旅行(社員旅行や友人とのツアーでの旅、数回あったが)は省略

《1995,3,18~3,31 インド2週間》   実は旅発った2日後にオウムサリン事件が発生、インドで現地の新聞の一面にでかでかと報じられていたのを見た記憶が鮮明に残っている、この年の1月には阪神・淡路大震災が起こっており、当時失業中だったわたしは3日間くらい神戸にボランティアに出かけたのも憶えている、この時わたしは48歳息子が高校に入学する年だった、当時は現在のように景気が悪かったわけではなく(バブルは崩壊していたが)まだそれほど求職に困る状況ではなかったと記憶している、実際は高年齢が故旅から戻った後の再就職は困難を極めたが、1994年の暮れにある目的を持って自主退職したので社会の状況による失業ではなかった

 その目的というのは、結果的に失敗に終わったのでここでは触れずにおこう、それまで10年近く働いていた会社と仕事に嫌気がさし一日も早くサラリーマンをやめたいと思っていてある資格をとって別人生へ挑戦と考えていたのだが、ま、そんなに甘くはなかったというこでその後けっこう苦労するのだが‥しかしタイミングというものはあるもので、その時機をこの息子の高校進学にあわせていたのももうひとつの理由としてあった、つまりこの旅は実は息子を連れて行くことがその主眼だったからだ

  この旅の記録は時の流れと逆順に記しているので説明がややこしくなるのだが、それまでの旅にはひとつの順序があった、どういうことかといえば上記1970,1973年の旅は一人旅、1978年は新婚旅行、1989,1992年は家族旅行として出かけ1995年は思春期に入る手前の息子をどうしてもインドへ連れて行きたかったという旅人生を選んだわがまま父親のせめてもの親心?と思ってくれればありがたいのだが、むしろ結果は無理やり連れて行く(息子からしたら無理やり連れて行かれた)、つまり他のすべてもそうなのだが単なる親の(わたしの)勝手な想いから一方的にしているだけで、本人にとっては興味も関心もなくただいい迷惑だという塩梅であった - その4年後に公平を期して下の娘をアメリカまで同行させたのはアメリカ・メキシコ・キューバの旅に書いたとおりである

 どうもバカなのは常に親のほうなのかもしれないが(いわゆる親ばかの典型)ろくな教育をしてこなかった手前、せめて旅の技術(そのくらいしか教えられるものがなかったのが悲しい&それは引き継がれなかった)だけでもこの年頃に教えておこう、そして現実の世界を少しでも見せておこうと選んだのがインドだった、そしてその時機は反抗期には入っていたがまだ自立には程遠い中学から高校くらい、となると中学卒業から高校進学までの間の2週間という具合に絞られていった、たまたまレベルは高くないが公立高校に受かってくれ、わたしは失業中であったこともあってその準備は着々と進み、中学の卒業式を済ませ高校の入学の手続きを終えたあくる日3月18日にわれわれ親子は成田を発った

 この頃わたしはまだパソコンを持っておらずもっぱらワープロを使用していた、で、この旅の記録はそのワープロで認めたものが残っている、それはかなりの量でそれをこの場に再現したいのだけれどその方法がわからない、なのでこの旅についてはその時訪れた場所のみ記して記録のほうは他日としたい、訪問地は以下であった

バンコクカルカッタダージリン・ブダガヤ・ベナレス・デリー・アグラ、すべて汽車とバスの旅2週間、かかった費用は渡航費と土産代を除いたら5~6万円であった