独歩の独り世界・旅世界

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スリランカ 3)36年にして初めて‥

 直前のブログにも書いたことだが、この遠征は結果的にある意味成功だったと言える、すでに帰国して4ヶ月が経ちその間報告会も開き、報告書の準備も見通しがいまひとつ立たないものの少しづつだが進められている、何よりの成果は報告会・報告書に発表するに値するものを見つけることができたことである、それをここでは詳しく述べないが、とりあえず短期間にそれなりの成果を上げることができたのは1)長年にわたってこのフィールドに関わってきて、土地の事情・住民とのコミュニケーション・情報の収集・調査の段取り等がスムーズにいったこと、2):多大な村人・スリランカのオフィサーの協力に預かったこと、3):経験者・現地語堪能者・若い力といった隊員の構成がよかったこと‥等々があげられると思う、もちろん細かく言えばいろいろ問題点・反省点もあったが、こうしてわれわれのプロジェクトNPO派遣第1次隊は来年派遣の第2次隊に引き継がれることになった‥

 さて、以下話題二つ、1)スリランカの村人の純真性と身体性

 貨幣経済の影響が良くも悪くも少ない(つまりわれわれの基準からすると貧しい?)彼らはいまだにきちんとした村社会のルールの中に生きており、いわゆるやましい心がまったく見られない、純粋・純朴、純真な人々である(都会に行くともうわれわれと変わらないが、それでもわれわれより純粋・純朴な印象は受ける)、情報とお金が少ないということが人を貪欲・無節操・不純な世界から身を守る手段であるかのように‥ということは彼らに限らず一般的に言えることだと思うが彼らも経済的に豊かになるにしたがっていつの日か純粋性が失われていくことは充分考えられることである、で、同時にそれは身体性との関係も物語っているように思う、即ち彼らの頑健・頑強な肉体、すばやい身のこなし、聴力・視力の驚異的な優秀さ、また記憶力の素晴らしさ等々、決してある特定の人というわけでなく、すべての人々に備わっているもので、これをわたしは経済性・精神性・身体性のトライアングル(相関性)と見ている、そういう意味で彼らの身体性の素晴らしさは特筆モノで、これであの国の交通事情(追い越し車線のない道路で車は衝突直前までギリギリの追越をかける、どの車も例外ではない)も説明がつく、つまりそのギリギリの距離(時間)がわれわれとまったく違う、また彼らの表情のイキイキ・溌剌としていること、これは写真でもきちんと写っているのだが彼らの目の輝き、漫画によくある目の中の星が実際全ての彼らにあった、また老いぼれのいやらしさと非難しないでもらいたいのだが、真っ白い制服に褐色の肌の女子高校生の肌のみずみずしさ目の輝き、真っ白な歯並びの笑顔の素敵なことはこれも例外でなくすべての女子高校生に備わっているものだった、そこには微塵も不純さが感じられなかった(某国の女子高校生に比べて)、この身体性は疲弊したわれわれ〈いわゆる〉先進国の人間が失ってしまった、確実に昔われわれも備えていたもののように思われた

2)36年にして初めて

 36年前の新聞報道を見て一人のスリランカの女性がわたしに手紙を書いてきた、後で知ったことだが彼女はわたしを選んだのではなく、誰ということなく偶々送ったのがわたしだったらしい、で、わたしは当時のことをまったく覚えていないのだが、それに対して返事を書いたらしい、そしてそれ以降二人の間で文通が始まる、わたしの英語ももちろん拙いのだが、そのスリランカ人の英語も同じようなもので、まだ年若かった二人はやがて淡い恋心を抱くようになる、といっても遠方&英語のやり取りは早々簡単にできるわけでもなく意志の疎通もままならなかった、それでも当初は年に数回は手紙を書いていただろうか、それが年とともに年1回のグリーティングカードへと変わっていく、が、この文通は途絶えなかった、わたしが今年スリランカへ行く決心をする5年くらい前に、そのうち仕事をやめたら再びスリランカへ行くチャンスがあるかもしれない、と書いてからは、いつ来るんだいつ来るんだと毎回書かれてあった、そのうち何回かの試みの後e-mailが繋がった、やはり手紙より便利になり行き来がまた増えた、そうしたところへ持ち上がった今回の遠征話、逆に言えばこのスリランカの女性との文通がわたしをその気にさせたといえるかもしれない、いつの頃からかわたしはこの女性とスリランカで会っていたのではないかと錯覚し、なんか再会のため再びスリランカを訪れるような気になっていたのだが、実は会っていなかったのだ、つまり36年にして初めて会うチャンスが訪れたのだった、渡航直前はe-mailのやり取りが頻繁になった、それまで一度も気にせずどこかも知らなかった彼女の住所をはじめてスリランカの地図上に発見した、現地に到着してからは毎晩彼女からケータイに電話が入った、これはシンハラ語のできないわたしに代わって隊員の女性が通訳を買って出てくれ、わたし以上に彼女の信頼・印象をよくしてくれた、そして彼女の一家上げての総勢6名でわれわれのBCに訪ねてくれることが決まった、当日彼女・ご主人・長女夫婦・次女・ご主人の兄弟合わせて6人は、もちろん彼らにとってもど田舎のわれわれのBCのある村まで彼らの車でやって来た、感激のご対面はなされた、いや-もう孫がいてもおかしくないおばあさんだった、相手のことは言えない実際こっちは孫一人の爺さんだったのだから、しかしスリランカで車を持っているのは上流の人だ、長女夫婦はスリランカの最高学府ペラデニア大学を卒業してお二人ともお医者さんだという、次女もペラデニアの学生だという、ご主人はもう引退しているようだったが、小さな会社の社長さん風、到底わたしのお相手できる身分の人たちではなかった、しかし気さくな彼らはお土産をいっぱいもって来てくれ、われわれの料理人が作った昼食も食べてくれ、しばし歓談の時間をもつことができた、別れ際にこの遠征が終わったら是非自宅によるようにと招待を受けた、1週間後に訪れた邸宅は椰子の林に囲まれ蓮の池が見下ろせる立派な屋敷であった、そこで最初からずっと大事にしまってあったというわたしからの手紙を見せられ、なんかとても気恥ずかしくなってしまった、そうそのとき彼女は16の乙女だったということを初めて知った‥