独歩の独り世界・旅世界

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アメリカ・メキシコ・キューバの旅 27) ハバナ

 翌朝海風を受けて海岸線を散歩していたら、女性だけのデモの大群に遭遇した、どうやらそれがエリアン君を取り戻せっていうデモだったらしい、その時わたしはよくわかってなかったのだがちょっと気になったので、街角でその日の新聞を買った、それにはエリアン君のことが載っていたが、わたしの語学力では理解できなかった(そのときの新聞は今手元にある)その日の午後にわたしはマルガリータおばさんにTELしている、マルガリータおばさんとはどうやら3日前サンタクララへ行くバス停に行く途中で出会った日本語を話す女性のことらしい、そのとき話した内容はすっかり忘れてしまっているが、恐らく14日にハバナに戻ったらTELするように、ということだったかもしれない、わたしとしてもキューバ情報は知りたかったので楽しみにしていた節があるのだが、ホテルからTELしてみたがあいにく不在だった、その日しかわたしはハバナにいないのだから結局再会はならなかった、そしてもう一人のおやじレネ氏は約束どおり7時にホテルに現れた、それまでにわたしはサンタクララについた夜、食事は提供できないとのことで紹介されたレストランで食べきれないほどのもてなしを受けたのを例外として、あまり食事に恵まれていなかった、考えられる理由はいくつかあった、まず言葉の問題、そして食事に関する情報不足(何をどこで食べる、どこが安いといった類)そしてもうひとつ、これはわたしの推測だがはキューバにはあまりうまい食べ物がない、あるいはともかく経済的に疲弊しているが故の物不足、それに伴う食糧不足、そんな事情があるのかもしれないと思っていた(もうひとつはわたし自身の懐事情もあったが)、そこでわたしはレネ氏にキューバの大衆食堂に連れて行ってもらいたかったのだが‥結果は惨憺たるものだった、まず言葉の問題でわたしの意向は伝わってなかったかもしれない、次にキューバの大衆食堂なんてなかったのかもしれない、さらにレネ氏はしばらく口にしていないレストランの味を楽しみたかったのかもしれない、いずれも推測の域に過ぎないが、連れて行ってくれた先は洒落た造りの外国人向き(決してわたし向きでない)としか思われないレストランだった、そういうところはすぐにわかるので、もうそれだけでわたしの味覚は機能しなくなる、あまり美味しいとも思われない(何を食べたかよく憶えていない)定食風のものをかしこまって食べた(スープ、オードブル、魚と野菜、パンとライスが出た)覚悟していたが、それはそれは(わたしにとっては)高かった、例えていえば前にレネ氏から聞いていた平均的キューバ人の1ケ月分の生活費と同額であった(この例えはよくないかもしれない、何故ならそれはわたしにとっては高かったが一般の旅行者特にアメリカ人からすれば、普通の値段、つまり如何にキューバの人々が細々と暮らしているかの例えにしかならないから)、予定外の出費にその後の予定も変更せざるを得なくなった、やはりここまで来たからにはサルサも聞きたかったしそういうところにも足を踏み入れてみたかった、しかし今はっきり認識したことは、それはあくまで外国人旅行者向けのところで地元の人にとっては縁のないところだったのだ、つまり彼と一緒には行けない(外国人向けの料金を二人分払えるほどの余裕はなくなっていた)、彼もその辺を察したのかその後は用事があるとかで別れた、ハバナの夜は暗い、なすすべのない男たちがあちこちにたむろしている、が不思議なことにここは決して物騒ではないのだ、みんな気が優しくて親切で、ただ金がないだけ心は決して汚れていない、おそらく凶悪事件とか犯罪の類はほとんど縁のない理想的な社会ではないかと思われた、ただ経済的な豊かさとも縁がなく、そのためのやるせなさ、どうしようもなさ、虚しさは感じられた、が彼らにはそれでも明るさと活力は天性のごとく備えている、だから経済封鎖が解かれたら(カストロが死んで政治的な転換がもたらされたら)それこそ恐るべきキューバとなること間違いない、それは今でも音楽・スポーツの世界では如実に証明されている、でも彼らはカストロの退陣を望んではいない、その反動がどのようなものであるかまでちゃんと見透かしているようなまことに賢い国民にわたしには思えた