2009-01-01から1年間の記事一覧
久しぶりに昔の仲間とのグループ登山をした、昔の仲間はみんな山やさんだから置いて行かれないよう、ついて行くだけでも大変なんだけど、やっぱりみんなそれなりに年を食ったからそれほどペースが速くなかったので、だいたい地図のコースタイムで登れた、以…
1999年の大晦日、わたしはメキシコの亜熱帯ジャングルの町パレンケにいた、その昔読んでぜひ行ってみたいと思っていたマヤの末裔が未開のまま暮らしているというラカンドンに行くにはここからかグァテマラから入るルートしかない、そのツアーを明日に控…
貧乏旅行者に寝袋は必須である、わたしもかつての長旅には持参していた、今回は、ま1ケ月それもメキシコ、野宿はしないつもりだったので、荷を軽くするため&ザックも30L位のものにしていたから持ってこなかった、メキシコ高地の冷え込みを想定してなか…
グァテマラ国境に近いのだから、もう少し暖かいと思っていた、寒くさえなかったら最も印象のいい街といえたかもしれない、インディオも多く大きな建物はそんなにない、カテドラル・ソカロを中心とした街は歩き回るのにちょうど良い、13時間くらいかかって…
もうお気づきだと思うがこの旅の最大の失敗はデジタルカメラを持っていかなかったことだ(その当時持ってなかった)、カメラは使い捨てを2台持っていったが充分なはずはない、結局撮るところを制限してしまって肝心なところが撮れてない、今それを時々見て…
今となってははっきり覚えていないが、12月23日はオアハカのNoche de los Rabanos大根祭りの日だということを知ってて、それに間にあうようにその地へ行こうとしていたような節がある、バスがオアハカのバスターミナルについた時、それ…
さて、この辺で今回の旅の目的みたいなものを書いておこうと思う、前にちょっと触れたがひとつは本を買うこと(これはスペイン語の独学をしようと思って捜してたのだが、結局メキシコシティで手に入れて持って帰ったものの1度も開くことなく今日に至ってい…
翌12月23日欲張りなわたしはもうひとつの近郊遺跡カリストゥラウアカ(Calixtlahuaca)遺跡にミニバスで向かった、トウモロコシ畑の中に今も暮らすインディオの村にちょっと異色なまったく造形の違うカリストゥラウアカ遺跡はあった、今もこの地に住むマト…
当時の記録によると、わたしが泊まったシティの宿代は素泊まり70ペソ?食事つきで120ペソ(当時1ペソ10~12円くらい?)いかに日本の物価に比べれば安いかがわかる、朝食つきで1ヶ月260ドルとの記述もあった、トルーカへのバス代が36ペソであっ…
旅の最も重要なポイントの一つは誰しも想像がつくとおり、宿である、どこへ泊まるか?われわれ貧乏旅行者は、できるだけ長く旅しようと思っているから必然的に安宿を捜すことになる、そのために旅の途中で出会う同じような旅行者との情報交換はとりわけ重要で…
御坂山塊の名峰、黒岳と釈迦ヶ岳の登山を企画し先週4月4日5日で春山登山を楽しんだ、以下その記録 山行記録 ; 4月4日(土)千葉発 6:30 あずさ73号(臨時)石和温泉着 9:00 タクシーで御坂峠文化の森入り口まで(タクシー代5600円くらいだった)9:45…
この美しい町をわたしの拙い文章力で表現する自信はない、その後何年かして世界遺産の映像で見たことがあるが、今はそういうビデオが簡単に手に入るから、手っ取り早いところでそれはお勧めである 寒くて寝られなかったのは、その町が中央高原に位置したから…
このときの旅の目的(地)はいくつかあったが、当面の目的地はグァナファト(Guanajuato)であった、知る人は知る数あるメキシコのコロニアルな都市の中で最も美しいといわれている町(その後世界遺産だったことを知る)、最初の旅ではそこに寄れなかったからだ テ…
(この旅の)30年前1970年に初めて日本を旅発ったときの行き先はハワイだった、目的地は南米、まずハワイまで船で行きそこから空路本土へ飛び、アメリカ・ロスアンゼルスでバイト、半年後南米目指して陸路メキシコに向かった、その後約1年旅は続き中南…
せっかく書いた文章がまた消えてしまった、どうなってんだ ! まったく腹立たしい ! ! ま、気を取り直して書き直すが、いつも思うことだが同じ文章はつづれない&はじめに書いたものの方が絶対いい、くやしいが思い出しながら‥ 前の旅のブログで‘がんじい’とい…
この旅のブログを書くに当たって当時の資料を探していたら1枚の紙片が出てきた、そこには下手な字で、ほとんどひらがなで書かれた文章がつづられていた、以下原文のまま全文載せることにした がんじいへ (がんじいとはわたしのことである、いずれ機会があっ…
娘を一緒に連れて行くことにしたのにはわけがあった、わたしはそれまでに家族との旅を以下のようにやってきた①奥さんとの旅、いわば新婚旅行1978年?約半年②子供達を連れての中国の旅1989年1ケ月③子連れ東南アジア1ケ月1991年④息子を連れてのインド2週間(オウ…
ここ何年か読み続けている人に中島義道という人がいる、その人の名著のひとつ‘人生を半分降りる’を読んだのはいつのことだったか?しかし、確実なことは(発行されたのは2000年10月だった、今手元の本で調べた)、そこに書かれていることをその本を読む前にわた…
中央線沿線&大月周辺には大月市が指定した秀麗富岳12景(前に書いたかもしれない)ってのがあってそのうちの一つ、1000mに満たない山なのでわれわれはハイキングと称して、先週の日曜日(3月1日)トレーニング登山をしてきた、以下その記録 山行記録 ; 中央線…
さて前回ちょっと触れたことだけど、わたしの旅 2)中国・台湾のような旅行社のツアーは、実はわたしの旅ではない、ま、歳もとったし気の置けない仲間と安・近・短で出かける分には今は旅行社が本当に値打ちのある旅を安く提供してくれていてありがたいのだ…
一ヶ月のご無沙汰である、ブログが遠のいている、やはりまとまったものを書くのは大変なのだ、しかしabout meで知り合った方のブログを覗いてみると、ほんとにいろんな個性を持った方々がいて、面白いし上手いし凝ったサイトを作られているのには感心する、…
2001年も、というか2002年以前の山は年に2~3回くらいだったのが記録からわかってきた、理由の一つはやはり仕事が忙しかったのだろう(ほかの事で忙しかったのかもしれない??)記録によると2001年も3回しか出かけていない‥ 2001年2月1…
2002年、もう8年前のことか‥今記録を見てみるとこの年はどうやら一つの屈折点(節目?)だったようで、身辺いろいろあって山へ行った回数はかなり少なかったことがわかる、むしろその身辺雑事のほうを書いておくべきかもしれない‥ 2002年5月3日 三…
本年(2009年)最初の書き込みとなる、他(about meやお喋りパーティ)が忙しくて・面白くて、ついつい遠のいてしまった、しかし昨年30日から2日までの山の記録を早々載せておかないとたぶん書きそびれる恐れありで、とりあえず記録だけでも書いておこう…