独歩の独り世界・旅世界

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アメリカ・メキシコ・キューバの旅 25) サンタクララ 2

 サンタクララの町にゲバラの廟があることは知っていたし、それがここを訪れた目的のひとつであったのだが、なぜゲバラの廟がここに設けられたのかは知らなかった、それはここがキューバ革命の躍進の発端となった地であったからである、今からちょうど50年前にカストロゲバラキューバ革命は成功し、われわれが若いころのゲバラの人気は大変なものであった、その経緯について詳しくは知らないが、その発端となった列車転覆を仕掛けた踏切がわたしが泊まったネルソン家のすぐ近くにあった、そしてその日ゲバラの廟を詣でたとき、そこに展示されていた資料などからこのサンタクララが、その踏切がその革命の展開に重要な意味を持っていたことを知ることとなった、しかしそんな有名なところとは知らない人が訪れたときそこはなんとのどかな街かと心の安らぎを覚えるような町でもあった、しかもここはキューバ第2の町なのだ、確かに少ないながらも車の往来はあったしバスも走っていた、しかしなんと言ってもこの街を歩くのには馬車がいい、ネルソン家から程ないところが町の中心となっており、そこからゲバラ廟までけっこうな距離がある、普通のバスもタクシーもあったが公共の乗り物として馬車が健在であった、一度乗ったら辞められない快適さ・適当な速度、なぜ人間はこの乗り物で満足せずにその後CO2を排出し地球温暖化の元凶となった自動車なんてモノを作り出したのだろう、馬車に乗っていると自然と気持ちがゆったりとして穏やかになっていくのに‥ しかしキューバにおいては経済発展が遅れたための怪我の功名ということだったのだろうか?あれから10年経ったいまでも馬車は健在であろうか?ゲバラ廟が健在であったとしても馬車のないサンタクララはわたしにとっては何の価値も魅力もないただの思い出の地にしかならない‥ さてゲバラ廟はわたしが訪れたときそれでもポツリポツリと参拝客はあった、立派な建物で何人もの人がその維持管理のために働いていた、おそらく絶えず絶やさずに献花されている薄い橙色の花とその香りに包まれたその廟はやはりカストロの右腕に相応しくカストロの指示によって作られ丁重に維持管理されているのであろうことが伺えた、花好きの人ならすぐに知れたであろうその花が気になった、また馬車に乗って街に戻ったとき広場の一角で同じ花を売っているおばさんを見つけた、その花はなんていう花なの?と聞いてみた、スペイン語でわかりにくかったけれどどうにかそれはグラディオゥラスとわたしには聞こえた

 ここの民宿事情がどうなっているか詳しくはわからなかったが、どうやら公にはできない類のものだったらしい、がそれがネルソン氏の個人的知り合いだったのか、あるいは民宿同士のつながりでもあったのか、ネルソン氏は次に向かうVaraderoの民宿を紹介してくれた、何から何までお世話になりおまけにバス停まで見送りに来てくれ別れを惜しんだ(昔の日本もこんなだった気がする)あいにく日本からの土産を持ってきておらず心苦しくサンタクララを後にすることになった、どうやら退役軍人として悠々自適の余生を送っているらしいネルソン氏はこの国では上流に属するレベルでそんなわたしの杞憂をとるに足らぬものとする立派な大きな人物であった、やはり恐るべし(すごいという意味で)キューバ人!