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インドネシアの旅 第五章 バリ島 その2,ジンバランJimbaran~帰国、まとめ

 最終日は、夜の9時頃まで、どこかで時間を潰す必要があった。もちろんウブドに夕方までいてそれから空港に向かっても間に合ったのだけれど、ウブドは2泊したし、できればいってみたいところが二ヶ所ほどあったので、11時ころのバスで(これが一便だった)Kura KuraバスのDFSターミナルに戻る。いってみたいと思っていたところの一つは、実はルテンで知り合った日本人倉地さんが教えてくれたデンパサールのお勧めの日本食レストランであった。が、そのときは実際そこへいってみる時間なんかないと思っていたから、簡単な地図を書いてもらっただけだった。で、ターミナルに着いて、いざ行こうとした時その地図だけで、それがどのへんなのか皆目見当もつかなかった。それでも通り名と店名は聞いていたから(Jl.Sesetan ムティアラ)タクシーを使えば行けたかもしれなかったが、タクシー嫌いなわたしは持っていた地図のなかで一生懸命探してみた、が、結局その場所を見つけることはできなかった。そこで第二案の場所にいくことにする。そこは場所がはっきりしていたし比較的空港からも近いところだったので、最終日の時間潰しにはもってこいのところのように思っていた。そのためには少々段取りが必要だった。Kura Kuraバスはその日も有効だったから、まず、一昨日に泊まったホテル近くのAston Kuta Hotelまでバスで戻り、そこから10分歩いて空港にいって、そこで荷物を預ける。荷物を預けたらオジェをつかまえる‥、、

Puri Lukisan美術館駐車場でライスプディングを食べながらバスを待つImg_8270_480x640


 12:50にターミナルに着いて次のKuta Line のバスを聞いてみるとちょうど13:00発があってラッキー、が、その日も渋滞激しく、特に<Jl.Airport Ngrah Rai>空港通り端のロータリーが工事中で、そこがネックでまったく動かなくなる。それでも13:20 Aston Kuta 13:30空港荷物預かり所、そしてまた例の地元の人しか通らない通路のところまで戻って、るオジェドライバーと交渉になった。行き先はパサール イカン<Pasar Ikan>魚市場であった。そこは空港のすぐ南にあったが、そこにいくには空港から歩いていく道はなさそうだったので、オジェを使うしかなかった。地区でいうとジンバラン地区、Kura Kuraのバスはその近くさえ通ってなかったが(歩ける距離のところを通っていればそれを使うつもりだった)、二日前にJimbaran Lineのバスに乗り込んだときジンバラン地区の地図を見ていて見つけたところだった。交渉は50でまとまり、すぐにバイクにまたがったが、いずれにしろまた工事中のロータリーを通らなけれはならず、それでもバイクだったから少しばかり早く抜けて14:00着、魚市場及びその周辺をうろつく、、そのあと市場内を一周して、だいたい感じがつかめ一旦外に出ると、どこからとなく香ばしいにおいが漂ってきたのでついついその方向に引き寄せられていった。そこは市場に隣接しているレストランが数件、うまそうな魚介のBBQに舌鼓を打っている観光客、地元客の姿があった。実のところそれがわたしの狙いでもあった、たぶん安食堂はあるだろうと思ってそれまで昼食もとらずにいたのだ。早速、すいてる一軒に入って注文しようとしたところ、どうも勝手が違った。BBQ担当のお兄ちゃんに聞いてみると英語で説明してくれた。まず市場で自分の食べたい魚介を買って来なさい、そしたらこの炭火で焼いてあげます‥、代金はよく覚えてないが2~3kgで10といったか15といったか、何しろそれはたいそう安かったし合理的に思えたので、では買ってくるといって再び市場に入っていった。しかし、それはそれで迷うのであった。あれも食べたいこれも食べたい、しかし言葉は通じない、従って値段もわからない、BBQのお兄ちゃんはロブスターがお勧めといっていたが、こんなところでも貧乏性が出てしまって(高いだろうと思って)聞きもしなかった。結局わたしが選んだのは好物のイカ一杯とハマグリ数個であった。両方で20、安すぎたがそれ以上は食べられないのではないかと思って追加しなかった。戻って、焼いてもらいながらビールとご飯を注文、少々遅い昼食となったが、それは誠に満足いくものであった。しかし、その経験でいくつか学ぶことがあった。もし今度来ることがあれば(是非もう一度行きたいのだが)1,少し大勢で行くこと、2,もっと早めにいって、安いのだから、あれもこれも買って宴会をする、3,醤油を持参すること(できたら日本酒も)、、いや、ビール一本だけだったがいい気持ちになってしまった。きっと宴会になったら帰れなくなってしまうことであろう、ちなみにビール、ご飯、BBQ代の請求はトータル55(450円くらい?)でそれに魚介20足しても、600円?安すぎであった、、

オジェドライバーが魚市場まで連れてってくれたImg_8281_640x480

市場に入る前に周辺をうろつくと突堤があったImg_8276_640x480

突堤右辺、空港方面;3枚Img_8275_640x480Img_8277_640x480Img_8278_640x480

左辺(Jimbaranの浜);2枚Img_8279_640x480Img_8274_640x480

市場;4枚Img_8284_640x480Img_8282_640x480Img_8286_640x480Img_8285_640x480

待望の魚介BBQにありつくImg_8287_640x480


 その市場から南側海沿いは、少し高級そうなレストランが20件ほど並んでいたが、どうやらそれらは夕方からのオープンのようで、対象もわたしのような貧乏旅行者(余談だが英語ではbudget travellerという)ではない、普通のツーリスト向けのレストランのようだった。いけすがあって、浜に面してて夕陽を見ながら食事を楽しむところ?、いずれにしろ一人では入りにくいし、わたしのような財布を気にする人にも向きそうになかった。それでも日本と比べたら格段に安くておいしい食事ができたのではないか?、そう、そういう意味では何といってもバリ島の魅力は(わたしにとっては)そんなところにあるような気がした。しばらく酔った足取りでジンバラン地区の裏通りをぶらついて、途中でまたオジェを拾ってKutaに戻る。しかしまだ17時半だった。しばらくKutaの繁華街をぶらついていて、もう一回バスに乗ってみることを思いつく、つまりKutaの中心にはいってなかったことに気づいたからだ。ま、それほど興味があったわけではないが、時間が余っててバス券も使えるのだからということで、もう一回Aston Kutaに戻って、かなり待ったがやってきたバスで、たぶんその辺りがKutaの中心かと思われるビーチウォークBeach Walk Baliというところまでいってみた。そのバスには日本人のツーリストが何人か乗っていたが、だいたいその手前か同じところで降りた。しかしそこに着く手前辺りは、工事渋滞ではなく純粋な人混み渋滞で車は動かなくなってしまった。いや、驚いたというか、それほどその辺り、Kutaの中心部は人・人・人、たぶんほとんど観光客、しかも若い人ばかり、あー、やはりこれが今のバリなのだと最終日にして知るのであった。いや、それほどの賑わい、ちょうど夕暮れ時、若い人たちは漸く夜の街に繰り出してきたといった感じだった。もちろんそんなところはわたしには無縁の地、実態を知ったからあとは逃げ出すだけだった。が、あいにくその辺りは一方通行で、逆方向のバスは通っていなかった。まだ、時間はありそうだったので来た道を空港方向に向かって歩きだした。3~40分でLippo Mall(Aston Kutaの近くの巨大ショッピングモール)まで戻る、、時間と残ったルピアを確認して空港内で食事するよりその辺りで、と思って一軒のWarung(簡易食堂、そこはフードコート風であった。高級そうなレストランはいくらでもあったがいずれも馴染まないから、食事はほとんど地元民しか利用しない屋台かWarungがわたしの好みだった)に入って<Sapi & Nasi>牛肉ご飯とビールで、インドネシアの旅の〆としたのだった。

Jl.Pantai Kedonganan 海から一本はいった道、パンタイクドゥガナン通りは夕方からオープンする20件近いシーフードレストランが並ぶ(市場から南に向かって写す)Img_8290_640x480Img_8294_640x480この辺りは外れで庶民的なレストランが数件並んでいた(逆に市場方を写す、左が海)

Jimbaranの浜から写したもの(市場方向から南)
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逆に市場方向(北)に向いて写したものImg_8292_640x480Img_8295_640x480

Beach Walk BaliでKura Kuraバスを降りるImg_8296_640x480Img_8300_640x480Beach Walk 周辺

目の前の海;2枚Img_8299_640x480Img_8298_640x480

帰り道、(前回載せた)Discovery Mallも賑わっていたImg_8301_640x480

フードコートの夕食(Sapi & Nasi 20 ビール 25)Img_8303_640x480

 荷物をとって21時半にはチェックインを済ませ、余ったルピアを日本円に替え、それでも残った小銭を飲み物で使い切り、22:50発Air Asia XT401は10分遅れただけで23:00離陸、成田着6:30は日本時間2月の15日午前7時半だった、、

日本時間6:18 日の出Img_8308_640x480Img_8313_640x480

<以上でインドネシアの旅を終了とし、以下振り返りと後日談を少し、、>

 二ヵ月半もかかってようやく書き終えたが、前回書いたように最後はもうどうでもよくなって、尻切れトンボのようになってしまった。(つまらない稚拙な文章を)もしここまで読んでくれた人があれば感謝にたえない、というのもやはり閲覧数は気になるもので、最後のほうはあまりアクセスがなかったのを知っているからだ、、ま、こんな旅しかできないし、この程度の記録しか残せないいい加減さを承知しているから、それはそれで諦めるしかないのだ、、

 それはそれとして今回の旅を振り返って雑感のようなものを少し書き添えておきたいと思う。本文でも言っていたかもしれないが、インドネシアというところは思ってた以上に面白いところであった。方々に魅力溢れるところ、個性的なところ、多彩なところが散らばっている、といった感じだった。その歴史を紐解けばわかるが、成り立ちが多民族国家なので、地方地方で独自の言語、文化、歴史をもっていて、その全体がソフトに繫がってインドネシアという国になっているということを少し体得できた。その意味では今回はまだインドネシアという国のほんの一部を回ったに過ぎなかった。だから、最後に少し触れたが30年ほど前にインドネシアのさわりを一度訪れたきりで、その後足を踏み入れてなかったのが少し悔やまれたのである。あと何回か来てみないと、その全体を知るのは難しいかもしれないということを今回悟ったのである。ということで、たぶん近いうちに再訪が十分にありうるという、宣言にもなるのである。しかし、そんな魅力・個性満載の国にもかかわらず、今回出会った日本人旅行者の数の少なさにも驚かされた。(バリ島を離れてから)途中で出会った日本人旅行者はニューギニア/ワメナで出会った前田君一人、確かにシーズンオフということもあったが、それでもバリ島には日本人旅行者で溢れていた、というのにである。この偏りが、異常というかわたしには不思議に思えてしょうがないのである。なんか本当に面白いところを見逃してない?と問いたくなってしまうのである。もちろん人の好みはそれぞれであるから、それ以上は何もいえないが、わたしにとっては、グアテマラに匹敵する魅力を感じ取れ(人々、歴史・伝統文化、生活のしやすさ旅のしやすさ等々)、それでいてグアテより時間もコストも1/3~1/4で行けるのを知ってしまったから、すでに来年の冬にはまた倉地さんではないが、ルテンの再訪を考えていた。そしたら先日びっくりするニュースが飛び込んできたのである。来年の話をマミーさんに伝える前に、逆になんとマミーさんからファミリーで一時帰国するので我がゲストハウスを一日使わせてほしいと連絡があったのである。もう願ってもない話、大歓迎である。すぐにその日を閉館として、今は6月のその日を心待ちにしている、そろそろ倉地さんにも連絡をとらなくてはと思っているところである。左様に、何人かの素晴らしき知人を得ることができたことも含めて、老いたとはいえ、わたしにとってはなかなかいい旅だったと思っている‥、、

以下簡単に会計報告を‥、期間は1/24~2/14で実質22日間?、すべて最終的に円換算で算出(四捨五入)、で、わたしの分類に従うと1,交通費(飛行機代と国内・街の移動費は分けている)、2,宿泊費、3,飲食費(飲み物酒代含む)、4,購買費(飲食以外の必需品、土産等)、5,観光費(新たに設定したもので、入場料、オジェでの観光、ガイド料等)、6,その他(雑費・tax・tip等)となるが、、

1,交通費、飛行機代;93000円(日本からの往復+インドネシア国内-7回ほど使っている、船の欠航に伴い急遽飛行機を使わざるを得なくなったときの10000円ほどの出費は痛かった国内移動費、市内交通費;19000円

2,宿泊費(日本からの予約も含め実質15泊、あとは無料宿泊が2,飛行機あるいは空港泊2,夜行バス・船3泊);25600円、一泊当たり1700円くらい?

3,飲食費;21000円、一日1000円?

4,購買費;5000円

5,観光費;28000円(オジェドライバーやガイド料 - これが高くついている)

6,その他;5000円

計;196600円

トータル金額を日数で割ると一日約9000円となる、これは飛行機代を含んでいるから、それを除いた額が滞在費となるのだけれど、それでも一日4700円、これはアジアの旅としたらけっこうかかっていたことを結果的に知った。オジェを使った観光でも、相場を知らなかったこともあってだいぶぼられたかも知れない、、しかし、それでわかったこととして逆に一日5000円の予算なら、わたし程度の旅は楽勝にできるということである。結果的にそれほど安くはなかったということがわかったが、ま、参考になれば幸いである、、なお不明点、疑問点の問い合わせ、間違いや不適切な表現のご指摘等歓迎です、、ということで、この辺で今回の旅録、了とさせていただきます、ありがとうございました。