独歩の独り世界・旅世界

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マカオ Macau

  去年までだったら、ツアーの旅なんかはたぶん書き記さなかったと思うが、実際は愚奥(=ま、愚妻といった意味だが微妙に違うので愚奥とする)を連れて旅行会社のツアーに何回か出かけたことはあった。が、すでに今年でブログの終了を宣言しているし、できれば700回という数値の目標もうたっているので、ま、3泊4日の休息もネタにして一回分を稼ごうかという姑息な魂胆である。マカオ3泊4日のツアーに出かけて昨日戻ったところである。

 旅としてのツアーは以下の理由であまりお勧めしないし、一人で出かける際には利用したことはなかった。まず第一につまらない、そして自由がない(というか、いってもしようがないところも付き合わねばならない)、街・庶民の本当の姿に触れられない、単なる観光地(名所・旧跡)巡りに堕してしまう、団体行動故同行者への気遣いが必要となってくるといった点で、それは観光旅行であって旅ではないとするわたしには向かない旅の形態だった。しかし、逆の発想でいけばツアーのメリットも多々あることも知っている。第一に、個人でいくより価格的に安く上がるし(例えば個人では泊まらないであろう高級ホテルに泊まれたり、個人では入れないレストランの食事が含まれていたりすることがある)、またすべてお任せの場合(ガイドさんまたは現地係員がいたりすれば)これほど楽なことはないのである。ま、極端にいえば同じ場所にいったとしても全く別物といって差し支えないくらいの違いと認識している。どちらを選ぶかは全く人それぞれ個人の自由である。

 だから行く場所によるともいえるのだが、わたしの場合先にいったように愚奥を連れて行くときはだいたいツアーを探すことにしている、そのほうが楽だからである。特に言葉が通じにくいところはなおさらで、これまで中国は特に料金が安かったりしてお得感はあった。その延長としてマカオもツアーにした。ではなぜマカオだったか?これはわたしの選択だった(愚奥はあまり希望を持ってなくて、気に入ればついてくる)、というかもし愚奥がいかないならわたしは一人でいったのだが、、その理由1,は何度も述べているように民泊を休業しなければならなくなって一週間くらい暇になった。で、2,比較的近場でどこか探してて、50年位前に一度寄ったことのあったマカオが候補に挙がる。昔はポルトガル領であったが今は中国のマカオ特別行政区?昔カジノで有名だったが、はたして今どのように変わったであろうか(カジノにも興味はあったが)?、3,特に中国との関係が気になったのだ。4,比較的近いからticketも安いのではないか?そして少しは南に位置していたから暖かいのではないか?といった思惑もあったが、この4の理由は悉く外れてしまった。あまり安くなかったし暖かくもなかったのであった、、ともあれ最初は一人で行くつもりで航空券と宿を探してみたのだが、LCCも飛んでないし宿も安宿を見つけることはできなかった。香港だと事情はもう少し違ったかもしれないが、香港はもうすでに何度もその地を踏んでいたし、経由でいけないこともなかったが、今はマカオには国際空港があったし直行便も何本も飛んでることを知って、ならばマカオだけのツアーはないかと探してみた。それでわかったことは、航空券の往復と宿の予約を個人でしても、ツアーでいくとした場合でも料金的にはそれほど変わらないということだった。そこで愚奥にいく気はあるか確認したら、その気になったのでツアーでいくことにしたのだった(ツアーの場合一人だと高くつくから)。3泊4日のそのツアーは直行便の往復、空港送迎、一日の観光と昼食、ホテルは高級で朝食付き、一日はまったくフリーで一人7万円くらいだった。結果的にこのツアーは悪くなかった、何となればこのツアーに参加したのは二日目の観光のみ他のグループと一緒になったが、実際は我々二人だけだったからである。ま、ざっとこんな感じで出かけたマカオツアーのレポートである、簡単に書くつもりなので一回で書き終えるつもりである、、

 3泊4日といっても実質は二日間しか自由時間はない、その二日のうち一日に主だったところの観光がついていた。つまり、初日は午後便で飛んで、空港までの迎えがあって、ホテルにチェックインして終わり、具体的にいうと15:30発のマカオ航空(Air Macau)は5時間飛んでマカオ着時20:30だったが時差1時間で現地時間19:30、イミグレ30分、現地ガイドの出迎え時に今日は我々二人だけと知らされ、我々二人をホテルまで送ってくれチェックイン終了は現地時間20:30だった。この日はわたしだけ近くをうろついてコンビニで酒を買って終わり(LCCではなかったので機内食が出て、それはなかなか良かったので夜食事にでることもなかった、この時マカオビールを飲めたがこれも悪くなかった)。そのままわたしだけカジノに直行という選択も可能だったが、いかなくて正解だったかもしれない‥??、、

Img_0002Macau航空機内食Img_0004マカオ国際空港
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マカオ中心部の夜景、いずれも写りは悪いが、、


 二日目はホテルのバイキングの朝食後1時間ほど時間があって界隈をうろついて、10時にガイドの迎えがあってバスに乗り込みフェリー埠頭に、そこで香港から来られる別のツアーグループを待つ。この辺が面白いところで、たぶん現地のツアー会社は日本の複数の旅行会社のツアーを一緒くたにして観光することもあるということを教えられたが、それはまったく気にはならなかった。10時着の高速フェリーでやってきたグループ12人の通関を待って、10:25に一台のバスで一緒にマカオ観光に出発。このグループは老若男女の12人さんだったが、なんと最初から全員が身内で参加しているということを後で聞いてびっくりする、つまりすべて知りあい同志とのこと、このメンバーで国内国外を問わず毎年旅行に出かけてるという、わたしにとっては前代未聞の珍しいグループさんであった、で、もちろん皆さん優しくていい人たちばかりだった。もっとも数時間しか行動を共にしたわけではないからあまり話はできなかったが、、それと狭いマカオはガイドさんの説明によると、数年前から世界中に広がっている中国人観光客の増加で、どこもにっちもさっちもいかないほどの混みよう、車は進まず、すべてが押せ押せでたぶん観光予定地を全部回れなかったのではないかと思っている。それでもマカオ一の名所、聖ポール天主堂、その脇のナーチャ廟、旧城壁、聖ドミンゴ教会、セナド広場まではほんの狭い範囲ですべて歩いて回れた。凄い数の観光客、その大半は中国人であとは韓国人、日本人も多そうだけど偶々正月明けだったからかその時それほど多く目にすることはなかった。そのあとはバイキング方式の食事、ここも超満員(後からガイドさんはこんなに混み合っている日も珍しいといっていた)、食事の後は媽閣廟、そしてマカオタワー、カジノ体験までがそのツアーには組み込まれていた。食事つきで約5時間のマカオ観光は要所要所を巡ってくれ、ま、悪くはなかったのである(帰ってチェックしたら、我々のツアーに列挙されていたところはすべて回っていた、マカオタワーは入ってなかったが、そこは別グループのツアーには入っていたと思われる、で、そのタワーに登らなかったのは我々だけであった)、一応写真を載せておきます、、

朝食後散歩しながら;3枚Img_0012新口岸の観音像Img_0065ギア要塞
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東方拱門orient arch向こうにGrand Lisboa(マカオのシンボル的ホテル)が見えている

ツアー最初の訪問地、マカオ一の有名な聖ポール天主堂跡

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隣接するナーチャ廟と左に旧城壁
Img_0025Img_0028城壁の外側


聖ポール天主堂跡は小高い丘の上にあって振り返ると街のシンボル、パイナップルをかたどったというGrand Lisboaの威容がいやでも目に飛び込んでくる;2枚
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天主堂間前の階段、写真を撮っているのが我らのガイドさんで、被写体になっているのが一緒になったグループの皆さんImg_0032_2

そこを下ってくると聖ドミニコ教会Img_0035

ドミニコ教会前広場からセナド広場方面Img_0038Img_0044逆にセナド広場からドミニカ教会を見る、被写体は12名ご一行さん
Img_0043セナド広場に面して建つ中央郵便局

媽閣廟;3枚Img_0049_2Img_0048Img_0047この線香が珍しい

マカオタワーとその付近から;4枚

Img_0053Img_0052_2世界最長のバンジージャンプができるところとか(なかなかそんな場に出くわすことはなさそう、ともかくバンジージャンプにしろ空中歩行にしろ数万円かかるとか?、我々は展望台に登る2500円ほどもケチって下でぶらぶらしていた)?
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運河を行く船とマカオタワーからのGrand Lisboaの遠望Img_0056

ツアー最後はカジノ体験、ここはMGMグランドマカオのカジノImg_0057



 最後のカジノで皆さんと別れて、近くだったので我々はホテルまで歩いて戻る、そして夕方からわたしだけカジノに参上した。ガイドさんの説明でいろいろ聞いていたが、どこのホテルにもカジノはあった。が、わたしが唯一知るルーレットは今は人気がなく、わたしのホテルではルーレットはマシンしかないとのことであった、、わたしはむしろそのほうがよかったので、早速両替して、というかATMで資金をおろして(一応1000HKD、1HKD香港ドル=15円だから15000円、いやーせいぜいこのくらいしかわたしには遊べないのである、この培あっても結果は同じだったように思う)、さてどうするばいいか、係の若い男性に聞いてみた。賭け方は知っていたので簡単にマシンのレクチャーを受け、チップに換える必要もなく現金を投入すれば、そのままゲームに参加できた。で、まずまず500HKD(=7500円?)札を投入、あとは一回の掛け金5HKD(賭ける場所によってはミニマムレートが10HKD以上のところもあり)、10HKD、20HKD、50HKDかを選択して、あとはご存知の方も多いと思うので省略させていただくが、要は2倍から36倍までになる数字、あるいは列、グループ、赤or黒、奇数or偶数を選択して賭けていくのである。いやー最後にルーレットをやったのはどこでだったであろうか?ラスベガスだったか?50年前にここにきた時にも確かどこかでやったはずであった。いずれにしろ20年以上のブランクはあった。しかしカンを取り戻すのにそれほど時間はかからなかった。一進一退を繰り返す、、それほど資金に余裕があるわけではないから一回の投入額は5HKD~最大100Kくらい?、たまにパスして様子見をする。一回の勝負時間は約2~3分くらいか?、その台にはたぶん8人分の座席があったと思うが、多い時でプレーヤーは3人くらいしかいなかった。機械(ま、いってみればゲーセン感覚?)だからデイラーはいないし他人の様子はわからない、ただその場で勝負している人たちは観光客風でもなく、もしかしたら地元の人たちかもしれなかった。いずれもすぐに退散していったわけでないから、ある程度賭け方をと知っている人たちと思われた。というのもルーレットは素人というか初心者がやったら500HKD~1000HKDくらいの資金でもあっという間だからである。一度大きく当てないと、つまり一回に100HKD分勝負して5回負けたら、15分で500HKDはパーになってしまうのである。大きく勝負することもあったがわたしはだいたい一回50HKD以内で、ちひちびやっていたから最初の2時間くらいで、500HKD(以下HKDは略す)は最低は200まで落ち、その後一度36倍をあてたりして、最高時は1000を越えた。そしてまたツキが落ちてきたので、900までなったときにいったんゲームオーバーとし、それでも勝っていたから気を良くして部屋に戻り、おいしいものを食べに行こうと意気揚々と言ったのだった(実際その時が最高地点で、その後負けていく)。それでも気分良く食事ができたという意味では、そのタイミングはよかったのだ。ホテルの近くのレストランを渉猟した、が、愚奥の求めていたレストランはそう多くはなく、漸く一軒のポルトガル料理レストランを見つける。値段は高かったが、まさにその時は珍しく頓着せずにそこに入った。そのポルトガル料理屋はたまたま有名店だったらしく観光客が多かった。そしてワインのボトルをもらってとてもおいしい食事ができた。ちょうどその時勝ってた分と食事代がトントンというところであった。

Img_0060帰り道、大型カジノが並ぶAvenida 24 de Junho通り、左手前Star World 、その向こうL'arc Hotel Macau 手前右と次が永利Img_0059


ホテル近くのポルトガル料理店、なかなか人気店らしく安くなかったがとてもおいしかった
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Img_0061その時注文したox tailのシチュウとワイン、もう一品魚のフライはまだきてない、、

 そのあとわたしは2回戦となる、が、ツキは戻らなかった、それでも3時間ほど夜の11時までやって(もちろんカジノはどこでも24hオープンだったが)、まだ300を残したところで次の日に持ち越した。次の日は夕食後から始めて、4時間ほど勝負し、一時は底をつきそうになって最早これまでと思えたところで一回あてて、それから500まで盛り返すが、時間切れで(若くて資金が潤沢なら、寝ずに勝負するのだろうが)400になったところで終了した。結局一度も底はつかずトータルとしては100HKD=1500円ほどの負け、しかし無料の飲み物をいただきながら都合9時間ほど久しぶりの勝負を楽しめた思えば、もっとも中途半端で妥協してしまうところはいわゆる通のギャンブラーではないのであるが、素人ギャンブラーとしては上出来と自分を慰めた。それでも頭がさえてしまって寝付きは悪かった、、

 3日目の昼間はどうしていたかを簡単に述べてこのブログを終わりにする。わたしがマカオにいってみようと思った最大の目的は中国にいってみることだった。マカオは一応中国領になっていたが、その境にはいまだ国境があって、行き来は自由でなかったのだ。いや外国人のことをいってるわけでなく、中国人もマカオ人も、その通過はかなり自動化されてはいるとはいえパスポートチェックが必要だったのである。ま、好奇心というかそのへんの実態を見たかったのである、どのくらいの数の人々の往来があるのか?その朝、朝食後予めそれはいってあったから、愚奥を残して一人バスで国境に向かった。Portas do Cerco(終点のゲートのところ、中国名は難しくてわたしのPCでは出てこない)行の3番のバスで30分<6HKD>地下のバスターミナルに着く。このバスはマカオの街を北上していったが繁華街を通ってて企図せずしてちょうどいい街見物となった。地上に出ると、大勢の人波が巨大な建物に吸い込まれていって、わたしもその人波に従った。そこはマカオ側の出国審査場、マカオ人用、中国人用、そしてその他の外国人用に分かれていて、外国人用以外はほとんどが自動ゲートのようだった。そこを過ぎると今度は中国側の入国審査場で、それはマカオ側の逆となったが、ここでもわずか2列だけがその他の外国人用で、どちらも15分くらいづつ並んだ、なのでこの国境通過に外国人は約30分を要したが、パスポートチェックと指紋と顔写真の撮影だけであとは何も問題なし、スタンプは中国側だけ、マカオは空港でもここでも押印なし(なお、今は日本もスタンプなし、希望者には押してくれる)、だからマカオ人中国人の通過は並ばないから10分くらい?、それでも一応チェックはあるという状況のようだった。ただ、中国側に入るとやたらにポリスが多く、警察関係の車両も多く見かけることになった。そして国境前広場のやたらなデカさ、特に領土の狭いマカオからくるとその印象を大きくさせられるから余計だだっ広さが目に入ってくるのである。振り返ると国境の建物の上に突き出るように建っている高層ビルはいずれもマカオ側の建物なのであった。しかし今では中国の経済力を見せつけるように、その地珠海市も相当数の高層ビルが建ち並んでいて、その人の流れとともに中国の発展をいやでも印象付けられた。特に珠海市で何をするでもなかったから、とりあえず駅前の大通りを北に歩き、駅周辺をぶらついてみて、3時間ほど中国・珠海市に滞在した。マカオに戻り際、国境前広場の地下が大商店街になっているのに気付き、そこをまた散策、中国元に両替するまでもないと思っていたから、多くのレストランがあったが、入るに入れなかった。で、もしかしたらHKD<香港ドル>でも通用するかと思って20HKD札を見せてみたが、一軒は断られ、一軒で18元くらいの商品の写真を見せてそれならOKと示してくれたから、簡単な麺類を一杯食べることができた。ということはHKD30~40くらいの価格で結構おいしそうな食事がとれることがわかったのだが、後からマカオに戻ってその日の夕食は中華系にしようと思って探した店の半額くらいの値段であったことを知る。つまり物価は断然中国側のほうが安いのではないか、ということだった。国境ゲート付近には鉄道駅があって長距離バスの発着所もあったから、昔は香港経由で中国本土に入ったことがあるが、今はマカオ経由でも中国に入ることができ、この珠海から鉄道またはバスで中国全土に行けることが確かめられ、いつかここから中国に足を延ばす手もあるなと思いながら中国・珠海を後にした。来た時と全く逆順で、しかし人の数はどちらも、そして朝も昼も変わらずに流れていた。マカオ側に戻ったとき、そこに19世紀の城門跡が残されていて、その写真を撮ってからまたバスでマカオセントラルに戻る(このゲート付近からマカオ中心Lisboaあたりまでは歩いても3時間くらいではないか?それもまた一興かと思われたが、さすがにその時は体力も気力も残ってなかった)。で、途中どこかわからないところ(少なくとも2/3くらい来たところ?)で降りてみた。地図は持っていたが、その場所がどこか特定できずに裏道・細い路地を歩いていると、坂道があったりしてどこかリスボンに似ているような気がしてきた。昔のポルトガル人はこの地にリスボンを見出したのかも知れないな、と思ったりした。そう、特に裏道、坂道は(ま、どこでもそうだが)味わいはあるのである。そうやって歩いていると、とある教会にでた。坂道を登り詰めたところだったが、聖オーガスティン教会と出ていたからそれで場所はつかめた、そこから我々のホテルまでは歩いて30分ほどだった。15時にはホテルに戻り、愚奥が行きたかった場所へ今度はタクシーを使っていった。そこも裏道の路地だったが(タクシーは途中までしか入れず後は歩く)、懐かしきリスボンを偲ばせるように、マカオの良さは裏道・路地・坂道にあるのではないかとその時確信した、、

国境のバスターミナルを降りて地上に出ると巨大な建物(immigration office)が建っていて、みなそこへ吸い込まれていった、、Img_0067Img_0068イミグレに入る前に振り返るとマカオの街の高層ビル群が聳えていた

以下は中国側国境前広場;7枚Img_0072中国側のimmigration officeを振り返って写す

Img_0070オフィスを出た正面Img_0071イミグレのオフィスを背にして右側、マカオにいく(あるいは戻る?)人たち;2枚Img_0073

オフィスを背にして左側;3枚Img_0104左奥に鉄道駅Img_0084Img_0069_2

正面左手にバスターミナル;2枚Img_0074Img_0075

鉄道駅;4枚、昔(30年位前に西安の駅で汽車の切符に手にするのに一日かかったことを思い出した、隔世の感あり)
Img_0080Img_0079駅の左手に聳える高層ビルはマカオImg_0082Img_0083

イミグレ前の大通りを北に歩いてみる;5枚Img_0088Img_0085Img_0086途中一ヶ所左に折れてみた、、Img_0092山が見えてきたあたりで引き返すImg_0097イミグレの建物を目指して戻る途中


広場前の市場街;2枚
Img_0099Img_0101

広場下の大地下街には食堂街があった;2枚Img_0102Img_0103中国18元の麺をHKD20で食す、、

マカオ側に戻る、両替所
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イミグレ前の19世紀のゲートImg_0107

途中でバスを降りたところImg_0108

どこかわからなかったが、観光客の多い裏道をうろついてみた;6枚Img_0109Img_0110_2名物のエッグタルトは、数時間しか日持ちしないのでお土産には無理であった、、

Img_0111ここもポルトガル料理レストラン

土産物屋やレストランが並ぶ通り、結構ツーリストが多かった、、Img_0113Img_0114_2Img_0115

聖オガスティン広場にでた、右(と次)が聖オガスティン教会Img_0117Img_0116

往年のシンボル・リスボアホテルと現在のシンボル・グランドリスボア、この辺がマカオの中心?Img_0119Img_0122