独歩の独り世界・旅世界

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インドネシアの旅 第一章ヌサトゥンガラ緒島 その5, マタラム~スンバワ島 BimaそしてSapeへ

 そんなに彼を拘束してしまってはと思って、13時半頃別れの挨拶を告げた、Imadeくんにもそうしたようにわたしのできることは、そしていえたことは独歩亭の名刺を渡して、日本に来たら面倒みるという、彼らにとってはもしかしたらありがたくもなんともない言葉だけだった。自分の無力を感じながら彼を見送る、それからターミナルのバスを確認にいく。すでにそこに停まっていたわりとデラックスのバスがフローレス島行きのようで、同じところ、同じ方向へいくバスは他にはないようだった。まだ集合時間まで1時間もあったから、隣接している市場を巡ってみた。けっこう大きな市場だったが、午後の市場はどこでもそうだが、それほど活気はなく、また珍しいものを目にすることもなかった。市場とターミナル周辺も歩いてみたが雨が降りそうだったのでターミナルの待合室に戻る。吹きっ晒しのそこにバス待ちの人は誰もおらず、わたしがticketを買った人とは別のticket販売人が一人いただけで、その男から、どこまで行くのか、ticketは持っているかと聞かれたのだった。で、午前中に購入したticketをみせ、食事つきと聞いているがと、その男に確認の意味で聞いてみると、食事はつかないといわれてしまった。いや、そんなはずはない、食事つきと聞いているが、といってはみたが埒が明かなかったので、なら確かめてこようと思って、その一角にあるticketを購入した場所へいってみた。そのとき初めて気づいたのだが、そこはオフィスでもなんでもなく、またこれから乗るバス会社の名前も出ていない、ただ壁に区切られた部屋でしかなく、そのときそこに人影は全くなかったのだった。ようやく飲み込めたことは(後からさらにわかったことも加えて大げさにいうと、少し恐くなったのだ。そしてそれは後に現実となるのだか)ここのバスシステムはかなりいい加減であるということだった。つまり、このバス運行の責任母体が全くあいまいである、ということだった。今手元にそのときのticketは残ってない、その理由もおってわかるのだが、確かにバス会社の名前はあったし、現実にそこへ行くバスは目の前に停まっていた。が、その会社のオフィスがそこにあるわけでなく、ticket販売人はただticketを販売することを任された人(もちろんその場で何かあればその人を捕まえて責任の所在を突き止めることは可能だったであろう。そして、そんな単なる販売人が数人そのターミナルにたむろしていた)でしかなかったのだ。そういうわけで食事については確認する先はなかったということだった。となるともっとも確たる相手はドライバーしかいないことになるが、誰がドライバーで誰が助手かはバスが出発するまで不明だった(助手については出発してもわからなかった、いなかったのかもしれない。また数日後に乗ったバスでは4~5名の助手がいて、しかも途中で交代したりしていたから、この時も正?助手が誰かはわからなかった)。なのでその件はうやむやな状態で、その男がもうバスに乗っててもかまわないというから30分くらい前に乗り込んだ。座席は決まっておらず、それほど混んでないようだったから、適当に真ん中辺に座った。後ろのほうに数名欧米人の旅行者の姿があった。欧米人と普通に会話が交わせるほど英語ができるわけでなかったから、意図的に距離を置いたのだが、挨拶だけは交わした。停車中のバスにはどこでもそうだが物売りがやたらとやってきた、そのうちにまた別のticket販売人が現れて(最初こいつが助手なのかと思った)ticketもっているか、食事券もっているかと聞いてきた。ticketをみせ食事つきと聞いているが食事券はもってないというと、それが必要で買わなければならないといってきた。後から思えば無茶苦茶なのだが、さっきもそんなこと言われたからやはり、食事代は別途なのかとまたまた半信半疑になる、で、どこで買えるのかと聞くとついてこいというので、その男についていった。連れて行かれたところはオフィスでもなんでもなかったが、偉そうな男がいて(もしかしたらこいつがドライバーかと思わされた)晩飯と明日の朝食代50000Rp払えといってきた。いかにもその辺りを仕切っているといった風な男で、わたしはいとも簡単に(騙されて)50000Rp払ってしまった。で、食事券を要求するとそんなものはない、とのこと、おかしいなと思ったが、なら金を返せとも言いそびれてしまった、まだまだ甘いのである。つまり食事については、この先どんなところでどういうものにありつけるのかわからなかったので、その辺の心理(先行き不明&不安という盲点)を突かれたような、見事な猿芝居(詐欺)に引っかかってしまったのであった。ただ、やられたかもしれないという意識は15時発の予定がようやく15:50に出発した後もずっとあって、まず払った相手がドライバーでなかったこと、そしたら誰が言っていたことが本当だったのだろうかと振り返ってみたとき、ようやくここのバスシステムは責任の所在が不明、つまりオフィスもなければ責任者もいない(オーソリティ不在)ということに気づく、で、そんなバスに乗り込んでいることを思うと、待合室での恐くなったことが本当になりそうな気がしたのだった。(たぶんそんな状況は簡単に変わらないと思うから、今後このルートを旅する人は注意です!!)

たぶんわれわれが乗ったBima行きのバスImg_7231_640x480

隣接の市場;2枚Img_7236_640x480Img_7238_640x480

バスターミナルの付近をぐるっと一回りしたら、入り口があった(ここがターミナルの入り口らしかった)Img_7241_640x480

 少し遅れたが、30人くらい(そのうち外国人ツーリストがわたしを入れて7人)乗せたバスはそれでものどかなロンボク島の風景の中、幹線道路を一路ラブアンロンボクLabuhan Lombok(Labuhanはインドネシア語で港?)へ向かっていた。たぶんLabuhan Lombok~Sunbawa Tano港との間のフェリーはけっこうあるようだったので、この遅れはそれほ問題はないようだった。実際ちょうど2時間かかってLabuhan Lombokについたとき、すでフェリーはそこにいて、到着した船に運ばれてきた車輌の下船を待ってそのまま乗り込んだ。Labuhan Lombok出航は18:20でスンバワ島Tapoで下船したのは20:30だったが、スンバワ島Tapo港沖にはだいぶ前に到着して入港待ちをしていたから、ま、1時間半の船旅といったところか?19時頃には闇に包まれたから船室でやっていた映画を見て時間を潰していた、、下船後バスはそのまま港を離れスンバワ島のそれほど広くなく交通量の少ない夜道を飛ばしていった。ところどころ街灯はあるものの外の景色は全くわからず、ただ左手を海にして北東方向に進んでいることだけは地図を見てわかっていた。わたしはこの後どの辺で何時頃食事タイムになるのか気になって仕方がなかった。というのもこの後地図には大きな街の記載が全くなかったし、通り過ぎるちょっとした街らしきところで開いている店もあったが、いかにも鄙びた田舎道をいっている感じだったからだ。バスが停まった場所がどこだったのかはわからなかったが時間は22時半だった。大雨が降っていた、どこでどうすればいいかわからないまま(説明はなかったし、あってもわからなかったと思うが)向かいの店に飛び込む。そこは食堂でご飯とチキンと魚のトレイが並んでいて勝手にとって食べてください、という感じで食事の用意がされていた。お店の人がいたが聞いても通じないと思って、同乗者のインドネシア人に従って勝手にご飯とおかずを皿にもってテーブルについてともかく腹ごしらえした、というかなんとか食事にありつくことはできたのだった。いうまでもなく、インドネシア人でそこで支払いしている人も食事券を出している人も見なかった。欧米人ツーリストはわからなかったが、インドネシア人でマタラムで事前に食事代を払ってる人は見なかったから、やはり最初にticketを買った人のいっていたことが正しく、50000Rpは騙されたことがこのときはっきりしたのだった。あとからいえることとしては、もしこの食事に別途支払いを要求されたとしてもたかだか20000Rp程度のものだったであろうから、食事券の50000Rpは明らかにぼられすぎ、そんなの断ればすんだ話だったのだ。旅にはよくある落とし穴である、、

マタラム~ラブハンロンボクへの道、左が田園風景でその向こうにGunung Rinjaniリンジャニ山、雲に隠れているが3726mとのこと;2枚Img_7244_640x480Img_7245_640x480

ラブハンロンボクのフェリー乗り場に着く、乗船待ちImg_7249_640x480

ラブハンロンボク港と出航後の船上から;6枚Img_7251_640x480Img_7252_640x480Img_7254_640x480Img_7256_640x480Img_7260_640x480Img_7262_640x480


バス代に含まれていた食事は悪くなかった;2枚
Img_7264_640x480Img_7265_640x480勝手にとってテーブルで食す


 食事休憩30分でバスは人数の確認もしないまま再び漆黒の中を走り出し、わたしは少し眠ったかもしれなかった。余りの寒さに目が覚め(バックパックを荷物室に入れなかったのが正解だったのだが)、急遽フリースを着たがそれでもおさまらず、そのうえから雨具を羽織った。そのうちバスはどこかの広場のようなところで停まった。ドライバーがBimaに着いたことを知らせた。時間は4時だった。朝の4時だというのにバスの出入りがあったり呼び込みのような男も何人かいた。そのうちの一人にSapeはあのバスに乗るようにと、ミニバスに乗り換えるよう指示された。もっていたガイドブックの記事にも、(マタラム発のバスの)出発時間こそ違っていたが、マタラム発昼の12時のバスに乗ればビマに朝の3時に着いて4時のミニバスに乗れて、8時発のフェリーに間にあうとあったから、素直にそれに応じた。そのバスは地元の人でいっぱいでわれわれツーリストが乗り込むと空いてるスペースはなくなった。一時間ほど待ってバスは5時に出発して峠越えの山道をいった。比較的大きな街Sapeが6時半頃だったか、夜が明けてきてわたしは眠りから覚めた。そこから15分か20分でフェリー乗り場Sapeの港に着き、全員そこで降ろされた。どうやらフェリーにはバスごとの乗車ではなく、そのドライバーが引率してくれるようでわれわれのticketは取り上げられてしまった。で、すでに着岸していると思っていたフェリーの姿はそこにはなかった。港といってもごちゃごちゃしたバラックのようなところ、足元は昨夜来の雨でぬかるんでいたりで、座って待つような場所はなかった、が、いずれにしろそこに集まっていた4~50人のインドネシア人とツーリストの欧米人6人とともにそこで待つしかなかった。ガイドブックにもその船はよく遅れるとあったから、ともかく一日一本のフェリー、そしてそれがわれわれのticketの最後の区間だったから、ともかく早く来てほしいと願いながら‥、、

Bimaのターミナルに4時着、左がSape行きのミニバス、奥の右にたぶんわれわれが乗ってきたバスImg_7269_640x480Img_7271_640x480Sape行きのミニバス

ここが終着のSape港、奥がフェリー乗り場だがフェリーは着いていなかった、、Img_7275_640x480

われわれが乗ってきたバスImg_7273_640x480

 しかし、明らかにそんなにすぐにフェリーが到着しそうな気配はなかったから、とりあえずの責任者たるドライバーに(何しろわれわれのticketもっている男だったから)、少し写真を撮ってくると断って、ちょっと面白そうな港町を港徘徊してみた。いや、ほんの30分くらいのことだったが、戻ってみるとなんだか様子が違っていた。その港の施設の人なのか、フェリー会社の人なのか、これまた全く見当がつかなかったが(ここでも責任者の不在・不明が露呈していた)、いずれにしろ英語を話す人から、その日のフェリーの欠航を知らされたのだった。えっ ! どういうこと?、更なる説明を聞く、ともかく天候不順でこのフェリーは欠航になること、しかも次の日は出るという保証もないこと(一週間くらいでない可能性があるとも?)、その代わりプライベートボートが別料金だがフローレス島ラブアンバジョーまで希望者を乗せていくといった説明を聞いた。わたしはそれを単独で聞いたのだが、その前にインドネシア人及び欧米人のツーリストたちにも同じ説明がなされていたようだった。わたしの場合は多少危険で料金が高くとも、それでもともかくフローレス島に行きたかった、いや、行かなくてはならなかった。が、その料金の説明はなかったし、それがいつ出るのかの説明もそのときはなかった。しかたなく、もうしばらく様子見、どうなるか海の様子、いや会社の出方等を待つしかなかった。そうこうするうち、次のミニバスが到着した。それはSape発だったのか、Bima発だったかわからなかったが、そこに二人のツーリスト(あとでフランス人のカップルと知る)が乗っていた。欠航を知らず意気揚々と降りてきて、6人のツーリストと挨拶を交わし、ことのなり行きを知って顔色が変わった。天気は相変わらずよくなる気配はなく、どうなるのか気を揉んでいたが、むしろ悪くなる一方で次に聞いたのはプライベートボートも出ないことになったという知らせだった。とうとうここにきて決断を迫られることになった。そして、後から来たフランス人カップルの男性のほうがインドネシア語を少し話せたので、その後の交渉のまとめ役を買ってでてくれ、よくわからない相手、つまりそれはフェリー会社なのかバス会社なのか今もってわたしにはわからないのだが、ともかくそのころにはわたしもツーリストの一員として(つまり外国人としてのくくりで)団体交渉側についてなりゆきを見守っていた。それはフエリー代をどうしてくれる、というもので、この時点ではこの外国人グループ(わたしを除いて)はみんなスマホ等の情報からどうすればこの際のベストかを見つけていて、もちろん全員目指していたのはフローレス島だったのだが、そこにたどり着くためのベストな方法は一旦ビマの空港まで引き返し、そこで飛行機便を探すという結論に達していたのだ。で、わたしはそういう情報を自らは得てなかったが、たぶんそれが正解であろうと思ったので、彼らの方針に賛成していた。問題のフェリー代は(余談だがこの交渉過程で、払った食事代もどうしてくれるんたという声を聞いて、彼らも食事代を騙されていたことを知る、しかしこれはうやむやになってしまった)彼らの交渉で、ビマの空港まで戻る足代に代わった。それでも多少は出費することになったが(つまり俗に言う足元を見られたってこと?あるいは責任者不在で埒が明かなかったからか?)交渉は成立し、われわれが乗ってきたミニバスは、われわれのプライベイトバスに変わり、われわれ9人だけ乗せて9時頃きた道をビマの空港に引き返した。恥ずかしながら、すべてを彼らに任せ、わたしは彼らに従っただけだったのだが、しかしあの場で一人残されたらどうしただろう‥?、と後から考えていた。それと残った(残された?)人たちはどうしたのだろう‥?、フェリーの欠航はよくあることといえど、そのことがずっと気になって、久しぶりに旅の難問に遭遇した思いだった(つまりそのときわたしは金の力を借りて、その難問を乗り越えたわけだが、他に方法はなかったのか?ということで、ま、このときは時間的余裕がなかったので、そうせざるを得なかったのだが‥)。

Sapeの港付近を徘徊、ここは木造船の造船の街のようだった;6枚Img_7280_640x480
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Sape湾?越しの風景も曇り空ながらなかなか美しいところだった;4枚Img_7287_640x480Img_7276_640x480Img_7277_640x480Img_7278_640x480

戻るとなにやら貼り紙が出ていて天候の悪化と航行の中止を知らせるものだったか?わたしには理解不能だったが、、
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 しかしその難問はそれで解決したわけではなかった。ビマの飛行場はビマの街から(その朝到着したビマのバスターミナルのところも通ったが)30分くらい離れたところにあった。小さな空港でticketカウンターの窓口は一つしかなく、フランス人のBaptisteくんが引き続き代表で交渉してくれた。そこで見つけてくれたのが、もちろんその日の便はなく、明日の便で一旦バリ島デンパサールに戻って、そこから今度はフローレス島ラブアンバジョーLabuanbajoに飛ぶticketで、ただしそれは残席が4つしかないということだった。それで皆に伺いをたててくれたので、わたしはそれを希望し、他に希望がなかったのでBaptisteくんと彼女のHeleneがそのticketを取得、わたしと一緒にフローレス島までいくことになった。あとの6人は同じ飛行機でデンパサールまで(デンパサールまでの空席は余裕があった)一旦戻ることで一応の収束みた。わたしは(他の何人かも)すぐにATMでその飛行機代分くらいを引き出した。飛行機代128900Rp=1万円と少々が純粋な損失、旅のアクシデント対応費用としては思いのほか安かったかもしれなかった‥、、そこでようやくみんなの顔に安堵の表情が広がる、が、次に、ではその日これからどうするかの問題が残っていた。ここでもBaptisteくんがリーダー力を発揮した。すぐに(あるいはすでに調べてあったのか)彼は次の提案を皆に披瀝した。ここからビマの街までは相当遠い、で、空港近くの宿を探したら、4~5kmのところにリゾートホテルがあってそれほど高くはなかった。そこでよければタクシー2台に相乗りでいけば、タクシー代もそんなにかからないだろうというものだった。誰にも異存はなかった。問題は一つだけあってその周囲には食べ物屋も含めお店は一軒もない、ということだった。どうやらそれはタクシードライバーに聞いていたらしい。しかしホテルで食事はとれそうだということで、全員彼が話をつけてくれていたタクシー二台に相乗りして、ホテルまでいった。タクシーだとものの5~6分?、10分もかからなかったと思う。13時にはホテルのチェックインを終えていた。わたしは余りにも高級そうなホテルだったのとホテルで食事を頼まなければならないことに少々の躊躇いはあったのだが、いや、その高級ホテルの値段が一泊2500000Rp(+10%taxがついたが、2500000Rpはマタラムのホテルと変わらなかったのだ)と聞いて、逆にこのホテルでこの値段なら安いと思った。そして食事のメニュウも一通りあって、もっともポピュラーなナシゴレンが30000Rp、つまり普通街でだべる値段と変わらなかったのが嬉しかった。食事を終えたとき初めてひと息つき、そのあとかなり長い昼寝となったのであった、、

このリゾートホテルは立地といい、造りといい、かなり高級そうに思えたが‥Img_7294_640x480

部屋からの贅沢な眺め;3枚(尚ホテルの眼下に横たわるのは湖ではなくフローレス海の奥深い入り江、そして最初の写真の左手すぐのところに空港はあった)
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彼ら二人に助けられるImg_7306_480x640BaptisteとHelene(翌日写したもの)

<第一章 - 終わり - >