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インドネシアの旅 第三章 スラウェシ島 その1,マカッサル Makassar

 昔はセレベス島という名で知られていたスラウェシ島も、ほんとのところ今回の旅の前は、それがどこに位置していたかなんてはっきり記憶してなかった。そんな感じだったから、スラウェシ最大の街マカッサルといわれても最初はピンと来なかったし、ましてやその街の名称がかつてはウジュン・パンダンUjung Pandangと呼ばれていたことなど知る由もなかった。だから、その街がこれまで通ってきたどの街よりも大きくて賑わっているところなどとは想像もしていなかった。もちろん今ではバリ島のデンパサールを中心としたエリア全体と比べれば、人口及びツーリストの数では比べ物にならないかもしれないが、かつてオランダ人の到来前にマカッサル人が築き上げた王国(ゴワ)の首都は、16世紀ころから海洋交易で繁栄して以来ずっとこの地の中心として栄えてきたというようなことも今回はじめて知ったことだった。そういったわずかな情報はガイドブック等から得てはいたが、実際その地を踏んで、港の繁栄振りや街の様子、人々の顔つきやらが、微妙に民族性・地域性の違いを顕しており、また新たな地に来たことが上陸してすぐに感じられた。

 真夜中の1時だった、それでも桟橋界隈は煌々と明かりをつけて賑わっていたのだ。市場のような感じ?もっとも商品はこれから船出する人のため、あるいは到着したが家路にお土産として持ち帰えれるような品物が多く商いされているように見えた。ちょうど船べりから下船するときに、それまで全く顔を合わせなかったスイス人にばったり会って、適当な会話を交わしながらその商店街を抜けるとタクシードライバーが待っていた。そのとき彼に、ホテルは決まっているのか聞いてみると、すでに決めてあるという、で、その場所を彼のスマホで確認し、ついでにわたしのホテルもみてもらうと、同じホテルではなかったが近くだというのでタクシーシェアで行こうと提案、ドライバーとの交渉になった。たぶんそれほど遠くなかったので一人50で話はついた(正確にいうとシェアではない、たいていのタクシーは乗り合いなので、はじめからだいたい一人いくら、の計算になっている。また、わたしは明るいうちの到着だったら歩いていくつもりだった)。ま、知らない街の夜道だったから、これは歩かなくて正解だったと思う。最初にわたしのホテルに着いて、そこで再び彼とは別れた。彼の名前もなんというホテルに泊まるのかも聞かなかった(たぶん聞いても覚えられないから)。1時半の到着だったが、わたしも予約してあったので、チェックインは誠に簡単、久しぶりのシティホテル、というか思っていたよりいいホテルでかなり快適な感じがした、、で、荷を置いてシャワーを浴びて、そのままに寝床についた。

 実は、ここはairbの予約であった。もちろん日本から予約してあった。というのもこれまで述べてきたように、2/1の船にはなんとしてでも乗るつもりでいたから、そうすると日にちはまず動かないだろう、ということでそれならairbで安いところがあればと思って見つけたところだった。多少到着の遅れはあるかもしれないが、と事前にPelniの船でマウメレから向かう旨をそのホスト;レオ君にはmailで伝えてあった。そしたら素晴らしい返事を返してきたのだ。遅れることはよくある、で、もし到着が2/2のa.m.6時を過ぎるようなことがあったら、あなたの予約を一日ずらすことを認める、つまり2/1~2/2→2/2~2/3に変更してくれるといってくれていたのだ。彼とは何回かmailでやりとりして、彼も旅好きの若者だということはそのプロフィールか知ってはいたが、まさかそこが、もちろんairbも扱ってはいたが、むしろバックパーカーの間では名の知れた良心的安宿として有名なホステルだったなんていうことを、わたしはそこに着くまで知らなかったのだ。ホステルといっても、そこは5~6階?建てで、エレベーターはもちろん、レストランもあって、安宿はちょっと失礼ないい方になってしまう、ま、中級ホテルといったほうが相応しい、わたしにとっては立派過ぎるシティホテルだったのであった。ただ確かに料金は安宿といえるものであった、わたしが予約したときの料金は日本円で1700円くらい(朝食付で確か200,000Rp)だったと思う。それで気づいたことは、最初のバリ島もそうだったが、インドネシアのairbはもともとはホテルまたはホステルで、airbはそういうところでもairbとして募集してよいことになっているので、けっこう一般のホテルが募集サイトの一つとしてbooking.comやagodaとともにairbも利用している、ということのようだった。ま、だからわたしのようにそれと知らずにairbを予約しているものにとっては、airbの宿としてとしては立派なホテル ! ということも起こりえたのである。で、特にそこではホストのレオ君の厚遇を得たので、マカッサルでのお勧めの宿として(もちろん普通に予約できます)以下にその宿を紹介しておきます、、

Legenda Beril Hostel  ;Jl. Serui No.2-4 Makkasar South Sulawesi

phone 0411-8941236  e-mal ; rinajun@yahoo.com

マカッサルの街の中心にあって、マカッサルのシンボルとしてロッテルダム要塞というのがあるのだけどそこまで4~5分、、

 次の朝、8時には起きて朝食に1Fに降りて行くと、レオ君が待っててくれ、ご対面となった。ちょっとなよなよとした感じ、物腰が柔らかく、話し方も優しいまだ若い青年だった。すぐにフロントにいらしたお母様を紹介してくれた。誠に愛想のよいご婦人で、歓迎してくれたのだ。で、わかったことは、先にいったようにここはむしろホテルとして有名で確かに旅行者の宿泊客が多かったが、まずこのご婦人、つまりレオ君のお母様がここのオーナーで、どうやら中国系(華僑?)らしいということ。というのは前夜遅く到着したとき周りには、中華レストラン他、やたら中国語でかかれた建物が並んでいて、あとでわかったことだが、その辺り一帯はいわゆる中華街だったのだ。そして、マカッサルではこの中華系がけっこう強そうで、そうとう実権を握っていそうなこともわかってくる。何せこの中華街が街の中心になっているくらいだったから、そしてレオ君はそこの御曹司だったのだ。朝食をいただきながら(コーヒー&トーストの西洋風)なにかお手伝いすることはないかと聞いてきてくれたので、いくつかお願いした。そのとき必要だったことは、1,洗濯屋、2,両替屋、3,Tana Trajaへの行き方、あとは街の観光をどうするか、といったことくらいだった。1,と2,はすぐ近くにあったのであとでいくことにして問題は3,だった。格は中級ホテルだったからデスクはなかったが、ツアーからticketの手配までする個人のエージェントがいて、すぐに飛んできた。で、今夜のTana Traja行きのバスのticketをお願いした。バスはけっこう出ているようで、しかもクラスがいろいろあるようだった。この路線は競争が激しいから、デラックスなバスが走っているらしいこと、ならば安いのでいいといって片道200のバスをお願いした。帰りはいいのか、他にも市内観光ーとかいろいろあるが、と盛んに勧めてきたがすべて断った。特に往復でticket買わなかったのは結果的に正解で、予想もしないことが帰りに起こるのだが、それは後日談、ともあれ、そのときは片道だけでも顔はたったと思う(他でも手配できたと思うが、やはりそうするわけにはいかなかった、ということ)。それでバスの出るのはターミナルからで一応9時発、そこまでオジェで1時間ほどかかるから19時にホテルを出れば間にあうだろうとレオ君がアドバイスしてくれた。なんだかんだやってるうちに10時くらいになってしまい、まず近くの洗濯屋に出向いて4kgまで35といっていたか?たぶん2kgくらいだったと思うがお願いして、夕方取りに来るというと、できたらホテルに届けておいてくれるとのことだった。そうして、何時に戻れるかわからなかったので荷物をまとめて預かってもらい、10時半にチェックアウトした。

 まずは近くのATMでルピーを降ろしてから、たいしたところではなさそうなのはわかっていたが、300年間統治したオランダの本拠地?ロッテルダム要塞を訪ねるべく街に繰り出した。その辺りがマカッサルの中心と思われ、とてもにぎやかな街並みで交通量は多く、大きな建物が連なるメインストリートのJl.Ahmad Yani通りを渡るだけで苦労する。それを渡るともうすぐで、そこは入場無料、寄付をといわれたが細かいのが2しかなかったので16円勘弁してもらった。30分くらいざっとみて、目の前の海岸通りを右側に建ち並ぶ海辺のレストラン群や少し高そうなホテルを見ながらまく、、近場への渡し?ボートの発着場があったり、ななか楽しい街ブラである。ただし少々暑かった。特に目的地行き当たりばったりであったが、一応Pantai Losariという眺めのいいところがあるとのことだったので、そこを目指して歩いていた。しかし、真昼間暇そうに歩いている人間はやはり目立つようだ、盛んにオジェ、タクシードライバー、ベチャから声がかかる。オールドハーバーにいったか?バンティムルンまで連れて行く‥、、それらがどこにあってどんなところか知らなかったので、親切そうな初老のタクシードライバーに聞いてみた。バンティムルンって聞いたことがあるような気がするけどどの辺にあってどんなところ?マカッサルの郊外にある自然公園で、たいていの旅行者は訪れるところといった説明、けっこう遠いようで、ま、いって帰って4~5時間500でいいといってきた。その日の午後は予定がなく、時間的にはいけそうだったが、500はちょっとわたしには高額に思えたので断った。また歩き出す、今度はベチャのお兄さん、どうやらさっきのやりとりを小耳に挟んだか、300でいくといってきたのだ。しかしどうやっても自転車じゃ無理だろうというと、いや、自分はオートバイをもっている、それで連れて行く、300でいいとしつこい。とうとうPantai Losariまでついてきて(そこ自体は余り面白くなかったが)写真を撮って、きた道を戻ろうとするとベチャだからずっとついてくる。実は少し迷っていた、まぁ、4~5時間の時間潰しにはいいかもしれない、それにPantai Losariで休んだときにガイドブックを見直したら、そこにバンティムルンBantimurungは出ていて、あのウォーレスが蝶の採集に訪れたところ、とあったのだ(だからどこかで聞いた覚えがあると思ったのだ)。その記事の下には、その近くにはリアンリアンLiang Liangという先史公園があるという情報も載っていた。にわかに心がざわついてきて、オジェが250でOKしたらいってみるかという気になり、250ならといってみた。最初はOKしなかったが、ついに彼が折れて、すぐについてこいということで、来た道を5分くらい戻ったところで、ここで少し待ってろといわれ(こいつはかなり横柄なやつだった)、待っているとすぐにヘルメットを二つもってバイクでやってきた。すぐにバイクの後ろにまたがって出発、ちょうど12時頃だった。オールドハーバーに寄れたら寄ってくれと頼んでみた。そこは10分くらいで着いた。今は漁船の船溜まり?写真を撮ってから、ではバンティムルンへ、とお願いしたのだけれど、その道のりは尋常ではなかった。まずこの若い男は、ま、若者にありがちな気短?荒っぽい男で運転も荒く、しかも道は国道を行ったのだけどすさまじい渋滞だった。そこを縫うは縫うは、つまりバイクだから渋滞している車を交わし交わし飛ばすのである。ところが途中からスコールに見舞われる。半端でない雨に、流石に雨宿りせずにはずぶ濡れになるところだった。しばらく待つと小雨になったので、昼飯を食おうと提案、近くの食堂でマカッサル名物coto(チョト)を食う。もちろんそれも知っていたわけでない。わたしが払うから庶民的な店へ、といって連れていって貰ったところの看板に出ていたもので、うまそうだからこれ食いたいといったら、どうやら他の客も皆同じものを食べていて、日本でいうとモツの煮込みに近く、それと何かの葉で包んだご飯(もち米?)をおにぎり感覚で食べる、これは抜群にうまかったのである。一人分15だから誠に安くてうまい食事だった。ちょうどそこが半分くらいのところで、そこからまたバイクを飛ばす、大きな街で国道を右折して、リアンリアンの入り口を過ぎて15分くらいいった山の麓に公園の入り口はあった。そこまで途中昼食休憩をとったが、バイクだったから1時間半で着いていた。マカッサルの北50kmくらいのところあたりだったか?けっこう地元の人が多そうでticket売り場付近は混雑していた。

ホテルを出てのすぐの通り、マカッサルのシンボルタワー?モニュメントMandiriImg_7575_640x480_2

上の交差点を渡って海岸通りを行く、、右側に簡易食堂(海鮮料理?)が並ぶ
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Fort Rotterdamロッテルダム要塞(ホテルから5分くらい);5枚Img_7577_640x480Img_7578_640x480Img_7579_640x480
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さらに南に向かって海岸通りを行くと小さな船着場があった;2枚Img_7585_640x480Img_7588_640x480

実際はそれほど眺め抜群ではなかったが、公園になっていたPantai Losari ;3枚Img_7590_640x480Img_7589_640x480Img_7591_640x480

オールドハーバーと聞いたが正しい名称は知らない、ま、下町の漁港といったところか;3枚Img_7592_640x480Img_7593_640x480Img_7594_640x480

その付近の下町風景、マカッサルではモスクも多かった、イスラム教徒が多いところ?
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途中でマカッサル名物らしいチョト(coto)を食べる、安くてうまかった(尚、オジェドライバーが写っているが、改めて見るとこいつはわたしの息子に似ていた)、テーブルの真ん中にあるのが葉っぱに包まったご飯Img_7598_640x480


 ところが、そのticket売り場で、わたしは怒りがこみ上げてきてticketは買わなかった。高かったのである、確か外国人は250だったように思う(記録なく記憶は定かでないが)、現地の人の10倍?わたしの普通に泊まるホテル代より高いなんて許せなかった。それにそこに着いて気づいたのだけれど、そこは広大な敷地をめぐる自然公園、つまり山あり川あり滝ありの、自然を楽しむ場所だと気づいて、そもそもそんな時間はないではないかと悟ったのだ。全く躊躇いなく中止したことは全く正解だったといえた。入り口付近の写真を撮って、すぐにリアンリアンにいってもらった。そこから15分ほど戻って、右に折れ田園の中を行く、途中にリアン何とか(Liang Buaのところで言ったようにリアンは洞窟ということらしい、写真にはLeang Brungと写っていた)Liang Buaと同じような昔の人が住んでいたと思われる洞窟がいくつかあったのだ。こっちのほうがずっと面白いではないか、ただそこは写真は撮れたが中には入れなかった。しばらくいくとLiang Liang先史公園というのがあって、そこは20だったから躊躇わず入ってみた。ガイドブックには先史時代の動物の壁画が残されているとあった。が、そこは公園になっていたが、そんなものがあるのか、どこにあるのかわからずうろうろしていると、ドライバーがやってきてその場所に連れて行ってくれた。が、それでもそれは上のほうで、わたしの肉眼では捉えることができなかった。カメラの望遠でみたが、それでもわからず彼に写真を撮ってもらったが、それも写っているかどうかまだ確かめていない。そこも30分くらいで切り上げて、マカッサルに戻ってもらった。ほとんどバイクに乗っているだけの時間潰しになってしまったが、ま、ただ街ブラしているよりはマシだったのではないかと自分言いきかせた。帰り道も相変わらず渋滞しているところを飛ばしに飛ばして16:00頃にはマカッサルのロッテルダム要塞に着いたが、よくまぁ、あの運転で無事に戻れたこととほっとしていた。ところがそこからひと悶着が起きた。予想できたことだが、まず300払うから50の釣りをよこせといったら、50はもってない、tipとして50上乗せして300よこせといってきた。わたしは断固として、Noといい続け、200は渡したが50の釣りをよこすまで払わないと主張した。平行線となったので100を崩すしかなかったのだが、適当なお店がなく、また屋台の物売りは両替を嫌がった(こういうことはよくあるので、できるだけ小額紙幣は常にもっていたほうがいい)。結局飲み物を買うことで屋台のオヤジに崩してもらい、彼の分と2本5×2で10を100で払い90の釣りをもらって彼に50と飲み物を渡した。彼はぶつぶついいながら去っていったが、もしかしたら(最初に承諾したとはいえ)あの距離を走って250は彼にとっては不服だったのかもしれなかった、、ま、わたしとしてはわずかな額だったが昼食と飲み物まで提供したのだから、という思いもあってのことだったが、彼にとっては相手が悪かったのかもしれなかった、、それからもう少し街ブラをつづけ17時頃ホテルに戻った。洗濯物は届いていた、、

Bantimurungの入り口付近;5枚Img_7607_640x480Img_7608_640x480
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Img_7604_640x480蝶を並べたお土産やが軒を連ねていた

リアンリアンの手前にあった洞窟(写真を拡大してLean Brungと表示されていたことを知る);2枚Img_7610_640x480
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Liang Liang先史公園;6枚Img_7615_640x480公園を入ったところ、右手の岩肌に洞窟があった

Img_7616_640x480Img_7622_480x640この階段は使用できなかった

この奥に見えるといわれたがわたしは確認できなかった
Img_7618_640x480Img_7620_640x480この写真にはうっすら写っていたことをあとで知るImg_7619_640x480この写真(彼が撮ったもの)にははっきり手形がいくつか写っているのがわかる(これもあとで知る)

戻ってからまた街ブラ、街中の写真;2枚Img_7626_640x480カレボシ広場

Img_7625_640x480中華街の入り口、この辺も街のど真ん中?

 すでにチェックアウトしていたから、1Fロビーで休ませてもらい、そこで諸々のチェック、荷物の整理・パッキングなどで時間を潰させてもらい、18時頃近くのレストランに食事にでかける。マカッサルは海鮮料理が有名で海岸通りに沿ってレストランがたくさんあったが、このときはせっかく中華街にいるのだから中華料理を食べたくなって中華レストランに入ってしまった。もちろんそれはそれでたいへんおいしくいただく、、わたしが戻るとすぐにレオ君も戻ってきたので、バスターミナルまでのオジェをお願いし、世話になった礼を述べお母様にも挨拶した。19時頃オジェドライバーが来たのでヘルメットを被ってその場を辞したが、そのときオジェのドライバーは完全雨対応の装いだった。レオ君は雨が来たらドライバーの雨具の中に隠れろ、と教えてくれた。しかし、それからの1時間は生涯を忘れることは決してないと思われるほどのずぶ濡れとなった。これと同じほどのずぶ濡れをかつてグアテマラの川でも経験していたが、今回ほど自分に怒りを覚えることはなかった。今回わたしは2つの大きな間違いをしてしまったのだ。確かにオジェは安かった、バスターミナルまで約1時間を28でいってくれるという、しかしわたしは雨のことがすっかり頭から抜け落ちていた。それに18時を過ぎるともう暗かったし、空模様もわかってなかった、というか気にしてなかった。最大の失敗は、もしタクシーを使ったとしてもたかだか100くらいの話だったのだ。あんな雨の中オジェで行く馬鹿はいない、もちろん雨は途中から、走り出して5分もたたないうちにきたのだけれど、そのとき犯したもう一つの間違いは、何故そのとき雨具を出してわたしも完全装備にしなかったのか?ということだった。まさかそれほどながく降り続くとは思わなかった、というのではまたまだ完全に甘い、というか、ま、はっきりいって馬鹿丸出しの証明をしてしまったようなものだった、、

華僑の中華レストランで食事したときまではマカッサルの印象は極めてよかったのだが、このあと墓穴を掘った、、Img_7627_640x480