独歩の独り世界・旅世界

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インドネシアの旅 第一章ヌサトゥンガラ緒島 その4,ロンボク島マタラムMataram

  そのとき(船上で)わたしはレンバルからの足とマタラムの宿のことが非常に気にかかっていた。が、たまたまキャビンの座席に隣り合わせたImadeくんと、彼は英語を少し解したので、ま、例によってお互いの簡単な自己紹介とこれからのことを話しているうちに、彼が自分についてくればいいというようなことを言ってくれたのだった。そのとき彼はバイクのヘルメットをもっていたので、てっきりバイクと一緒に乗り込んでいて、そのバイクでマタラムまで連れて行ってくれるのか?と勝手に思って、わたしをオジェ代わりにマタラムまで乗せてってくれると勘違いした。というのも、公共の足はないことはわかっていたが、乗りあいタクシーかオジェはいるだろうと思っていたからだ。マタラムMataramというところは西ヌサトゥンガラ州の州都でロンボク島最大の街、そこまでいければホテルはいくらでも探せそうだった。が、わたしの得ていた情報ではレンバルからは約15kmあって、その間を走る公の交通機関はなかったのでその話はまことにありがたかった。また、彼はホテルも探してくれていた。彼のスマホでこんなところがあるとみせてくれたのはいずれも高そうなところばかりだったので、もっと安いところはないのかと聞いたりしていた。で、半信半疑のまま下船し彼についていくと、そこに一台の車が待っていて、それに乗るように促され彼の友人であるというMunteくんを紹介された。ま、お互いにたいした英語力でなかったから多少の誤解もあったが、道すがら話してわかった内容は以下のようだった。どうも二人はかつての仕事仲間で、それも日系の銀行に勤めていた仲らしかった。齢は30代の前半か?今は二人とも銀行を辞めて、Imadeくんは独立して商売をしているらしくバリ島とロンボク島に拠点があって、いったりきたりしているらしいこと、そしてどちらにも彼女がいるらしいことがわかった(つまりこのとき彼は仕事がてら彼女に会いにきた、ということだったらしい、ヘルメットはこちらでの足用として持参?)。Munteくんはまだ新しいToyotaのワゴン車で迎えに来てくれていたのだが、銀行勤めで溜めた資金でこの車を買い、この車で新しくビジネス(例えばそのときわれわれが乗せてもらったようなレンバル~マタラム間の白タクのようなこと?)をはじめようと考えているところだ、というようなことを次の日に話してくれた。そういう意味では彼らはわたしを純粋に厚遇してくれたのだった。マタラムまでの道、それはまだ新しくて快適な道だったが、途中にあったこれもまだ新しそうなモニュメントのところで写真を撮れと勧めてくれ、一時ストップして記念写真?本来写真を撮られるのは好まないのだが、ま、証拠写真になるかと思って撮ってもらった。そこからは暗くなった夜道をマタラムの街に入り、何が食べたいか(食べられるかと聞かれたのかもしれない)というので、なんでもOK、ただチキンよりポーク、それも大衆的なところで、というと、まさにそれらしきところに連れて行ってくれ一緒に夕食をとった。こういうところの機転がわたしは鈍いのだが、本来はわたしが支払うべきところ彼らに先を越され、わたし差し出したルピー札はとっさで単位がわからず少なすぎだったのか受け取ってもらえなかった。つまりご馳走になってしまったのだ。その後彼が見つけてくれた2500,000Rp(約2000円、以降この旅で一回をのぞいてそれより高いところに泊まったことはなかった)のホテルまで連れていってくれた。なんとそこにはImadeくんの彼女が待っており、この二人もそのホテルに宿泊するとのことで、ようやくここまでの道筋を理解できたのだった。しかし、次の日Munteくんの車で街を案内してくれるという申し出には、流石にありがたさを隠しきれず、そこまでしてもらっていいのか、どう謝意を伝えればいいのか頭を抱えた、、

Img_7199_480x640Img_7201_640x480新しいモニュメント(名称は控えてないが、モスリムの関係?)のところで写真を撮れ撮れと停まってくれたので証拠写真を一枚撮ってもらった(顔がはっきりしないのを選んだ)、、

大衆的な食堂で、ImadeくんImg_7204_640x480とMunteくんImg_7203_640x480

 このホテルはとんでもなく素敵なホテルだった、、いや、もしガイドブック頼りだったら、この値段でこんな素晴らしいホテルには泊まれなかったと思う、まだ新しくて洒落ていて、部屋の内装も間取りもとてもセンスがよかった。そこの受付の女の子も感じがよく、インドネシアの、いやもしかしたらロンボク島の?レベルの高さ、センスの良さに驚いたくらいだった。それは朝7時に起きてインドネシア風か、ヨーロッパ風か聞かれてお願いしたインドネシア風の朝食にも、そして朝食後に付近の写真を撮りにいったときにも感じたことだったから、ロンボク島自体、あるいはここの住民の意識の高さが故なのかもしれなかった。序章で少し触れたが近代都市マタラムで、あの蹄の音を聞いたときにそれは最高潮に達した。あるいはそれはここの住民の一人であるMunteくん&その友人のImadeくんの好意が重なっての印象だったかもしれないが‥、、

Hart Hotelの朝食とレストランの感じImg_7207_640x480

愛すべき馬車の写真を(序章でも掲載したが)2枚追加Img_7210_640x480
Img_7213_640x480今思い出したことだが、Munteくんの車で街を流していたときに、この馬車でバスターミナルまで帰れるかと聞いたら、それは無理で、馬車の通れる道は制限されているから、とのことだった、、

 散歩から帰るとその三人(Imadeくんとその彼女とMunteくん)が朝食をとっていた。わたしは朝食を終えていたが、それが伝わらず朝飯を食え食えといってホテルの従業員をあわてさせた。彼らの朝食が済んで、前日に言ってくれていたことだが、Imade君と彼女には別れを告げ、Munteくんが昨日の彼の車でわたしをMataram見物に連れ出してくれた。おかげで当初その日の午前中にしようと思っていたことは1時間で片付き、無理だろうと思っていたマタラムの街歩きを彼の車でできたのだからこれ以上のありがたい話はなかった。ここで午前中かけてやらなければと思っていたこととは、まず、バスターミナルの場所を聞いて、そこまでいってバスのticketを取得することだった。ガイドブックには、このMataramを昼の12時に出て、15時間かかってスンバワ島のBimaまで行くバスがあるとのことだったから、その場所(バスターミナル)を探すこと、そこでticketを取得して、なんとしてでもその日のバスで出発しなければ間に合わなくなると、これに関しては必死の想いだった。で、それには、たぶん午前中いっぱいかかるだろう、で、バスは12時発と聞いていたから当然マタラムの街徘徊はターミナルの近辺以外は無理だろうと思っていたのだった。

 そのバスターミナルにわたしの希望を聞いて最初に連れて行ってくれた。未だに、その素敵なホテルHart Hotel<Jl Arjuna No.14 Mataram Lombok >のあったところがどこだったのか不明だが、街の中心にあったことは確かで、そこから車で20分くらいかかったと思う、大きなバスターミナルだった。そこでBimaまで行くバスのticket売り場を探してくれた(しかしこれが後に問題になるのだが、それは後述)。そこで確認するといくつかガイドブックの情報とは違っていたことを知る。ひとつは12時発でなく15時発、そしてそれはBima行きでなく、フローレス島ラブハンバジョーLabuhanbajoまで行くとのことだった。いずれもむしろ願ってもないことだったので喜んだ、そしてそのticket販売人(後から気づくのだが、そこはticket officeではなかったのだ)の周りにいたギャラリーが食事つきだ、ともいったのだ。ちょっと信じられなかったので、ほんと?聞き返したが、そこにいた一同はその通りだ、といったのだ、で、言われた金額395000Rpを払った。ちょっと高いな、と思ったが、フローレス島に渡るフェリー代が込みで、つまり次の日の夕方にはフローレスの玄関口ラブハンバジョーにつけ、しかも食事込みと聞いて、むしろそれならありがたいと思って、ticketを受け取り、そこに書かれていることを確認したが食事のことは何も書かれてなかった。ticket販売人は多少英語を話したので、その場にMunteくんはおらず、その件の確認はできなかったが、バスのticketは確実に手に入り14時半までにここに来るよういわれ、Munteくんのところに戻った。それが9:30ころだったと思う。それから5時間くらい、彼はわたしのためにあちこち回ってくれたのだった。わたしはガイドブックを見ていくつか希望をいった。できたらMayura Water Palace(18世紀の宮殿)と州政府の観光案内所(地図をもらいたかった)にいけるか、と、、水の宮殿はバスターミナルから近くてすぐに着いたのだけれど、入場料が高くて(確か50000Rpだったか)入るのはやめた。ちょうど雨が降り出してきたので、すぐに車に戻って街を流してもらった。けっこう大きな街で交通量もかなりあった。次に彼が連れていってくれたのがイスラムセンターで、実はヌサ・トゥンガラ緒島(小さい島まで入れると1000余りの島でなっている)は島によって宗教の勢力図が異なり、このロンボク島イスラムが多いとかで立派なイスラム礼拝堂が建っていた。イスラムには余り関心のないわたしは写真だけ撮ってモスクの中には入らなかった。そこからは古い港町アンペナンAmpenan(ウォーレスは1856年ここで下船、そこでセレベス<Sulawesi>島マカッサルに行く船を待つため2ヶ月滞在し、それがウォーレス線発見に繫がる)が近かったので、その浜辺に立ち寄ってもらった。時間はまだまだたっぷりあったので少し戻る形で、観光案内所によってロンボク島の地図をもらった。さて、そこでどうしようかとなった。街なかはほとんど流してくれていたので、特に面白そうなところはもうなさそうだったが時間はまだずいぶんとあった。で、また戻る形でアンペナンのほう引き返してそのまま15分くらい北上したところにあるロンボク島のリゾート地として名高いスンギギSenggigiまで車を走らせた。スンギギはまたロンボク島を有名にしているダイバー憧れの地ギリGili3島へ行くボートが出ているところでもあった。そう、確かにMunteくんに車で流してもらっても外国人のツーリストを見かけることはまずなかったのだけれど、このロンボク島は唯一この海の美しさでもって、スンギギならびにその北にあるギリ3島が観光客には知られており、人気のスポットであるようなことがガイドブックには書かれていた。それでもまた、まだバリ島に比べると来島者は少なく、それがゆえに余計魅力的なところなのだそうだ。残念ながら海派でないわたしは、ギリ島にもスンギギにも余り興味を覚えなかったので、スンギギの浜に着く手前にあった眺めのよいところでコーヒーでも飲もうといって、そこでしばらく休憩して、結局それより先には、つまりスンギギの街までは行かなかったのだった。

Mayura Water Palace(マユラ水の宮殿)、高い割には面白くなさそうだったので入園せず、門から写真を撮らせてもらったImg_7216_640x480

イスラムセンター;3枚Img_7217_640x480Img_7218_480x640Img_7223_640x480みすぼらしい日本人

アンペナンの浜;2枚Img_7225_640x480Img_7227_640x480

スンギギの浜と休憩中のMunteくんImg_7229_640x480Img_7230_640x480ほんとに親切な男だった、、

 そこから戻ることにした理由が一つあって、そのときはわたしはあることを思い出していた。それは宿泊したHart HotelWiFiが繫がったのでmailをチェックしたとき数件のmailを確認しておりそのうちの一件には至急返事を出さなければならないものだった。が、持ってきていたiPadで返信を送ったのだけれど何故かそれは未送信になってしまっていた。このあといつWiFiの繫がるところへいけるかわからなかったので、Munteくんにインターネットカフェを探してくれるよう頼んだのだ。彼はOKしてくれてすぐにマタラムまで戻ったのだけれど、あいにく彼はその場所をよく知らなかったのと、知っていたとしてもそこに日本語使用可のPCはあるはずがないことに気がついた。折からの雨で車が渋滞していたので、わたしは諦めて、というかこれ以上彼に迷惑をかけたくなかったのでバスターミナルに戻ってもらった。すでに昼を過ぎていたので、ターミナルの食堂で昼飯を食う、安いものだったがそれはわたしがもちろん払う、そして思いついて別れ際Munteにもう一つお願いした。あなたのもっているのはスマホ?つまりどこでもmailの送受信はできるのか?と(わたしはそういう基礎知識がないのである、しかもスマホはもっていなかった)、yesの返事に、ちょっと貸してくれない?mailを一通送りたいんだけど、と聞いてみた。快く貸してくれたので、日本の相手に、たまたまその人は通訳を仕事にしている人だったから、わたしのでたらめ英語で返信を送った。それは無事届いて、おかげでその方を(今日2/28から)5日後に迎えることができることになった、そう、その方はairbのお客さんだったのである。彼には十分礼をいって、ささやかながら燃料代くらいのお礼はした。彼は、自分はちょうど今日案内をしたようなことや前日のレンバル~マタラム間の輸送業をやろうと思っているのだから、それの予行演習のようなものだったとあくまで謙虚であった。それでもtipは受け取ってくれたのでわたしも少しは気が楽になった。それにしても善人過ぎた、もちろんマタラムの人がすべてそうだ、なんて思っていないが、街の雰囲気も含めてわたしにとてもよい印象を植えつけてくれたのだ。にもかかわらず、先にいったようにバリ島からこちらまで来る観光客は、少なくとも日本人はほとんどいないとのことだった、それで思ったのだが、ウォーレスが提唱したウォーレス線は、日本人の観光客分布境界線としても使えるのではないか、ということだった、、

マタラムのバスターミナル、写真左側に食堂が並んでいた、、Img_7234_640x480


<この項了、次回はマタラム~スンバワ島 Bima,Sapeとなります>