独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』インド篇 その 2, ゴア 2, Beach他、Old Goa再び

はっきり言って、Beachには無縁の男だった。どういうことか?もう黄昏れ迫る爺さんだから恥も外聞もなくわたしの(生涯の)コンプレックスを晒してしまうと、人によってはどうでもいいことと思われるかもしれないが、普通の人にできてわたしができなかったことが三つあって、その一つが泳げなかったことだった(あとの二つは折を見て・・)。だから海辺のそばで生まれながら、ついぞ海を目的地(あるいはマリンスポーツor海洋レジャーを目的)として出かけたことは一度もなかったのであった。が、負け惜しみでいうが、それこそ世界の素晴らしい海は、もしかしたら普通の人以上に目にしてきたかもしれない、それはどこといわれると困ってしまうくらいの数になると思うが、ただ目にしただけでその場を体験するということはなかったのである(その分山は思い入れが強くなって、素人登山のレベルだが、その意味での実体験・経験は少しは積んでいた)。さて、そこでGoaである。で、ゴアといえばやはり海なのであった。ポルトガルとの関係をいまさら言いだすつもりはないが、ザビエルもガマも、また同時代の先駆者コロンブスもそういう意味では海を制覇した男たちであった。そしてゴアはその後アラビア海に沈む夕陽と素晴らしいビーチが欧米の若者たち・旅人たちを惹きつけた街として有名になっていった。そうゴアといえばビーチが代名詞のようになっていたのだ。もちろんそれはわたしも知っていた、が、先にいったような理由で、それでゴアにいってみたいと思ったわけではなかった。ただ、来てしまったからには一度もアラビア海を見ずに帰る手はないだろうな、とは思っていたのだ。そして偶々先発隊的役割を果たしてくれていた友人から - 彼女は海も山もこなす人だった - 数日前にそのBeachのホテルに滞在しているという報告をもらっていた。beachはPanajiに近いところからSinquerim Beach,Candolim Beach,Calangute Beach,さらにBaga Beachと北に向かって延々と続いていて、それらのビーチへ向かうバスはKTCバススタンドから出ているというガイダンスをもらっていた。

その日、宿泊していたairbnbの宿では何の情報も得られないことがわかったので、最初に出かけたのはそのバスターミナル(KTCバススタンド)だった。結局Goaはホテルの失敗だけでなく、どうもわたしにとってはあまり興味深いところではないような気がしてきて、ま、いずれゴアから離れることになるのだからと、バスターミナル周辺にいくつもあったトラベルエージェンシーの一つに寄って、どこへと決めていたわけではなかったが、ゴアから出ているバス情報をいくつか聞いて回っていた。その行先はマンガロールMangaloreであったりコーチンCochinであったり、あるいはいずれ戻ることになるMumbaiその途中にあるプネPune、果ては彼女がGoaから向かったハンピHampiだったりした。そのいずれへも今は昔と違ってバス網の発達が著しく、夜行バスが出ていることをまず知ることができた。そのあとはそのまま街ブラしてて、少し坂を登ったあたりの切通しのようなところを通っていたら、その左側の山壁に上へ登る階段が造られているところがあった。そういうところは性分として登らずにはすまない質なので、上はどんなところなのかと登りだす、登った先にあったのは裁判所や政府機関の建物が建つ一画だった。そこからの眺めは悪くなかったのだが、その寄り道のため、その切通しをそのまま進めばPanajiの中心、シンボル的建物のPanaji Churchを見逃すことになってしまったことを後で知るのだった。これも地図も何も持ってなかったことの失敗の一つと言えた。ただ来た道をそのまま引き返すか、あるいは西側の道を下ればよかったものの東側の道を下ったため、そこに点在する瀟洒な住宅の数々とリスボン風の坂の道と降りきった辺りがリスボン風の面影を残す一画だったので、それはそれなりに楽しい道とはいえたのだった。そこからは最初の日に泊まったホテル&レストランが近かったので、今一度そこまで歩いていって朝食兼昼食というか、休憩を兼ねて簡単なスナックとチャイをいただく、その店の前がバス停になっていたのでそこからはバスで再びターミナルへ戻った。ターミナルに戻ったのは、そこからまたバスを乗り継いでビーチへ行ってみようと思ったからだった。

小高い丘の上にあったPanajiの裁判所?

その政府機関があった高台からの眺め ↑↓ この下に見える道を下ってしまった 

途中で通り過ぎた家々 ↑ ↓

降り立ったあたりの街並み ↑ ↓

バスターミナルにはインフォメーションもあったので、彼女が滞在したというカンドリン Candolimという街へ行くバスの乗り場を聞いて、それはすぐにわかったので乗り込んで発車を待つ。ただ、そのバスがどこ行きでどこで降りればいいのかは確かめなかった。発車後に車掌にCandolimといって、言われた30Rp払ったはずだからバスは間違いなかったはずだが、どこがCandolimかはわからず(そこまで気を遣ってくれるグアテマラのような車掌ではなかった)結局終点までいってしまったのだった。ただ終点はさらに先のビーチCalanguteというところで、どこのビーチでもよかったわたしにとっては、それは大きな問題ではなかった。むしろそこはビーチからさほど離れていないところ、ビーチの入り口といったところだったので却って好都合であった。降りるときにPanajiに戻るにはここからバスが出ることを確かめて海に向かった。もうすでにほとんどインド人・地元民だったと思うが凄い数の人込みとなっていた。ま、それはどこも変わらぬ浜辺の光景だった。海辺までは5分くらいだったか、浜辺にでると左右延々と南北に続く砂浜と海水浴客たちの喧騒は、これまたどこも変わらぬ風景のように見えた。わたしはその写真を2,3枚とって、アラビア海を見るには見た、確認したとして長居はしなかった。街へ戻る途中に観光案内所のような建物があったので、入ってみると若い女性が暇そうにしていたので、2,3質問してみた。しかし要領を得ない答えに(言葉の問題で)地図はないのですかと聞くと15Rpとのこと。それにわたしの質問の答えがあるのかと買ってしまったが、それはわたしの欲しかったタウンマップ・タウン情報ではなくてゴア全体の州マップのようなもので、結局あまり役に立つことはなかった、わたしはそこの後にいってみたかったAguada Fortという灯台のあるらしいところまでいきたかったのだが、そこへのいき方も要領を得なかった。おかげでそのあとエライ苦労することになった。先ほど乗ってきたバスはまだ発車しておらず、同じ車掌の同じバスでAguda Fortへの道の分岐点までそのバスで折り返す、そこがSiquerim Beachの入り口だった。そこまでの途中に通った街がCandolimという街だったようだが、インドらしい喧騒とツーリストの賑わいは確認できたものの、どこの海辺の街もそうであるように俗化しており魅力的な街のようには思えなかった。Aguada Fortにいきたいといってその分岐点(Siquerim Beachの入り口)で降ろしてもらい、そこからAguada Fortまでどのくらいの距離だったのか、少なくとも公共の交通手段はないと聞いていたから、まずTukTukかモトが待機していないかと探すのだが、間が悪かったのだと思う。この時見つけられず、少し待てばよかったかもしれないが歩き出してしまった。そしてTukTukかモトが来ないか、しょっちゅう後ろを振り返りながら歩き続け、だんだん交通量も人通りも少なくなって、とうとう1時間半くらい炎天下歩き続けてしまい、もちろん途中途中で休みながら、ときにヒッチを試みたりしたものの、それでも目的地には到達できなかったのであった。この時も運の悪さタイミングの悪さを嘆かずにはいられなかった。そして道が分岐しているところまできて、おそらく直進が半島の突端、右が登りの道、どちらがFortへの道かわからずそこで断念することにしたのだった。しかし相当疲れていて1時間半の道を帰りも歩いて戻る気は失せていた。それでも人も車もほとんど通らない炎天下の道を歩くしかなく、同じ道を戻っていると向こうからTukTukがやってきた。合図をすると止まってくれたが客が乗っていた、で、もしこの道を帰ってくるなら帰りに拾ってくれるよう頼む、ものの15分くらいで戻ってきて交渉となった。足元を見られているから200Rpといってきた、こちらは100を主張したが、150までしか下がらなかった。TukTukだと1時間くらい歩いた道は15分もかからなかった、なので距離からしたら50Rpほどのものだったであろうが、約束は約束である。先ほど降りたバス停まで運んでもらって150Rpを払った。その時そこには何台かTukTukは待機していたから、最初に降りたときにそこにいてくれたら、おそらく300Rpで目的地まで往復できたであろうことが容易に想像できた。ま、旅は人生と同じで当たりハズレ(順調・不調)があって運次第、タラレバをいっても始まらないのだが・・。

CalanguteのバスターミナルからCalangute Beachに向かう ↑ ↓ 

 

Calangute Beach 5枚 ↑ ↓

右、北方向 ↑↓

 

左、南方向 ↑↓

Aguada Fortには結局いきつけなかったのだが途中から見えた(だいぶ遠くに)建物が
Aguada Fortもしくは監獄と呼ばれたものだったかもしれない

 

ま、そんなんで再びバスターミナルまで戻って、そこでまた何らかの食べ物やら飲み物を仕入れて、帰り道にビールを買って帰るのだが、昔ならともかく、旅の不調は体力的な問題もさることながら(後に発病することになるが)、好奇心・気力の衰えも関係しているかもしれないと思うようになっていた。一応次の日airbnbの宿はチェックアウト日だったから、最初は別のホテルに移ろうと思って何軒かあたっていたが、それも面倒になってきて、早、Goaももういいか ! となっていたのだった。昔はわたしとインド(人)との感性はもっとfitしていたと思う、が今回はどこかでズレが生じて来ていたように思う、そんなところに結果としてのちぐはぐさが生じ、物事が円滑に進まなくなっているのを感じていたのであった。なので失敗が多くなって嘆息がでてくる。そもそもが(この旅自体が)無謀であったか?とか・・、それを支えてくれていたのがline友?日本からのmailや先発隊を買って出てくれたline友であった。しかし、この時はもう彼女の追っかけ旅はやめることにしていた。いい歳して何やってるんだ !? それが自分の旅なのか・・??

 

次の日朝一番で出かけた先は椅子一つテーブル一つのオフィス、すでに顔なじみになっていたTravel Agencyの若い社員の出社を待っていた。やってきた彼に今夜のバスでPuneに向かうからと発券をお願いし(600Rpだった)、そのあともう一度Old Goaに向かったのだった。先発隊の彼女の何日か前のlineに<Old Goaのお勧めはAugustinian Convent>とあったのがずっと気になっていて、確かにOld Goaは中途半端にしか見てなかったので、できればもう一回行ってみるかと思っていたのと(あとは夕方まで、その時いってみたいところも特にやらなければやらなければならないこともなかったのとバス代は20R=35円だったし)、更にこの時は今一度Old Goaの土産物屋兼レストランでWiFiチェックをしなければ、というのが大きかったのであった。すでにOld Goaに着いた時はゆっくり歩き回るには暑い時間になっていて、最初に前日外から写真だけは撮ってあったChurch of St. Assisi 聖フランシス教会の内部とその周りを徘徊してから、その存在を知らずにいた土産物屋兼レストランのわきの道を探りあて、少し登り気味の道を登っていった。その道を10分ほどたどると左側にまずChurch and Convent of St. John of God教会があって、その背後の丘にはSt.Augustine Tower 聖オーガスティン教会の廃墟跡、道路を挟んだ向かいにはConvent of Santa Monica 現役の修道院があって、さらにその奥にはChurch of Our Lady of the Rosaryという廃墟に近い教会だが、それはそれは素晴らしい立地に建てられた昔の教会が建っていたのだった。いや、わたしがお粗末すぎたのだった、いくらガイドブックも情報も持っていなかったとはいえ、この辺りがOld GoaのOld Goaたる所以、Basilica Bon Jesusを含めての世界遺産たる所以だったのだと思う。それに気づかずに、暑さを理由にはしたくないが、これで世界遺産?と勘違いして帰ってしまった初日が我ながら情けなかった。この時もその反省を交えて、前回の土産物屋兼レストランに赴いて、そこには二日前の若いお兄ちゃんもいて何も注文せずWiFiだけのチェックだけでもいいといってくれたが、再びビールと某かの食べ物とを注文して、小一時間休憩とラインのチェックをさせてもらったのであった。

前回撮ったChurch of St. Francis of Assis聖フランシス教会の写真ももう一度撮りにいった↑↓

聖フランシス教会の裏側にあったArchaeological Museum ↑↓

St. Augustine Tower 付近 右がSanta Monica 修道院、奥にSt. Augustine Tower

St. Augustine Tower 2枚 ↑ ↓

Agustinian Conventの廃虚の一画 ↑ ↓

最奥にあったChurch of Our Lady of the Rosary 5枚 ↑ ↓ 

 

Church of Our Lady of the Rosary からの眺め 下の川はMandovi River 2枚 ↑↓ 

 

午後にはairbのホテルに戻りパッキングをして、話し相手にならない使用人に鍵を返却して、しばらく誰も使ってない応接間兼事務所のソファで時間潰しをさせてもらった。夕方近くになって、見つけてあった定食100Rpの店で早めの腹ごしらえをして、Agentに向かうのだが、そのレストランでの出来事は印象的だった。客のいない時間帯だったが、そこでFish Thali 魚定食を頼んで隠し持ってきた缶ビールで食事をしようとしたところ、缶ビールを開けた音に気付いた店主が飛んできて、それは法律で禁じられているから、ここでは飲まないでくれと咎められたのであった。ま、あり得ることだったのでそれには従ったが、せっかく安いビールをレストランでは飲めない不条理には何ともインドらしいというか、腹立たしくもあり、口惜しいことのようにも思われた。事程左様にインドは州によってさまざまな法律が施行されていて昔はそれを面白いと思える余裕があったが、このときはむしろ非合理?不合理?とさえ感じていたのだった。

airbの宿の事務所兼応接間 誰もいないのでしばらくここで時間潰し

100Rpのfish thali ここでビールは飲めなかった

親切なAgentの若者は、まったくどこがどうなっていて、どのバスに乗ればいいか皆目見当のつかない長距離バスの発着場所までついてきてくれて、そのおかげでticketに書かれていたバスに乗ることができ、17時半にはバスは発車し、途中何回か停まって休憩タイム食事タイムがあったりして、けっこう眠れたようだったのだが、しかし結局わたしはPuneに降り立つことができなかったのであった・・、、

 

KTCバススタンドの長距離バス発着場所