独歩の独り世界・旅世界

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インドネシアの旅 第二章 フローレス島 その4,マウメレMaumere ~ Pelni LineでスラウエシSulawesiへ

 その夜(1/30)はマレーシアから来たらしいモスレムの女の子が二人泊まっていた。挨拶しただけで話はしなかったのだが、次の朝同時刻に起きてきたので、もしかしたら?と思ったが、案の定同じバスに乗り合わせることになった。が、その過程は少し違っていた。このときもわたしは感心したのだけれど、6時半頃に出発すると伝えておいたら、まだ若いオーナーである彼女はちゃんと6時に来て(住まいは別のようだった)朝食の準備をはじめていた。しかし、その日どこにいくとは聞いてなかったが、マレーシアの女の子たちは朝食をとらずに6時半には出ていった。わたしが頼んでおいた朝食のパンケーキは6時半頃できあがった(あろうことか、この貴重な時間帯にしばらく停電だったから、たぶん彼女たちの朝食は間にあわなかったのかもしれない)。わたしはまだ迎えが来なかったので、急いでコーヒーとパンケーキの朝食を平らげた。久々のパンケーキはとてもおいしかったのだが、食べ終わると同時くらいに迎えの男の子(助手)たちが雨の中を走ってきたので、彼女へのお礼の挨拶もそこそこに大通りに停めてあるというバスまで傘をさして急いでいった。で、乗り込むとそこに彼女ら二人がいたのである。もう一つ不思議だったのは、迎えの男の子達に促されてわたしがバスに向かったとき、そのうちの一人はその家に入っていったことだった。たぶん、それで以下の推測は成り立つと思う。ここのバスシステムは(あるいはこのバスは、といったほうが正しいか?)まず、ターミナルはなく、すべて依頼のtel等によって動いている。そして依頼主のところまで乗客をピックアップに来てくれるのだが、そのときに依頼主から料金を回収してわずかな手数料(前回いったリベート、マージン?)を支払う、つまりわたしはセバスチャンの依頼で、そして彼女たちはこのホームステイの依頼で予約していたということではなかったのか?、その際にバスの乗車場所についてどう取り決めたのかは知らないが、いずれにしろ一人が家に入っていったのは彼女たちがオーナーに支払ったバス代の受け取りとリベートの戻しのためであったと思う。ともあれ、大通りに停めてあった、わたしが昨日確認したバス(そういう意味ではプライベイトバス-個人所有という意味-に近いのかもしれない?)は、他にも何人かの客を待って、ちょうど7時頃に出発した。ところが、それから1時間ほどは他の依頼主のところへ、つまりバジャワ周辺を行ったり来たりして、まだ何人かの集客のために費やされたのだった。だから例のルテンからのバスが到着した三差路を通って本格的に走り出したときはすでに8時を過ぎていたように思う、、

Maumere行きのバスImg_7494_640x480

集客のためバシャワ近郊を回っていたときに見た村、この比較的新しい集落も原型は前日に見た集落と基本的に似ている構造だったImg_7492_640x480

 いずれにしろバジャワは山の中の街といってよかった。だから、しばらくは山道をいったれでもところどころ街らしきところを通過していき、けっこう地元の人たちの乗り降りはあった。またも不思議に思ったことだが、わたしにはウメレ、ウメレとしか聞こえなかったが呼び込みを唱えている助手の数の多さ、少なくともその数4~5人いて(皆若い子ばかりだったが)、そのうちの誰が正助手なのか皆目検討がつかなかったことである。しかも最後にはその顔ぶれも変わっていたのにはさらに驚かされたというより、そんな一人からバス代を払えといわれたときにはどう答えていいか唖然としてしまったのであった。もちろん英語は通じないし、インドネシア語は全くできなかったから、わかりそうな単語、ドライバー、ドライバーといってすでに支払い済みであることを訴えたが、どうやらそれでわかってくれたようだった。で、このバスは2時間くらい走って山を下ると海岸線にでた。少し暑くなった、雨は止んでいたが曇り空、それでも、この海岸線は特に美しく感じた。晴れていたら相当きれいな浜辺であったろう?、前々日のInerie手前の浜辺もそうだったが、人の手が入っていない、つまり余計なものが全くない美しさ、海の家もなければホテル・商店・民家の類が全くない、人もいない、そんな商業的・人為的?に汚されていない海辺がまだこうして残されているのである。背景の山とのコントラストもよかったのかもしれない、そんな海岸線を走ること1時間くらいでこの辺りの中心都市である大きな街エンデEndeに着いた。いつかまた来る日があれば、このEndeに立ち寄って、あの海岸まで赴き写真を撮りたいと思ったのであった。いや数日間滞在しても良さそうなところに思えた、、

バジャワから山を下ってくると海岸線に出た、その美しさはバスからだとうまく撮れなかった(天気もいまいち);3枚Img_7505_640x480Img_7499_640x480Img_7503_640x480

Endeの遠望は何とか写っていた、上の写真の船が停泊している辺りが下の写真
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 エンデで燃料補給してから、われわれの昼食となった。ここでの昼食も安くてうまかった。12:15に出発したバスは、また少し登りだした、山道沿いに野菜の販売所があって、そこで車はしばらく停車してから山越えして14時頃、Moni着。ここでマレーシア人二人は降りた。そのバス停周辺には何軒かのゲストハウス、ホームステイ風な建物があって外国人ツーリストがうろうろしていた。偶々そのときわたしの隣に座っていたエンデから乗ってきた老人に、ここがモニだ、降りないのかとわざわざ英語で教えてくれたのだけれど、わたしの行き先はマウメレだ、と伝えた。しかし、ま、それくらい多くの観光客が必ず寄る、といったところのようだった。もちろんガイドブックにもでていたから知らないわけではなかったが、第一にそのときは時間がなかった、そして、ま、一人だったしトレッキングもクリ・ムトゥ山の登山も日の出もカルデラ湖の神秘的な湖の美しさも、それほどわたしには興味をそそられなかったのだ。だから、もし時間があったとしてもそこはパスしたかもしれなかった。いずれにしろそこで乗客は少し減ったのである。そしてそこからは山を下っていった。たぶんクリムトゥ山と思われるあたりの山岳風景は悪くなかったので、それを楽しみながら‥、、バスは15時半頃また海辺にでた、、わたしはてっきりそれはフローレス海だと思って、それならもうマウメレは近いと勘違いしてしまったが、どうやらそこは依然サブ海(フローレス島の南側の海、フローレス海は北側)で、しばらく海辺をいってまた山越えとなった。それこそサブ海から北側のフローレス海に出る最後の山越えであったが、それはそれほど厳しい山道ではなく、1時間くらいでフローレス島最大の街Maumere到着となった。時間は16:45だった。しかしそこはターミナルのようであったが、ただの広場のようでもあった。いずれにしろ街からは相当離れている感じだったので、ここが終点かと聞こうとしたが、言葉の通じそうな人は誰もいなかった。どうしたもんかと迷いつつ、周りの人の動きを観察していた。ほとんどの乗客は降りて屋根に積んだ荷を受け取っていたが、それはすべての乗客でなかった。2~3人は車内に残っていたのである。で、そこが終点ならなんかいってくるだろうと、成り行き任せでわたしも車内に留まって、もしかしたら街中までいくかもしれないという若干の期待に賭けてみた。しばらくそこに停車したバスは、そのまま街のほうに走り出し、どこにも停まらず街を抜け海岸にでる。もう近い、その辺ならどこで降りても歩いていけそうだった。で、どこで降りるかと迷っていると、バスは停まって乗客の一人がそこで降りた。わたしはPelni?といってジェスチャーでここか?と助手に聞いてみた。通じたようで、まさにPelniの埠頭にもっとも近いところでわたしは降りることができたようだった。たぶん先に降りた女性もPelniに乗船する人だかもしれなかった。17:15、まだ明るかったし、正確にいうと、それから8時間も待たなければならなかったのだから、時間的な余裕は十分あった。それでも何とか無事にMaumereに着けたことでほっとしていた。もう、今さら街に出てもしようがないと思ったから、とりあえずオフィスがあるのではないかと、人の流れを探ってゆっくりと歩き出した‥、、

Endeで昼食;2枚Img_7511_640x480Img_7512_640x480このときはなにを食べたのか(ナシチャンプル?)18でうまかった、、

沿道の八百屋、こういうのはどこにでもある;2枚Img_7513_640x480Img_7514_640x480

Maumereでバスを降りたところは埠頭の近くだったImg_7519_640x480


 Pelniの埠頭らしきところは10分くらい歩いたところにあって、その待合室はすでに大勢の乗船待ちのインドネシア人、わたしも同類だが、この船に乗ろうとするくらい人たちだから、ま、庶民といったらいいのか?、そんなクラスの人たちで溢れていた。それをみて一安心したことがあった。これだけの人が集まっているのだから、よもや欠航はあるまい、と、、実はSape以来、それほど天候がよくなったという兆しはなかったから、ともかくそれを恐れていたのだが、海は比較的穏やかだったのである。さて、Pelniの埠頭に着いたものの、どこでどう手続きをすればいいのか、インフォーメーションもなかったから、とりあえず空いていた座席に荷物を置いてここでもみんなの動きを見ることにした。が、いずれにしろまだ早すぎで、誰もなすことなく手持ち無沙汰にしていた。わたしは荷物を置いたまま、その建物の周り、桟橋を徘徊した。そのときやっと一人の外国人旅行者を見つけ、声をかけてみた。まだ若いバックパッカーでスイス人だといっていた。もちろん同じ船に乗ることは明らかだったが、余りにも年が離れすぎていたのと、彼の英語についていけなかったので(受け答えできず、これは無理と思って)簡単な挨拶をしただけで、ではまた、といって、その場に長居はしなかった。その後同じ船に乗ったことは確かだと思うが、船の中でも彼と会うことはなかった‥、ただ、そのあと他に外国人のツーリストは見かけなかったから、最終的に外国人は彼とわたしの二人だけだったように思う、、‥それからの7時間、そしてマカッサルMakassarまでの24時間は、ただただ長くて退屈な、ある意味過酷な船旅となったのであった、、

Pelni埠頭の入り口Img_7521_640x480

Pelniのオフィスのある建物とその中の待合室Img_7522_640x480Img_7524_640x480

桟橋はいくつかあったImg_7523_640x480


 こんなときはこれまでの日々を振り返ったりするのだけれど、そのときもっとも失敗したことをリスティングしていた。そのトップはなんていっても暇つぶし用の本を忘れたことだった。もちろん出発前に2,3の文庫本、新書本の用意はしてあった。あとから悔やむことになるが、それも荷物の重量制限が気になって置いてきてしまったのだ。途中で適当な読み物を調達しようと思ったが、こういうときはやはり日本語の本がほしいのだが、それは手に入らなかった。結果、なすこともなく無為に過ごすことになるのだが、わたしにとってはそれは過酷ともいえたのだった。それでもまだ陸にあったときは、夕食を求めて入り口近くにあった商店街・簡易食堂街といったところをうろついて、食事して飲み物・食べ物を仕入れたりして、わずかな刺激もあった。それが20時頃でその後 a.m.1:00.まで、いや船が接岸した23時頃まではほとんど動きはなかったのであった。そういえば21時頃だったか、待合室のベンチにいたとき、隣のインドネシア人にticketのチェックをしているからいってきなさいと彼女の腕?を示しながら教えてくれた。その腕だったか手のひらだったかに何かシミみたいなものがついていて、それがどういうことなのか呑みこめなかったが、とりあえず教えてくれた事務所にいってみた。そこでticketをみせると腕を出せといって手のひら(甲だったか?)になんとスタンプを押してくれたのだった。どうやらそれが乗船許可証明?つまり手を洗ってはならなくなったのであった、、しかし、24時過ぎに乗船開始したときに、誰も腕のチェックも乗船券のチェックも何もなかったのである。ということは、その待合室にさえ出入りが自由だったのだから、極端にいってしまえば、この船にはticketがなくても乗り込めたということだった(そんな人もいたかもしれない、乗船後もticketチェックはなかった)。とはいえ、船賃そのものがそれほど高かったわけでないから、そんなのを誤魔化したところで何のメリットもありはしなかったのだ。乗船券を見せたのは食事の弁当を受け取るときだけで、それだってせいぜい30(一食10)程度のものでしかなかった、わたしはむしろ、バスにしろ船にしろ、そのいい加減さ、無責任さに驚かされたというかインドネシアらしさをみた想いだった。それは、ある意味インドネシアのよいところにも繫がっていたのだけれど、逆に恐いことのようにも思えたということだった。はっきり覚えてないが24時過ぎに怒涛の勢いで乗り込み始めた人たちは、我先にベッドの確保に走り(全て自由席?)わたしが乗船できたとき、その乗船口のあった4Fデッキのベッドに空きはなかった。すぐに下の3Fに降りたがそこもすでに埋まっていた。この船の構造もわかってなかったが、さらに下があって一番下の2Fデッキにようやくベッドをひとつ確保でき(一人分のスペースにマットが敷いてあった)そこに倒れこむと疲れと眠気が一気に襲ってきて、いつ出航したのかも知らぬまま眠り込んでしまった‥、、

埠頭近くの食堂で夕食を食う、魚と野菜のぶっ掛けご飯は10でこれもうまかったImg_7525_640x480

23時頃KM UMISINI号接岸、案外大きな船だった、、;2枚Img_7531_640x480Img_7533_640x480

4F3Fの大部屋はすぐに埋まってしまったが(上)、むしろ船底だったが8人部屋のほうが快適だったように思う(下)、、Img_7558_640x480Img_7547_640x480

船室の案内図Img_7541_640x480

 目覚めたのは5時だった、4時間ほどの睡眠だったが熟睡していた。前日の夜の不眠もMaumereまでの疲れも吹っ飛んでいた。改めてその部屋の見渡すとどうやらそこは上下の2段ベッドを4つ備えた8人部屋で、わたしの他に5つのベッドに誰か寝ていて、すべて女性のようだった。5時半頃起きだして、トイレ・洗面を済ませて上のデッキに登った。海は誠に静かで全く揺れはなく、ただ天気いまいちで雨は降ってなかったが、日の出はなかった。一通りわたしの寝床のあった2Fから最上階の8Fまで歩いてみた。まだ朝が早くて船内の売店はしまっていたが、物売りがちゃんと乗船しているのである。彼からコーヒーを10で購入、7Fデッキの椅子で海を眺めながらのモーニングコーヒーは格別であった。しばらくポケーッとしてから自室に戻るべく降りていくと5Fで長い列を目撃、どうやら朝食の時間のようであった。アナウンスもあったと思うが、すべてインドネシア語だけだったからそれはわたしにとっては馬の耳に念仏でしかなかった。が、目は確かにそれを捉え、わたしもその列に並んだ。食事がつくようなことは聞いていたが、果たしてどんなものか?しかしそれは弁当だった。弁当でもないよりマシ?、確かにそのとおりである。船室にもって帰って開けてみた、ご飯があって付け合せは?卵焼き一切れ?こはせっかくの飯のおかずとしては不十分で文句は言わず一応食す、セバスチャン宅の食事が思い出されたのであった。の肥えた人もこの船には乗っていただろう、しかし大方はこの弁当で満足している?、というか弁当が出ることに満足しているように見えたのだ。つまり、それはセバスチャン宅の食事が標準、あるいは普通であったかもしれないことをわたしに教えた。ま、それでもこの船の飯はひどいんじゃない?と訴える人もいるかもしれない、しかし、Maumere~Makassar間に横たわるフローレス海を24時間かけて渡る船賃が173(約1400円)だったことを思えば誰も文句は言えないのではないか、同時にこの国の現状を知らずに食事の不満を述べたりすることも、誰もいえないのではないかと改めて思うのだった。それでも昨今、このPelni Lineの人気も下り坂のようである。改めて別のところで述べることになるかもしれないが、一つにはインドネシアLCCがかなり普及してきていること、それによって船足の遅いPelni Lineは必然的に客離れが起こってくるだろう、実際この船はスピードはかなり遅かったように思う、、途中で高速艇にあっという間に抜かれたし、当初18時着予定と聞いていたのが、実際は7時間遅れの2/2の1時になったのだから‥、、これでは人気がなくなって、低所得層しか乗らなくなるのも必然のようにも思われた。そのせいか以前はあったらしい、そしてあればそちらを選択してみようかと思っていたアッパーデッキの客室(一等とか二等の船室)はすべて廃止されて、今は閉ざされたままになっていた。ticket購入時にいわれたことだが、今はすべてがエコノミー船室となっており、定員は300名?ほどとのことだったが、その日の乗船客は200名ほどだったことをクルーから聞いていた。また、わたしにとって耐え難かったのは、いや誰しも思っていたことであろうが、なにより時間潰しの娯楽のようなものが、映画を除いてなかったことだ。はっきり言ってその日の午後にはその余りの退屈が故に、その航海そのものを後悔しはじめていた。そのあたりから残り12時間は特に長かったのであった。船室の女の子たちが少し英語を話せたので相手にしてもらったり、インドネシア語を少し習ったりしてみたが、所詮爺さん相手では、相手の身になったら面白くもなんともないだろうなと思って、早々に切り上げ、大方はデッキでボケーとしているか、船室でごろ寝しているしかなかったのである。そういえば右手に島影が見えたこともあったが、ほとんどは大海原以外に目にするものはなく、ということは波穏やかながら、何万年前にこの海原を越えてスラウェシからフローレス島に渡った人あるいは動物がいたなんてことはまず考えられないことに思えた(そもそもこの船に乗ってみたかった動機のひとつが、フローレス島に最初に渡った動物、あるいは人類はこのルートから入る以外なかったという説があったので、その距離感をつかみたかったからであったのだが‥)。ま、そんな途方もないこと、どうでもいいことを考えることくらいしか時間を潰せなかったのだが、ようやく23時半頃マカッサルの灯が見え始め(島影と灯りは右舷にもっと前から見えていた)、2月2日の1時ころMakassarの港に接岸し、長かった船旅は終わりを告げたのだった、、

朝の6時には物売りが商売をはじめていてコーヒーにありつくImg_7534_640x480

この7F後ろのデッキが、ま、最高の居場所だったが、、
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6時半頃の日の出はこんな感じだった、、Img_7544_640x480

この売店が開いたのはずっと遅かった、、Img_7543_640x480

船自体はかなり大きな船容を誇っていたが、、これも7Fデッキ?Img_7535_640x480

この船はずっと後方からついてきて瞬く間に追い抜いていった、、Img_7554_640x480

弁当の配給時のみticketのチェックがあったImg_7551_640x480

弁当3食;上から朝、昼、晩、このほか夜食の弁当もあったらしいがそれは食べてない、、Img_7552_640x480Img_7560_640x480Img_7567_640x480

マカッサルの灯が見えだすImg_7569_640x480Img_7574_640x480接岸20分前?


<ちゃんと撮れてる写真、面白い写真が一枚もない、ひどすぎ ! これにて二章 了 >