独歩の独り世界・旅世界

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一年半ぶりのタイ 3,泰緬鉄道に乗る、、

 このタイreportはできれば年内に仕上げようと思っていたのだが、諸事情あって大幅に遅れてしまった。したがって今回の‘泰緬鉄道に乗る’が、本年の最後になって、(年明けに)もう一回で終わりになると思う、、遅れた理由の一つは、前々回に言及しているが図書館から借りてきた本を読んでいたからで(読むのが遅いのとあまり時間もとれなかったから)、が、しかしそれによって、当初知らずに乗ってしまった泰緬鉄道のreportをそのまま書くわけにはいかなくなってしまったのだった。ま、とはいっても今さら後の祭りだから、ところどころに注釈を入れる形で、知らずに乗ってしまった泰緬鉄道を書くしかないのだが、ま、わかったことの一つは、わたしも含めてだが、この鉄道に大はしゃぎしながら乗っている多くの観光客たちは、すでに3/4世紀が経った今、ほとんどその歴史を知らずに乗っているという衝撃だった、、そう、なので余計能天気な記事なんか書いていられなくなったのだが、とはいっても、その時はわたしも史実を知ってなかったのだから、どうしてもそんなreportしか書けないのを今は恨むしかないのである‥、、

 現在の泰緬鉄道は、タイ政府のいろんな思惑も絡んで、バンコク(トンブリーThonburi)~ナムトクNamtok間のみ営業されていることは知っていたし、ならば是非乗ってみたいとその時刻表も調べてあった(正確にいうと、前回の時もらっていたタイ鉄道の時刻表を持っていたということだが)。ただ、どうやら今では少数の現地利用者もいるようだが、ほとんどはむしろ観光路線としての役割を担っているようで、それはその時刻表からも推測できた。バンコクトンブリー発が朝に一本(8時ころ)午後に一本(14時ころ)あるだけで、しかもトンブリー駅というのがバンコクの中心からはとても行きにくいところにあったために、観光客にとっても利用価値は低いように思われた。よってわたしはこの鉄道に乗るには帰路しかないな、と判断していた(すでにその辺のところは書いているかもしれない、従って往路はバスを使ったのだ)。帰路はナムトク発が5:20amと12:55pmしかなかったので、必然的にその選択も一本しかなかった(つまりいずれも早朝は地元民用、午後は観光客用に分かれているようでもあった)。その朝わたしはサンクラブリーにいた。バスの時刻も詳しく調べてはいなかったが(特にミニバスのターミナルは少し離れたところにあったからまったくわかってなかった)、朝一番のバスは8時発だったので、それに乗ればどうやってもナムトク12:55発には乗れるだろうと思っていた。ただ、わたしが持っていた地図には鉄道の印が切れているところにその駅名はあったが、ナムトクという街(村?)の記載はなく、バスがそこへ寄ってくれるのかもわかってなかった。7時半にチェックアウトしてホテル裏のターミナルにいくと、昨日から停まっていた大型バスがカンチャナブリ行きのようだった。近くにいた助手のような若者(なんと彼は前日にカンチャナブリのバスターミナルで、このバスはスリーパゴダにいくのかと聞いた若者だった)にナムトクにいくかと聞いたら、行くような返事だったので、そのあと7-11に朝食の買い出しにでかけた。8時にでたバスの乗客は4~5人だった。わたしはようやく理解したのだが、要はこのバスは特にナムトクの駅に寄ってくれるわけではなく、このバスが通っている国道323号線上でナムトクの駅に一番近いところで降ろしてくれるということのようだった。で、その助手に、ではそこまでいくらと聞いたら130Bとのこと、昨日のミニバス(カンチャナブリ~スリーパゴダパス)が185Bで、その距離比でいうとサンクラブリー~ナムトクは2/3くらいでは?と思っていたので少し高いのではと思ったが文句の言いようもなかった。実際時間でいうと、駅入り口で下車したのが11:45だったのだから十分にその距離はあったということだった。途中前日寄った中間地点の街Thong Pha Phum着は9:55、発が10:10、 たぶんそのバスのカンチャナブリ着は13:00頃になったのではないかと思われた。ともあれ国道で降ろされ、駅への道を教えてもらって歩くこと10分でナムトクの駅に着いた。列車の発車までちょうど1時間あったが、それはもし次のバスだったら間にあってなかったことを思い知らされた。

サンクラブリーのバスターミナル、向こう側のバスだったと思う、、Img_8877

バスを確かめてから市場によって7-11にいった、朝の市場;2枚Img_8878Img_8880

前日は素通りしてしまったKhao Leam Lakeのview pointはたまたま検問所があって、バスはいったん停車し、左右の写真が撮れた;上車窓右側、下左側Img_8881Img_8883

国道323号線右側車窓Img_8895

323号線を下車して、ナムトク駅に向かう道沿いの風景
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駅手前の踏切、前方ナムトク駅、カンチャナブリ方面、後方はどこかで線路は終わっている?Img_8898

ナムトク駅前広場、右手奥駅舎、左手に数件のレストランImg_8904

右ナムトク駅Img_8899


 駅があってその前に数件レストランが並んでいるだけの、それでも背後が山になっていてとてものどかでいい感じのところではあった。そこまでの道沿いは民家が並んでいたから、ま、街といえば街、集落であったことは間違いない。駅入り口の少し手前にWangbadan CaveとSaiyok Noi Waterfallというどうやら有名な観光名所があって、そこで乗客の乗り降りがかなりあったから、この鉄道の終点駅は、ま、観光拠点のようだった。大型バスも何台か停まっていた。列車待ちの欧米観光客の数も多かったが、すでにレストランで食事中の団体らしき観光客も大勢いた。わたしもそのうちの一軒に入って昼食をとったが、そこはほとんど欧米の観光客に客層を絞っているような、あまりタイらしくない店だったので少しがっかりした。食事を終え、漸くticketの販売が開始されたので列に並んだ。トンブリーまで100B(あとでわかったことだが、ここからトンブリーまで乗った乗客はほとんどなかった)、これはどうやら外国人専用価格?面白いことにたとえ一区間でも外国人の場合は一人100Bとのことで、逆にいうとわたしのようにトンブリーまでだとかえって安かったのだ。トンブリーからの列車は12:55に到着し13:05に折り返したから10分の遅れだった。相当長い編成だったから客席はガラガラで9割は観光客、1割が地元民といった感じ、もっともそれはカンチャナブリーまでで、そこからはその比は逆転する。そういえばわたしの乗った車輌を含めた後ろ何輌かはカンチャナブリで切り離された。このナムトク~カンチャナブリー間がいわゆる観光路線というか、この鉄道の見どころが何ヶ所かあったが、いってみればこの区間こそ最も多くの犠牲者をだした難所であった。それを知っていたら、大はしゃぎをして楽しめるようなところではなかったのだ。不謹慎にもというか、無知が故にその時はわたしも大いに写真を撮ったりしざわついてはいた‥、今はその史実を知って、何十万の犠牲者の鎮魂に今一度訪れなければならないと思っているところである‥、、

駅前のレストランで昼食、結果論だが隣りのさびれた食堂の方がよかったかも?Img_8902

酔っ払ってticketを買いに、、Img_8900Img_8903時刻表

バンコクからの列車は12:55に到着Img_8906


 そう、多くは欧米系の旅行者であったが、ほとんどはわたしと同様、でたらめな史実に基づくという関係者の証言がある映画‘戦場にかける橋
’以上の認識は持っていないように思われた。そして、多くの犠牲者を払って完成した泰緬鉄道は、戦後その2/3は利用価値なしとして廃線となってしまったのだが、残された路線トンブリー~ナムトク間は1957年のアカデミー賞受賞の映画によって、その名を世界に知られるようになって、実際その橋は今でも現役で使用されていることで恐らく今では世界一有名な橋となって、世界中から観光客が訪れる名所になってしまっていた。つまり逆にいうと、それがタイ政府の思惑も絡むのではないかと勘繰りたくなるのだが、つまり鶏が先か卵が先かと同じように、どちらが先だったのかはわからないまま、その負の世界遺産はこうして今ではタイ政府(&地元の人たち)にとっては貴重な観光資源となっているのである。そこではどうしても日本人はいたたまれなくなるのであるが、その理由は史実を知れば知るほど、やはり当時の軍政や、それに従わざるを得なかった庶民(国民)の状況・メンタリティとかにいきつき、またそうした歴史をきちんと教えていない今の政府の考え方や、歴史・教育の問題などにやはり疑問を感ぜずにはいられなくなるのであった。遅ればせながら、70にしてそんなことに気づかされ、学ばされたことを思うと、今回のタイ訪問は、まったく予期しなかったいい意味の余波を与えてくれることになったのだ。ましてやセレンディピティではないが、まったく偶然にそこへいくことになったことを思えば何かの縁を感じざるを得ないのである。団体さんも含めた多くの観光客の乗り降りがあったSaphan Tarm Krasae駅、次のTha Kilen駅の近くには多くの関連史跡(例えばアルヒル桟道橋など)が残されているところだったと思う。そして二日前には列車の通過を見送ったRiver Kwai Bridgeをわたしも列車で渡ってRiver Kwai Bridge駅につき、ここでも多くの観光客が降りていった。カンチャナブリー駅着は10分遅れの15時でここで観光客の姿はほとんど見えなくなったが、わたしはそのまま乗り続け15:15に出発した列車は終着のトンブリー駅に50分遅れの18:30に着いた。

ナムトク駅からの車窓;14枚

Img_8910ナムトク発車後すぐ?

アンヒル桟道橋付近;5枚Img_8911Img_8913Img_8915Img_8916Img_8917枕木の下がほとんど崖(空洞)になっていて、この区間超スロー運転となる

Img_8919クウェー川橋手前(トンブリーに向かって)切通し、道具もなく手作業で掘削した区間を通る.、、

Img_8920

クウェー川橋通過、ここもスロー運転;5枚
Img_8923
Img_8926待避所Img_8927Img_8933Img_8929

カンチャナブリー駅前広場の機関車を車窓から、、Img_8935


 ここからが問題だった。その辺の地理が全く分からなかっただけでなく、あると思った駅舎すら見当たらなかった。プラットホームの脇を普通の道路が走っているようなところで、入り口も出口もあったものではなかった。人の流れもつかめず、列車から降りたとたんどっちにいってよいかわからず途方に暮れる、とんでもないところに降りてしまったことだけはわかった。すでにとっくに日は暮れており、どっちにいってよいかわからず、どこへ行けばよいかもわからず、人に聞くにも聞きようがなかった。ガイドブックなし、スマホも海外仕様にしてなかった、ひとつだけ確実だったのは、今のトンブリー駅は昔あったところよりさらに内奥に入ってしまっていたため、以前は近くに流れていたはずのバンコクのメイン河川のチャオプラヤー川からも遠くなっているということだった。そもそもその川もどっちの方向にあるのかさえ見当がつかなかった。こういう時はタクシーを使うしかないのはわかっていたが、バンコクの中心街までは相当距離があることもわかっていたので、そうすると残された手段はバイクタクシーしかなかった。駅舎があればその近くには必ずモーターサイはたむろしていたが、その時はそれさえ見つけられずに、仕方なくモーターサイ(バイクタクシー)を求めて歩きだす、流しでもいればつかまえるつもりだったが、15分くらいうろついても一台にも出くわさない、それでも歩いているうちに数台のたまり場に出くわした。それがどこだかはまったくわからなかったが、英語で交渉してみる、といってどこへ行けばいいかも言えないのだ。できるならわたしは一番近いBTSの駅にいってもらいたかった、そこまでいければ何とかなるだろうと思っていたし、それはそんなに遠くではないと思っていたのだ。いずれにしろ駅名はわからなかったから、ただBTSBTSといってみた。反応は芳しくなかった。彼らの片言の英語でわかったことは近くにBTSの駅はないということだった。どこでもいいから連れてってくれとしつこく頼んで、いくらなら行ってくれるかと漸く値段の交渉までいった。彼らは少し考えて(わたしの情況も察してくれたのかもしれなかった)100Bならといってきた。100Bということは相当遠いということだった。わたしの予想の倍だった、今度はわたしが考え込んで、もう少し安くならないかと交渉する、彼らは決してわたしの足元をみているわけではなかった、できればそんなに遠いところまでは行きたくないといった感じだった。最終的に80BでOKが出て、どこへ行くのかわからないまま、そいつのバイクにまたがってすぐに発車、夕方の車で埋まっている道路を縫うようにして風を切っていく、、いや、後ろに座っててこんなにも遠いのかと驚くというか心配になるほど走りに走った。バンコクの渋滞の道を信号で止まる以外に一度も滞ることなく30分もバイクで走るということは、相当の距離があったことを改めて知るのだった。BTSの終着駅Bangwaというところに19:25に着いた。わたしは躊躇うことなく彼には100Bを渡した、それでも律義に20Bを返そうとするから、その必要はないと断って、礼をいって教えられた階段を登っていった。漸くBTSの改札に着いたもののそこからどこへ行けばよいのかさえ、わたしはわかってなかったのだった。

 その朝、その日のうちにバンコクに戻れそうだったので、そうするとどこかに一泊しなければならないと思って朝早くに起きたついでに(サンクラブリのホテルはWiFiが繋がっていたので)ネットでバンコクのホテルを探していた。わたしはそれまで、300~350Bといった1000円前後の宿にしか泊まってなかったから、もちろん大金をだすつもりはなかったが、以前ネットで探した経験から、ましてやバンコクだと安くても3000円前後のホテルしか出てこないこともわかっていた。かろうじて場所のわかりやすそうなところで見つけた宿は日本円で3500円くらいしたが、そこに決めてしまった。もっと時間をかけて探せばいろいろあることはわかっていたが、条件の一つにBTSの駅に近いことを入れて探すとそれほどはでてこなかったのだ。そのホテルはルンビニ公園の近くだったが駅名までは覚えてなかった。そこでBangwa駅のお嬢さんにルンビニ駅の近くといったらSala Daengという駅までのticketをくれた。20時ころにはそこに着いたか?しかしそこに降りてビックリする、バンコク通、タイ通の人からすればとぼけてるんじゃないの?と訝しく思われるかもしれないが、10回くらいのバンコク訪問でそこへいくのは初めてだった。何だここは!? そうかここが日本人なら誰でも知っている日本人街だったのか、と、、つまりその辺りの飲食店の看板はすべて日本語だったからである。ま、そんな歓楽街の女の子がうじゃうじゃいる界隈を抜けて、ともかく頭に叩き込んでおいたホテルを探す、、そして一度も間違えずに駅から10分くらいでその日の宿にたどり着けた。そしてそのホテルの受付はタイ人だったけど彼女も日本語を話した。何より宿泊客のほとんどは日本人のようだった。凄いところ(あまりわたしの好みではないところ)に来てしまったと、少し興味深くもあったが、所詮年寄りの貧乏人には縁のないところであった。それでも落ち着いてから夕食にと、界隈をぶらついてみたが、ひどい人混みの通りは歩くのもままならないほど、その半分くらいは日本語を話していた。ま、グループで遊びに来るにはよいところだったのかもしれない、が、わたしは路上狭しと軒を連ねる屋台で夕食のテイクアウト&7-11でビールを買い込んでのいつものパターン、久しぶりに浴槽に使って屋台飯に舌鼓を打つと、ピールの酔いとその日の疲れでベッドに倒れ込むのもいつものパターンであった。

12月31日22時、ま、変人多しといえども酔っ払ってはいるが、今頃こうやってその年最後のブログを書いている人はそう多くはないだろう、、でもテレビは見ない人だから、いつもと同じくやることもなくこんなことをしている‥、、ということで今年一年閲覧してくださった方、ありがとうございました。何回か予告してますが、このブログも来年が最後の年になるかと思います、ということで来年もよろしくです、、