独歩の独り世界・旅世界

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インドネシアの旅 第二章 フローレス島 その1,ラブハンバジョーへ空路で、そしてルテンRutengへ、

 結局ヌサトゥンガラ列島を西から陸路と航路で踏破という当初の目論見はフローレス島目前にして天候不順という自然の障害に脆くも挫折してしまったのであった。それだけでなく、次のフローレス島~スラウェシ島への海路にてフローレス海横断という計画も頓挫しそうになっていた。ま、それはドミノ倒しのようなもので、1が倒れれば必然的に2にもその影響は免れず、時間的なロスは大きかった。が、飛行機を使うことによってそれはギリギリ回避できるかもしれないというかすかな望みもまだ残されていた。そのための手立てを長い昼寝から覚めてから、まず打ってみた。それは今回もってきたガイドブックで唯一ともいえる価値ある情報を見つけていたからであった。逆にいえば本当に重要な情報は他にはあまりなかったともいえたのだが、この情報はありがたかった。それは2件あって、一件目がこれから行こうとしているフローレス島のルテンRuteng というところでゲストハウスをやっているという日本人女性の連絡先と、もう一件は同じく10日後くらいに行く予定にしていたニューギニア島ワメナWamena在住の日本人男性藤原さんという方の連絡先が記されていたことで、この情報のおかげで、つまりこのお二人の日本人のおかげで今回の旅はどれほど助けられたか、どれほどの恩恵を受けたことか ! 本当にそれはありがたかったのである。 あえていえば他の情報はほとんど現地で取得できるものであったから、ということだったのだが、さらに見方を変えると前回の日本人分布のウォーレスラインはこのことにもいえて、もしかしたらロンボク島からこちら側の日本人在住者はこのお二人だけだったかもしれない、ということでもあった。ともあれ同胞から聞く言葉ほど力強い支援はないのである。

 で、その日の午後、特にやることもなく出かける先もなく、荷の片付けを終えてからルテンのMJRチケッティング・ゲストハウスへtelを入れてみた。今回はじめてガラケーを海外使用に換えて番号を押した。二回目くらいでなんとか繫がって、最初に出られたのはご主人?わたしの英語も何とか伝わってその男性の奥様である日本人女性のマリーさん(まみーさんでもいいとか?)と話をすることができた。で、手短に用件を伝えた。まず簡単自己紹介と今Bimaにいること、明日そちらに到着予定だったが、船が欠航になって明日ビマからデンパサール経由でラブハンバジョーに飛ぶことになったこと、なのでルテン到着はたぶん明後日になるだろうが泊めていただきたいこと、で、ラブハンバジョーからはどうやってルテンまでいくのが一番よいかを聞いたのだった。彼女は空港からなら直接ルテンにいくトラベル(これがなんだったかはあとで知る)があるだろう、それかGunung Mas というバス会社の連絡先がわかればそこへtelして予約しておけば空港で待っててくれるというような説明を受けた。そしてもしラブハンバジョー着が14時頃なら(一応それも伝えてあった)、その日のうちにルテンまでいくトラベルが待っているかもしれないという、貴重な情報をいただくことができた。そのトラベルというものがそのときはまだよく理解できていなかったが、これはもしかしたら一日の遅れを半日に縮められるかもしれないという希望が生じた。もちろん、それは出たとこ勝負でいってみなければなんともわからないことだったのたが‥、、

 リゾートホテルの快適な部屋でゆっくり疲れを癒したわたしは、次の朝の朝食の時間にあらためて世話になった若者たちに自己紹介して礼をいった。そこで彼らのことも少しばかり聞いてわかったことは以下のようなことだった。まず、当初のマタラムからのバスで一緒だった6人はスペイン人4人のグループ、GuillemとAndreaのカップルとRobertとMeritxellのカップルで、どうやら彼らは主にダイビングをしにインドネシアを旅行しているようだった。スペインのダイビングクラブのユニホームを着ていたからそう想像した。20代後半か30前後か?もう一組のカップルはJack & Abbie 彼らも若かったがオーストラリアンということで、そういわれてみるとスペインの若者達とは少し雰囲気が違っていた。もっと陽気というかあっけらかんとした感じでアメリカ人といわれたとしても同じ印象だったかもしれない。あと、すでに紹介したフランス人のカップルがBaptisteとHeleneで彼らはずっと大人っぽく感じたが、ほとんど他の皆と同じくらいの年齢だったかもしれない? Baptisteと少し話した限りでは相当旅をしているようで彼はとても温和な好青年だった、そしてことのほかわたしに親切にしてくれたのがHeleneだった。で、この場でも皆にお礼を伝えきれないと思ったので、またまた独歩亭の名刺をてくれとその宣伝に勤めたのだった。9時ころ、われわれは昨日と同じ2台の車に分乗して空港に向かい(シェアして一人45000Rp)、9時半にはチェックインを終え、空港の搭乗待ちロビーにいた。

Bimaの空港;3枚Img_7300_640x480ロビーで搭乗を待つ7人が写っている、手前からGuillem,Andrea,Meritxell,Robert,Baptiste 向こうにAbbieとJackが並んで座っている
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 10:05発予定のIW1827は10:40に到着したため、離陸は1時間遅れて11:05になった。この遅れはデンパサールの乗り換えが少しきつくなったことを意味していた。で、12:20にデンパサールに着いたのだが、ここで別れる6人とは挨拶もそこそこにセキュリティを通って次の便の搭乗待ちロビーに駆け込んだ。が、次の便IW1830 12:50発も40分遅れて13時半の離陸になったので、フローレス島ラブハンバジョー着も40分遅れて14:50だった。ここで荷物待ちのHeleneとBaptisteにお礼と別れを告げ(珍しいことだがHeleneと別れのハグをしたときお互いに少し涙ぐんでしまった)、わたしは急いで空港出口に向かった。いつものことながらそこにたむろしている呼び込みに(彼らはほとんど市内またはコモド島へいく客をつかまえようとしていた、尚ここまでくる多くの観光客の大半がコモドドラゴンで有名なコモド島をその目的地としていた、またスペイン人の若者たちがそうだったように残りは世界的に名高い<らしい?>ラブハンバジョーのダイバースポットを目指していた)ルテン !、ルテン ! といって、そこへいく車を探した。人から人に伝わって、すぐにそこへいく車のドライバーが現われ早速交渉する。150,000Rpはそれまでの経験で4時間の道のりをいくのだから、というかその日のうちルテンにつけるのならと思うと高くないと思われたので即決した。その車の最初の客となり、あと4人の客が埋まるまで少し待つことになった。たぶんその時間のルテンへの車はその一台だけだったのではないか?すぐに客は埋まり、15時半には空港を発った。だから海辺の街、Sapeからのフェリーが着く港のあるフローレス島の玄関口ラブハンバジョーには結局寄ることはできなかったのであった。

搭乗のために飛行機に向かう、なかなか気持ちのよい飛行場、気持ちのよい搭乗だった、、;3枚Img_7302_640x480Img_7304_640x480
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こちらはデンパサールでの搭乗風景Img_7307_640x480

ラブハンバジョーKomodo空港着;2枚Img_7309_640x480Img_7308_640x480

ラブハンバジョー空港の正面(タクシー<トラベル?>乗り場)
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 いくら慣れた道とはいえ、このタクシードライバーの腕には目を見張らせるものがあった。ルテンに向かう道のそのほとんどは山道だったが完全舗装、しかし道はそれほど広くなく無理な(登りのための)ヘアピンが多かった。その道は途中から雨及び濃霧となり視界は4~5m?そこをトヨタの7人乗りバンはその道をほとんどブレーキを踏まずに飛ばすのである。そんな道が延々と続いた、乗客はわたしのほかすべてインドネシア人で、かといってすべてが地元の人ではなかった。3人の男性は、一人は年配の方だったが、しきりにマンガライという単語を耳にしたから地元のマンガライ人だったと思われる、が、あと一人女の子が乗っていて、休憩の時その店の人にここはなんていうところか聞いたのを通訳してくれので、英語がわかることを知って聞いてみると、ボルネオ(カリマンタン)出身で仕事でルテンにいくところだといっていた。その場所(たしかLemborとをいった)に17:00着で30分の休憩(もしそれを知っていたら食べてみたいメニュウもあったが最初は全くのつんぼ桟敷だったので、トイレだけいってその付近をうろうろして出発を待っていた)、その店の人の話ではそこからルテンまでさらに2時間の道のりとのことだった。またまた山道を行き、とうとうそれは雨の夜道になった。山の中をいっていることはわかっていたが、ずっと視界が悪くて景色を楽しむことはなく、少なくとも途中の街らしいところは、その休憩をしたところだけだったように思う。そしてLemborのお店の人がいっていたとおり2時間かかってルテンの街に入った。街灯を目にして街に入ったことがわかったが、それほどの賑やかさもなく、えっ?ここが?と思われる街角の家の前で車を停めてくれた。それは正しくわたしの目的地であった。わたしがその車からの最初に降りた客となり、ドライバーはその家に間違いないか訊ねてくれ、土砂降りの中車を降りてその家に入った。そこでまみーさん一家の出迎えを受ける。ドライバーに約束の150,000Rpを払うと、それは高すぎるとまみーさんはいってくれたが、わたしはそこまでの行程を思えばれむしろ安く感じていたので、tipはないがといってそのまま渡した。あとでまみーさんにトラベルがどれかわからなかったので乗り合いタクシーで来たといったら、あれがトラベルというのだと教えられた。ともあれ、久しぶりに日本語で会話ができるところにたどり着けて一安心、ほんとにひと息つけた想いだった。

途中休憩した街Lembor?ルテンまでの道で街らしいところはここだけだった、、Img_7312_640x480

休憩した店の軒下を借りている露店、Rotiとうたってたから何かと思ってみてたら、食パンにいろんなジャムのようなもの(甘そうなものばかり)を塗って焼いて、また塗って、ま、分厚いトースト?余り食指は動かなかった、、Img_7314_640x480