独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』インド篇 その1,ムンバイ Mumbai (Bombay) 2/25~2/28

いよいよ!というか、やっと!というか、漸くインドまで来た。今年(2023年)もあと一ヶ月になってしまった。何とかこのtabirokuを年内には終わらせたいと思っているのだが、なかなかその目処が立たないできた。時間は確かにあったのだけれどこれは集中力、あるいは気分(気持ちが乗るか否か)の問題で、その辺の調整はまったく不得手であった。いずれにしろ早く片づけたいのだけれど(もうほとんど記憶が薄れてきているので)そのため少しばかり言い訳というかズルすることになる、いくつかのお断りをさせてもらおうと思っている。1,として、まずインドはすでに多くの日本人がいろいろ書かれていると思うので(すでに目新しいものはないと思うし、何より面白い旅ができてないので)略記になると思う。つまりグダグタな文章はできるだけ飛ばしていくことにする。2,インドはすでに数回訪れており、インドに対するカルチャーショックはとうに失せている。当初はとても興味深い国として、わたしはインドを好ましく思っていたが、今回はいろいろあってインドももういいか、どうでもよくなったという感想をもった。インド卒業記になるかと思っている。で、前もって言っておくと今回訪れたところもMumbai、Goa、Aurangabadの三ヵ所に絞ってしまった。ま、それでもいろいろあったのだが、その前に一応ルワンダKigali~Addis Ababa~Mumbaiまでの報告を簡単に・・・、、

 

2/24 17時にKigali離陸、エチオピアAddis Ababaまでは2時間のフライト、19時着は現地時間20時だった。意外と近く感じた。Addisの上空からはやはり街の照明は暗くて街の輪郭はつかみえなかった。が、空港はそのデカさに驚かされることになった。いや、Kigaliと比べたら失礼になるのだけれど、ある意味Kigaliは素朴なlocal 空港で、利用者もまばらといった感じ、発着便数の数も数十件くらいではなかったか?ま、そののんびり感は悪くなかったが、一方その時初めて訪れたAddis Ababa Bole国際空港は、知らなかったが故にそのデカさに驚かされることになった。何より人の多さ、乗り換え客も含めて入出国の利用者の数は改めてこの空港が恐らくアフリカ一のハブ空港だったのではないかということを知らされたのだった。規模、利用客数ともKigaliの10倍くらい差があったのではないかと思わされたが、実際の発着件数差は5倍くらいだったことを後で知る。しかしこの時乗り換えのための荷物検査等に延々長蛇の列で1時間も並んで待つことになったのだった。そのため驚きより疲れが勝って、それでも時間的には余裕があったので、混乱極める搭乗gate付近で、ほとんどは出稼ぎに来ていて母国へ帰るインド人たちに混じってじっと搭乗開始を待っていた。まず黒人とインド人と褐色のエチオピア人ばかりで、旅行者ビジネスマンを含めても西洋人、東洋人の姿を見かけることはなかった。たぶん22時ころに搭乗、定刻23時頃には発ったと思うが、あまりに疲れていて離陸後すぐに食事の用意がされていたようだがそれも断ってしまった。それでもいつものように熟睡までに至らず結局浅い眠りで7時頃ムンバイ着、5時間半のフライトだったようだ。

牧歌的なKigaliの離陸時 ↑↓

 

2/25 ま、半分寝ぼけた状態でインド入国(早朝のイミグレは驚くほどスムーズだった、エチオピアと違ってインドのVISAは九段のインド大使館に出向いてに正式に取得していったからか?)、久々のインド、勝手知ったるインドのつもりでいたが、どうも最初から勝手が違っていたようで小さいミスが重なることになる。もうそれは飛ばさせてもらうが、まずATMでまごつくのだ。何回かやってようやくインドルビーを手に入れる(特に失敗、損失はなかったが)。次にMumbaiセントラル(中心部)へはどうやって行くかだが、インフォメーションも見つけられなかったので、日本で一応ガイドブックやムンバイ出身のゲストが来た時に情報を聞いていたので、それを思い出しつつ、まずオートリキシャ乗り場を探す。インドの足といえばオートリキシャ(TukTuk、わたしの記憶では今や世界に広まったTukTukのoriginはインドだったと思っている)の出番だった。そして人に聞いてその乗り場へ、きちんと順序正しく次々とでていくのでほとんど待つことなくわたしの番はきた。ドライバーに一番近い駅までいってくれるようお願いする。メーターがついていたが一応いくらで行くのか確認すると、なんとメーターだと向こうからいってきた。で、いくらくらいなのか念を押す100Rp(ルピー 100Rp=180円くらい)くらいとか言っている、相場がわからなかったから、100Rp以上は払わないよといって乗車した。案の定(これはよくある手だが)途中でこのメーターは壊れてると言い出す、そんなことには耳を貸さずに20分くらいでAndheri駅まできちん届けてくれたが問題は支払いの時で、たぶん何らかの細工をしてメーターは確認できなかったのだ。で、ドライバーは120Rpといってきたが、もちろん100Rpしか払わない、かなりうるさく言いだすからプラス10Rpバクシーシ―して、たぶん普通のインド人の倍くらい払わされたと思うが、ま、インドの洗礼としては安いものと、むしろ昔のインドらしさが健在なのを喜んでいた。そして次の関門は電車のticket購入で、ここでは窓口もあったが、たぶん駅員が手に切符をもってRpと引き換えに手渡しで次から次へとさばいていて、これもCST(ムンバイは鉄道の始発駅が二つあって、その一つがChhatrapati Shivaji Terminusといった)まで10Rpですんなり手に入れることができた。次は乗り場の問題だったが、電光掲示板にCSTとか他の略字でていたが、そのときはその意味が分かっておらず、どの電車に乗ればいいか迷っていたら親切なおばさんがどこへ行きたいのか聞いてくれて、助けてくれたのだった。こうしてCST、昔のヴィクトリア・ステーション(Victoria Terminus 1887年完成)まで無事にたどり着くことができた。もう全く覚えていなかったが、わたしがこの駅に初めて降りて以来50年振り、その壮麗さを再び目にすることができたのだった。

インド初日 CSTに降り立つ

チェックイン待ちの間にCST付近をうろつく↑↓3枚

 

ムンバイ駅の真ん前にあったairbnbの宿を予約してあった。いや、それでなくとも日本でムンバイの宿を物色していた時、ムンバイ宿が高いことに驚いていた。ムンバイはこの時が(1973年以来)二度目だったが、これまでインドは何回か訪れていて、一人の時はだいたい飛び込みで宿探しをしていてたがいずれも安宿はすぐに見つけられていた。が、今回ムンバイはそんなに簡単ではなかったのである。そもそも昔の安宿というのがなくなってきているのかも知れなかったが、特にムンバイのような大都会は、ビジネスマンや旅行者の多いところで物価もそれなりに高くなっているところだから、昔の感覚で宿探しをするのは無理なようであった。同時にairbnbの宿も結構増えていたようでこの時はヴィクトリア・ステーション(正式にはとテルミナスと表記すべきところ、この名称でいきます)前の宿を多分に幸運に予約できていた。しかし、あまりに簡単に見つけられるほどの好立地だったので逆に疑ってしまう、で、付近をうろついてから躊躇いつつレセプションの2Fまで上がってみる。ここはよくあるホテル型のairbnbだったようで間違ってはいなかった。が、チェックイン時間は1時間半ほど早すぎたようで、12時から受け付けると例のインド人特有の高飛車な言い方でいわれる。no problemで荷物を預かってもらってすぐに街に飛び出す。やはり懐かしき、ある意味ムンバイの名所の一つでもあったヴィクトリアステーションとその周辺に林立する歴史的建造物等々の写真撮影の時間となった。12時前に戻って1Fの食堂で一応本場のカレー<ターリー(セットメニュー)>を注文してみたがそれほどうまくはなかった。12時過ぎにチェックインした部屋は7Fにあり、エレベーターは5Fまで、超狭い部屋でトイレ別だったが、エアコン付きでかつ展望もよかったから、わたしの基準ではお値打ちもの(1500Rp)だった。まずシャワーを浴びてさっぱりして荷物整理して昼寝、17時ころ起きだして、また街にでる。この時レセプションで延泊可能かと聞いたら、1日なら空きありということで2泊予定を3泊にしてもらった。そして街ブラ、地図がなかったが駅の真ん前というのは強みで、どこへ出かけようと帰れそうだった。この時はもうなんか自分の庭のようなつもりで歩く回って、屋台の食べ物やビールを売ってそうなところを探しながらの徘徊だったが、デリーでも経験した酒屋を探すのに苦労することになった。2時間くらいの徘徊でちゃんとビールとサモサと、サンドイッチのようなもの、それと水とコーラを仕入れて帰館、わたしの夕食としてはいつものことだがそれで十分なのであった。

(ちなみにこの日の支出はホテル代;1500Rp=2700円くらい、交通費(TukTukと電車);120Rp=200円くらい、飲食代計;500Rp=900円くらい、ま、4000円くらいだったから、まだインドの物価は安かったことがわかる)

 

インドでの最初の昼飯 味はいまいちだったが

初日の夕方の街ブラ 確か図書館だったと思う

夕暮れの街角 ↑↓

 

2/26 次の日はエレファンタ島Elephanta Island(7世紀ころに造られたというヒンドゥ教の石窟寺院群)を目指した。50年前に寄った時はそこには足を延ばしていなかったので、今回是非行ってみようと思っていた。何よりそこに行くには、これもムンバイの名所の一つインド門Gateway of India(我々は昔Indian Gateと呼んでいたが??)からボートでいかなければならないことも魅力の一つであった。ホテルマンにまずインド門のいき方を聞くと、駅前から乗り合いタクシー(スズキの軽ワゴン/昔からスズキはインドでの稼働率は高い)が、人が集まり次第でていて30Rpとのことであった。9時ころホテルを出、乗り合い軽ワゴンはすぐに見つかり、乗客もすぐに集まり9時20分にはインド門着、すでに結構な観光客の数(ほとんどインド人、その日は偶々日曜日だったようだ)、だが4時間半後に戻った時に比べたらまだそれほど混んではいなかったといえた。だからすんなりボートのticket(往復260Rp)も買えたし、9時半頃発のボートに乗り込めたのだった。

インド門到着 ↑ 少しうろついてボートに乗る ↓  

Taj Mahal Hotel

インド門とTaj Hotel  ↑ ↓ 

インド門から遠ざかる(出航間もない)後ろがTaj Mahal Hotel

快適な船旅は70~75分でエレファンタ島着、しかし桟橋から山の上にあった入り口までが結構長かったのだ(歩きたくない人のためのmini trainあり)。これまでインドの暑さについてあまり言及してこなかったが、やはり2月とはいえ暑いのだ、日本で騒がれている熱中症の恐れは常にあるところであった。ま、それでもこういう時は歩く、mini trainの終点辺りに最初のゲートがあって入域料5Rp取られそこからは階段の登りとなる、両側は土産物店、レストランが上まで続く門前町状態、登りきったところが入場券売り場・入場gateとなっていた。この入り口まで3~40分かかったのでは?暑さもあってここまでで疲れてしまった。入場料600Rp払って入場し(ここでインドらしいトラブルに遭遇する、事後に発覚したことだがここで入場料600Rpの支払いに1000Rp札で払い、その時もらったお釣りの200Rp札2枚のうちの1枚は、その後別のところで古すぎるという理由で受け取り拒否にあった。こういう公的機関の窓口では、知っててこういうことをするようだから釣銭受け取りの際は要注意 ! )、しばしの休憩&朝食兼のランチタイム、つまり残り物を持参していてしばしの休憩とした。その後約2時間くらいかけて7屈あるという古代石窟遺跡群を一通り回ったが、第一屈以外はみるべきものはなかったように思う。それとやはり暑さのせいでだんだんどうでもよくなってくるのである、流石に途中で水分の補給をしたが、観光客も増えてきて、もういいっか ! で帰路につく。同じ道を戻り、また船に乗ってインド門に戻るのだが、インド門の後ろにそびえたつタージ・マハール ホテルTaj Mahal Hotelの雄姿も含めて、だんだんとそこへ近づいていく心躍るような接近感がたまらなくよかった(ほとんどビデオで撮ってしまったのでここでは載せられない)。14時ころ上陸、ところがその場の状況は(先にも言ったが日曜だったからか)ものすごい混雑を極めていたのだった。ともかくこの人混みから逃れるべく、高級ホテルから安宿までが建ち並ぶコラバ地区へ海を左手に日陰を求めて歩いていく。人混みは避けられたがどこへ行っても暑い、かといってわたしはカフェやレストランにすぐ入る人間ではないから公園を探すのだけれど、一ヶ所あったがなぜか入り口を見つけることができなかった。もう、ほとんどこの辺りに用事がなくなったので、ホテル(CST)に戻るかチャーチゲートChurchgate駅(もう一つの始発駅)付近にいってみるかで、乗り合いワゴン車を降りたあたりに戻ってみると、どちらも(CST or Churchgate)呼び込みがいて料金は同じ30RpだったのでChurchgateにいってみた。こちらは反対側の海に近く、そこからは歩いて5分くらいの海沿いの道マリンドライブMarine Driveに行ってみる。ここからのMumbaiの写真もよく目にしていたから、大体の感じはつかめ写真を撮って駅に戻り、そこからCSTまでの道をチェックしてみると近くはなかったが歩けなくもなさそうだったので、ぶらぶらと歩いて帰る。この道はスポーツグラウンドのある公園沿いの道だったのでブラブラ寄り道しながら30分くらいで帰りついたと思う。帰ってからシャワー、洗濯、十分な休息をとって2時間後くらいに今度は夕食をとりにまた出かける。その時はチャイニーズレストランで久しぶりに半チャーハン半焼きそばを頼んでしまったら、量が多すぎて食べきれずパックに入れてもらって持ち帰る。この時に100ルピー札の受け取り拒否にあったのだが、店に非はなく安くて良心的な店だったので、もちろん別のお札できちんと払った(200Rp=360円?安くてうまかったのだった。なお件の古いお札は、ホテルマンに話したところどこかで50Rpの手数料で替えてきてくれ、150Rpを手にすることになった)。

ちょうどそのころ友人がインドに来ており、ラインでやり取りしていたのだが、わたしがMumbaiにつく数時間前にMumbaiからGoaに飛び発っていた。その夜も何回か情報交換して、その情報に基づいてこのあとわたしもGoaに追いかけることを決めていた。というのもエチオピアに入国できなくなった煽りで、日程が大幅に狂ってしまっており、日程調整に難渋していたからでもあった。予期せぬ出来事に代替えプランがすぐ思いつくわけでもなく、またインドのガイドブックも持ってなかったし、持っていたとしてももう有名どころはほとんど訪れていたから、すぐに新たにプランは思いつかなかったからである。結局その後その友人に追いつくことはできなかったが、その情報には大いに助けられていた。その夜はほとんどラインの交換で深夜に及んでいた。次の日に航空券の手配をするつもりになっていた。

右手の山の麓までいくminitrain

第一屈全景 ↑ とその内部 ↓ 3枚 

奥の方へ行く↑ &公園内及び山から船着き場を望む ↓

迫りつつあるインド門(ほとんどビデオで撮ってしまってそれを表現する写真がなかった) ↑

と上陸後のインド門 ↓

 

インド門から逃げ出す ↑ ↓チャーチケート駅前のWestern Railway本社

 

Marine Drive 北 ↑ ↓ 南 

 

2/27 いろいろ作戦は練っていた。漠然と日程調整案の一つはGoa行きとしていたが、いつどうやってどんなルートで・・・?? その第一段階として、まず起きて早々Mumbai~Goaのフライトのチェック、宿探し(いずれも情報収集)、そしてその日はまず(アクシデントによる)日程変更以前の当初の計画段階ですでに予約を入れてあったMumbaiの宿(3/8~9 これは3/9のフライトが早朝便だったので空港近くに前泊の宿を予約してあった)にいってみることにしたのだ。その宿はMumbai初日、空港からオートリキシャで連れてったもらった鉄道駅Andheriの一つMumbai寄りのVile Parleというところにあって、駅近(エキチカ)でドミしかなかったが超安だったので一晩ならと思って検索サイトから日本にいたときに予約してあった。そこで例えば次の日からの予約状況等を確かめたくて現地にいってみたのだった。ただそこまでいくのが大変だったのである。CSTでのticketは少々並んだが簡単にget、さてどの電車に乗るか?プラットフォームはticket購入時に聞いていたから一番左のホーム(1,2番線だったか?)はわかっていたが、行先は何ヶ所かあって、行き当たりばったりで乗った最初の電車は途中から別方向にいったので途中まで戻ったりして(車内に路線図があったり、電光掲示板に行き先とか次の停車駅の表示はあったので)何度か行ったりきたり、しかもこの路線は複々線化してて日本でいう快速電車も走っていて、知っていれば40~45分くらいでつけるところを倍くらいの時間がかかって、ようやく10時半頃Vile Parleに着く。駅前はなかなか庶民的な街の感じだった。街をうろついて住所を頼りに探して何とか見つけることはできた。早速2階のreceptionへ、若い女性一人で結構忙しそうにしていた。最初は飛び込み風に明日は空いてますか、と聞く。次の日だけでなく、そのあともずっと予約で埋まっているとのことだった。納得というか、いかにも若者向きのドミしかないそのホテルは、ホテルがやたら高いムンバイにあって超人気の安宿として知れ渡っているようだった(Locomo Hostelといった)。それを聞いて作戦変更、実はわたしは3/8に予約しているもので、明日からGoaにいって3/8にここに戻ってくるのだけれど、できたら荷物一個をそれまで預かれないかと打診してみたのである。すると、わたしの予約状況を調べて間違いないことがわかると、いとも簡単にokといってくれ、その部屋の一画に山積みになっていた他のゲストの預かり荷物を指して、保証はないが、それでよければ同じようにその辺においておけば、と言ってくれたのであった。来た甲斐があったというものである。では、明日の同じ時間に荷物を持ってくるのでよろしくと伝え、その場を後にする。

Victoria Terminusヴィクトリアステーション ↑ 切符売り場に並ぶ、↓ 駅構内 2枚

郊外へ行く電車 ↑ と車内の路線案内 ↓

せっかくVile Parleまで来ていたので、帰りに寄れそうなところをチェックしてあった。帰りの電車も今度はCST行きと、チャーチゲート行きがあって、降りるべき駅はどっちだったかわからず混乱してまた何度も行ったり来たりすることになるのだが、それでも以下に行くことができた。①Mahalaxmi駅で降りてドービーガート Dhobi Ghat;壮大な規模の野外洗濯場が観光名所になっていた(駅からすぐ)②ハジアリー廟 Haji Ali's Dargah (ジャイナ教寺院、同じくMahalaximi駅から乗り合いで片道15Rp)、近くにあるはずのヒンズー寺院Mahalaximi寺院は探したが行きつけなかった③Mahalaximi駅(この駅はチャーチゲートChurchgateが始発駅のウエスタンレイルウェイWestern Railwayの駅だった)からはチャーチゲート行き電車で一つ手前のMarine Lines駅で下車、そこからはCSTまで歩きで約2km30分の道のりだったが、途中にゾロアスター寺院があるとのことだったので、その写真を撮りたくて歩いた。帰り道に水とマンゴ―ジュースを買って帰る、CST即ちホテル帰着は15時頃だった。

MaharaximiのDhobi Ghat ↑と ↓ Haji Ali's Dargah

Mahalaxmi Templeは見えていたが行きつけなかった(暑さのためでもあった) ↑ 

ムンバイ及びその近郊にはゾロアスター教徒(パールシー)が多く住んでいる

ゾロアスター寺院 2枚 ↑

別の道(Marine Lines駅)からCSTに戻る ↑ ↓

帰着してすぐ明日のGoa行きのフライトを再チェック、幸いまだ残っていてしかも4400円の超安値だった。それ故か次の日ドタバタが起きる。そしてairbnbで3/1~3でGoa Panajiの宿も予約する。何とか苦肉の策というか急遽Goa行きを決めて(昔からGoaの地名は知っていたが、未訪の地だったことと、友人が先にいって情報をもらうことができたのが大きかった)最後の夜、まずビールを買えるところを聞いて街にでる。帰りに近くのレストラン検索で出ていた店に寄ってカレー弁当をtake outする(ホテルマンに聞いた酒屋はちょっと離れていたが160Rp、カレー弁当は100Rpだった)。部屋食後珍しくアイスクリームとコーラ(40Rp+20Rp)なんぞを買いに出て久しぶりにぜいたくな食後(つまりめったにデザートは食べないのだ)を味わう、仮パッキングして早めに寝る。

夕暮れのCST付近、7Fから3枚 ↑↓

 

カレー弁当は安くてうまかった

2/28 だいぶMumbaiに慣れてきて面白さがわかってきたところだったが、朝8時半にチェックアウトして、前日のVile Parleに向かう。さすがに少しは電車の乗り方というか選び方も学んでいたので間違いはなかったが、この郊外電車の凄まじさについてはそれだけで一話できそう(混み具合他、東京といい勝負かも知れない)、だれか書く人いないだろうか?そう、このときはCSTから数駅はゆっくり座れていたのだけれど、降りる段になって一駅前からその準備が必要だった。まさに体力勝負、力づくで何とか降りることはできたが、確かインドの女性専用車両は日本より古かったはずだ。

幸いに前日の受付の女性がいてくれたので話は早かった。まず、荷物を預かってもらうお礼を言ってささやかな土産を渡し、ついでにもし3/7の予約ができるのなら今予約していきたいというと、すぐ調べてくれて、運よく部屋はあって2000Rpとのことであった。前日1600Rpくらいと聞いていたので少々高くなってしまったので確認すると、3/7分と現地払いとなっていた3/8の予約分とを合わせた2泊分とのことだった。あいにくRpが足りなくてATMの場所を聞いておろしにいく、支払いを済ませ11時ころにはホテルを出る。空港はどこでもモノが高いのがわかっていたから、昼飯になりそうなものを近くの食堂で仕入れて(サモサ×2+コーラ=40Rp)TukTukドライバーを捕まえてDomesticというと30とのことだったので交渉不要、すぐに乗車してものの20分ほどで国内線ターミナルに到着したのだった。えらく安かったし近かったなぁと思ったのもつかの間、いざ建物に入ろうとしたら、当然パスポートとE-ticketのプリントが必要とのこと、スマホの日本語の画面ではガードマンは通してくれなかったのだ。それよりもどこへ行くのかと聞かれたときに、Goaと答え、何航空かといわれ、Spice Jetと答えたところ、なんとそれはインドの航空会社でないから、Domesticではないといわれてしまったのである。聞くとインドネシアの航空会社とのことであった。まったく知らなかったのであるが、そんなことより、ではどこのターミナルへ行けばいいのか聞いて、少し早めについたことが功を奏し慌てて新しくTukTukを探す。今度は交渉となる、どうやらターミナル2とのことで4~5kmは離れているとのことだった。で、いくらでいく?ここでも最初の答えはメーターでいくとのことだったが、このドライバーの英語は訛りがきつく、ほとんど聞き取れなかったので、もう一方的にこちらから(前回と同じ)100Rp出すからといって、強引に乗り込み急いでくれるようせかす。案の定途中からあーだこーだといってきて500Rpという単語が耳に入ったが意味わからず、ともかく100Rpしかないといって無視しているうちに、500の意味が分かったのであった。到着寸前に出発ロビーまで上がっていく道があって、そこに行くには別料金で400Rpかかるというような掲示を目にしたのであった。ともかくno no noと言い続けて普通の降車場でおり、なんだかんだ言っていたがこちらにはチンプンカンプンだったので却って100Rpだけ払ってさっさとエレベーターで4階に登ったのであった(そこはエチオピアから飛んできて降り立ったところだったからすぐカンがつかめた)。ところがここでも入場をチェックするガードマン(軍人さん)と揉めることになる。例によって日本語のスマホの画面では埒が明かなかったのである。そこで多少のオーバージェスチャー(演技)を交えて、ともかく急いでいるということとパスポートとスマホを見せてSpice Jetのカウンターにこれをもっていけといったのである。そしたらそのガードマンはなかなか機転の利く男であった。彼が同行してSpice Jetのカウンターまでわたしを連れてってくれたのであった。ここまで来れればもう安心であった、すぐにカウンターの女性が調べてくれて、その場でボーディングパスをくれたのだった。だが、ここからがわからないのである。わたしは15:05発16:30Goa着の便だったはずである。ところがもらったBoading Passは12:35発となっていたのである、しかももうほとんどその時間になっていたのだ。それに異を唱える間もなく、今度は航空会社職員の誘導で先へ先へと急がされる、荷物検査で引っ掛かり鋏を取られたがナイフは助かる、そこを過ぎると緊急用カート?(遅れた人や体の不自由な人を運ぶ優先車?)が待っていて、そんな車に初めて乗ることになったのだが、gate 50に直行してくれたのだった。ところがなんとその便は30分遅れとかでまだ誰も搭乗していなかったのである。ヤレヤレである、何だったのか、このドタバタは?まさにこれはインドらしいのか、インドネシアらしいということなのか?今思い返すとなんか笑っちゃうのだが、その時の不可解さは未だ解せずにいるのだ・・??