独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ウガンダ> その1,ウガンダ国境 ~ ジンジャ Jinja へ

Kisumuのマタツパークは、そのあとに知ることになるアフリカにおける乗合ワゴン車のターミナルらしさの一つの典型のようなところだった。前回カオス的と書いたが、以前グアテマラのブログでも触れたことがあるが、ま、いわゆる発展途上国の乗り物のターミナル(特にバス、そしてマタツのような乗合ワゴン車)の賑やかさ、複雑さ、ごちゃごちゃ感において、わたしはこれほど楽しいところはないと思っているくらいだった。何より人も多く、車の出入りも激しく騒然としてアクティブな場所はなかった。わたしのような貧乏旅行者にとってはなぜか安心できるところであったのだ。まず、わたしのようなよれよれ老人(or弱者?異邦人等)でも必ず助っ人が現れてくれるからだ。そう、こちらから出向かなくても必ず声をかけてくれるところが、安心できるというか助かるといった感覚が自然と生じてくるのである。時にいろいろトラブルが発生するところでもあるのだが‥、、

Kisumuのマタツパーク ↑ ↓ 数枚 

歩いて5分のところにあったそんな感じのKisumuマタツパークに、その朝(2月13日)7時前に着いてみると、前日に国境の街Busiaまでいくマタツはここから朝の7時頃にでると教えてもらった場所には、そんな車は影も形もなかったのである(たぶん早くに席が埋まったのであろう)。確かここだったはずだがと周辺をウロウロしながら、耳はブスイア、ブスイアと叫んでいる呼び込みはいないかと聞き耳を立てている。うろ覚えに記憶していたSacco(マタツの会社名)の車も見当たらない、いや、困ってしまう・・どうしたもんか??そうしているところに助け舟は現れる・・どこへ行きたいのか、と聞いてくれる、Busiaと答える、こっちへ来いと別の会社のマタツのところに連れてってくれた。が、これが救いの神だったかどうかは、最初はそう思ったが結果的には何とも言えなかったのだった。むしろ失敗だったように思う、そもそもの失敗の因は前日Busiaに行くマタツを探していた時に、きちんと会社名、発車時間等を確認してなかったことにあったのだが‥で、結果的に失敗と思ったのは、前日の情報ではそのマタツは国境までは2時間くらい、料金は400kshと聞いたように記憶していたのだが、そのマタツを逃して新たに教えられたマタツのドライバーとは時間については確認せず料金交渉しただけだった。その時そのドライバーは500kshといってきたので、わたしは通常400kshと聞いているが?といって400kshに負けさせたまではよかったのだが、結局客の集まるまで1時間半待ちで(ま、これはどこでもそうだったから、しょうがなかったのだが)その車はDirect(直行)でなく、やたらに停まっては客を乗り降りさせ、おまけにどこかの街に着いた時には今度は我々が別の車に乗り換えさせられたりして、なんと3時間もかかって漸く11時半ころ国境の街にたどり着いたことにあった。つまり7時にでて2時間くらいで国境着という最初の(安易な)目論見から2時間半も延着したことにあったのだった(最初の車も結局は3時間くらいかかった可能性もあるが)、つまり最初の車を逃したことで予定が少し狂ったことを失敗であったと判断してのだが、そんなことはよくあることの一つ、後悔するほどのことではなかったと今なら思えるのだ‥、、

Kisumu~Busia 沿道から ↑ ↓ 数枚

 

どこかの大学?

しかしそのあとすぐ、それよりももっとバカみたいな失敗を犯すことになった。陸路の国境越えは旅の面白いところの一つではあるが、やはりここでも年齢的な衰え?つまり緊張感をなくしていて、最近はよく騙されるのであった。この時も、ま、だいたい常に親切な人が現れて、いいように乗せられてしまうのだが、一つは両替所で、次にイミグレーション通過時に、まんまと引っかかってしまったのだった。彼らにとっては耄碌爺さんを騙すことは赤子の手をひねるくらい簡単なことだったかもしれない、何しろ1ksh=30ush(ウガンダシリング 30ush=1ksh=1円ということは1000ushが35円くらい?)が交換レートだと言われても全く計算ができずにいたのだから、あ、あの時と10000ush少なかったことに気づくのはだいぶ後になってからであったのである。で、え?10000ushも騙されたと気づいて相当ショックを受けたのだが、それが350円くらいなものだったと知ってヤレヤレと胸をなでおろすのであった。ケニアの出国スタンプを押してもらってウガンダのイミグレに向かっていると(とても暑いところで、両替を手伝ってくれた人に飲み物を2本買ってもらって1本を彼に与えて歩いていると)イミグレーションの制服を着た人が現れて、次にどこへ行け、この書類を用意しろと荷物を持ってくれたり入国カードの書き方を教えてくれたりして小一時間かかったが無事にパスポートチェックは終え、やけにここのイミグレは親切だなと思っていると、その人はイミグレのオフィサーでもなんでもなかったのである。が、さすがにそこまでしてもらって無視するわけにいかず、大金(と思って)5000ushのtipを渡すのだが、それは200円にも満たない額だったことを後で知るのであった。しかし何事につけ国境通過は手間取るのである(だから後から思えば面白く感じるのかもしれないが)。次は近場の街に行くマタツ(ウガンダではそれをタクシーといった、タクシーはすべて乗合タクシーというか乗合ワゴン車を意味していた)を探さねばならず、それがどこにあるかもわからなかったのでモーターサイ(モトといったか?)を使うことにする。その時点でずっとついてきてくれた親切なケニアの若者と別れるのだが(この男は両替屋とグルだったのかどうかはわからない)結局彼には1000ushしかtipとして渡さなかったが、何も言わなかったからグルだった可能性もあった(つまりあとから若干小遣い銭をもらうとか)、でないとすると彼の親切心の真意はわからなくなる。ウガンダ側のタクシーパークはすぐ近くだったから2000ush(70円というところか?ま、これはまっとうな取引だったように思う)でジンジャJinjaへ行くタクシーを探してくれて(というのもウガンダのタクシーはすべて同じデザインで、会社表示も行先表示も出てないからこういう時はモーターサイの利用価値大ということがわかる)そこで降ろしてもらったのだった。ワゴン車のドライバーに出発時間の確認するもどこでも同じ、客が集まったら、ということのようだった。Jinjaまでは15000ush(500円くらい?)ウガンダは少し物価は安いかもしれないと期待したが、その後いろいろアクシデントが起こることになる。あとは出発を待つだけとなり、ウガンダ側のタクシーパークでうろついたり写真を撮ったり、朝から何も口に入れてなかったのでサモサなんかで多少空腹を満たしたり・・ともかくここは暑いところでむしろ車の中の方が涼しそうだった。待つこと1時間、14時頃おんぼろタクシー(ワゴン車)は漸く出発したのだった。

ウガンダ入国、ウガンダのタクシーパーク

さて、そのJinjaというところである。ケニア国境とウガンダの首都カンパラKampalaの中間あたりにあって、その沿道では最も大きな街だつたかもしれない。この街については中古ガイドブックにも載っていて、そもそもウガンダケニアと同じでどうしても訪れてみたいという場所が特になかった中で、唯一事前にわたしがここへは寄ろうと思っていたところだった。その理由としてはまずVictoria湖岸にあったこと、国境からカンパラへ直行も可能だったが、距離的にいって国境から3時間くらいで、ケニアの街Kisumuを朝出ると夕方にはJinjaまでなら着けそうだったこと、何より最も期待していたのはスピーク記念碑公園があると聞いていたことで、その公園があるということはそのガイドブックで初めて知ったことだった。白ナイルの源流の発見者とされているスピークJohn Spekeについては、19世紀中頃同じ英国人のバートンRichard Burtonと当初二人で源流探しをしており1858年にタンガニーカ湖を発見、そこをナイルの源流と主張したバートンに対してスピークはそれに同意せずさらに奥地を探検しヴィクトリア湖を発見、そこをナイルの源流とした白ナイル発見の探検史においてその名を知らされていたので、ま、そこは見逃すまいと思っていたのだった。

 

が、だいたい国境から120kmくらいだったから3時間くらいだろうという想定は大幅に狂うことになった。交通量の少ない幹道を特に飛ばすでもなく、国民性か(とも思ったのだが)真面目なドライブだったが、もしかしたら真面目だったからでなく、単に車の性能の所為だったのかもしれない、Jinjaまであと30分ほどのところ(と誰かがいっていた)でとうとう車は止まってしまったのであった。もちろん現地語なので原因はわからなかった、いや、こういうときほど言葉が通じないが故に焦ることはない、わたしはどうしていいかわからないのである。だから乗客の反応に従うのだが、最初沿道の民家に助けを求めたりしてドライバーと助手は修理らしきことをしていたから、ただ待つしかなかった。が、それも30分経ってもうんともすんとも言わなくなると、一人抜け二人抜けであとから来る車を捕まえてどんどん先にいってしまった。もちろんドライバーが少しでも返金してくれるわけないのはわかっているから自前である、貧乏旅行者としてはさらなる出費はできるだけ抑えたいから、なかなかその踏ん切りがつかないのだが、より大きな懸念は言葉の問題であった。あとから来る車のドライバーにたどたどしく聞きながら交渉しても嫌がられるだけなのはわかっているからじっと待つ選択をした。十数人乗っていた乗客は最終的に4,5人となり1時間ほどしてようやく動き出したが、登り坂の途中でエンコした車は何とかその坂は登り切ったがあとは下り坂の惰性で走っているといった按配だった。そして10分くらい走ると大きな交差点があってその付近で再び止まってしまったのだ(あるいはそこまでは何としてもたどり着こうとドライバーは頑張ったのかも知れなかった)。他の乗客も皆諦めたようで、わたしもここからはモーターサイ(バイクタクシー)を利用した方が賢明と思え、ジンジャの街中ではなかったが、もうジンジャには近そうだったこともあってモーターサイを探すことにした。で、すぐにバイクドライバーは現れたが、あいにく年配者で英語が通じなかったのである。また、その場からジンジャまでの距離も方向もわからなかったから値段交渉するにも相場がわからなかった、で周りにいた人に少し手伝ってもらって、ジンジャの安ホテルまで連れてってもらいたいということは理解してもらった。で、いくらでいってくれるの?本来ならタクシー会社が持つべきものという頭があるから交渉にも難儀し最終的に7000ushで合意に達し、バイクの後ろに跨りスタート、まだ明るかったからウガンダの田園風景はなかなか美しく思えたのであった、そしてジンジャの街は思ったより遠かったのであった。さて、そのドライバーにはやはり正確に伝わってなかったのか、そこしか知らなかったからか、最初に連れてってくれたホテルは見ただけで高級?というかわたしの希望しているところではないと判断できたから、中にも入らずNGを出しcheap hotel , cheap hotelと連呼してみたが通じてなかった。二番目も入らずにNG、そのうち街に近づいてきてゲストハウスの看板がでてきた。それを指してこれこれといってみたが通じたのか、ある一件のhotelに停めてくれ、そこで初めてバイクから降りて交渉してみた。だいぶ街中に近づいてきた感じがあったが料金的にはまだ高かった。次に行ったところでようやく、ここならというホテルに巡り合える、周りには結構お店があったし、規模も大きくその割に安かった。ようやくOKを出しそのドライバーはわたしから解放されたのだった。7000ush+2000ush(tip)で納得してもらった。

 

Jinjaまでの道中 ↑ ↓ 2枚 

 

その時手持ちのウガンダシリングushは底をつきかけていたのでバスなしの部屋30000ush(約1000円)で了解するしかなかった。が、wifiもつながっていたし街の中心にも近かったし、屋上からの眺めも良かった。あとでそのホテルが持っていた中古ガイドブックにも載っていたことを知るのであった。すでに暮れかかっていてシャワーを浴びて買い出しに街にでる、いや、街の灯はどこに何があるかがわからないくらい暗かったが、どこから流れてくるのか音楽の騒音はやたら大きかった。それでも店舗の照明は明るかったので、人通りでごったがえす大通りに沿って2,3ブロックを歩いて食べ物飲み物を扱っている店をチェック、あとストリートフードも結構あることをつかむ。ともかく人も車もごちゃごちゃといった感じ、これがアフリカらしさなのかもしれなかった。もっとも重要だったビール/7000ush、他の飲み物2本(ともかく暑いところだったのだ)/3000ush、ストリートフードのポテトフライ/3000ushとチャパティ/1000ushをtake outしてその夜の夕食とし、ま、無事ウガンダ入国を祝ったのであった??

投宿したHotel Bellevue (4階建て)の屋上から、到着した日の日没と思っていたら翌日の
日の出2/14の7時半ころとデータにあった、街の中心部と遠くにVictoria湖が見えている