独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』トルコ編 2,イスタンブールへ

わたしが旅人生といえるかもしれない生き方をしてきて50年が過ぎ、その間7~80ヶ国くらいは訪れたんではないかと思っているが、その中で気に入ってる国をあげてみてと言われれば10ヶ国くらいはリストアップできるかもしれない。その一つにトルコは入っている。が、他のお気に入りの国はすべて2回以上リピートしていたが、トルコだけは初めての再訪であった。ま、だから今回のルートでトルコにこだわっていたといえるかもしれない。イスタンブールは45年ぶりの訪問であったが、ずっと再訪を期していた街であった。今回イスタンブール着は2023,01,29 17時ころであった。

 

アンティグア/グアテマラからの足跡を簡単に振り返っておくと、グアテマラLa Aurora空港発は2023,01,26 15:42発のVolaris4319でメキシコシティ着は17:56、この航空券代は荷物代も入れて18,000円くらいだったか、P.Tashiroからネットで購入していた。が、以前にも一度失敗したことがあったのだがグアテ/La Aurora空港のカウンターでチェックインの時、言葉の問題でその理由がよくわからなかったのだが結果として35ドルも徴収されることになった。あとから思うにこれはぼったくられたのではないかと思っているが、もちろんその理由を問いただしてみたもののはっきりわからず、後味の悪い想いをする。もしかしたらその時メキシコシティから先の予約一覧表を見せていればあるいは払わずに済んだかもしれないとあとから気づいたが後の祭り、つまりこれはメキシコのいわゆる出国税だった可能性があったからである。この時はわたしの語学力不足のため言いなりになってしまったが、いずれにしろグアテの空港カウンターの女性はそれほど親切ではなかったということでもある、これは今回に限らずであった。18時ころシティについて入国手続きは前回2週間前とは打って変わって30分くらいで済み、たまたまその時はバックパックの他に大きな手荷物があってロッカーを探したが、何年か前に24h100ペソだった価格は200ペソ(1400円くらい? 1ドル=20ペソくらいだった)になっており超びっくり ! それでも地下鉄は相変わらず安く5ペソ(35円? 以前は確か3ペソだったはずだが、5ペソならまだ納得)、このときもシティでの常宿にしていたサンフェルナンド館のあるHidalgoまで地下鉄でいく。19時半にはチェックインできたが、このときもオーナーのアドリアーナはおらず、わたしの予約は伝わってなかったりでここの対応はいまいち、いつものようにOXXOでビール(21ペソ)を、屋台のタコス屋でタコス(5個45ペソ)をtakeoutして部屋食、そして早めに寝る。参考までに宿代は2500円くらい、タコス&ビールで500円くらい、ま、メキシコシティのど真ん中でも経済的に過ごす方法はいくらでもあるのだ。

サンフェルナンド館↑と近くの建物↓

シティHidalgo付近 ↑

あくる日は空港近くのairbnbに移動のみ、というのも1/28のTurkish Airlineは朝7時ころからのチェックインだったので、以前からシティ早朝発の場合は近くのairbnbの宿に前泊することが多かった。この時も以前のairbnbよりはるかに近い徒歩5分くらいのところに宿を見つけてあったので、そこへの移動だけがその日の予定であった。もちろんメキシコシティは見所の多い街であったが、これまでに通算すると10回近く滞在してて、街中心部への興味はほとんど失せており、またすでにこの時点で体調を崩していたので無駄な動きはしたくなかったのである。ま、それでもサンフェルナンド館は朝8時半ころチェックアウトして、写真を撮りながら少し遠い駅まで移動し、地下鉄で空港に戻って荷物を取りだして、地図上ではわずかな距離ながらそこへの出口がわからずウロウロし、ようやく空港から出られて初めての宿に着いた時はお昼近くになっていた。このairbnbの宿は空港から近かっただけでなく、オーナーは親切で部屋は綺麗、周りには食べ物屋さんがたくさんあってそれで2500円くらいだったから当たりであった。午後は近くにあったメキシコらしいマリアッチの音楽が流れる日当たりの良い公園(やはりメキシコも冬で寒かったのでこれは重要だった)で、周辺に何件かあったTaqueria(タコス屋)でtortasトルタス(この時はビフテキサンドパン)を仕入れてビールを買ってとても気持ちの良いランチタイムを過ごすことができた。この後に経験するトルコの寒さを思うとこの時のんびりと過ごした空港近くの公園は素敵なひと時だったように思う。そんな感じで次の日イスタンブールへ向かったのであった。

メキシコ国際空港から5分のところにあった公園、↑↓ 2枚

 

1/27の夕食、近くのお店はほとんど早く閉まってしまい、この日もタコスのtake outになってしまった。ただこちらは前日の屋台とは違ってちゃんとしたお店のもの(前の写真のTaqueriaだったかも?)で少々高くて1ケ13ペソだった

前日にTurkish Airlineのカウンターの場所は確認済みだったので、まあまあスムーズにチェックイン終了、一時間くらい待って搭乗、10時ころ離陸、メキシコシティを離陸すると昼間だとメキシコの5000m級の高山が見えてくるのだがしばらくはそれに釘付けとなって何枚か写真を撮る。まもなく視界は雲に遮られ映画なんぞみているうちにカンクンに着いた。そう、このTK181便イスタンブール行きはカンクン経由となっていたのだが、実は正確にいうとこの便はイスタンブール発のカンクン行きで(destunationはカンクンだったのだ)、それがメキシコシティを経由してくれて、わたしはメキシコシティで搭乗することになったが、12時ころカンクンに着くや、ヨーロッパからの避寒客が出てくるわ出てくるわ、乗客のほとんどはここで降機していったのであった。で、カンクンに駐機することおよそ2時間、ここからイスタンブールへ折り返したのであった。カンクンからイスタンブールまではおおよそ12時間のフライトになっており、カンクン離陸後食事が出てそのあとすぐに消灯になった。わたしはほとんど機内では水平に近い態勢が取れても睡眠はとれない質でうつらうつらした程度、映画を見ながら時間を潰す、10時間くらい飛んでメキシコ時間0時ころ(現地8時ころ?)、少し早いなと感じたが飛行機は着陸態勢に入った。ヨーロッパ時間でいうとまだ明けきらない朝方だった。飛行機は着陸したもののそこで動かなくなる、何のアナウンスもなかった(あっても聞き取れなかったであろうが)。いったいそこはどこでどうなったのか全くわからなかったが、少しづつ明るくなってきて、なんとそこがベルリン国際空港だということが判明する。が、事情はわからずで、不安は募るばかり、やはりこういう時は中途半端な語学力では全く役に立たないのだ。結局取りうる行動は他の乗客に追随するだけである。で、そのうち乗客全員機外に降ろされ、15ユーロ分の食事券が配られ、空港ビルの一画で待機となる。わけわからないまま、他の乗客の後に並びパンと飲み物をその食事券で購入し、なす術なく不安と怒りの矛先もわからないまま、ただ待ち続けるほかなかった。この辺はトルコという国が抱える闇か?ちょうど国際情勢も不透明な時期でもあって、疑心暗鬼になるのであった(後日ラインで日本にも報告して調べてもらったが、やはり原因はわからなかったのだ)。最終的に4時間くらいの待機でベルリン時間12時頃、同じ飛行機に再搭乗し12時半ころイスタンフールに向かったが、ベルリン~イスタンブールは約2時間半で5時間遅れ、15時イスタンブールに着いたのだった。トルコ時間17時だった。

 

これらの山々は何度も見ているのだが一度も名前を確認したことなし、3,4枚載せておく

ベルリンに緊急着陸し、配られた食事券で買い物する列に並ぶ同機の乗客

上の写真の後に撮ったベルリンの飛行場

イスタンブール新空港着陸前;2枚 ↑ ↓

大きすぎるイスタンブール新空港は延々歩かされたが、イミグレは簡単だった。しかしそのあと市街にでるのは一苦労で、昔きたことがあったといっても、まったく新参者にほかにならずで(一応havaistという空港リムジンがあることは調べてあったが)何人にも聞いて、そして皆親切に教えてくれて無事スルタンアフメトSultanahmet地区へ行くリムジンバスに乗ることはできたのだった(12番のバス、87トルコリラ=約750円?)。ところが、すでに暮れてしまったトルコの大地に張り巡らされた高速道路を行く快適なリムジンバスに身を任せていたが、どのくらい走ったのか(7~80分?)、ここが終点と告げられたところはスルタンアフメトではなかったのである。イスタンブールの地図は全く頭に入っておらず、ここはどこかと聞いたらアクサライという返答、スルタンアフメトはどうやっていくのか?タクシーで行けというような答えを耳にする。すでにまわりにはタクシードライバーが何人かいたのである。いやぁ、先が思いやられる展開に絶望的になる。ともかくタクシーを使うしかないようなのでタクシードライバーとの交渉になる。アクサライというのがどの辺にあってスルタンアフメトまでどのくらいの距離か全くわかってなかったので、あてずっぼに10ドルまでは仕方ないかと腹を決め、まずホテルの住所の書かれたプリントを探して、ここに行きたいがいくらで行くかという交渉から入る。ドライバーの言い値は15ドルだった。10ドルと15ドルの主張は平行線をたどった、そのうち雨が降ってきたのでわたしが折れた。ま、それにはちょっとしたわたしの腹蔵もあってのことだった。①まったく地理がわからず、ホテルの地図はあったがもしそのバスがスルタンアフメトまでいったとしても実際問題としてはタクシーを使うしかないように思っていた。②その時たまたま荷物が多かった。➂そして雨が降ってきたこと。④疲れていたしなるべく早くホテルにつくべきだと考えてのことだった。実際、ホテルへの道は超困難な道で坂があったり、わかりづらいところだったので、15ドルなら安いくらいだったと後から思った。降り際にこのドライバーともうひと悶着がある、これはタクシードライバーがよく使う手で、15ドル(fifteen)でなく50ドル(fifty)といったんだといちゃもんをつけてくる。そんなのは全く相手にする必要はなく、わかったわかった、といって1ドルのチップをあげて解決、おかげで雨に濡れることもなく小さな三流ホテルを探しだしてくれ横付けしてくれたのだった。

 

そんなんでそのホテルに着いた時はすでに21時ころになっていたか?しかし、わたしはその時もう一つの賭けを試みていたのだ。というのはそのホテルの予約はしてあったが、それはその日の予約ではなかったのだ。わたしの予約はその日から5日後の2月3日から3日間であった。そのホテルの予約は3ヶ月前頃にしてあったので、好立地の割に安い料金で予約ができていた。が、その後アフリカのVISA取得等のミスがあったりして日程は大幅に変更せざるを得なくなっていた。もちろんキャンセルも無料でできたが、そうすると再度予約した際にその料金では取れないのが明らかだったので、最初の予約をいかせるような日程変更をしていた。なのでこの時1月29日のこのホテルは半ば飛び込みだったのだ。部屋が空いてさえすれば何ら問題がないだろうと賭けてみたのたが、たまたまその日の受付の担当がよかったからか、きちんと経緯と事情を説明するとわかってくれて、その日の部屋を提供してくれただけでなく、5日後の料金と同額でokしてくれ、次の日から少しトルコを回って4日後に戻るつもりだが余計な荷物も預かってくれないかとの交渉にも快く応じてくれたのだった。タクシーを降りたとき氷雨かと思うほどの冷え込みを感じたが、有難いことに暖房の効いた部屋で安らかな眠りにつくことができたのだった。