独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ウガンダ> その4, 2/16~17 Kampalaでグダグタ、2/18 ルワンダ Rwanda へ

今年2023年1~2月はまだほとんどのところでコロナ禍は明けていなかったのだと思う。この後3月にインドに入るが、そこまでの約2ヶ月、グアテマラ~トルコ~アフリカと旅していて、少なくとも日本人の旅行者、いやアジア人ヨーロッパ人も含めた旅行者らしき人には一人も出会っていなかったのである。だからこの中の上クラスのホテルは朝食がついていたのだけれど(ナイロビでも・・わたしが泊まった中の上クラスはだいたい2500円~3000円くらいのホテルだった)朝食をとるレストランで他に宿泊客らしい姿を見かけることはなかった、ほとんどいつも一人でいただいていたのだった。なぜこんなことを言うかというと、貧乏旅行者にとって朝食付きのホテルにはめったに泊まらないから、たまに宿泊するとその豪華さのためついつい写真を撮ってしまって覚えているのである。16,17日はその素晴らしい朝食を食べ逃すまいと定時(7~8時)にきちんといただいてから外出した。

2/16の朝食

2/17の朝食、内容は同じだったか?

さて以下のKampalaでグタグダは、要するに目ぼしい話も絵になる写真もあまりないので、読み飛ばしていただいた方がいいかもしれない、いや体調もいまいちで疲れも溜まってきていたのか、ともかく旅の冴えがないのである。体力の限界(その時は自覚のなかったが後に発症する病状と疲労の蓄積があったのかも?)にきていたのか、改めて振り返ってみると、どうもそのころから流れが変わったようにも思う、以下面白くない記録が続くが、失敗等が多くなってくるのである。だから今後の展開はあまり期待しない方がいい、どうでもいい記事ばかりになるだろう・・、ま、それでもその失敗の記録もつぶさに綴っていくつもりであるが‥、、

 

で、サファリを諦めるとウガンダというかカンパラの見どころはどこなのか、まずその手掛かりとなりそうな観光局をまず目指そうとガイドブックの地図を頼りにそこに行ってみることにしたのだが、そこまでは歩いていけそうになかった(この記事は前回とダブります)。こういう時はそこら中に待機しているボダボダドライバーとの交渉となる、が、彼らに観光局といってもわからないから、それが入っているらしい建物名(Garden cityと記載されていた)をいうとにすぐに理解してくれ、交渉で3000ushで了解された。途中にカンパラ駅という鉄道駅の記載があったので寄ってもらったが、どうやら運行されてないようで閉まったままであった。で、ガーデンシティというところまで連れてってもらったが、大きなショッピングモールのようなところで、そのどこにあるのか、古い本なので実際今でも入っているのか不明のまま、そのモールのインフォメーションのようなところはないのか何人かにも聞いてみたがチンプンカンプンだったので、たぶん既に別の場所に移っているのではないかと諦めた。なだらかな丘陵地帯にできている高級住宅街、高級ホテル、官庁などの立ち並ぶエリアで、人通りも少ないその一帯を巡りながら歩いて帰ることにした。7~8kmはありそうな道程であったが寄り道しながらブラブラと2時間くらいかかったか?その時途中に前日にいった独立記念碑、郵便局辺りを通り、エチオピア航空を見つけたが祭日で休みだったことは前回述べている。そのエチオピア航空を何故探していたかということを簡単に述べておくと、前にも言ったと思うが世界一周券は発券時にルート日程をすべて決めて発券してもらうのだけれど、それは途中で変更が可能と聞いていたから、可能なら少し日程変更をしてもらおうと思ってのことだった。結局3日目に(次の日も暇だったから歩いていってみたのだ)ようやく職員に会うことができたが、Addis Ababaで聞いてくれとあっさり言われてそれで終わり、ま、暇つぶしでもあったがこの件は3日間通ったが無駄骨に帰す、ま、そんなもんだろうと思う、一旦ホテルに戻って作戦の練り直しであった。

カンパラ駅は閉鎖中、鉄道が再開することはあるのだろうか?

 

そうなると情報源は中古のガイドブックしかなく、それでも記事内容はケニア程ずれはないように思え、それを参考にするしかなかった。しかしアフリカ4ヶ国を一冊で扱っているのだからそもそも情報量は限られており、カンパラの見どころとして紹介されていたのは4,5ヶ所しかなかった。文化センターとか博物館はどうでもよかった、となるといってみてもいいかなと思ったところは2ヶ所に絞られた。一ヶ所は①カスビトーム Kasubi Tomb、もう一ヶ所は②キブリモスク Kiburi Mosqueだった。①については植民地以前の王国ブガンダの王が祀られている墓所と記されていたが、このブガンダ王国についてはSpekeの白ナイル探検時に多大な協力を惜しまなかった王ムテサの名は知られいたので、是非行ってみたいと思ったのと②については、実はタクシーパークからの写真やホテルの屋上から撮った写真にも遠くにそのミナレットが望まれていたので、さぞあの上からの展望は素晴らしいだろうな、と思ってのことだった。いずれも方角は北西の方向で②は①の帰りに寄れそうでもあった。また①に行くには前日見つけたルワンダ方面に行くバスパークの近くにNew Taxi Parkがあったのを覚えていて、そこからタクシー(乗り合いワゴン車)が出ているらしいこともわかったので、午後に早速出かけてみた。実際このカンパラには大小合わせていくつくらいのタクシーパークがあったのだろうか?ガイドブックに記されていたNew Taxi Parkは規模こそ、最初に紹介した0ld というかBigというか、いわゆるカンパラ(大)タクシーパークに比べると1/2くらいだったと思われるが、一見さんのわたしにはどの車がどこへ行くのかは皆目見当がつかず、人に聞くよりなかった。で、唯一Kasubi Tombの単語をたよりに、声をかけてくれた人に聞いてみると、これまた親切にそれはここからではないといって、わたしを大通りまで連れだし通りの右手を指して、あそこに待機タクシーの列が見えるだろう、あそこに待機しているタクシーの先頭までいきなさいと説明してくれるのであった。で、そちらへ歩き出して、ようやくその先頭の車がいる乗り場までいきつくのだけれど、その先頭の車までの長い待機タクシーの列を見たとき、果たして最後列に並んだ車のドライバーは、いったいどのくらいの時間を待つことになるのだろうかと心配するほどの待機車列だったのである。何せ客が集まらないと発車しないのだから、わたしのおおざっぱの計算で、その時たぶん午後1時ころだったと思うが、もしかしたらその日のうちに次の客を乗せることができるのだろうか、といったレベルであった。つまり我々の感覚からするとその非効率を気にするのだが、この国ではそれはそれほど重要なことではない、あるいは他に仕事がないor他に選択肢はない、ということなのかもしれなかった。乗客としてのわたしは、その先頭車両に乗り込み10分くらいで発車、助手に料金を払うときにKasubi Tomb近くでおりたいと告げておいたから、そこまで15分2000ushでいきついた。降りるときにどっちの方角かだけ教えてもらってその方向に歩き出す、10分くらい坂道を登ったからか暑さのせいかなんだか相当疲れたのであった。で、ようやくその入り口らしきところに着いたのだが門は閉ざされていた。入り口は違うのか、ticket officeとかないのだろうか、誰かいないのかとウロウロしてみる、そのうち中から人がでてきたので、いい塩梅と思って聞いてみると、なんと今は休館中とのこと。オイオイオイ、めったにそんな発言はしないのだが、この時はそれはないだろうと思って大げさに、わたしは日本からわざわざここを目的に訪れたのに、それはないだろう、ちょっと見せてよ、と食らいついたが、そんなことが許されるはずはなかったのだった。ただ、その時その人は近くに似たようなところはあるからボダボダのドライバーが連れてってくれる、というようなことを言ったのだ。その場所名が聞き取れず、近くにいたバイクドライバーにそのままその話をしてみたが、やはりすぐにそんな場所は思いつかなかったようだった。悔しいが諦めるよりなく、ならばとドライバーに聞く、ここからNew Taxi Parkまでいくらでいってくれる?来る時使ったtaxi(乗り合いワゴン車)で帰るとしてもその乗り場まで結構距離があったし暑かったし、帰りの乗り場もよくわかってなかったからである。4000ushとのことだったので即決して、もう一つ希望を述べてみる、その途中に有名な建物とか場所があったらちょっと寄ってくれないか、写真だけ撮りたいのだが‥と、そしてそこがどういう所かよくわからなかったが、一ヶ所それらしいところに寄ってくれたのだった。どこをどう通ったかはわからないが(後で調べてわかったことだが結構遠回りしてくれたようだ)、そこで一枚写真を撮らせてもらった。後にその写真からわかった建物名はKabaka's Palaceというところらしかった。ただそれでもその建物が何だったのか?どうやら元大統領 Idi Aminの邸宅?王宮?だったようだが、いずれにしろ全て後でわかったことだった。そんな感じのボダボダによる市内見物になったが、最後はNew Taxi ParkまでいかずにKiburi Mosqueで降ろしてもらった。そこからなら歩いても帰れそうだったし、何ならボダボダでもたいした距離でないことがわかっていたからであった。確かにミナレットの聳えるKampala Hillからは、ミナレットに登れば価値ある展望をものにできたかもしれないが、その場からでもなかなか展望の良いところであった。で、受付で入場料を聞いてみる、外国人は25000ushとのこと、うーん迷う、その時すぐに日本円換算はできなかったので、ただ直感的に他の諸物価に比べて高すぎのように思えてミナレットには登らずにそこを後にする。30分くらいの道のりをNew Taxi Parkまで歩いて下った。

Kasubi Tombは休館中だったのだ ↑ ↓ 

どこだかわからないまま写真だけ撮らせてもらった

Kabaka's Palace ; Idi Aminの王宮だった?

<ここで重要な訂正;ここまでそのモスクがガイドブックにでていたKiburi Mosqueだとずっと思っていたのだが、どうやらわたしの勘違いだったようだ。Kiburi Mosqueというのは別のところにあって、到着初日から見えていたそのモスクはUganda National Mosqueだったことを、これを書いている今(ちょっと確認してみて)知るのであった。>

Kiburi Mosqueだと思って書いてきたが、Uganda National Mosqueだった ↑↓

宿泊していたホテルからはこんな感じで見えていた

↑の2枚の写真はUganda National Mosqueから南西に見えていた建物で、これもなんだか
わからず望遠で撮ったものだが、あとでこの建物がガイドブックに載っていた
ナミレンベ大聖堂Namirembe Cathedral だったことを知る

で、New Taxi Parkまで戻って、そこからはすぐのところにあったBus Parkに再び行ってみた。すると早速新手のお節介者が現れて、どこへ行くと聞いてくるから、いつものようにルワンダと答えるとついて来いといって、前日に行ったバス会社とは別のところへ連れて行くのであった。そこで聞いた情報はキガリまで80000ush 朝の5時7時9時にバスは出るということであった(この話も前回とダブります)。そこの帰りに近くにあった安食堂っぽいところで昼食をとってホテルに戻る。帰りに飲み物等の買い物、帰ってからはシャワー・洗濯と夕方まで休憩・仮眠、そして日没前に起きだして、また屋上から写真を撮ったりしてから街に出た。この時は二つの目的があった、一つは夕食ののネタ探し(take outできそうなもの)、ところがKampalaはわたしの愛するストリートフード(つまり屋台)が、近くにあったOwino Marketといった超込み合う市場辺りをうろついてみたけれども、ほとんど目にすることができなかった。飲食店(食堂、飲み屋)が少なかっただけでなく食料品を扱うお店自体が著しく少なかったように思う。結局パン屋さんのようなところでチャパティのようなものを適当にみつくろって仕入れ、昼食が遅かったのでそんなもので夜食とする。もう一つの目的はホテル探しであった、というのもその時点でもう一泊する必要があるだろうと、近くにあった安宿(guest house)がどんなものか探ってみたのだった。が、例え1/2くらい(30000ush 1000円くらい)で泊まれたとしても、それが中の上クラスの今のホテルが70000ushで泊まれて、その設備・豪華さ・きれいさ&朝食付きと比べたら雲泥の差となって、比べ物にならなかったのであった。で、その件は次の日ホテルのフロントと再交渉することにし、おおよそその日は終えるのだが、そんなホテルでもケニアと同じ問題は起こったのであった。それは騒音問題で、そこでは夜通しの音楽の騒音公害ではなく、宗教関連(たぶん近隣のビルの一室からの)早朝からの得体のしれないお祈り?あるいは説教?繰り返される祈祷?呪文?のような騒音で朝早くに起こされたのであった。

 

17日朝、早速フロントに出向いて騒音について苦情を言ってみたが、やはりどうにもならないような返事、たぶん難しいだろうとわたしも思ったので話題を変えてというか(別にそういう作戦で臨んだわけではなかったのだが)、ところでもう一泊延泊させてほしい、ついては明日早朝にチェックアウトするから朝食抜きで構わない、ついては70000ushを60000ushに負けられない?と聞いてみたのだ。すでに顔見知りになっていた年配の女性はすんなり承諾してくれたのであった。そして素敵な朝食をいただいて、まずその日に出かけた先はすでに記したエチオピア航空だった。結果はさんざんで帰りにATMでUSHを引き出し(手数料が半端でなく、これにも怒ったが)から、前日訪れたバス会社に出向いたのであった。そう、この時はまだ気づいていないのだ、わたしは前日情報をくれたお兄ちゃん(バス会社の人)がいたので、昨日の情報に従ってRwanda/Kigaliまでということで朝7時発のバスを予約、ticket代として80000ush(2800円くらい?)払ってticketらしきものを発行してもらったのだった。いずれにしろバスは明日の朝この場から出るから、6時半ころまでには来るように言われ、その時は何ら問題はないだろうと思っていた。そのままホテルに戻り延泊代60000ushを支払うと、もう特にやることもなくなって、あとはパッキングしたり、日本にラインを入れたりAddis Ababaの予約してあったホテルに現状報告をいれたりして、それこそグダグダしていたのだった。

だが、どうも気になって仕方なかった、なんかすっきりしない感じ、で、そのticketを見直してみる。会社名の入ったticketらしき紙片にまずBUS no.とPassenger Name 欄があって、FromとDepature Time欄は印刷されていてそこに手書きで埋めていくといった、ま、ある意味アフリカらしきticketであった。問題はそこに書かれていた文字で、その時ようやくおかしいことに気づくのである、そういうことだったのか、しかしどういうことなのだろう?そこに書かれていたfrom はKampalaになっていたが、行先のtoに書かれていたのはルワンダの首都Kigaliではなく、ウガンダ南部にあるルワンダとの国境近くの街Kabaleという街名になっていたのだ。すでに夕方近かったが、もちろんすぐに出かけた、人混みをかき分け通いなれた道を10分?15分?、しかしタイミング悪し、あるいはすでにトンズラされてしまったか、くだんのお兄ちゃんの姿はなかった。こういう小さな会社はことが起こると質悪くて、ごちゃごちゃの事務所にはだれが責任者なのか皆目わからず、これはどういうことなのかちゃんと説明してくれる人はいなかったのだ。その時点でわたしが理解できたことは、まず、わたしは詐欺とまではいわないが、どうやらここの連中、つまり皆親切だと思った連中に一杯食わされたらしいということだった。で、Kigaliまでいきたいといったときに連れて行ってくれたバス会社はKabaleという街に行くバス会社(Bismarkan Coachesといった、そんな会社が何社か固まっていた)で、KabaleというところからはKigaliに行くバスが出ているということらしかったのだ。Kampala~Kigali間の直通のバス会社も何社かあることは聞いていたが、どうやらそれらのバス会社はそれぞれ独自にターミナルを持っていたようで、このBus Parkにたむろしていたお節介野郎たちは、それを知りながら(たぶん少し離れたところにあったようで)そこまで連れていくほどの親切心は持ち合わせていなかったようだ。それでKabaleまでいくバス会社に連れて行って、ま、ぐるになってわたしにKabale行のticketを買わせたというのがその筋書きのようだった。気づくのが遅く後の祭りで、とりあえずその時点でのキャンセル希望は責任者不在でかなえられなかったのである(こんなところがウガンダらしいのかも知れなかった)。わたしのミスでもあったから、仕方ないとりあえずKabaleという街までいってそこでKigali行のバスに乗るしかないかと諦めてしまったのだ。ま、そんなことがあって、ウガンダももうどうでもいいな !  、カンパラいい加減にしろ ! という気持ちになっていた。あとは明日の成り行き次第ということにし、最後の夕食をとりに二日前にいったtaxi parkの食堂に出かけ(前回魚だったからこの時はmeat & rice で5000ush)、帰りにビールを売っている店を探すのだけれど見つけられずソフトドリンクと水を買って戻り早めに寝てしまうのだった。

ホテル周辺の雑踏

で2月18日、5時には目が覚めて5時半にはホテルを出、6時前にはBus Parkに着いており、すでに事務所内はごった返している。Kabale行のバスもすでに乗客を乗せていた。そこでもう一度そのときいた責任者らしい人に問い詰める、わたしは前日にKigaliにいきたいということでticketを買った、ところがこのticketにはKigaliとは書いてない、Kabaleと書いてあるではないか、これはどういうことだと詰め寄る。その人はKabaleでKigali行のバスに乗り継げるといったのだ。本当か ? ならこのticketはKigaliと書かれてなければおかしいではないか ! ? なんとその人はKabaleを棒線で消してKigaliに書き換えたのだった。いい加減だな、あり得ない、と思いつつもどうなることやらとわたしもバスに乗り込み自分の席を確保する。まだ、時間はたっぷりあり、少し食料を仕入れておこうかとバスを降りてぶらついて、このカオス的(グァテマラ的?)バスターミナルの写真を撮ってバスに戻る、とほとんど間髪を入れずに男が乗り込んできて、何やっているんだ、何を撮っているんだと凄まれてしまった。どうやらバスターミナルも撮影禁止の場所でだったらしいことを(Jinjaで橋の撮影は禁じられている言われたことを)すぐに思い出し、その人の見ている前でその写真を消去したが、まだ何か言っている。こういう時はわからない振りをするしかなかった。どうやらその男はinspector<検査官のような人>だったらしく危うく逮捕されそうになるところだったのだ。わたしがクレームをつけたバス会社の担当者がその検査官から何かを言われていた。いやはや、である。すったもんだの展開に我ながら少し怖くなってくる、で、このあとバスからの写真も含めて残っている映像がほとんどなかったのであった。

 

そのバスはほとんど定刻(7時)に出発したのだった。わたしは運転席の隣の場所を確保してあったから車窓は楽しめた。それだけでなく、気のいいドライバーが珍しい外国人が乗っているということで観光ガイドを始めてくれたのだった。最初は2時間くらい走った頃イクエイター<Ecuator>道路の右手に赤道のモニュメントが現れ、それをわざわざわたしに教えてくれたのだった。それ以降、River Katongaカトンガ川、左手にVictoria湖が見える、ライスフィールドがある、大統領が出た街がこの近くた、といったことをほとんど聞き取れずに相槌だけ打っていたわたしに聞かせるように説明してくれるのだった。そのうち助手の一人が(助手みたいなのが数人いた)ticketの確認に回ってきて、わたしのKigaliと書き換えられたticketを見て怪訝そうな顔をしたので、一応経緯を説明しKabaleに着いたらKigali行のバスに乗せてくれるよう頼む、これが数時間後に思わぬ展開を生むことになったのだった。そう、騙す奴もいれば善良な奴もいる、どちらかというとウガンダ人は極めて善良な奴が多かったという印象は前に述べたとおりだった。いずれにしろこの時のバス旅はかなりの長距離移動であった、途中大きな街が2,3あって、最初はMasakaマサかという街で10時頃、次がMbararaムバララというところでそれは13時ころだったと思う。その頃には周りの人たちもわたしがKabaleでなく、Kigaliに行くつもりだったのだが、ま、こういうことになってしまったことを知っていて(もうよく覚えてないが、そんな話をしていたのかも知れなかった)隣のおばさんが、今追い越していったバスがKampala発のKigali行のバスだ、あのバスに乗ればよかったのよ、と教えてくれたのだった。そうだったんだ、と悔しい想いでそのバス(Trinity社?)を見つめていたら先の助手がドライバーと何か話しだして、そのうちそのドライバーが前の車に合図を送り、そのバスを止めたのだった。そして助手がおりて前のバスにいってドライバーか向こうのバスの助手と何か話して戻ってくるや、わたしに向かっていったのだ。あのバスに乗り替えろ、あのバスがKigaliに行くバスだ、といってくるではないか ! !  Masakaであった、あり得ない、普通そんなことありえない。しかしぐずぐずしているわけにはいかなかった。わたしもすぐに理解できたので、この奇跡に感謝し、バスを降り際乗客に向かって、ウガンダ最高 !! ありがとう !!と叫んでBismarkan社のバスを降りTrinityのバスに駆け込んだのであった。こうしてその2時間後にバスはルワンダ国境に到着するのだが、その間にもう一波乱二波乱に見舞われるのであった。

Masakaで休憩、こんな写真も見つかったら面倒が起きたのかも??

当時のbus ticketがでてきたので写真に撮ってみた。そこに一緒に写っているのはグーグルでTrinityのバス会社がどこにあったか調べたもの、そしたらその会社はなんとUganda National Mosqueのすぐそばにあったことが判明、いずれも事後の発見であった