独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』グアテマラ その 8 サン ミゲル アカタン San Miguel Acatan

さて、サン ミゲル アカタンである。いったいこの街は?それはどこに位置していたのか?なぜここが今回わたしの目的地となったのか?そのへんが今回のテーマとなる。まずこの地グアテマラの22県の中での位置関係で説明すると、メキシコと国境を接するグアテマラの最西部に位置するウエウエテナンゴHuehuetenango県の真ん中辺、しかし高度は4000mの高原から盆地に下がってきているから2000~3000mの間と想像するしかない(残念ながらデータ検索してない)、ただHuehuetenango県については、少しは見聞情報を持っていた。この地はグアテマラの中に残るマヤ言語を話す20前後のグループのうちで、もっとも言語人口の多いキチェ グループに次いで二番目に多いマム語を話すマム語族の住む地なのである(そのあとにカクチケル語族、ケクチ語族と続くがこの4集団が古代マヤ語を継承しているグアテクラにおけるインディヘナ先住民グループを代表している)。またマムの人々は働き者という評判もあって地の利を得て交易に従事し、裕福な人が多いとも聞いたことがある。それに関係するかどうか、もしかしたらわたしが初めて訪れたときに驚かされた山上都市San Pedro Solomaにあの立派なカテドラル(その7に写真あり)が建てられていた所以だったのかも知れない。ただHuehuetenango県は観光地としてはそれほど有名なところはなかった。今手元にあるGuatemala観光局<INGUAT>発行の地域別パンフレット Huehuetenangoをみても、恐らく面積的には断トツのペテン県の次くらい(イサバル、アルタベラパス、キチェなどが同じくらい)の広さを持っているのに、紹介されているTurist spotはLaguna(湖)2ヶ所と洞窟一ヶ所、巨石Piedras de Captzin(以前のブログで紹介済み)、ウエウエテナンゴの街の近くにあるサクレウZacleu遺跡(ここのマヤ遺跡は公園化してて、遺跡自体がコンクリートで固められてて面白みに欠け、一度行ったっきりでその後訪れていない)、そしてグアテマラの秘境として日本の某有名ガイドブックにも紹介されているトドス サントス クチュマタンTodos Santos Cuchumatan (相当古いブログにそのころの記録が残っているかもしれない)くらいであった。

 

で、サンミゲルアカタンの立地についていうと、ちょうどこのトドスサントスクチュマタンと似ているところがあるのでまずトドスサントスクチュマタンの紹介から簡単に述べていくと(そこを訪れたのはリタイア後最初に訪れた2010年~2011年の時だったのでもうほとんど忘れているが)、そこに行くにもまずウエウエのバスターミナルから今回も通った山上都市を行くルート国道9N号線をまず2000mほど山登りして(約1時間)、高原を2,30分走ると左方向行く分岐点がでてくる。すでにあれから10年以上たっているから流石に道もよくなっているだろうが、13年前のそこからの道は、いやはや距離にしてわずかなのだけれど、未舗装のでこぼこ道を1時間くらい下ったか?つまり南北に貫く稜線上の幹道から東西に山脈がいくつも走っていて、その一つがSierra Cuchumatanes<クチュマタン山脈、ガイドブックによるとクチュマタンとはマム語で山脈のことらしいので、そうするとこれは山脈山脈となってしまう??>、その山脈の間を流れ下る河川が左右(東西)にでていて、その支流にそって下っていきついたところは、まさに桃源郷だったのである。まず人里離れた僻地であったこと、まったくの自然が残されているだけで何もなく、それでも独自の文化が残されていて、その一つが全住民がほとんど同じ民族衣装を身に着けていたことがとても印象深く残っている。特に男性のまるでユニホームのような白地に細い赤・青のストライブ模様のシャツと赤いパンツはとても洒落ていたのであった。また11月1日の祭りの日には競馬等の馬上競技がとくに有名で、そのほか各種イベントが繰り広げられ多くの観光客を集めているということであった(実はその15年くらい前のガイドブックに紹介されていたことだが、2000年にこの地に訪れた日本の団体ツアー客が、こういう僻地の風習を知らず、現地の人を刺激してしまったか何かで集団暴行を受け一人が亡くなられたという記事が載っていた。今では旅行者も多くなってそんなことは起こりえないと思うのだが、それから1/4世紀が経とうとしているのに、この間確認したら最新号のこの地のガイドブックには相変わらずその記事が載っていた。どうも全く更新されてないようだった)。

 

さて、でサン ミゲル アカタンであるが、ちょうどそのクチュマタン山脈の並び、いずれもメキシコ国境に向かっていくつか山脈が西へ延びているうちの一つ、ちょうどSan Pedro Soloma あるいはSanta Eulaliaから西に延びる支流の一つ、位置的(距離的?)にも幹道からのトドスサントスと同じくらいの位置にサン ミゲル アカタンという街はあった。が、こちらはそれほど高い山に囲まれていたわけでなく、それほど秘境のイメージはなかった。ただ、やはりそこへ行くにはウエウエからの直通バスはなく(これは間違えであったことがあとで判明する)ソロマからの交通手段もなかったのである(アンティグアのINGUATで確認したとき、サン ミゲル アカタンに行くにはSanta Eulaliaから乗り合いが出ていること、ホテルもあると教えてもらっていた)。

どうやらこの地図がSan Miguel Acatan付近を表しているようだ、が、これをどこで撮ったか覚えがないのだ。この地図によるとSan Miguel Acatanの標高は2100mだったことがわかる。

では、なぜサン ミゲル アカタンだったのか、どうしてそこへ行ってみたかったのか?ま、もちろん知らない土地だったからであるが、ではなぜその地を知ったかということになるのだが、これが3年前に自費出版した私家本に関係してくるのである。ちょうどコロナが始まった年、何年か前に始めていたゲストハウスのお客は絶え、暇をもてあます日々となった時に、わたしはグアテマラの思い出を綴って生涯一冊の本をending note=ま、遺書みたいなものとして戯れに上梓していた。そのときにグアテマラ関係の書籍を何冊か参考にしたのだけれどその中にMiguel Angel Astriasというグアテマラノーベル賞作家の本を目にする機会を得た。で、うろ覚えなのだがその作品群の中のどこかで、このSan Miguel Acatanの地名が出てきて記憶に残ったと、ずっと思っていた。で、今回この章を書くにあたって彼の作品を今一度チェックしてみたのだが、その個所を見つけることができなかったのである。ということは他の作品の中(or他の作者の作品の中?)でだったのか? 今にしては呆けだしているわたしには忘却の彼方になってしまったのである。いずれにしろグアテマラについて書かれた作品(たぶん小説or物語だったと思う)の中でわたしはその地名を知って興味を覚えた、とだけしかここに書けなくなったことを恥ずかしく思い、お詫びしなければならないのだが、ともかく先にも述べたようにこの山上の都市を貫く国道N9号線に興味を抱いたものとしては、その沿革の街村(トドス サントス クチュマタンも含めた、僻地というか桃源郷)が気になってしょうがなかった、というわけであったのである。

San Rafaelのカテドラル前、左の赤い車がサンミゲルアカタン行の乗り合いだった

San Rafaelの街の写真 3枚


(2023)1月22日は夜半一度トイレに起きただけで、そのあとも眠れて5時半には起きだす、流石に山上都市は朝方結構寒かった。6時半にホテルをチェックアウトして、ホテルから1ブロック、前日に教わっていた小さな広場が乗合(ワゴン車)の発着場と聞いていたのでそこへ行ってみたが、Solomaへ行く乗合以外は一台の車も停まっていなかった。しばらく待ってみたが車は来ない、仕方なく近くにいた人に聞いてみた。San Miguel Acatanに行く乗合がここから出ると聞いているが?と、その人の答えはサンミゲルアカタンまでいく車はない、まずサンセバスチャンSan Sebastian(Coatan)までいってそこで乗り換えていける、が、その車はこの場ではなく、少し離れたところから出るとその場所を教えてくれたのだった。その場所は前日のシュラスコ弁当を買った店の少し先でそこへ行ってみると、それらしき車はいたが、ドライバーも助手も言葉が通じなかったからか全く相手にしてくれず車は出てしまった。仕方なくまた先の広場に戻る、と先ほどの親切なおっさんはまだそこにいて事の次第を報告すると、ならばサンラファエルSan Rafael(la Independencia 括弧内は後で確認したもの)経由の手があるといって、そこへ行く車を探してくれたのだった。それも別の場所から出ていたのだが親切にもその場所までついてきてくれて、ドライバーにわたしがサン ミゲル アカタンに行きたいということを伝えてくれ、サン ラファエルでその車を探してくれるよう頼んでくれたのだった。前日からここの人たちが皆親切なのには気づいていた。しかも他と違って英語で話しかけてくる人が多かった。それを前日酒屋を探しててGalloが安かったので購入ついでにそんな話をしてみると答えがわかったのである。なんとここの人たちは(たぶん郷土愛?仲間意識が強いのだと思うのだが)つてを頼ってアメリカに出稼ぎに行く人が多いということだったのだ。だから結構余裕のありそうな人たちが多く、他に比べてがぜん英語が通じた、ということのようだった。おかげでその後は順調でSan Rafaelには8時半に着き(Santa Eulalia 7時半発1h 18Q)、San Miguel Acatan行きの乗り合いの車を教えてくれ、その車は8:40にでて、サンミゲルには9:30に着いたのだった(15Q)。その間の道は山の中を行きほとんどダートロードだったが、それほどアップダウンがあるわけでもなく、昔トドスサントスに行った時のような悪路でもなかった。が、たまたまその日は日曜日で、日曜市が開かれている日だったようで、街の手前から車は進まなくなった。そこからは歩いていってくれと言われ、そこで降ろされるが、そこから街までは下り坂で、ものの10分ほどで街中に達したのだった。それでも田舎町にしてはやはり市の日だったからか、けっこうな賑わいを見せていた。盆地の真ん中辺にカテドラルがあって、こじんまりとまとまった小さな街は、端から端まで歩いても30分くらいのもので小一時間歩くともうおおよそは感覚がつかめた。が、カテドラルの辺りが一番低地で、すべての方向は登り坂となって、歩き回るのもそう楽ではなかった。市がたっていてそれを冷かしたりしていると疲れてきて一軒のカフェに入って休憩(家族経営のこの店も皆親切で感じがよかった)、そしてまたぶらぶら歩きまわっていると、ターミナルのスペースも全く取れないほど平地のない街だったので、どうしてこんなところにと思うようなちょっとした空き地に一台のバスが停まっているのを見つける。で、気になって近くにいた人にこのバスはどこへ行くのか聞いてみると、Huehue行きとのこと、何時にでるの?11時とのことだった。え、もうすぐではないか?どうしよう!?そんなバスの存在は聞いてなかったので焦る、すでに中心部は一通り回って写真も少しながら撮ってあった、一応一泊するつもりで来ていたが、もうここに居てもすることもなさそうだし、もういいか!?と結論を出してしまったのだ。滞在1時間半にして、サン ミゲル アカタンを後にしたのであった。

San Miguel Acatan 中心部というか、これがだいたい街全体 車が進まなくなってこの先は歩いてくれと言われ降ろされたあたりから撮る

上はスマホで撮ったもの、これは普通のカメラで撮ったもの

San Miguel Acatanの街 以下何枚か~

パルケセントラルとカテドラル

          Huehue行のバスが停まっていた(右上奥のバス)

写真でははっきりしないが、このバスはNentonと行き先が書いてあった

わたしはそのバスがどの道を通るのかが非常に気になっていた。というのは直線距離にするとHuehueにでるにはSolomaあるいはSan Juan Ixcoyにでた方が近いと思っていたからで、つまり来た道とは別の道を行くものとばかり思っていたのだ。サン ミゲル アカタンからは支流沿いの道を戻ったが、ある地点で川から離れた。その場所は目印になる標識も人家もあるわけでなく、それが来た時と同じ道に入ったかどうか確認できず、てっきり別の道、つまりソロマ方面にでる道を行ったものと思い込んでしまった。ほとんど山中のダートロードをいったが、ところどころに人家はあったものの見覚えの全くない道を走っていると思っていた。が、一時間半くらい走ったところで見覚えのある標識を見た、え?ここはどこなんだ?その時以来自分はどこに向かっているかわからなくなり、却って興味を覚えると、それから数十分後に、これははっきり覚えていた幹道N9号線にでたとき、ようやく自分の思い違いに気づく、つまりそのバスはなんとまずSanta Eulaliaを目指していたのだった。13時ころバスはサンタ エウラリアにつき、少々停車してソロマ、サンファンイスコイ経由で、やはり下りは少し時間は短縮され16時半にウエウエHuehueのバスターミナルに着いたのであった。サン ミゲル アカタンからは5時間半65Qであった。これでたぶん一日一往復だと思うが(あるいは曜日限定?)Huehue~San Miguel Acatan間の直通バスがあることがわかったのである(ただHuehue発が何時なのか - 計算上は遅くとも朝5時にでないと折り返せないが、あるいはアカタン一泊なのか? - はわからなかった)。いずれにしろ、どうやらSan Miguel Acatan~Soloma or San Juan Ixcoy間の直通の(サンタエウラリア経由でない)バスあるいは乗合も運行されてないこともわかった。おそらくその間は道が整備されていないだけでなく、街も村もなかったからだろうと思われた。また、わたしが乗ったバスが通った道は、たぶんアカタンに行くときに通ったサン ラファエル経由の道でなく、最初に乗り逃したサン セバスチャン経由の道だったと思われる。いずれにしろ何もない山中の道もなかなか興味深いものがあった。もう一つの驚きは、これははっきり確認したわけではないが、サン ミゲル アカタンの街をぶらついていた時、Huehue行きのバスがちょっとした路地の隙間に停まっていたように、休憩したカフェの近くでNenton(メキシコ国境沿いの小さな街)行きのバスを見かけたことだった。つまり、それまでわたしはサン ミゲル アカタンはどん詰まりの村(街?)との認識だったが、すでに山脈のふもとまで道が通じていることを知ったことであった(ということは、たぶんトドスサントスも以前はどん詰まりの秘境だったのだが、たぶん今は道もよくなって、メキシコ国境方面への道が通じているのではないかと想像できるのである)。

この看板を見たとき、見覚えがあったので行きと同じ道を通っているのかと初めて気づく

まさにこの地点が国道N9からSan Rafael,San Sebastian (左折) への道の分岐点
舗装道路前方はSan Mateo Ixtatan方面 右方向がSanta Eulalia

SolomaとSan Juan Ixcoyの中間あたりでトイレ休憩となる。右側後ろの白いバスがHuehue
行きのバス

16時半にHuehueに着いたわたしは、すでにグアテ市方面に行くバスがないことを知る。日時は決めてなかったが、この後はもう寄り道はせずにAntiguaに戻るつもりでいたのだが、その日のうちに帰り着くことはしょせん無理のようであった。ターミナルのまわりには安宿はたくさんあったが、そこで宿泊したことはなかった。そのうちの一軒の受付に行って、一泊いくらか尋ねると、なかなか親切なおねぇさんは30Qといってきた、安い(それまでに宿泊したグアテマラ国内の宿の中では最安値だったかもしれない)。部屋を見せてもらう、なるほど30Qは納得、つまりベッドがあるだけの部屋だったのだが、トイレは別でもドミでないだけまし、明日の一番のバスに乗るつもりだったからターミナルまで30秒、周りにはtienda(お店)も簡易食堂も30秒圏内にあったから異存はなかった、というか受付嬢の感じがよかったからそこに決める。そのあとHuehue~Guate間の直通バスを走らせている唯一のバス会社Velasques Frontera社のオフィスへ行って明日一番のバスの予約、朝7時発で110Qだった。独占故か結構殿様商売でわたしはChimaltenango乗り換えだったので、チマルとグアテが同料金はおかしいと文句を言ってみたが、相手にされなかった(余談だがそのチマルからアンティグアまでのバスも昔は5Qだったのが、10Qとられ、それは値上げされてたのか、外国人とみて単にぼられたのか、理由がわからないままうやむやになってしまった。以前書いたことではあるが、グアテのチキンバスの料金体系は、ほとんど確立はされていないといっていいのだが‥??ついでにいうとこの間を安くあげるには、HuehueからXela行のバスに乗って - これは朝早くから本数は多い - 4<クワトロ>Caminosまで行って(25Q~30Q?)そこでXela発のグアテ行に乗り換えれば、こちらも本数が多くトータル金額80Qくらいで行けたかもしれなかったことに気づく、ましてチマルまでだったら70Qくらいでいけた可能性があったのではないかと後で悔やんだ)。バスの予約を終え、そのオフィスの隣の簡易食堂でカルネアサド(焼肉、その香ばしい匂いと煙に誘われて‥因みにその焼肉弁当は20Qで前日の肉より柔らかくて安くてうまかった)をtake out 、そしてtiendaで缶ビール2本(brahva×2=12Q)を仕入れれば夕食の準備も整うのであった。

 

Huehue~Guate間を走るVelasquezのバス(手前の赤いバス 途中の休憩地点で)

そんな感じで約一週間(正確には5泊6日だったか?)のグアテマラ国内の小旅行は、当初の目的を一応達成し、1月23日お昼頃AntiguaのP.Tashiroに戻ったのであった(Huehue 7時発、ロスエンクエントロス9:40 近くのドライブインで休憩 10時発 チマル11時ころ Antigua行きバス 15~20分待ち、11:50 Antiguaバスターミナル着)。そのあと2,3日はグダグダとTashiroで過ごし、1月26日次の訪問国トルコに向かうためにメキシコシティに飛んだのであった。

P.Tashiroの屋上はお酒を飲みながらグダグダ過ごすには最高の場なのである !!