独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

『独歩爺最後の旅』グアテマラ その4 アンティグア Antigua

常宿に戻れた安堵というか、ともかく懐かしき再会を果たし、一仕事終えたようなすがすがしさがあった。勝手知ったる我が家のようなものでほんとに落ち着ける場であった。ここでやらなければならないことはいくつかあったが、もっとも必要に迫られていたことは体制の立て直しと体力の回復であったように思う。それに二日(1/16,17)を費やした。具体的には①両替②洗濯③買い出し④情報収集と今後の予定⑤荷の整理と荷造り⑥航空券の取得⑦友人知人への報告・連絡⑧記録の整理と会計チェックといったところ。到着した1/15(日)は田代さんに挨拶して、いつものスーパーBodegonaで買い出しして(特に酒類と食料)、一杯やっているうちに早くも酔っぱらってしまって、ここ数日同様19時ころには眠りにつく、そして夜中の1時半ころに目覚めてしまうといった塩梅、夜中から荷の整理、記録の整理と会計チェック、朝方には日本からのmailが入ってて返信したり、ビデオを送ったり‥、実は日本出発前に、それまで聞いたことがあったがやり方を知らず無縁であったラインというものを教わっていた。これは海外から無料で送受信できるシステムとのことで、緊急用にはもってこいかと思ってそのやり方を教わり、家族を含め何人かの登録を得ていた(友達になってくれていた)。で、実際情報を流してみると結構反応があって面白くなってしまったのだ。一つには現場の生情報を送れたこと、とくにそれまでスマホを持っていながら動画というものを撮ったことがなく、そのやり方も知らなかったのだけれど見様見真似というか、適当に撮って送ったらけっこう面白がってくれたりしたもので調子に乗ってしまい、ついつい動画狙いとなってしまって(それも失敗が多くて)結果的に肝心の写真がおろそかになってしまったという失敗にあとから気づくのであった。また、これもあとから指摘されたことだが、それまでの旅はかなりストイックに情報を書き溜めていたものが、今回はその都度その都度発信していた、いや発信しなければと思うようになってしまって、どうも対象のとらえ方が散漫になってしまった嫌いがあった。そう思うとスマホという便利なものも使い慣れていないものが下手に手を出してもろくな結果にならないことを若いもの(実は愚息)からの指摘で学んだのであった。いや、ともかく今回は最初から年甲斐なく無理をした結果の弊害が早くもあちこちに表れ始めていたのであった。最初に申し上げたように、今までになく失敗をつづることが多い旅となったいたのである。

 

で、次の日1/16から①~⑧を片づけていくのだが、一つづつコメントだけしておこうと思う。①は今回はいわゆるデビッドカードを持参したのでATMでの引き出し、簡単だが手数料を結構取られるので、ドルキャッシュの両替とどちらに利があったかは、未だつきとめてない。②16日朝からP.Tashiroの3Fで今回最初の洗濯だったので大量の洗濯となった、が、これは洗濯場を借りられるので明らかに自分でやるメリットあり、しかもかなり乾燥しているところなので、絞らずに干しても一日で乾く点でTashiroでは自前で、洗濯屋に出すor田代さんに頼む(もちろん有料)のは以前からお勧めではないのだ。③買い出しはスーパーBodegonaと何でも揃う市場が近いので、その点Tashiroは最強のロケーションということができる。今回特に探していたのは単4の電池だったが、寿命はともかく価格はやはり市場が一番安かった。④今後の予定は特に決めてなかったが、早急に決める必要があった。この時点で確定的な日程は1月28日にメキシコシティからイスタンブールに飛ぶことだけだった。そこで決めなければならなかったのは、いつメキシコシティへ発つか、どうやって行くかで頭を悩ませていた。それは17日ころまでに決めることにしていたが、もう一つは残りの一週間をどう過ごすか、どこへ行くかということで、これも先の問題との関連があるので、合わせて決める必要があった。そのための情報収集にINGUATへ16日出向く、是非行ってみようと思っていたところにいサンミゲルアカタンSan Miguel Acatanというところで、そこに行くにはどこからどうやって行くのか、といったことを知りたかったのだ。⑤荷の整理と仕訳というのは、前にも少々触れたが、今回の荷の1/3はサンペドロの知人に届けるもので、その仕分けが済んでなかったこと、また、それとともに一週間位出かけることになるので、持っていく必要のない荷の仕分けも含まれていた。⑥は④との関連でGuateからメヒコへ飛ぶことにした場合の手配のこと。⑦は先に述べたライン等での情報発信および受信にかなり時間をとられていた点と、サンペドロの知人への訪問の連絡を言っている。そして⑧毎日の日記及び会計ノートの整理、これは一日飛ばすとあとから思い出すのが一苦労となる、あるいは空白になってしまうので、できるだけその日その日に処理していかなければならなかったのである。

 

もちろん二日で十分だったわけではないが、並行していろいろと動いていた。16日はまず①②③④あたりをかたずけるも、INGUAT(グアテマラ観光局)訪問中に珍しく停電になってPCが作動しなくなり、明日までに資料を用意しておくから明日また来てくれと言われてしまう。⑥はネット検索でメキシコシティからグアテマラシティまで飛んできたLCCがやはり安くて時間の節約にもなりそうだったので、1/26に飛ぶ案で検討していた。そんなんでかなり処理は進んだので、早くも夕方から市場で仕入れた酒とつまみ(セビチェとフルーツ)でいっぱい始めて、それを写真にとって日本に送ってみるとすぐに返信が来たりして、あっという間にいい気分になってしまって、⑤⑧の荷物の整理とか記録の整理会計チェックは手つかずになってしまう。

お馴染みの洗濯場と物干し場のあるTashiroの3F屋上テラスからのVolacan Agua、すでにわたしのブログには何度見も載せているのでまたか!と思われてしまうかもしれない??

INGUATへ行く途中の公園Parque Unionと公共洗濯場Union Tanque 13年前に初めてAntiguaに来た時この近くでホームステイしていた


ま、そんなんで少しずつ睡眠時間も通常の23時~6時から7時ころ起床に戻りつつあった。1月17日にはINGUATで情報をもらい、my tripで1/26のメヒコへの航空券を手配し、田代さんにプリントアウトをお願いし、次の日1/18のサンペドロまでのシャトルの手配もお願いした。そしてサンペドロの友人に明日行くという連絡とメキシコシティの常宿のサンフェルナンド館にも予約を入れておいた。最後の荷物整理と仕訳も何とか片付けて、一応1/18~23くらいまでの予定で小旅行行ってきます、ついてはいつものことながら荷物を預かっていただけないかとお願いした。いや、ほんとにいつもながらわたしのわがままを、この時も田代さんが留守だったのもあってマリア様のような奥方が、優しく受けてくれるのであった(わたしは甘えっぱなしなのだ)。また今回は、一番末の息子さんGenkiくんの成長目覚ましく(思えば最初に来た時はまだ小学生だったか)、上のお兄さんお姉さんは今は日本にいるとかで、田代さん不在の時は彼が一切を仕切れるようになっていたのだった。こうしてこの先10日間の予定も大方固まってきて、翌18日から、たぶん最後となるであろうグアテマラ国内の小旅行に出かけたのであった。

 

この日も出かけてパルケセントラルを通ったおり、これもなんども写真に撮っている
Antiguaの中央公園とカテドラル;2枚

市場の定食屋でpescado frito 魚フライ定食25Qを食す

フルーツ盛り合わせとセピチェで酒盛りの写真