独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ウガンダ> その3,カンパラ Kampala

ウガンダの首都はカンパラである。首都にふさわしいというか、流石に大都会、その極みはその混雑具合、その密着ぶりとでもいおうか、わたしはJinjaから乗り合いのワゴン車で着いた時、そのタクシー(前に言っているがウガンダでは乗り合いワゴン車をタクシーといっていた)パークの広さとその混雑具合・密着度に唖然とさせられたのであった。世界に誇れるタクシーパークのような気がしたのであった。写真で見てもらった方が早いかもしれない・・??

カンパラタクシーパークの全景でなく半景? ↑ ↓ あと2,3枚

 

 

最初に度肝を抜かれたからでなく、カンパラの街を歩き回って、やはりここが一番の目玉ではないかと思った、ま、東京なら渋谷が面白い、といったところか?あるいは東京の中心東京駅か? で、お分かりと思うが、これだけのワゴン車の出入りがあるということは、その付近の道路事情は推して知るべし、そしてそれは車だけではなく路上の人込みやいかん !?ま、想像を絶するものだったのである。

 

その日Jinjaのホテルをチェックアウトしたのは7時半頃であったか?Jinjaタクシーパークはホテル前の大通りをVictoria湖に向かって下り気味に10分くらいのところにあったが、ホテルの前で待機していたモトドライバーにタクシーパークまでいくらで行くか聞いてみると1000ush(35円くらい?)との答えだったので迷うことなく乗ってしまった。前日確認してあったカンパラ行のワゴン車は、出たばかりのようでまだ人がそれほど乗ってなかったので、ドライバーにすぐには出ないだろうと確認して、近くにコーヒー屋はないかと聞いてみると、例のごとく彼はわたしを連れて市場の中のコーヒー屋のまで連れてってくれたのだった。また、そのコーヒーが安くてうまくて(ジンジャー入りコーヒー1000ush)おまけにパンまで安くてうまいのを(500ush)そこで食べられたのであった。50円の朝食は改めてウガンダはわたし向きの国のように思えてくるのであった。1時間待ちで乗客は埋まり8:45Jinja発、Kampala着は11:45だったから3時間10000ushの移動費であった。

Jinjaのタクシーパーク 2枚 ↑ ↓

 

Kampalaまでの途上で 2枚、↑この時も主にビデオで撮ってしまって
ここで載せられるのは2枚しかなかった ↓ の写真はカンパラに近い


Kampalaタクシーパークで放り出されたとき、いったいわたしはどっちに歩きだしたらいいのか全く見当がつかなかった。ともかくどこでもいい歩いているうちにhotelの看板は見つけられるだろう、一泊目は高くてもかまわない、くらいの気持ちで最初の路地をタクシーパークを背に歩き出した、が、ものすごい人混み、何なんだこの街は ! ?と、ま、面食らっている感じ。で、左側に安そうなホテルの看板ありで、どうやら受け付けは2階らしく入り口を探し階段を登っていった。そのとき受付の人はいたが、何故だかわたしを見るともっといいホテルが近くにあるからといって、わたしを連れて何軒か向こうにあった、ガードマン付きのホテルに案内してくれたのだった。エレベーターで4階までいったそこの受付は、一見高級そう、これはわたしの(予算的に)泊まれるホテルではないなと直感したのだけれど、とりあえず宿泊代を聞くと80000ushとのこと、3000円以下だったから泊まれない値段ではないことがわかる。が、それでも一言聞いてみるのがbudget traveler<貧乏旅行者>なのである。二泊するから一泊70000ushにしない?と聞いたら、年配の受付のおばさんはすんなりokしてくれたのであった。いや、まだコロナ禍の影響があったのかどこも旅行者は皆無で、この中の上にランクされそうなホテルはたいそうお得感があったのであった。そんなんでKampalaはなかなか幸先の良い出だしとなったが、あとがいけなかった、まぁそうそううまくはいかないものだ。

 

前にも言ってたかもしれないがKampalaもこれといった情報は持っておらず、持っていた中古のガイドブックによればウガンダもサファリ<特にマウンテンゴリラの>がお勧めのようだった。それを見てて一ヶ所マチソンフォールス国立公園Marchison Falls National Parkというところはカンパラから行けるとのことだったから、行けるものなら行ってもいいかな、と思ってはみたが(2泊3日で500ドルは下らないとして)やはり一人旅、いや貧乏旅には向かないというか、なんとなく面倒になって断念していた。そうなるとあとは街歩きくらいしかすることがなくなって、ま、ダラダラ過ごすことになった。最初の日の午後は絵葉書探し、エチオピア航空探し、ルワンダ/キガリKigaliに行くバス会社を探しながらの街ブラとなった。もっともケニアでもそうだったが、いわゆる観光案内所のようなものは期待できず、地図も手に入らなかったから、頼りになるのはその中古ガイドブックにあった簡易地図だけであった。で、行きたかったところはすべて地図にはあったが、郵便局には絵葉書は売っておらず、どこで手に入るか聞いたがわからないとの返事、エチオピア航空はその場所にいってみたがやはりどこかわからず、次の日もう一度行ったときに見つけたが2月16日は祭日でお休みだった。観光局も地図には載っていたのでそこまでいってはみたが、見つけることはできなかった。問題はキガリに行くバス会社で、そこには毎日通うことになった(次回詳細を)。最初の日はほとんど歩いて回った、そしてタクシーパークを中心としたおおよその感じと方向はつかむことができた。その日の収穫は歩いているときに出会ったマウンテンゴリラの彫像と、その近くにあった独立記念碑Independence Monument、やはりそのすぐ近くにあったSpeke Hotelを偶然見つけたことだった。

 

独立記念碑

歩き疲れて休みたくなったところに彼はいたのだ

記念撮影をさせてもらった

その近くにSpeke Hotelもあった

夕方一旦ホテルに戻って少々休憩したのち、ホテルから見えていたスタジアムの後ろ辺りにキガリ方面に行くバスターミナルが載っていたので再び出かけてみた。いやそこまでの道の込みようといったらなかったが、人混みがなければ10分くらいと思われたそこになかなかたどり着けなかった。が、その近くまでいくともうすぐに人が寄ってきて何処へ行きたいのか聞いてくる。一応キガリと答えると、そこまでいくバス会社のオフィスに連れてってくれた。親切に、だったのだが、ま、余計なお世話ということもままあることを後から知ることになるのである。一応キガリまではいくらで何時にバスが出るか聞いたような気がするが、その時ticketは購入していない。場所がわかったので、明日来ることにして、帰りにATMでUSH(ウガンダシリング)をおろしてホテルに戻って支払いを済ませてから、夕食をとりに出かける。一階までエレベーターで降りるとガードマンがいて毎回挨拶していたのだけれど、その時近くに安く食事ができるところはないかと聞いてみた。実はこの街の特徴として食べ物屋や食料品・飲料品を扱う店が極端に少ない印象があった、その分衣料品関係や今どきのIT関連やエレクトロニクス関連の店が多いように感じていた、なのでいわゆる安食堂っぽい店を目にしていなかったからだった。ガードマンは二人体制の勤務だったが、一人が一緒に来いといって連れてってくれたのであった。もう何度目かの過剰サービス(我々からすると)だったから、あまり驚きもせずについていくと、例のタクシーパークの中に食事処が何軒かあったのである。そこで安くておいしい庶民の食事をとることができた。この時はさすがにガードマン二人分のコーラ2本を購入して、戻った時に受け取ってもらったのだった。

この様にアフリカも様々、国が違えば国民性も違うということがわかってとても新鮮な感覚で旅を楽しんでいたが、特に思ったのはこれらの国々を植民地支配してきた西洋近代国家の行き詰まりが見えてきた昨今、何ともすがすがしさ(新しい風)を感じることができたことであった。

郵便局近くの大通り

ホテルの屋上からタクシーパーク(一部写っている)方面を見る

スタジアムNakivubo Stadiumの後ろ辺りにバスパークがあった
(ホテルの屋上から日没を撮る)

屋上から見た真下の通りの様子

その日の夕食 魚スープご飯、こういうのがうまいのである(500ush=200円弱)