独歩の独り世界・旅世界

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『独歩爺最後の旅』アフリカ篇 <ルワンダ> その2, Kigali 街ブラとGenocide Memorial (虐殺記念館)他

Kigaliはちょっと変わった街だったように思う。当初3日間くらいの予定だったがアクシデントがあって(たぶん次回詳述することになると思うが)都合一週間近く滞在したか?しかし結局この街のいわゆる中心といわれるところがどこだったのか、詳しく歩いたわけではないがわからずじまいになった。要は地図が手に入らずガイドブックにも記載なく、Googleで見てもよくわからなかったのである。わたしが最初の日に滞在したホテルは国際空港の近くだったことを後で知ったが、前日に下車したバスターミナルも街のはずれにあったのだと思う。しかし、では中心がどこだったのか?そこへはどうやっていけばよかったのか知るすべがなかったのだった。それとこの街で何をするか?見どころはどこだったのか?わたしが事前に知っていた情報は、今回表題にした Kigali Genocide Memorial (虐殺記念館)の他には何も持ってなかったのであった。

 

わたしはその朝この宿をcheck outするつもりでいた。理由は山ほどあった、1,価格が高かった。そもそもわたしが了解する価格の倍はしていたし(前日遅かったし他を探す余裕なく一泊のつもりで決めてしまった経緯あり)、その朝スマホでチェックしたらけっこう周りに安ホテルがあったことを知ったのだが、そもそもこのホテルがbooking .comでは半額近い値段で出ていたからだった。2,これも前回書いているが周りに食堂も食料品店の類も何もなかったこと、3,今回の旅で初めて蚊に食われて眠れなかったこと、4,やはりスタッフに若干問題あり等々で、考えてみれば3については赤道直下のこのエリアで蚊帳が備わっていたところもあったが、偶々中の上のホテルがわたしの安宿レベルの価格で泊まれていたのと、それらのホテルはビルの高いフロアにあったからだと思う。しかしこのホテルは明らかにホテルランクでは0~1程度で、そのくせ2~3レベルの料金だったからわたしは腹を立てたのだった。つまりぼられていたのであった。それでも朝食付きだったのと、その内容は悪くはなかった。で朝食をいただいてから、チェックアウト時間前に近くのホテルを探しに行こうとしてフロントにホテル代の清算にいったら、なんとそこにはフランス語を話す若き美形の女性が控えていたのだった(もしかしたらこの人が支配人かも知れなかった)。宿代を払いに来たというと、いつまでKigaliにいるのかと英語で聞いてきた(使い走りくんと、もう一人いた鍵番のような男の子はフランス語しか話せなくてわたしとはコミュニケーションがとれずにいた)。三日位の予定でいるが、ここは高いからもう出ようと思っているというと、安くするといってきた。前日の話では一泊3500rwf(ルワンダフラン、1000rwf=120円くらいだったから4000円くらい?)とのことだったが、それを3000rwfにするから延泊しろと素敵な微笑を湛えて説得してくるのである。もちろんもう年だしその手には乗らず、それだと食事代が残らないから無理だと断る。ここで断固断わるべきだったとあとで後悔したが、優柔不断のわたしは、それでは食事も提供しましょう、という言葉にほだされてしまったのであった。さすがに3食付きまで要求はしなかったが朝晩付きで30000rwf(3600円?)なら、ま、いいかと了解してしまったのであった。もちろん蚊帳を攣ることも要求したら、それは日本にあるような電源を差し込むだけの蚊取りを用意してくれたのだった。結局その場で三泊分90000rwfを払ってしまったのである(両替は前日使い走りくんとバスターミナルに買い出しにいったときにATMがあったので結構降ろしてあった)。ま、そんなんで一件落着?10時ころにようやく外出しKigaliの白日のもとの姿を見ることができたのだった。

Kigaliのホテル付近から見えた街?というか、どうもKigali街の中心部はこの写真の
左手奥の方にあったようだ  ↑↓ 街というかのんびりした田舎といった風景

 

まず向かった先は、空港が近いということを聞いていたので二日後に飛び立つはずのKigali国際空港の下見に出かける。一つには荷物をもって空港まで歩いていけるものかの下検分のようなものであった。が、その道はまずバスターミナルへの登り坂をいって途中で左に折れてさらに登り坂か続いた(つまり空港は丘の中腹にあったということ)。歩きだとずっと登りで30分くらいかかったか?結構疲れたので荷物を持っていたらボダボダを使った方がよさそうであった。空港の歩行者用のgateを確認し、次にどこへ行くか?わたしはともかく街らしいところへ行ってみたかったのだ。空港通りは普通のバスが走っていて、たぶんそのバスは街に向かうだろうと予測する。それでなくとも下り坂とはいえ30分の道のりを歩いて帰りたくなかった。バス停にいた人にこのバスはどこへ行くのかと聞いてはみたが通じなかったようだ(通じたとしても今度はこちらが理解できなかったと思うが)。一台目を見送り次に来たバスに、いずれにしろ方向的に街に向かうだろうと賭けた。ドライバーにどこへ行くのか聞いてもその答えは理解できないだろうからともかくいくらかだけ聞いて、300と聞こえたのでそれをを払って乗り込む。そしてどこへ行くかじっと外の景色を注意してみていると、正解だったようで、昨日のバスターミナルまでいったからそこで降りた。その時そのバスターミナルとその付近の写真を撮る、しかしそこも街の中心のようなところではなかった。先にも言ったように丘の中腹にある街はずれのターミナルのようであった。そこからはすでに二度も通いなれた道だったから15分くらい下り坂を歩いてホテルに戻った。途中にGoogle検索で見つけた安ホテルがあるはずだったが、それは見つけることができなかった。ちょっと高かったがそのホテルにするしかなかったようだと諦めもついたのだった。

前日の夜到着したバスターミナルに次の日行ってみた

バスターミナルの入り口付近で待機しているバイクタクシーの群れ

ホテルに戻ったのがお昼頃で、シャワー、前日の食べ残しのまずいパンで腹を満たししばし仮眠をとる(この頃夜半に何度も起きざるを得ない症状が続いていて、昼寝は必須となっていた)、1~2時間の仮眠で3時前には起きだして再び出動、予定ではKigaliは二日しかとっていなかったから、まずは何はともあれGenocide Memorialへは行っておかないと話にはならないだろうとマドモアゼル?(今やこの言葉も差別語だとか?ladyといいなおそう)にボダボダで行くとしたらいくらくらいか聞いてみた。この人はボダボダなんかには乗らないだろうが、ま1500~2000rwfくらいではないかと・・、礼をいって出かけた。今やこのバイクタクシーは先進国以外世界中どこへ行っても見られるようになったが、わたしにとっても東南アジア、アフリカは重要な交通手段<足>となっていた(わたしの好きな中南米やインドはTuktukの方が主流)。もちろんこのKigaliでもその数は多かったが意外にもこの時はなかなか捕まらなかった。やっと止まってくれたお兄さんと交渉、2000rwfはその後走った距離からしたら(30分はかかったと思う)安く感じたのだった。この時の感じでルワンダのボダボダの交渉の目安をつかむ。いや、ともかく遠かっただけでなく、この街は山というか丘だらけ?で、近代的なビルも建っているのだけれどまとまりがないというか、先にいったように結局どこが中心なのかが掴めなかったのである。Kigaliの全貌もつかみ損ねたのであった。

 

さて、Kigali Genocide Memorialである。正直ルワンダのジェノサイドは映画にもなったいたようだが<ホテル ルワンダ;Hotel Des Mille Collines>わたしはそのことを知らずにいた。ま、アフリカ諸国(中南米も)は独立時、あるいは独立後に内戦のなかった国は皆無なのだけれど、ルワンダの場合は主流民族が二つだったので、かくも悲惨な民族抗争になったことを知ることになった。いずれにしろ歴史上いつの時代どこでも人間の愚かさは、このような形で残さない限り繰り返されていく(いや今でも別のところで繰り返されている)のだが、ここでもその悲惨さ残酷さを確認させられるのであった。負の遺産はどこでも見るたびに暗澹とした気持ちにさせられる、展示されている写真を直視できなくなる。しかし当事者にとっては生き残りをかけた生存競争(戦争)だったのだろうから、人間は集団になると歯止めが利かなくなるのだろう、他人事のような安易な論評は控えなければなるまい。

Kigali Genocide Memorialの建物

遠くにこの街の中心部にあるらしい高層ビル群が見えていた

たまたまその日(2/19)は日曜だったからか、ここには大勢の観光客の姿もあった。この建物の見学順路等があったようだし、オーディオガイドも備わっていたようだが、それを知ったのは一回りしてからであった。閉館時間も近かったので、その場を後にしフリーのモトドライバーを探した。幸いその時はすぐに次のドライバーは見つかり、ここまで来たからには是非帰りにはホテルミルコリンズにいってみたかった。まずその場所を知っているか確認して料金交渉となった。1000rwとのことだったのですぐに出発、ところがこの若いドライバーは正確にはその場所を知らなかったようで誰かに聞いて、丘の上のホテルまで連れて行ってくれた。そこで下車しガードマンに断って証拠写真として写真を一枚撮らせてもらった(現役の高級ホテルなのでrich travelerならいつでも泊まれるようだった)。その辺りは丘の上だったが、Kigaliのhigh class zoneだったようで高級ホテルが立ち並ぶエリアだった。Kigaliにこんな上流人種が住むエリアがあったんだと感心しながらそんな界隈をしばらくぶらつく、しかしそこもいわゆるKigaliの中心といえるようなところには思えなかった。その時間でもまだ明るかったので、持っていたガイドブックにあった断片的な記事(そのガイドブックのルワンダの記事はほんとに断片的にしか記載がなかったのである)の中のもう一ヶ所にいってみることにした、が、それもその場所からどのくらい離れていてどの方向にあるのかさえ分かっていなかった。再びモトドライバーを探してキミロンコマーケットKimironko Marketって知っているかと交渉してみた。ホテルミルコリンズを知らないドライバーはいてもキミロンコマーケットを知らないドライバーはいなかったと思う。いくらでいってくれる? 1500rwf。1000rfwにならないかと一応聞いてみたが無理のようだった。しかしこの時も走った距離からしたら安すぎるくらい遠かったのであった。結構時間もかかって着いた時は夕暮れ近かった。イメージからしたらこの辺りこそわたしが求めていた場所で、雑然としてごちゃごちゃしてて少々下街っぽかった。そしてそこは初日に下車したバスターミナルよりも大きなバスターミナルKimironko Bus Stationでもあったのだ。むしろそれが驚きで、こんなところもあったのか、ここなら安ホテルもあったかもしれない、思えば昨日のあのバスもここまで来たのではないか?そう思うと旅の流れというのはちょっとしたことで変わってしまう(わたしはあの若者二人と出会ったことが流れを変えたかもしれない)と改めて思ったのであった。その時は遅い時間になっていたのでマーケットを確認せず、このバスターミナルから前日のバスターミナル(そこまでいければホテルは近かったから)へ行くバスはないかと何人かに聞いたが、そのターミナル名がわからなかったので、説明不十分で誰も理解できなかったようだった。でバスは諦め再びモトドライバーを探して、英語は通じるはずなので何とか、もう一つバスターミナルがあるだろう、そこへ行きたいのだと説明していたらようやく一人がわかってくれたようで、連れていくとのこと、いくら? 500。え、なんでそんなに安いの?と日本語でつぶやきつつ半信半疑ながら後ろの座席にまたがると、すぐに出発して裏道をいったのかどうか、ものの10分もかからず、まさに見覚えのあるバスターミナルまで届けてくれたのであった。そう、わたしが地理をわかってないだけでその間はかなり近かったのだった。そこからは通いなれた下り道で15分でホテル着。その時ホテルの手前に前日は気づかなかったが小さなバー?のような店があってビールの広告がでていたので、覗いて聞いてみると中瓶?の大きさだが1000rwfでビールを手に入れることができたのだった。その時は19時ころだったが、もうすっかり外は闇の世界になっていた。戻ると使い走りくんしかおらず、それでも彼が作ってくれたのか夕食の用意ができていた。で久しぶりにまともな食事というか、ま、アフリカらしい食事をおまけにビール付きで味わうことができたのだった。

Hotel Des Mille Collines ↑↓

Kigaliのhigh class area ↑ ↓ 2枚

 

前回使い走りくんが写っていたものと同じものだがこちらにはビールも写っていた