独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

『独歩爺最後の旅』トルコ編 5, 最悪のイスタンブール Istanbul 3日間 

当初の予定では、トルコ滞在は2023/02/03~2/13の10日間の予定であった、その内訳はイスタンブールが2/3~2/6か7で、そのあと今回行ったサフランボル、スイノブ方面が4~5日で2/11か12に戻って2/13にナイロビに飛ぶ予定で航空券を手配していた。それが去年の10月頃で、そのあとにインド、アフリカ各国のVISAを手配することになる。そのケニアウガンダルワンダ3か国で使える東アフリカ観光VISAの取得手続きを確か10月の終わりころから始めていた。そしてこれはけっこう苦労したのだが、何とかそれも取得できていたのだった。同じころには各国の滞在先(ホテル)の手配も開始していた。トルコに関してはイスタンブールのみ2/3~6の3泊4日で、早い予約だったので結構安く予約がとれていた。ところが12月になって突然わたしの大チョンボが発覚したのだった。ま、やはり歳の所為か、今まで経験したことのないミスであった。そもそもやはりVISAはこういう面倒なことが起こりうるのである、だからVISAを要するところは要注意というか、なるべくなら避けたいのだが、わたしのいきたい国々は往々にして要VISAの国が多いのであった。で、そのチョンボというのは、何でも早め早めに手配したことが裏目に出たということで、11月初めに発行されたVISAは有効期限があって、発行後3ヶ月間に入国しなければ無効になるということに12月になって気づいたということだった。つまり当初の予定のままでは、せっかく苦労して取った東アフリカ観光VISAは無駄になってしまうことがわかったのである。まだ間に合ったからよかったのだが、すでに発券されていた世界一周ticketは若干の手数料を払って日程変更をしなければならなくなった。それに伴ってホテルの予約にも影響が出てきていたが、ホテルの場合はキャンセル無料だったり日程変更に手数料はかからなかったりしたので実質被害は被らずに済んでいた。ただ、イスタンブールの場合は(すでに述べたかもしれないが)イスタンブールの後に予定していたサフランボル~スイノプの予定を前に持ってくることによって、ホテルの予約は変更せずに済まないか、という観点で調整してみたのであった。それがこれまでの経過の中でも述べていた2月3日にイスタンブールに戻らなければならなかった理由なのであった。しかし、無事に?2月3日に戻りはしたものの、その後の3日間は最悪、何がって最悪の天気だったのであった。

 

元より2月にトルコは天候的にNGだろうとは思っていたが、それでも観光客は世界中から集まっていたのだから流石にイスタンブールと驚かされてはいた(もっともトルコに滞在した約10日余りの間一人の日本人・東洋人の姿を見かけることはなかったが)。寒さに弱いわたしにとっては、暑いアフリカに脱出する前の試練?というか捨て石のようなものとして捉えていたので、だから結果としてほとんど何も見なかったに等しい3日間となったが、ま、初めからやむを得ない選択と諦めていたし、ほとんどなにも期待はしていなかったのだ。やはり寒かったし、雨、そして霙まじりの嵐に遭遇して、特に記述すべき旅模様もないのだが、簡単にそれらの日々を追ってあとは写真の説明だけに終わることになると思っているのである・・、、

 

まず2月3日は、朝10時頃ようやくイスタンフール到着を告げられたが、全く見覚えのないところだったので、ここはイスタンブールのどの辺?どこに我々は着いたのか?その時のコンダクター(車掌さん)に通じないながらも聞いてみた。が、イスタンブールのオトガルという返事が返ってくるのみで、他の乗客は全員降りていってしまい、すでにどこかへ消えていたのだった。いやー、焦った、自分のいるところがわからないから、どっちに動き出したらいいのかがわからなくなっていたのだ。で、ともかく地下鉄の駅はこの辺にないかと、トルコ語を調べる余裕もないから英語で叫んでみた。すると上だ、と教えてくれた人がいた。上といわれてもそこは建物ではなく平地の単なるバスの溜り場(そこが降車場だったことを後で知るのだが)でしかなく途方に暮れていると、あっちだといってそこに至る道を教えてくれたのだった。半信半疑でそちらへ歩き出すと、確かに少し登ったところで道にでて、その向こうに駅のような建物が見えていた。ともかくそこまでは行ってみようと、その方向に歩きだすと何となく見覚えのあるような感じになってきて、そこがサフランボルに行くときに降りた地下鉄のオトガルの駅であったことがわかってきたのであった。そういうことだったのかと、その時なってようやくバスはイスタンブールのオトガルに到着していたことを(乗車時の場所・光景とは全く異なっていたのでわからなかったのだが)理解できたのであった。

確かに上に出てみると地下鉄の駅のような建物が見えた

近づいてみるとそこは数日前に下車した地下鉄のOtogarオトガル駅だった

そこからは何とかなった。まずイスタンブールカードにチャージして、帰りは別のルートで帰ってみることにし地下鉄M1でAksarayアクサライにでてみた。最初の夜空港からのバスが到着した場所、右も左もわからないまま降ろされたところだった。そしてそこからトラムに乗り換えてスルタンアフメトに帰り着くことができたのだが、スルタンアフメトのトラムステーションからホテルまでの間は、いやでもAyasofyaアヤソフィアの偉容が圧倒するような存在感を示していて自然にシャッターを切ってしまう、そうやって特に急いで戻らなければならない理由があったわけではないから、ぶらぶらとホテルに戻ったのであった。

見覚えのあったAksarayの駅、ここが空港バスの到着したところだった ↑

Aksaray駅周辺 ; 2枚 ↓下の写真はよく覚えてなくてなんという建物か不明
Pertevniyal Valide Sultan Mosqueの可能性あり

<ブルーモスク Sultanahmet Camii とAyasofyaアヤソフィア 何枚か>

たぶんこちらはブルーモスクだったと思う ; 2枚 ↑↓

 

Ayasofya Muzesi アヤソフィア博物館はいつも長蛇の人で、そもそも最初から
入館するつもりはなく、外から何枚か撮っただけ

これは翌日の朝ホテルの部屋から撮ったもので、朝焼けは天候悪化を予兆しており
その通りになった

ホテルではすでに顔なじみになっていた最初の夜のホテルマンがいて、彼が前回より素敵な部屋を提供してくれた。そこからもアヤソフィアの偉容は目と鼻の先だった。こうしてホテルの3日間は、むしろ外出するたびに寒さ、雨、突風を避けて逃げ戻るところとなった。その日は近くの洗濯屋に出向いたのと、昼食のケバブサンドとワインを買いに出たくらいで、久しぶりに湯船につかり昼寝して体を休めたのであった。

 

次の日は午前中キュルハーネ公園を散策し、スルタンアフメト広場、アヤソフィアの周辺をウロウロし午後はグランドバザールまで歩いて往復する。2月5日はマルマライ・スイルケジ駅、エミノニュ、エジプシャンバザール、そしてガラタ橋を渡ってガラタ塔を目指すも塔までたどり着いた時はすでに土砂降りの雨になっており、さるお店の軒下で雨宿りするも止む気配なく、こんな雨の中並んでまでして塔に登ってみる気にはなれなくなって退散することにし、橋の袂まで戻ってそこからトラムでホテルに戻る。夕方もう一度出かけてみたがさらに風雨は強まっており、傘も飛ばされる勢いだったので這う這うの体でホテルに戻る、ずぶ濡れになった。ま、こんな感じで寒さと風雨との闘い?と相成ったが、別に残念でも悔しくもなかった。最初にも申し上げたようにイスタンブールもどうでもよい部類に入っていたのだった。言葉が通じなかったり、やたら物価が高かったり何かと面倒くさかったりするところは、この年になるとツアーできた方がいいかもしれないと思うようになっていたが、やはり以前一度来ており、すっかり忘れてしまっていたが、前はトプカピもアヤソフィアも見たことがあったというのが大きかったかもしれないと思っている。

2月4日トㇷ゚カビ宮殿隣りのギュルハーネ公園 ; 2枚 ↑↓

対岸のカラキョイ方面を見る

再びアヤソフィア、ブルーモスク周辺をうろつく

アヤソフィア東面

ブルーモスク 2枚追加

 

トラムに沿ってグランドバザールまで歩く ; 2枚 ↑↓

 

確かグランドバザール近くのモスクだったと記憶しているが‥??

グランドバザール ; 2枚 ↑↓ 

コンスタンティヌスの円柱か?

2月5日 マルマライ駅とその付近 2枚 ↑↓

エミノニュ付近 2枚 ↑↓

ガラタ橋の袂にあるYeni Camiイェニジャーミィ↑とエジプシャンバザール ↓

エジプシャンバザール ;2枚 ↑↓

ガラタ橋から ;2枚 ↑↓

ガラタ塔 ; 2枚 ↑↓


そして2月6日である。この日ようやくにしてトルコ脱出の日であったが、なんだか朝からテレビが喧しく何が起こったのかと思っていたら、何とわたしがそのニュースの詳細を知る前に日本からのラインでそれを知らせてきてくれたのであった。トルコ東部とシリアとの国境地帯で地震が発生したらしく、心配してのことだった。一応それらにはここイスタンブールからは相当離れていることを伝え、わたしは今日にもトルコを去る旨返信したが、その地震の規模は相当大きかったようで被害も甚大であったことを後で知ることとなった。11時にチェックアウトして、来た時とは逆ルートで空港に向かったが、空港でもその話題はあちこちで聞くこととなった。心残りとしてはほとんど残金を使い切っていたので、せめてイスタンブールカードのデポジット(50TLだったはず)が還元されればそれを寄付しようと思っていたが、いろいろ訪ね歩いてみたが誰もその方法を知らなくて、イスタンブールカードのデポジットは戻らなかったのであった。ま、そんなんで数時間待ちの空港ではラウンジでこの時とばかり貧乏人は贅を尽くしていたのだった。